見出し画像

映画『ザ・スーサイド・スクワッド』とドラマ『ピースメイカー』。

1:映画『ザ・スーサイド・スクワッド』

【『ザ・スーサイド・スクワッド “極”悪党、集結』が大傑作なのにどうやらヒットしていないらしい。(…)冒頭、いきなり可愛らしい鳥がボールを投げつけられて死ぬ。過去(2008年から2012年頃)に最低なツイートをしていたとして、2018年に一度ディズニーから解雇、マーベル・シネマティック・ユニバース(以下、MCU)の『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』3作目の制作を降ろされてしまった監督のジェームズ・ガンという文脈で考えれば、この冒頭はTwitterというプラットフォームへの皮肉だろう。同時に、この冒頭は本作がいかに平和的ではないかを暗示しており、ポストクレジットにおいて、平和の象徴である鳩を胸に掲げているキャラクターのピースメイカー(ジョン・シナ)が不死鳥のごとく蘇ることとも対になっている。本作は鳥が死に、死んだはずの鳥が蘇って幕を下ろす。】

(続きは以下のリンクから↓)

interlude


 上記の記事の中では触れられなかったハーレイ・クインのことについても少し書いておきたい。ハーレイ・クインは本作の中で3人の男性、ジャベリン、ルナ将軍、リックと恋愛関係(らしいもの)になるワケだが、もれなく3人とも命を落とす。恋した男性が全員死ぬ運命の中で、唯一“死なない男”としてのジョーカーに彼女は依存していたという解釈が出来る。しかし、ハーレイ・クインは依存から立ち直っており「愛した男が地雷を踏んだ時、一撃で仕留めないといけない。」という、とても重要な教訓を教えてくれる。血塗られたディズニープリンセスとして、お花に囲まれながら男どもを蹴散らし、ラストはネズミたち(ディズニー)の祝福を受ける。短い時間ながらも、ハーレイ・クインの成長を見事に描いているのは流石である。

 あとはなんと言ってもジョン・シナが演じているピースメイカーだろう。もう私はピースメイカーに夢中である。ジョン・シナの表情の微妙なニュアンスがピースメイカーに豊かな背景を与えており、単独作が作られるのも納得である。ブラッドスポートの仮面がモロに『エイリアン』ということで繋げるなら、ジョン・シナ版の『プレデター』をぜひ観てみたい。ジャングルと煙、そびえ立つ筋肉で人類の暴力史、生存本能の虚無を体現していたアーノルド・シュワルツェネッガーの役をジョン・シナに任せてみたい。

2:ドラマ『ピースメイカー』

 『ザ・スーサイド・スクワッド』(2021年)に引き続き、ジェームズ・ガンが脚本と監督(※1)を務めた全8話のドラマシリーズ『ピースメイカー』(2022年)がヤバい。『ザ・スーサイド・スクワッド』の正式続編でありながら、その仕上がりはジェームズ・ガンのベストワークと言っても過言ではない仕上がりだ。トロマ・エンターテイメントにルーツを持ち、ビッグバジェットのヒーロー映画シリーズを手掛けるようになった彼のキャリアを総決算する場所が、映画ではなく規模がそんなに大きくないドラマシリーズになったのは、ドラマという形式のナラティヴが進化した現代らしい。

(※1)監督を務めているエピソードは1話、2話、3話、6話、8話。脚本はすべてのエピソードを担当している。

 第1話のバトルシーンを観てみよう。バーで出会った女性とのワンナイトスタンドを終えたパンツ一丁のピースメイカーが、さながら、プロレスの試合が終わったあとのジョン・シナのような佇まいでベッドにいる。おもむろに立ち上がり、部屋のレコードを漁りながら音楽嗜好を語りだすと、その言葉の端々から彼の生い立ちや、アイデンティティの捻れが見えてくる。レコードの回転と重なるように動き出したカメラは部屋が四角い空間であることを丁寧に捉えて、そこが戦いのリングになることを予感させる。まるで入場パフォーマンスのように歌い始める “I Don't Love You Anymore♪” グラムロックやハードロック、ヘヴィメタルからスラッシュメタルといった音楽ジャンルに対する批評と、虚実入り混じった場所で戦わなければならないプロレスラーに対する批評、そのふたつが彼の筋肉によって鮮やかに繋がってしまう。

 と思ったのも束の間、ホラーの定型をなぞるように扉から不穏に覗いていた女性が包丁を片手に襲いかかってくる。さっきまで雄弁だった筋肉に包丁が刺さる刺さる。そして、今回の試合における最大のハイライト、奥へと引きずられていき、壁を突き破って手前に飛び出してくるピースメイカーをワンカットで捉えたシーン、空間とアクションを的確に捉えていれば、これくらいの規模でも最高のバトルシーンが撮れることを証明している。そこから派手なリングアウトを経て、場外バトルへ移行、必殺技「ソニックブーム」で勝負は決着する。父親の発明品であるマスクに搭載されていた必殺技での勝利は、パンツ一丁にマスクという姿が男根的なのも相まって、彼の問題の中心にいるのが父親だと端的にわかる。

