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家族っていう形がずっとなかった家庭で育ってきてるから自分は家族を作り上げたい人

フラボノイドという成分があるんです。体にいいやつ。体にいいので、他の食品に添加されることの多い成分です。でも、よく知らんですよね、フラボノイドって。
みなさんは、高層ビルがどうやって作られているかご存じですか? 私は知らないです。
世の中、自分が知らないけれども、いつのまにか作られてできているものって多いですよね。これが現代の恐ろしさか、なんて思いますよね。
って、まあでも、家族も、いいって言われてるけど、なんだかよくわからないものですよね。一緒に暮らしていれば家族なのか。血のつながりが家族なのか。
わからないけれどもね。
わかりようがない。
今日の無名人インタビューもよろしくお願いいたします。
【まえがき:qbc・栗林康弘(無名人インタビュー主催)】


今回ご参加いただいたのは 磯﨑春菜 さんです!

現在:人からしたらすごい人脈もできてすごい幅も持っていいじゃないかってことかもしれへんけど、でもしんどい自分もいる。なんで、私自身が何で動いてるか、それが最終的にわかるんかなとか思って動いてるけど、でもそうじゃなかった。

あるく:今何をしている人ですか。

磯崎:今は子育て4人、あと、会社員をしています。
それから、仕事に関しては、副業を、自分で本職をちょっと変えようと思ってずっとひたすらやってます。
あと自分探しじゃないけど、自分史やったり自分整えたりとか。そういう、職業的とはまた別で、自分を整えることをしています。
あともう一つ、子育てママ支援って言ったらいいんですかね、サークルみたいな形で、去年からかな、しています。

あるく:子育て支援は具体的にどういうものです?

磯崎:そうですね。社協さんとかそういうところに登録して、行政とも関わってするサークルみたいな。内容的に言うと、元々はちょっと、ママがコミュニケーション能力が高まって子育てにちょっと繋がったらなっていうふうな形で始めたんですけど。
ちょっと違うかなと思ったので、形を変えようと思って。ママが、こうしたい、ああしたいっていうことを形にするお手伝い。なので、例えばダイエットしたいだったらダイエットを企画しようっていうことで、どうしたい、ああしたいっていうことから始まって、その1回目のときは形にならなかったけど、子供と一緒に遊ぶっていうことになってしまったけど、そこから誰々を呼びたいなら、お願いしたらそこの場所を確保してくれたりとか、動ける子は自分で形を作っていく。でもそれが1人でできなかったら、私の場合はチラシを作るだったりとか場所を提供するだったりとか。
その人その人がママとしてじゃなくて、一個人として、したいを形にして、それに人が集まって。やり切った後にやってよかったみたいな感じで、なんかそういう場にいつの間にかなってました。

あるく:それは春菜さんご自身が一番最初にスタートさせたものですか? それとも別で誰かが?

磯崎:私ですね。子育てサロンっていうんですかね。形的にはそこで、そういう名前ですけど。
結局は社協さんとこでいただいている毎月のお金を、私が使うんじゃなくてね、ママたちが、どこ行っても子供の方が、子育てのママってよりも多分子供さん中心っていうのが、どこも多いと思うんですよね。
だけど、そうじゃなくて。やっぱお母さんが笑顔になったりとか、お母さんが楽しかったりすると、自然とやっぱ子供も楽しかったり、笑顔やったりするんじゃないのかなと思って。それをなんかいろんな形で試行錯誤したときに、エクササイズだったり、あと、何だろう。スピリチュアル的な占いが好きな子たちもね、いたりするので、やってみたりとか。あと、ちょっと講座みたいな形でやってみたりとかするんですけど。なんか違うんじゃないかなって途中で思って。

私自身が人を集めるっていうよりも、やっぱり需要は何なのかっていうふうな形で読み取って、何を一番求められてるのかなと思って。それを見たときに、まずは身近な人の声を形にした方が、一番近道なのかなと思って。なので、どんなことでもいいので、やりたいことを聞いて、それを本人さんがしたいって言うんだったら、私は場所だけ提供して。いいよ好きなようにしてっていうふうな形で、何か困ったことがあったらいつでも言ってっていうふうな形なので。そのときはチラシだけ私作って。Canvaとか、そういうとこで作って。あと福祉施設とか、あちこちにちょっとチラシを置きにいったり。お願いのところは私がして、名変とこっていうんかな。

