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紙破れて山河あり

上の記事から繋がっている。移動込み8日間の北海道の旅について、記憶をたよりに書いています。


JR北海道の完乗ができたとて、まだまだ道内には行ったことのない場所ばかりだ。わたしは久しく運転をしておらず、レンタカーを借りて車で旅をするというのも難しい。となればバスを使うくらいしか選択肢がない。そう思って旅程を決める際いろいろ調べていたら、ふと阿寒バスのサイトをみつけた。春から秋までの期間、道東の各所をめぐる長距離のガイド付き観光バスを運行しているというのだ。釧路から知床へ向かうルートと知床から釧路へ戻るルートは異なり、往復で乗ると道東を大きくぐるっと回る感じになる。もともと知床の方にも行ってみたいとぼんやり考えていたのと、とあるラジオで聴いて気になっていたアトサヌプリが行程に含まれていたから、もう、このバスに全乗っかりしようと決めた。乗り継ぎの必要がないから、スーツケースを預けっぱなしでいいのもありがたい。時間に合わせてバスに戻りさえすれば、わりと自由に行動ができるようだし。ひとりになりたくて旅をしているけれど、鉄道だって飛行機だって同乗客はいる。さすがにバスが満席になることもないだろうから、知らない人の隣に延々座らされるみたいなこともないだろう。
そうしたわけで予約したこのバスが、非常によかった。車を使わずに道東を旅するなら、ぜひ利用を検討されたし。このバスの難点は朝早いことくらいだ。釧路駅のバスターミナルを朝8時にはもう出発する。うっかり寝過ごさないため、前日わたしは釧路のホテルで軽いアルコールを入れて早々に床についた。


釧路の町を離れて


赤い大きなバスには10人程度が乗っていて、ほとんどは2人組だった。そもそもが少人数だし、1人客の肩身が狭いということはべつにない。バスツアーというほどの拘束感はなく、移動手段にかんたんな説明がついているといったほうが感覚は近いかもしれない。夜行バスがSAで何度か小休止するくらいの感じで、いろいろな景勝地をまわっていく。釧路発のバスは約10時間かけて知床まで行くことができるのだが、せっかく長めの休みなので、わたしは途中下車をし一泊することに決めていた。


釧路駅を発ち、まずは広大な敷地を囲うフェンスの横を走る。この町が栄え、そして寂れた大きな要因がフェンスの向こうにそびえたっている。日本製紙の工場跡だ。釧路は石炭、水産、そして製紙によって発展した町なのだという。北海道の製紙業については、恥ずかしながら今回調べるまでまるで知らなかった。広大な土地があり、森林資源と水、そして石炭が採れるため燃料も潤沢。たしかに紙の生産にこれほど適している土地はなかっただろう。それが近年の紙の需要減少を受け、2021年に閉鎖となったそうだ。長引くパンデミックによる経済停滞を乗り越えられず、2022年を迎えられなかった事業や製造拠点は数多いが、ここもまた。突き立つ巨大な煙突や窓の少ない建造物群は物々しい城塞のようで、雑草が生い茂ったりしているわけでもなく、いまでも稼働していそうな見た目のまま時間が止まっている。釧路駅前の異様なほどの人気のなさ。建物や道路の劣化。ああ。廃工場を目の当たりにし、圧倒的な納得感に打ちのめされる。
フェンスはなかなか途切れない。巨大な工場は、それひとつがなにか有機的な生き物のように感じられるのはなぜだろう。昔読んだフィリップ・K・ディックの短編を思い出す。これだけ大きな工場がありながら歩行者がまるで見当たらないからか、無人の荒野で永遠に生産を続ける自動工場のイメージがどうにも頭から離れない。かつて隆盛を誇った巨大工場は今は身重く横たわり、白い煙をもうもうと排出していたはずの、赤白2色に塗られたあの高い煙突から、今はただ滅びの息をかすかに吐き出して、町ぜんたいをうっすらと覆いつくそうとしている。たぶん、紙パルプの夢を見ながら。


バスの中から見ただけで圧倒されたその広い工場跡を過ぎ、こちらは現在も稼働して段ボールの原料を作っているという王子マテリアの工場の脇を走り抜けると、釧路空港近くを過ぎてバスは山間の道を北上する。このあたりでだいぶしっかり眠り込んでしまったので、途中立ち寄ったはずの阿寒の道の駅周辺のことは、残念ながらなにひとつ記憶にない。次にわたしが目覚めたときには、摩周温泉の道の駅にそろそろ到着しようかというところだった。

