見出し画像

復職と人インタビュー きさい-002 2023/10/09

前回。


冒頭

——前回のインタビューから、どんな変化がありましたか?

1ヶ月追加の休職の診断をもらって。体重が減ってるから、その検査に1ヶ月ぐらいかかるって言われて。

ゆっくりしている間に、なんかだんだん休職よりも次のやりたいことに向けて心が動いてきたっていうような感じです。

気分はそんなに悪くないです。
悪くないというか、結構元気ではありますね。精神的に今、調子が良くはあります。
いろいろやりたいこととか浮かんでくるような感じで、調子がいいですね。

9月末ぐらいに、不意に今の会社に入る前に、すごい大学院に行きたかったなっていうことを思い出して。
それで研究室に連絡取ったら、本来はもう少し早く言ってないといけないんですね、社会人から院に戻る場合は。でも小規模な学部なので、場合によっては今からでも受験できるっていう話を教えてもらいました。

元々、今の会社がフレックス制なので、仕事が安定したら大学院に行こうって思ってたんです。
それをふと思い出して、考えてるうちにどっちかっていうと仕事よりも勉強したいという気持ちの方が比重が高くなってきたっていうイメージです。

私、ロシア文学が専攻で、ロシア語を勉強したり、その文学が成立する背景にある文化を勉強したりしてました。引き続きそれをやりたいなっていうのが今の気持ちです。

大学のときは、ロシアの伝統的なドストエフスキーとかトルストイとかの小説を読むとか詩をやってたんですけど、今ウクライナで戦争をやってたりとか、他の地区でもだんだん情勢が不安定になったりとかしてっていうので、世界大戦が起こるんじゃないかとか危惧されてるのをリアルに目にしていて。
勉強したいんだったら、戦争起こるまで待ってちゃ駄目だな、みたいな気持ちがふっと出てきたんですよね。

現地のリアルタイムの情報を、もっと生で感じられる環境に身を置きたいなっていうか。
今勉強するとしたら、現地の文化人が何を考えて何を発信しているのか、ていうようなところに興味を持っていく感じになると思います。

私、卒業するときに、先生に本当に院に残らなくていいのって何回も確認取られたって記憶がありまして。
当時から私がロシア文学好きだったので、これぐらい好きな人は院に残るものなのに、不思議だな、みたいなニュアンスで言われてたような記憶があるんですね。

新卒で入った会社を辞めたときに、1回モラトリアムとして院に帰ろうかっていうのを、愚痴みたいな感じで言ってたことがあったんですよ。
そのときは冗談だったのが、ウクライナ戦争あたりから、めちゃくちゃ現実的になってきたイメージです。

冒頭2

新卒のときは、周りで大学院に行ってる人を、私が1人も全然知らなかったんですね。
仲良くない先輩とか、そんなに交流のない先輩だったらいたんですけど。
家族とか友達って呼べる距離感の人から、経験談が聞けなかった。っていうのがあります。

そういう感じであんまりリアリティを持って考えられなくて、大学4年行ったら、普通みんな就職するものっていう常識が取れなくて。
ちらっと親にも言ったら、就職するものだと思っていて、就職するのが普通だと思ってたから、行くんだったらちょっと相談させてっていうふうに言われた。

全然否定的なニュアンスじゃなかったんですけど、相談から始めなきゃいけないんだったらいいやって思ってスルーしてた。

転職のときも、親に相談させてって言われたのが結構残ってたというか。
自分のお金でいけばいいよな、もう社会人になったんだしって思って。

自分のお金でいくならもうちょっと貯金したい。
社会人しながら行けるような余裕あるところに入ったらいいんじゃないって思って、フレックス制の会社を選んだみたいな。

意思決定ですか。
人生の意思決定全般ですか。
何だろう。自分史的な話になってしまうんですけど、私18歳まで意思決定したことが何一つなくて。
ていうのが、18歳まで私が勉強が単純に好きで得意みたいな状態で、志望校とかもトントンとこの学校行ってたらここ行くよね、みたいな感じで、ストレートに決まっちゃって。あんまり考えなかったんですよ。

なので、大学受験終わるまで悩んだこともなかったですし、初めて自分で選んだのが、専攻をロシアにするってことだったと思います。

あんまり、まだ得意ではないと思います、決めるっていうことに関して。
さすがにそこから10年ぐらい経ったので、自分で責任を持てる大人にはなったなって思うんですけど。
人よりちょっと意思決定の経験は遅く始まったなと思ってますね。

新卒の就職のときもすごく消極的だったんですよ。
大学に来てたOBが、ここだったら面談だけで入れるとか言われたところに、そのまますっと入っちゃったんですね。

自分で会社をしっかり吟味しなかったことで、自分に合わなかったので、すごい後悔して。
転職活動のときはかなり考えました。
どんな業界にしようとかもそうですし、どんな職種にしようとか。
あと、自分が就きたい職種に就くために、学校に行ったんですよ、スキルアップ系の。

その辺り全部自分で選んで、あと前職の退職金がちょっとだけあったので、それをやりくりしたら自分のお金でいけるなとか。
ただ、支給されるまでの1ヶ月とか足りないから、親にそこだけ頼もうとか、そういうことをそのときは自分で考えて。