なので、そこに対して動き始めたのがきっかけで、こういうやり方の方がいいんだなと思ってやったのが去年。今、私と子供4人おって大きい子供から小学生思春期の子、で、今現在3歳の子もいるので。同じ年齢の3歳、4歳ぐらいのお子さんで、0歳のお子さんのお母さんの性教育って言うか。そういう性教育的なこと。保育園に入って、こういうことを聞いたんやけどって言って、どうしてるんかなっていうふうなことを。些細なことなんですけど、言葉にしてくれて。
せやなと思って。なので、うちの子はこういうふうにしてとか、あと自分自身もちょっとそういう体験談があったりするもんで、小さいときに。なので、ちょうど自分の体験から通してじゃないですけど、そういう生まれてきたことと、あとやっぱり自分の体のこととか、そういったことって身近に話せる環境ってあると、やっぱり子供さんも困らへんし、やっぱり親御さんも1人の人やから、身近に言いにくいことが多いじゃないですか。タブーなラインっていうか。そこに対してその人は私が相談したから反対に悪かったなって言われたんやけど。でも私はきっかけになったから、今年は絵本から、0歳から性教育だったり、生まれてきた素晴らしさっていうのとか、そういうなのを知る機会。

最近でも、昨日かな、胎内記憶っていうことで、そのワードで池川先生だったかな、私は知らなかったけど、そういう機会をもらって話を聞いたんですけど。で、周りのママたちに、そういうイベントがあったもんで、お伝えしたときに知ってるよって言って、私が気になるワードやったとか。だから、すごく私の中では意外だったんですよね。
なので、生きることと性についてだったり、死についてだったりとか、ちょっとタブーになってる部分を、今年は、どういう形でするかはわかんないですけど、そうしていく年なのかなって感じました。

あるく:今年はそういう年なのかなっていうのもちょっと具体的にお聞きしていいですか?

磯崎:そうですね、先ほどお伝えした感じで、0歳から性教育っていうのは。私ごとなんですけど、私自身が思春期のときに、ぶっちゃけなんですけど、性的虐待っていうのがあったので。そこに直にちょっと伝えるっていう。だから、そうなってくると別にみんな興味ないじゃないですか。人のことっていうのは、やっぱり自分が起きたときっていう、ね。ときにどうしたらいいんだろうとかそういうふうになると思うので、なる前っていうのはそこまで人の体験談とかそこは多分興味ないと思うんですよね。ああ、そうなんだで終わると思うんです。
だけど、私自身が伝えたいことは私の体験談ではなく、自分が体験したからこそ思うのが、やっぱ子供心こういう気持ちになりがちやから、やっぱり支える周りの人がいるっていうことを伝えたい。やっぱりそれが日常に当たり前になるっていうのが、子供も救われるかもしれへんし、大人も救われる部分があるから。それが今回は絵本から始まったんですけど。
先ほどもちょっとお伝えした胎内記憶。その視点からでも切り口はいろいろあってもいいのかなと思ったので。その絵本やったり。絵本、どういったものを読んできたのかなとか、どういうきっかけで読むようになったのかなとか。
だから、あるきっかけのその言葉を拾いとって、一緒にもっと掘り下げるとか、そういうことを会話の中でしていこうかなって思ってます。

あるく:それが、春菜さんの、今私がやるべきなのかなっていう部分ってことなんですね?

磯崎:現在ですね。

あるく:一番最初に今やっていることをいくつかあげられたと思うんですけど、育児だったりとか、仕事だったり、それ以外の副業だったり、こういう活動だったり、今の生活の中で、何がどれぐらい割合的に大きいとかってありますか?時間だけじゃなく、自分にとってこれが特に今、大事だなとか、集中してるなっていう感じの割合ってそれぞれどういう感じです?