ちゃんとした朝食をとらないままバスに乗り込んでしまい、すでに2時間以上揺られ続けていたからだいぶお腹がすいていた。休憩のために20分ほど停車するというので、新鮮な空気と何か食べるものを求めて、わたしもバスを降りた。お盆期間ということもあってなのか、道の駅はかなりにぎわっている。こうして町から離れた方がよほど人が多いというのはなんだか不思議な話だ。足湯があるようだったけれど、さすがに人が多すぎて入るのは断念。そのまま惰性で売店を回っていると、炊き込みごはんのおにぎりが、いかにも従業員のお手製です、という感じでラップに包まれて売られていた。ほたてとコーンの2種類あって、やたらとおいしそうに見えてしまい、選べずにどちらも購入してしまった。戻ったバスでラップを剥くと、まだほんのりとあたたかくて、かすかに甘かった。



摩周湖へ


おにぎりを食べているうちにもバスは山道を進む。と、窓の外が白くかすみはじめた。ああ、ほんとに霧なんだ、摩周湖。そもそも道東エリアには霧が出やすいことを、数日滞在しただけでも身に染みて分かってはいる。そりゃあね、多少霧で白くなるくらいはね、想定の範囲内って話。そうしてバスが摩周湖の展望台の近くまでたどり着いたとき、周囲はその想定の2.5倍くらい白くけぶっていた。


この観光バスをわたしが強くおすすめする理由はいくつかあり、まずひとつ、こんな霧の山道を自分で運転するなんて危険すぎる、というのがある。しかもいつエゾシカが飛び出てくるかわからない道をだ。少なくともわたしは絶対に運転したくない。慣れているプロの方の運転に任せるのが安心だろう。
また、引き続きnoteに書いていくが、途中で立ち寄る景勝地がどれもよかった。もちろん時間制限がある中では寄れなかった場所、素通りせざるをえなかった場所もいろいろある。とはいえ、1日であれだけ回れるならじゅうぶんだろう。
それと、もうひとつ。これだけ濃い霧じゃとうてい湖は見えないだろうなとわたしは早々に諦めていたのだけれど、ガイドさんが「うっすらとですが見えるようですよ」と教えてくれて、背後から、同乗者の方のひとりが「見えるの? よかった!」とうれしそうに声をあげるのが聞こえた。ひとりでは持て余してしまう一喜一憂を、そうやってほかの誰かが引き受けてくれているのは、なかなか悪くない。




これを見えると判定するかは人次第だ


目を凝らすと、真っ白な中にほんのうっすらと湖面らしきものが見える程度。それでも何も見えないよりずっといい、なにせ霧の摩周湖なのだから。そう納得して併設の土産物店でしばらく時間をつぶすことにした。ソフトクリームやカットメロンなんかも売っている。さっき食べたおにぎりではまだ足りず、せっかくだからと串にささった芋もちを買ってラウンジで食べながらふと窓の方を見たら、紗幕がさっとひらかれたみたいに、いきなり霧が晴れた。さっきの真っ白な状態からほんの10分くらい、ほんとうに唐突な晴れ間だった。つい視線だけ動かして、店内に先ほど声をあげた同乗者の姿を探した。ねえ、晴れましたよ、とわざわざ声をかけたりして伝えるつもりはなかったけれど、さっきよりよほどすっきりときれいに見えているはずの湖のことを、せっかくならあの人にも気づいていてほしいなと思った。


どんどん晴れていく


あわてて芋もちの残りを食べきって、あらためて展望台へと上がった。霧の途切れた摩周湖は青かった。澄んでいて、ひんやりと冷たそうで、近寄りがたい空気があった。風が強いときは、こうして急に霧が晴れるというのもよくあることのようなのだ。展望台周辺には実際には30分程度しか滞在していなかったのに、なんだか湖に時間が吸われているような感じがあって、もう1時間も2時間も湖をながめていたような気がしている。晴れている今のうちにとスマホでいろいろ写真を撮っていたら、画面の端を先ほどの同乗者の姿がすっと通っていった。ふだんはほとんど開かない実家のグループLINEに、摩周湖を見に来ています、と一言添えて、撮れた写真を送った。


この日、これ以上晴れることはなかった



阿寒バスの公式サイトは以下。10月19日まで毎日運行している。


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