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不安発作

接種後の症状で、結構困ったものに、不安症状・不安発作があります。実は、今回のワクチンでもこれで自死する人はそれなりに出るのではないかなぁと思っています。(毒物による交感神経過多とか、毒物によるHPA軸の異常、免疫が関係する脳炎、サイトカイン脳症の類だろうなぁと今は考えているのですが)

私の場合は、ベンゾジアゼピン薬の離脱と絡まり、どっちがどっちかわからない(が、服用する以前から不安症状は出ていたので、両因子存在すると思います)状態で症状が出ていました。

さて、当時の状況に話を戻すと、自分でベンゾジアゼピン薬の離脱について少しずつ調べ始め、とりあえず、今服用している短期型を長時間作用する型に力価から計算して置き換えて、少しずつ減らして行く方が良いということがわかりました。力価の計算を行い、長時間型のものに交渉して変えて頂き、一旦、産業医主導での減薬となりました。(併せて、他の精神薬が投与されました。今だったら、色々な医師とお友達ですし、色んな方法がある事を知っているのですが、まぁ当時としてそれでもベストシナリオだったかと思います。)

ちなみに2013年当時は、ベンゾジアゼピン薬の離脱問題は、そんなに大きく知られておらず、精神科医でも見解分かれるレベルでした。

当時の産業医が私に指示した方法は、漸減法と呼ばれる方法で、その中でも2週間ごとに錠剤の1/2ずつ減らす、今考えると結構荒っぽい方法でした。その頃には、多少の知識が出てきていたので、これはちょっと早すぎではないか?と認識出来るレベルでしたが、素直に従いました。しかし、元の服用量から最初の1/4減らした段階で、その日に全く眠れなくなり、動悸・頻脈・関節の強張り・頭痛等のありとあらゆる症状も出て、あえなく服用を戻しました。

再度、精神科医主導で、元の服用量に戻した後、1/8減らしをやってみることになりました。(懲りない…)

その時の精神状態がどうだったかというのを具体的に書いてみたいと思います。

1/8減らしを行って、1日くらいでしょうか。正確には覚えてないのですが、ゾワゾワした不安感が出てきました。とにかく不安が増幅されます。とても些細な事が普段の100倍・1000倍に感じられるというところでしょうか。自閉症児のお子さんが、些細な接触を「殴られた」と捉えたり、「体育祭でのピストルの音が耐えられない」状態になるのは、同じ話なんだろうなと思います。(GABAが作用できていないとかそういう意味ですね。)

長男を産む前に、私は一時期、手作り石鹸を作っていたため、棚の奥に厳重に保管した苛性ソーダがありました。もう忙しくて当分出来ないし、危ないから処分したいなと考えてはいました。1/8減らした際、急に、苛性ソーダが危ない、どうにかしなければ…という思いから離れられなくなりました。

頭には、わかってない両親が棚を開けて、厳重に包んだ苛性ソーダを開けてしまったり、そしてそれが舞って長男が傍にいて、強アルカリによるやけどを負う…という想像?妄想?ばかりが止められず膨らみます。起こってもいないのに自責の念で死にたいという思いが出てきます。(ちなみに接種後以降は、身体状態も精神状態も大変すぎたため、この頃には育児・家事は、完全にほぼ実の両親に頼っていました。)

自分でも自分の精神状態がおかしいというメタ認知は多少残っていたのですが、この想像・妄想によってその日、2日眠れずでした。

翌々日、私の様子がおかしいと感じた夫が、「どうしたのか?」と尋ねてくれ、自分の精神状態はとてもおかしいと思うと前置きしながら、「苛性ソーダが気になって仕方ないこと、不安でしょうがないこと、自分の状態がおかしいことは理解しているのだが、上がってきた不安を解消しないと生きていられない」という話をむせび泣きながらしました。

夫がその話を聴きながら、「辛い状態だったんだね…」と言いながら、背中を撫ぜてくれたのですが、愛の力で不安症状が解消…とも当然いかず(脳内の伝達物質の異常なので)、背中を撫ぜられがら、「昔持っていた「完全自○マニュアル」はどこにあるのか、こっちの家に持ってきていたっけ、、今すぐ必要なのに…」ということばかり考えていました。

頭の中は、飛び降りることへの妄想でいっぱいでした。

正方形の箱の中に、際限なく膨らむ不安という風船と一緒に詰められて窒息しそうで、そこから逃げ出して少しでも楽になりたい、楽になりたい、一分でも不安で生きていられないという思いが自分を襲っていました。

夫が苛性ソーダの処分を検討するためにいなくなった3Fの寝室の部屋で、窓枠を掴みながら、飛び降りたい、だけど飛び降りるのも怖い…この程度の高さならば障害を持って生き残ってしまうのではなかろうか、でも今、高いマンション等は住人しか入れないようになっているし、どうしたらいいんだろう、どうしたらいいんだろう…ととめどなく、考えている状態でした。

なぜその時自死しなかったかというと、おそらくこの2点が大きいかなと思います。

・夫が苛性ソーダを処分方法を確認して即対応してくれたおかげで実質的な不安のネタが減った

・不安症状でたまらない状態の中、添付文書に書いてあるのに、ベンゾジアゼピン薬の離脱を否定する元の耳鼻科医やここまで離脱症状が出るはずがないという精神科医に、なぜ私が夫や子どもを残して自死しなければいけないレベルまで追い詰められているのかと怒りを感じ始めたから

そして、誰かに自分の身体を任せることは、もう止めよう。私がおかしいと感じていて、これは自分の普通な状態じゃないと思っている事の方が正しいはずだと思い、自分で調べて自分で考えようと思い始めました。

減薬方法も日本語だけではなく、海外も調べて自分で自分の身体の事は判断してやると強く決意し、不眠3日目の中、とりあえず、服用を戻し、アシュトンマニュアルを始め、海外のベンゾジアゼピン薬の薬害情報などを振戦が出る手でマウスを握りしめながら、調べ始めました。

成人接種者は、比較的前頭葉がヤラれていないので、可能だったのかなと思います。

他にあと2回程度、強い自殺衝動は出ましたが、詳細を書けるレベルで覚えているのは、このエピソードだけでした。

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