磯崎:そうですね、割合。育児の方は、やっぱり助け合ったりとかしてたり。助け合うっていうかね、やっぱ助け合わないと私もやっていけないので。10あった場合、半分は自分。半分は他人っていうか家族も含めて。
仕事はどこになるかってなったときに、仕事は10あったときには、全部分けてないもんで、仕事ってなってくると。その会社員のところ、会社員やけど、営業やったり人と会うっていうことが仕事なので。それもちょっと不動産だったりするので、管理会社やったり、いろんな人に繋がるような感じでしてるから。どうなんやろう。頭ん中ではちょっと1かもしれないです。

あるく:そんなに自分の中での集中度が大きくないということで合ってますか?

磯崎:うん。仕事は、人のご縁やったりするから。そうですね。
だから、そうだったなっていうことに気づきました。今日もお話する前に、何話そうとかって思ってなかったけど、インタビューは置いておいて、結構自分がぶれてしまうと、その生活面にも支障あるし。やっぱ人と関わってるじゃないですか、全部、全てがね。
だから自分の基盤がずれてしまってると、家庭やったり仕事やったり人やったりも全てに影響しているもんで。そういう部分では半々。だから他人さんと。その他人さんっていう中には仕事もあるかも。仕事そっち側ですね、仕事側が他人さんの方、半分の中で。その中で1割で。
自分っていうのが、やっぱりちょっと生きづらさがずっとあったもので、それで突っ走ってる自分もいたので。なんで、そんなに挑戦じゃないけど、何かしようとしてるっていう、行動してるのって、それも自分がわからなかったんですよね。行動してるけど、わからないっていう状態だったので。そのために、そこをやっぱり大事にしないと前に進めないから。それが、何ていうの、それでいいと思ってたけど、いいんやけど、一点馬力やったりとか。
だから、長期に行こうと思ったときには、そのやり方やとしんどいよな、だからか、みたいな。そこでまた切り替えて、気づいたときにどう修正していくかっていうふうな形。多分それが仕事やったり何でもやっぱ繋がっていくから。
そこは自分のメンタルとか、浮き沈みが昔はやっぱりあったから、天候のせいじゃないけど、気圧の変化が。低気圧なったらちょっともう浮き沈みがあるとか。今はそういうことはなくなったけど、動けなくなってしまったら、ね、仕事さえもできなくなってしまうから。そういう部分で自分のメンタルとか、そこを気をつけるために自分は半分にしました。それまではしてなかったんですけど、

あるく:なるほど。いろいろ自分がわからないから活動して、たくさん動いたことで何か変わったことってありますか?

磯崎:うん、まずは初めになんで春ちゃんやってるのって聞かれたときに、答えられない自分がいたんですよね。だから、何で答えれへんやろとか、そこに対して自問自答をし続けてて。もう、それ3年目ぐらいなって、やっとようやく今。
それで他人さんっていうか人に、県外の人なんですけど、今回90分の動画を作ってもらうんですけど、もうわざわざ本当だったらもうすごい大金やったりすると思うんですけど。お願いするのにも交通費のみやんみたいな。それぐらい、なんかやっぱね、みんな時間って平等じゃないですか。その部分を使って、協力してくれてるっていう、そこのありがたさが、本来わかるのが普通って自分では思ってんのに、わかってない自分もいたりとか。
だから、口では何ていうんだろう。感謝してるんですよ。だけど、根っこの根っこの根っこの部分が自分が満たされてないじゃないですけど、めっちゃ責めて。責めるっていうか、否定してずっと生きてきてるもんで。その否定っていうのも、自分が駄目なんだとか、そういう否定ではなくて。その行動そのものが、否定してるからそういう行動してたんやなっていうことに昨日気づいたんですよ。その中で、話した人とね。だから、すいません。もう1回、ごめんなさい。質問されたことからずれてしまった。

あるく:大丈夫ですよ。気づきの部分でも全然大丈夫ですし。

磯崎:そう、なので、例えばなんですけど、私は、とりあえず4人目を出産するときに不安やったんですよね。もう不安しかなかった。だけど、なんか言ってみたら、自分が動いてなかったから、不安。で、自分で動いて。そうだから、こうやって出てきた言葉はポンポンポンって言えるんですけど、根っこの部分が自分が満たされてないっていうか、気づいてないもんで。

