2024年 一歩を踏み出す勇気を
令和6年1月1日
実家からの帰り道、車を運転中のラジオで流れてきたのは、地震速報であった。
さっきまで、親や、子、孫と、笑い語らい、笑顔で別れてのからの帰り道であった。
石川県や新潟県での、地震の速報が、一度ならず数回に渡って、ラジオから聞こえてくるのは、必死になって避難を呼びかけるアナウンサーの声。
能登半島地震
最初の地震速報と非難の呼びかけから、10分後には、今度は津波警報と、避難の呼びかけや、津波の到達の案内が流れる。家に着くまで、必死に非難を呼びかけるアナウンサーの声はずっと続いていた。
家に帰ると、地震速報と津波警報などの情報がテレビで放映され、想像以上の大変な事になっていることに気づかされた。
東北地方太平洋沖地震
13年前、おばあちゃんのお見舞いに病院に行ったときに、テレビに映し出されていたのは、東北沖地震の際の津波の報道であった。
家を出るまでは、いつもと同じ日常であったが、病院に着くまでの数十分で大きな災害が発生し、テレビで放映される被害情報に、ただ何が起きたのか茫然と報道を見つめる自分を思い出す。
あれから
東北地方太平洋沖地震から、今日までの間に、仕事柄、地区の防災の取り組みに関わることになり、防災に関することを講師から学ばせていただいたり、どのように地区民に伝えたらよいのか、一緒に考えさせていただいたりする機会があった。
防災士とは何か、学ぶことで何か役に立つことがないかと、半年前に、一念発起し防災士の資格も得た。だが、この資格で持って何ができるのか、未だに分かっていない自分でもある。ただ、スタートラインに立っている状態であることは確かで、そこからどう進むかは、自分次第だということ。
今年は、その一歩を踏み出せるよう勇気を持つことを最初の目的としたい。
最後に
この度の能登半島地震により被災された皆様、ならびにそのご家族の皆様に心よりお見舞い申し上げます。 皆様の安全と被災地の一日も早い復興を心よりお祈り申し上げます。 被災された皆様の生活が1日も早く平穏に復することをお祈り申し上げます。
文 Nagatsuma Mihoko
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