自分で決めると楽しいとか、失敗しても後悔が小さいとか言いますけど、別に私はそんなこともないなっていう。どちらにしろそんなに感情変わらないので。
なんかやっぱり、あんまり自分で選びたくなかったなっていうのが、ずっと根っこにあるような気がしますね。

やっぱり、選ぶってコストを背負うことに、重さみたいなのがずっとあるような気がします。

カウントダウン

9月の20日ぐらいに、大学院に行きたいということを言葉にして。
その時は仕事をしながらが大前提だったんですけど、たまたま22日に休職関連のカウンセリングの予定が入ってて、勉強の話をする時に、すごい生き生きしてるって言われて、仕事してるときの口調と全然違うって。

こんなに私、やりたいこと、明確なんだっていうことに、ふと気がついたというか。
そこでもうちょっと勉強に全力投球してみようかっていうのを、思い始めました。

翌週の26から29に実家に帰ってるんですけど、実家で親と高校の先生と話す機会があって、そこで本当に決めたっていう感じです。
行くんだったら論文とかも書かないといけないから今の仕事は大変だなとか、悩みながらだときついと思うよって話と、あとやっぱり勉強したいって言ってるとき、すごい元気そうっていうのを両方言われて。
そこでもう完全に勉強したい方に心が振り切れたって感じですね。
それで29に大学に連絡を取ってとか、そんな感じだったと思います。

辞めちゃってもいいやって思ったことで、すっと、自分の悪いところに目を向けてここを直そうって気持ちが消えて、こんな研究できるかも、みたいな方向に。明るい方向になった。

今までは、復職するんだったら、これとこれができてなくって心を病んじゃったわけだから、今度はこう考えられるようにならないとな、とか。
復職するんだったら最初の心構えはこうで、ここで失敗したらこう動こうとか、すごいなんか守りの方向に思考がいってた。

だけど、別に勉強全振りでもいいんじゃないって実家で言われたことによって、一気に何をやりたいか、何が今までできてきたかっていう方向に、思考が吹っ切れて、元気になったっていう感じです。

——どうして気持ちがすっきりしてるんですかね。

やっぱり、お金のことが一番大きかったですね。
いや、お金と経験ですね。どっちも一番かもしれないです、半分ずつ。
お金に関しては、自分のお金でいろんなことをするのが一番人に気を遣わなくて済むと思ってるんですよ。
親にお金出してもらって大学行ってるっていう認識があったときは、単位落としたら親のお金なのに、みたいな。ちょっと申し訳なさがあって、そのことが自分を真面目にさせてくれたって思えばいいんですけど、プレッシャーでもあった。

だから、大学院に行かずに、早く社会に出ようって思った。
その後、そのプレッシャーを感じないように、自分のお金で行こうみたいな感じで仕事を続けてきたところがあります。

ただ、やっぱりいろいろ調べてたら、割と奨学金もあるし、大学院生に声がかかりがちなバイトとかもあって、そういうのって比較的ギャラが高かったりするので、そんなにシビアな問題じゃないなって思い始めたっていう感じですね、お金に関しては。

経験のほうなんですけど、やっぱり同世代の子たちが働いて、20代後半になるとリーダーを経験する子がいたりとか、仕事で成功経験を積んで仕事って楽しいってなる子が、ある程度出てくるんですね。

それを見て、学生の時に一人でやってたのとはまた違う視点で、何か成し遂げたっていう達成感が自分も欲しいなっていう気持ちがすごいあって、仕事を頑張ってました。

それがあるのとないので、人生の視座がちょっと違うんじゃないかって思って。
でもそれは、今でもまだちょっと迷ってます。迷ってるけど、比重としては、お金の心配が消えたことで、小さくなってきたってイメージですね。

文学系の院に行くと、お小遣い稼ぎで翻訳の仕事が回ってきたりすることがあるんですけど、そういえば大学生の時に院生の先輩がやってるのを見て、めっちゃ楽しそうって思ってたなってふと思って。
それって常にあるものではないので、がっつり働くということにはならないと思うんですけど、将来的にはそれ専業でもいいなってすごい思いました。

親も、学費は出せないとか言われるかなって思ってたら、あんた転職するときも自分のお金で勉強してたし、多少は助けるよ、みたいな。
むしろすごい推進派みたいな感じで、すごいそれがびっくりしました。
学生の時に、止めたじゃん、みたいな。
でも、思い返してみれば、そんなに止められてなかったんですけど。勝手に止められたって思ってた、みたいな。
なんか、自分が勝手に、そうしちゃいけないって自分で呪縛をかけちゃってたかなっていう。

小さい頃、周りに決めてもらった道で、いい思いができてたからだと思いますね。
人に求められたことで成果を出すっていうのが、さっき言ったように、受験まで当たり前。それができないと思ったことも、苦痛だって思ったこともなかったので。

いわゆる世間のルートに乗ってたら、周りにも感謝してもらえるし、自分もハッピーだと思ってたんですよ。
そうじゃないなって気づいたのが、ようやく最近。
まだそれが抜けきってなかったんだなっていうのを、今回の大学院の話で気がついた感じでした。

終わりに

人間の心は忙しいね。

制作:qbc(無名人インタビュー主催・作家)

#無名人インタビュー #インタビュー #コミュニケーション #仕事 #復職 #休職 #きさい


いただいたサポートは無名人インタビューの活動に使用します!!