だから、さっき言ったみたいに否定した生き方をしてたっていうことに気づいてなかったんですよね。だから、その言葉が意味、初めはわからなかったんですけど。その動き方っていうのも、さっき、具体的に言うとどうなのかな。そう、がむしゃらに動いて。
だから自分の視野を広げるためとか客観的に見るために私は動いてきたつもりだったけど、それはそれでいいんだけど。でも、そこに対して何か残ってるかとか、何があるんかなって考えたときに何もないんですよね。だから人からしたらすごい人脈もできてすごい幅も持っていいじゃないかってことかもしれへんけど、でもしんどい自分もいる。
なんで、私自身が何で動いてるか、それが最終的にわかるんかなとか思って動いてるけど、でもそうじゃなかった。

昨日話をしたときに気づいたんが、それ以前に自分を否定して、今あることに対して感謝が、感謝できないっていうか、できてなかったって言ったらいいんかな。例えば出産したときに、いただいてるお金っていうんですかね、私シングルだったりするので。その中でできる時間帯に仕事を取ってきて、子供をね、寝かせてる間とか、育児しながらしてたんですけど。出産してすぐにもう。だけど、私に対して、さっきも言ったけど焦りしかなかったんですよ。不安。いつ切られるかわかんない。子供も残り3人。大きい子と。その時、高校生だったかな。と、小学生の子がいる中で、また人に切られるんじゃないか。切られる、それの不安しかなかったんやけど。

今、改めて考えたときに、そこに対して何か委ねるっていうか、よかったとか、安心感が持てなかったんやなっていうことに気づいて。本当に考え方次第なんですけど。同じことが起こってて、私はそのときはすごくやっぱりメンタル的に不安。それは自分で選んだんですけど、その道をね。だけど、改まってめっちゃずっと、3年間動いてきたけど、結果、何が残ったんやって思ったときに、何も残ってない。その動いてきた証は残ってるかもしれへんけど。なんか自分、自分にとって、やっぱそんだけ動いてるからエネルギーも使ってるし、お金も使ってるし。ちょっと見方を変えて、我慢ではなく、目の前にある何か、目の前にあることに対して、委ねとければよかったんやなっていうのに、今になって気づいた。ごめん、抽象的ですよね。

あるく:全然大丈夫です。ありがとうございます。

過去:何かこの雰囲気が嫌とか思ったときに、私さえ悪者になったら、私がもう全部悪いと思ったら、それがまとまるんならそれでいいやと思って、私が悪いんやで、まあ、いいやんって言って。

あるく:過去について近いお話が出たので過去の質問に移らさせていただきたいんですけど。

磯崎:はい。

あるく:子供のときはどんなお子さんでしたか?

磯崎:子供のとき。私はもう0歳から父親がいなくて、それ知ったのは、思春期かな、それぐらい。だからそこまで気づかなかった。面白いことに気づいてなかったんですよね。父親はいたけど。あ、いなかったんよね。いなかったのが当たり前やったんかな。別に何も思わへんくて。
親がバツ3やったりするので、みんな父親が違う。で、きょうだい3人いるけど、みんなちょっと違うっていうな。父が違うというような感じの中で、あ、そうなんやっていうふうな形やって。で、人の、何ていうの、こうやったらあかんやろうっていうのがわかってしまう、空気をすぐ読んでしまったりする子だったと思うんです。だから、自分を出してなかったですよね。

さっきもちょっと言いましたけど、性的虐待があって。あと引っ越しがすごい多かったですね。元々大阪なんですけど、大阪で、そのちっちゃいときだけで。1年生の1学期に入学しました、2学期からは違うところとか。そういうのがあったりとか。なのでとりあえず柔軟性は育ったかなみたいな。
そう、さっき言われたけど、まあそういう性的虐待があったときに、やっぱ裁判的になったときに、何かこの雰囲気が嫌とか思ったときに、私さえ悪者になったら、私がもう全部悪いと思ったら、それがまとまるんならそれでいいやと思って、私が悪いんやで、まあ、いいやんって言って。お父さんそんなに責めやんとこよとか、そういうふうな形で、言った覚えはあります。なので、昔からいい子ちゃんっていうよりも、大人に合わせる生き方を何かしてきたんやろなって思います。

