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最東端の町へ

上の記事から繋がっている。移動込み8日間の北海道の旅の帰路で書いています。


釧路に泊まった翌日、最東端の列車、花咲線に乗ってきた。花咲線というのは、滝川……いや、新得から釧路を通り根室へと至る長大な根室本線のうち、釧路から先の区間をいう。これを書くためにあらためて調べて、そうだ、この根室本線、途中が途切れてしまったんだ、と思い出した。富良野から新得の区間が今はもうない。数年前、廃線になりそうという話をきいて新得に泊まったことがあるのだが、本当にそれが最後になってしまった。


釧路駅を出発する


さて、話は花咲線である。前日に乗ってきた帯広から釧路までの普通列車にはちょっと怖いくらい乗客がいなかったのだけれど、それとは打って変わって、11:15釧路発の列車はわりと混雑していた。ほぼ空席はなかった気がする。ほとんどが男性の1人客。車両に空調はなく、天井部分に昔なつかしい扇風機があるだけ。釧路に停車していたときは窓全開でもわりと蒸し暑くてやや不安になったのだが、走り出したら窓からの風で一気に涼しくなった。最初からすべての席の窓が開けられていたのは、このためだったのだ。

根室までは約2時間。しばらくは原生林とトンネルばかりの場所を走り、スマホも一時は圏外に。その忍耐の時間を乗り切ると、長らくとめていた息を思い切り吸い込んだときみたいな爽快感で景色がひらける。海が見えたなあと思っているうちに、厚岸に着く。安部公房の小説ではじめて知った地名だ。そこからしばらくは右手に、親指と人差し指で海をちょっとつまんだような形の厚岸湖を見つつ進んでいくのだが、本当に湖ぎりぎりの際、地面とも言えないような湿地というか沼というか、ここもまだ湖なんじゃないか? というところを走っていく。これは北海道に来るとよく思うことだけれど、よくこんなところに線路を敷いたなあとあらためて思う。このエリアを抜けるとまたしばらくは原生林の中へ。最東端の東根室駅を驚くほどあっさりと通り過ぎて、そこから間髪入れずに終着点である根室駅にたどりつく。



釧路も霧深い町だが、根室はさらにだった。ただ、駅に到着した瞬間だけ奇跡的に霧が晴れた。海まではずっと下り坂のようで、建物のあいまから海岸線が高い位置に見える。振り返ると、なんにもない空にむかって鉄塔がすくっと立っている。人間の生活の証だ。

とうとう来た



天気がいいうちにすこし歩こう、と駅を背に海側へと坂をくだる途中で、逆方向から歩いて来た方にとある店の場所をたずねられた。この日わたしはキャリーケースを釧路の宿に置いてきていたから、旅行者に見えなかったのかもしれない。しかもまわりのお店の名前を色々見ながら歩いていたため、うまいこと案内できてしまった。こんなこともある。


国道44号沿いの標識。街路樹の葉でやや隠れていた


歩いていると、ロシア語のみの標識がある。
日本語に他の言語が併記されている標識はわりとあるが、ロシア語のみというのは根室だけだろうか。これ、ふたつめはたぶん、根室駅→、という意味っぽい。昨今の世界情勢を思い、なんともいえない気持ちになる。はじめての北海道旅行で稚内に行ったとき、ロシアの方をたくさん見かけたことを思い出す。稚内はサハリンとの交流が盛んだったのだ。それももう20年くらい前の話になる。20年でこんなに世界って変わってしまうものなのか。



なにか計画していたわけではないけれど、せめてごはんくらいは食べたい。釧路に戻る列車は16:08発。Googleマップで調べると、歩いて行ける距離に回転寿司店があった。そこへ行って帰ってくるくらいの時間はあったから、徒歩でのんびり向かうことにした。到着後しばらくは下車した人たちが歩いているのがわりと見えていたが、駅からいくらか離れるととたんに歩行客の姿は消える。お盆期間なのもあって、ちらほらある店舗も軒並み営業していない。


駅から徒歩で行ける距離で助かった


あれだけ外には人気がなかったのに、回転寿司店は大盛況だった。根室花まる根室店。以前札幌駅のお店に入ったことがあるが、ここが創業の地らしい、と知るとなんだか貴重な気がしてくる。せっかくなら花咲カニの何かを、と軍艦や鉄砲汁を注文。あとはなるべくこちらでないと食べられなさそうなものを選んだ。


花咲がに軍艦だ!


こちらの人はよく食べるというかにの外子とか、風蓮湖のにしんなんかも食べた。とにかく名物を、と思って選んでいるせいで、一番高い皿ばかりが積み上がる。


根室駅に戻る途中、みるみる周囲が霧に覆われた。駅側の上空の空気が海側へと斜めに降りてきながら白く変わり、周囲に溜まって濃くなっていく。数メートル前、小学生くらいの子が自転車で走っていく後ろ姿が霧の中に消えていった。この霧があの子の日常なのだ。駅まで戻ったころには、さっきははっきり見えていた鉄塔がもうほとんど霧に隠れて見えなくなっていた。


釧路に戻る列車も満員。東根室駅を通って、大きくカーブして西へと戻る。長い時間をかけて帰り着いた釧路駅前は昨日見たときよりなんとなく温かくて、生きている町の感じがした。ちょうど乗降客が多いタイミングで人の気配が多かったからというのもあるだろうし、街灯のオレンジっぽい光が空気中に舞う霧の水分でにじんで見えて、町全体が潤んでいるみたいな、なんだかあったかい感じがあった。霧なのか雨なのかしばらく判別がつかないまま傘をささず歩いていたら、宿に着くまでにけっこうしっかり濡れてしまった。



たぶん、今回の旅をもってJR北海道は完乗したはずだ。ちゃんと記録しているわけでもないからかなり曖昧だけれど、でも路線図を見る限りはそうだと思う。これは、鉄道旅行をはじめた学生の頃からは路線がだいぶ減ってしまったせいでもある。冒頭にも少し書いたが、JR北海道の廃線は進む一方だ。実際に乗ってみると、ざんねんだけれど、この状態じゃ仕方がないよなあとも思う。せめてこうやって年1回でも遊びに来よう。
とにかく今回花咲線に乗ったことで、通ったことのない路線はなくなったわけだ。最後に花咲線を残しておいてよかった。


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