 2話に突入しても、戦いの舞台となったマンションからの脱出シークエンスに15分も割いており、脱出を上下の空間を意識させる落下で見せていく演出や、聞き込みのサスペンス、雨により僅かに濡れたセット、とくに水滴がついたマスクなどーー空間とアクション、細部へのこだわりと微妙なニュアンス、贅沢な時間の使い方も含め、映像作品としての豊かさが十二分にあり、わざわざ比較するまでもないのだが、マーベルの手掛けるシリーズ作品「マーベル・シネマティック・ユニバース(MCU)」のフェーズ4以降のどのドラマ作品よりも『ピースメイカー』が優れた作品であることは1話目からわかってしまう。

 今回のヴィランはピースメイカーの父親で白人至上主義団体のリーダー「ホワイトドラゴン」と、口から寄生する設定やモウの造形などから『スリザー』(2006年)を彷彿とさせる宇宙生物「バタフライ」である。ジェームズ・ガン作品のヴィランに共通するモチーフの「洗脳や同一化、有害な男性性」を象徴している2組なのだが、白人至上主義団体と、その仮想敵であるディープステートや宇宙人による侵略などの陰謀論を地で行く「バタフライ」が、同じ全体主義の問題を孕んでいる集団として描かれているのは興味深い。ジャンル映画で人体破壊をする口実や社会批判のために頻出する「一見すると人間にしか見えないが、実は宇宙人に乗っ取られている」というお馴染みの設定は、ポスト・トゥルースの現代において無邪気に使えない設定になっており、本作はその現状を踏まえた上で対立する2組それぞれの視点を描きながら、両者に共通する問題を炙り出している。

 ピースメイカーの正義に対する固執は「ホワイトドラゴン」や「バタフライ」と対峙することで、メンタルヘルスの問題と結びついていることがわかり、それをケアするようにピースメイカーはチームメイトのアデバヨとBFF(Best Friend Forever)になっていく。アデバヨは前作『ザ・スーサイド・スクワッド』の、真のヴィランと言ってもいい存在だったタスクフォースXのボス、アマンダ・ウォーラーの子供であり、ピースメイカーと同様に親の支配から抜け出せない人物として描かれている(劇中で唯一、アデバヨだけがピースメイカーのマスクを被る展開があるのも示唆的である)。黒人女性でレズビアン、マイノリティとして生きてきたアデバヨと、白人至上主義団体のボスに育てられたピースメイカーが、ともに親の問題を克服しながらBFFになっていく過程は、ラストエピソードにかけて前景化してくる本作の問題提起に対する答えにもなっている。

(以下、最終回のネタバレあり)

 8話(最終回)における夜の農場での白兵戦シーン。プロレス会場さながらに、光源の位置がしっかりわかるライティングの中で、ピースメイカーがついに盾を持って登場し、大量に襲いかかってくるバタフライたちを次々となぎ倒していく様を、慌ただしい手持ちカメラの運動が爽快に捉えていく。ピースメイカーとチームメイトはボロボロになりながらなんとか事件を解決するのだが、なんとここでジャスティスリーグが登場する(!?)。ピースメイカーが深刻なメンタルヘルスの問題を抱えることになった現場にジャスティスリーグは現れなかった。世界の危機にしか“興味がない”連中には“興味がない”と言わんばかりに、逆光の中、仰々しく立っているスーパーヒーローたちを無視して、カメラはピースメイカーたちを追いかける。市井の人々の勝利に並走するカメラに、ジェームズ・ガンの作家性が表れている。

 本作のラスト、気候変動で地球が滅びないように人類を管理しようとしたバタフライの計画は失敗に終わり、ピースメイカーの自宅から見つかった日記が本人のモノではないと公表される展開は『ウォッチメン』のラストに酷似している。『ジャスティス・リーグ』と『ウォッチメン』は、どちらもザック・スナイダー監督で映画化しているのだが、役立たずのジャスティスリーグを登場させ、極右思想の持ち主であるロールシャッハが記した日記を否定するような展開を用意した『ピースメイカー』は、DC作品を批評し再定義するだけではなく、「作品の作り直し」やソーシャルメディアでの過激な正義の行使が目立つ、DCファンダムに対しての痛烈なメッセージとなっている。

 第二のロールシャッハとして、アイコン化しそうな危険を秘めているピースメイカーというキャラクターを制作陣たちは全力で掬い上げる。ピースメイカーは自身のイデオロギーのためではなく、友人を助けたいという一心でバタフライたちの征服を阻止する。その判断が政治的に正しかったのか?その答えは無事に家に帰ることができたアデバヨとパートナーが、まるで地球はこの2人のために自転していると言わんばかりに回るカメラの中でキスをするシーンに委ねられている。第1話、冒頭の病院シーンで自身のレントゲンを眺めながら、「筋肉の見栄えが悪い」と不満を口にしていたピースメイカーは最終回でまた病院にいる。全8話を通して、レントゲンには写らない中身を取り戻したピースメイカーはケガをした仲間に優しく寄り添う。クリストファー・スミス、どうやら私は彼のことを何も知らなかったらしい。そして、寄り添うことの難しさに思いを馳せるのである。

コチラの記事もオススメ!↓


いいなと思ったら応援しよう!