それに気づいたのはだんだん大人になってからなんですけど。子供自身、小学校のときに。でもそうでもない。自分を、我が道を行くっていうところは多分軸にあったので、いろんな、なんか、ね。波乱万丈だったりするけど、自分を痛めつけるっていうことは、うん。物理的っていうか、リストカットとか、そういう感じはしなかったけど。心の心の中で、自分を殺すっていうことは常にしてきてたかもしれないですね。

あと、やっぱ性的虐待があったときに、やっぱり母にちょっと伝えたときに、やっぱ責められたので。そのときにやっぱり、ただ単に聞いて欲しかった、どうしたらよかったのかなっていうのは、ずっと多分小学校時代のものをずっと背負ったまま、20代を過ごしてて。
私、今43歳になるんですけど。30代のときは、やっぱり何かを自分で自営とか、事業をしたかったんですけど、前に進めなかったので。もう親にその思いを伝えたっていうか、もう爆発したって言ったらいいんですかね。こんなこと言いたいわけじゃないけど、でも伝わらへんから。そのはざまっていうか、なんか。なので自分で言ってるけど言いたくない。でも伝わらへんっていう、なんかそういうジレンマがあったけど。
ずっとこの10年間は、後半きつかったと思います。うん。これでもかってぐらい多分親にきつく言ってたんじゃないかな。うん、言ってたと思う。言ってたと思う。

あるく:爆発して、お話しされたっていうのをおっしゃてたと思うんですけど、もしその時点で言ってなかったらどうなったかと思いますか?

磯崎:言ってなかったら、簡単に言うと今はないやろなって。今はないっていうか、やっぱり、親と縁切るじゃないけど逃げてたやろうな。今でも、さっき言ったみたいに逃げとったんやっていうことも気づかさせてもらったけど、友人と喋ってたときに。だけど、やっぱり逃げる癖っていうのかな、やっぱ楽じゃないですか。

でも人はやっぱり何か、やっぱ誰かを傷つけるとか。言ってみたら、それだけ荒れとったから、よく非行にならへんかったなって言われることも結構多かったんですけど。ならへんためには使命感が多分あった、強かったと思うんですよ。だから多分、そのために、これは絶対言わなあかんっていうことやったと思うんですよね。

だから伝えへんかったら、どんなんやろ。それを考えたことがなかったな。伝えへんかったら、多分病気になってたかも。鏡の法則じゃないですけど、なんか、自分の身内じゃないけど、近い人の出来事って子供にもちょっと影響してくると思うし、連鎖じゃないけど。
もう自分が断ち切るんやって思って、20歳のときかな。自分の中でも私一旦死んだとか思ってたんですよね。手首をね、切って死のうかなと思ったんですけども。それしかやり方そのときはわからへんかって、死ねるのがね。だけど今考えると、それは死ねやんやろうとか思ったけど。でも、そのときも一瞬なんやろ。すごい苦しくて。やっぱりあんたがしっかりしなかったからやってずっと言われとって。そのとき、弟がいるんですけど、てんかんになって、小学校6年生。で、自分が20歳のときに、小学校6年生ってそんなことしっかりなんてできんのんかなとか思って。自分の娘とか、一番上の子が成人はしてるんですけど、そうなったときに、やっぱ自分と比べて振り返るんですよね。どうなんかなって。そのときに無理よなと思って。だからそれに対して親に言ったことがあるんですけどね、そんなんわかるはずがないやんって言って。だから、そのときはやっぱり親が言うことをそのまま鵜呑みしとったから、すごくしんどかった。だから自分を責めて責めて、責めて責めておったけど。でもそれを吐かないとやっぱり前進めへんと思って。

だから多分、使命感なんやろうね。何でこの使命感出てきたんかわからへんけど。でも、お金でみんな困ってきてるから、みんな代々ね。なので、結構陰気臭くて家におりたくないっていう感じの家庭だったから。
子供たちにも、家を持って。でも、その子供をね、その20歳のときはまだ産んでないで。だから何くそっていうのが、やっぱりいっぱい、一瞬のよぎるじゃないけど、考える余裕があって、そういうふうに。悔しかったし、もう毎日泣いとったんかな。
だけど、そんなん死ねるわけないよなってそのとき思った、痛いだけやと思って。迷惑かかるしっていうかね、そのあと。そこまで考えとったんかな。死ぬほうが楽と思ってなかったんかな。ただ痛いだけや。そんな言われるだけで、終わるのは、なんかしゃくに合わんっていうか、なんか、違うなって思って。

だから、その20歳とかそんときは、自分が死んだなんて思ってなかったけど。30代、親に暴露をしてるときに、私はいったん死んだんやと思って。だから、その嫌だった記憶も、自分の中で人って消せれるんやなと思うぐらい。消したときもあったんですよね。
だけど、30代のときに、ようやく言ったときに、気づくことはいっぱいあったけど。でも私の中でも、それはもう済んでると思ってたんですよね。
40代になったときに、だけど、根本のところ、逃げてるっていうか、自分を責めてる。できてないとか、そういうとこの責め。初めはそういう自分が悪いんやっていう責めの責め方やったけど。そうじゃなくて、行動の仕方自体が、今のある自分に対して満足できないっていうか。もっとできるんじゃないかっていう願望になって。人からしたらすごく頑張ってるように見えるかもしれんけど、そういう意味で何か、自分を責めた生き方をしてたんやなっていうことにようやく気づいた。

あるく:なるほど、ありがとうございます。

未来:未来のところは、家庭のところまでは、見えてきたんですけど、自分がなんでやってるのかっていうのは見えてるんですけど。未来の自分が半分半分なんです。自分自身を、何て言うんやろう、使命感のところを出し切るところまではまだいってない。

あるく:では、未来について質問させていただくんですが、5年後、あるいは死ぬときまで想像して、未来について、どういったイメージをお持ちですか?

磯崎:うん。そうですね。だから別に親とかそのなんていうの、自分自身の親を責めてるわけでもないし、別に嫌いなわけではないんですよね、あったとしても。そういうふうになれないですよね、なんか知らんけど。
だから、自分の親に対しては、やっぱ親も親でやっぱ自分を責めて生きてきてるから、途中から記憶がなかったりする部分も出てきてるんですよ。同じなんですよね。それを望んでないんですよね。

さっき言ってた胎内記憶の話を聞いたときに、そこでもって一番にお母さんを幸せにするために生まれてきて。
二つ目に、自分らしく生きるために生まれてきてる。
三つ目に、人の役に立つために生きてきてる。

っていうときに、それはぶれてないなと思ってて。だから、とりあえず多分、家族っていう形がずっとなかった家庭で育ってきてるから、代々ね。母もないんですね、多分。
だから、そこはやっぱり自分がそこを作り上げたいっていうか、家族っていうのを。だから、他人さんの家族って言ったらいいんかな、やっぱり。他人さんの方が反対に、ちょっと子供見といてって言ったら、いいよいいよとか。昔、自分がインフルエンザとか、私のとこの家庭がね、全員インフルエンザなって。それで一番初めにちっちゃい、そのとき0歳、1歳やったかな、次男が喘息なって、もうのたれ死ぬじゃないけど、大きな病院に行って。そのときまだ子供3人しかいなくて、長男が3歳だったかな、上の子がまだ小学生やったときに、一番小さい方からなってって、私が最後に移って。そのとき40度とかの熱だったときに、今よく母にもずっと言ってたんですけど、上の子のおじいちゃんおばあちゃんがね、そのときもう離婚してたけど、マスクして来てくれたんですよね。自分の母は、私は介護の仕事してるから、もらったらあかんからっていう返答やって。それもわかるんですけど。
でも私はもう本当に、子供は良くなっていくけど、自分は体調悪くなって朦朧しとって。民生委員とか、あと病院に連絡したときに、ちょっとそれは無理ですって言われて。いや、大変やのになんで無理なんっていう。でも、本当に身近なね、離婚しちゃったけど、そこのおじいちゃん、おばあちゃんがマスクしてきてくれる。

だから、本当に、なんか周りに支えられて生きてきとったから。だからそういう部分で救われてる部分があるから、それを多分、家族、家庭っていうのを大事にして生きてきた分、行動をして、ずれてるかもしれへんけど、そこを軸にして、作り上げていく、まず家庭から。

あと、未来のところでもやっぱり自分の子供やったり、孫が子供をみといてほしいとか言ったときに、ええとかじゃなくて、快くみてあげれる自分でありたいなって。そのためにやっぱり自分が余裕がないと、あかんと思うし。金銭面だけじゃなくて、心の余裕。
だから、親と比べての自分じゃなくて、親は親でもう今からの人生ね、もうシングルマザーで頑張ってきたんだからね、一度きりの人生楽しんで欲しいな。他人の顔色を伺ってするのではなく、自分のね、自分が生きていきたい人生でできたらいいんじゃないっていう。
あと、親との距離感も私自身があんまり近くにいたらしんどくなるし。そこを調整しながらしてくっていうことが大事ってことを気づかせてもらって。だから子供。他の今の子供たちだったり、孫。まだできてないけど。そのときに距離感を置きつつも、何て言うんやろう。助け合える関係になってたらいいなっていうのは、軸にあるかもしれません。
なので、今こうやって子育てサークルみたいな形でやってたりする。自分を通してやってるのかもしれないし、自分がやっぱりそこが言葉にできなかったりするので、思いが。根っこの部分が埋まってたりすると思うもんで。それをお互い出すために、やってるのかもしれない。

未来は本当に家庭で言うと、さっき言ってたみたいに、些細な事なんですけど、家庭があるっていうことが前提かもしれへんけど、家庭じゃなくても何か頼まれたときに、いいよっていう、一緒に考えてあげたりとか。失敗のときも一緒に考えてあげたりとか。それぞれに寄り添っていける自分でありたいなっていうのは、常にあるかな。それをやっぱり社会にも向けたときに、今まで自分だけの家庭だけだった社会が外に向いたときに、去年ぐらいから外を向かせてる感じなのかな。家庭内だけで作り上げていくってよりも、もうちょっと視野を広げて。誰かを助けたいとかじゃなくて、視野を広げたから、そういう形になってるだけで。だから、こうしたらこうなるとか、こういうやり方がいいとかじゃなくて、そういうふうに周りの視野を広げて、もっと他の人と関わることによって、もっと根っこの部分。自分自身の見える部分が出てきてるなっていうのが。

なので、その未来のところは、家庭のところまでは、見えてきたんですけど、自分がなんでやってるのかっていうのは見えてるんですけど。未来の自分が半分半分なんです。自分自身を、何て言うんやろう、使命感のところを出し切るところまではまだいってない。
だから今回のそのBeauty Japanとかでもそうですけど、1位を目指す。そうせえへんかったら、その困ってる人たちを助けれへんねやっていう、そこの部分までは私がいってないっていうことに気づいて。そこの今の段階でもっと書き出して自分がどうしたいのかっていうのを明確に。そのためにやってるので。どうしようじゃないけど、そこの未来が…。インタビューでこんな中途半端やったらあかんねんけどさ。

あるく:全然大丈夫ですよ。

磯崎:そう、私が変えるんやとか、そこの意気込みはまだまだない。そこにまだ至る。さっき言ったみたいに、一点馬力なところがあることに気づいて、経済面でもそうやけど。そこにやっぱり後悔じゃないけど、それを最後までやり遂げるのが、仕方ないよなじゃないけど。そうすべきだよなって思ってたけど、でもしなければならないっていうのは、私はすごく外そうと思ってたから。頑張らないといけないとか。そこの根底がやっぱりさっき言ったみたいに、責める、責めた生き方。ほんとはもっとほっこり、おおらかな自分でありたいってすごく思ってるのに、めっちゃ相反することをしてるんですよね。だから未来像的には人としては本当に受け入れる。

あるく:もし何かご自身がわからないとか、そういう気持ちでいろいろアクションを起こしたとおっしゃってたと思うんですけど。逆にわからない状態で、今と全然違うアクションだったり、アクションを起こしてなかったら、どういう人生になっていたと思いますか?

磯崎:どうなってたんやろな。でもさ、さっき言ったみたいに起こさなくてもよかったんやなと思ったりもあります。
今日ふと思ったんですね。今お話する前に娘を送りに行ってて、保育園に。その車の中で、思ったら本当は思ったことを全部書き出していかなくちゃいけないんですけど、私すぐどんどんどんどん出てくるので頭ん中に、書ききれないんですけど。さっき言ったみたいに、やったけど、何か得たのかって言ったら、そういう状況を得たかもしれへんけど、人と関わりだったりとか、動いたからこそ得れるものもあったかもしれへんけど。でも、実際に自分が本当に欲しかったものをやれてんのかっていったときに、やれてないんですよね。だから、かえって動かなあかんって動かなやっぱりおれやん。焦って、不安やからやっぱり動いとったけど。

だけど、不安なことではなかったっていうことに今気づいて。だから今気づいてる自分として、動いてなかったら、どうやったかって言ったら、もう全然違ったやろなっていう。違ったっていうのは、せんでもいいことをやっぱりしてしまってきとるから。前にしたやん、これみたいな。20代のときに、もうやりたくない、そういう生き方をしたくないって思ってたのに、違う形で、地域とかそういうのはノウハウはめっちゃあるかもしれへんけど、でも動けない。

なんでかって言ったら、今ある現状に対して満たされてないから、何やっても満たされへんやろなって。だからかえって反対に動かずに、コツコツコツコツ今ある幸せに対し、幸せやなって。だから、そのとき子育て中で不安ではあったけど、今現状できひんでもしゃあないやんっていうことを言えとったら。多分そんときはね、やっぱりわかってもらえへんかったと思うけど、その現状をね、周りは。だけど、それが言えない自分がいたから。

よく人生のね、選択あるじゃないですか。どっちにするかって。でも一瞬でもうすぐぱっと決めてしまうけど。改めて思うと、今までしなかったんですね、あんまり後悔っていうものを。後悔はしてないけど、ああ、そういうことかとか思って。だから前に失敗したときと同じことをしてる。だから、そこに気付けただけでも良かったなと思っとって。
そのためには、その思ったことを書き出さないかんって言われとって、友人にね。今回90秒のプレゼンじゃないけど、そのときの動画を編集してくれる友人に、やってくれとるんですけど、その時間を。だから、責めてる生き方になってるっていうことに気づいてなかったから、だいぶショックでしたね。

あるく:ありがとうございます。最後に何か言い残したことってあったりしますか?読者向けでも自分に対する独り言でも、感想でも、何でもOKなんですが。

磯崎:そうですね。さあこれからどうするって感じですけどね。そう、気づいたからこそ今からまたできるけど。
今からでもできるかなって友人に言ったら、できる・できへん関係なく、気づいたときに変えたらいいよって言われて。なるほどなと思って。これに対して、また私も今度、もう日にち間近なんですけどね、それを書き出して書き出して、自分が思ってることをバーって書いて、その中で、自分が本当に何がしたいものか、気付けるまでとにかく書き出すことやって言われてて。っていう感じです。

その一連の流れの中でこのインタビューがあって。伝えたいこと、もうそのものですよね、この話の中で。もういいか・悪いかっていうか、ね。
でも、そういう人もね、いるっていうことも聞いたんですよ、他のとこで。自己投資をすごいしてるときがあって。春ちゃんと同じタイプの子がおってって、それで困ってるんですよって言って。そのときはもうやっぱり、欲が満たされないから、まだまだまだまだっていうか。そのときに答えたのが、わかるって。でもやりきるしか、そのときはもう、そのときに気づくしかないのよって言ってたけど、そうでもなかったかなって。責めてる生き方をしてるっていうことに気づくっていうことも、大事やなっていうのが。

まだまだちょっとね、日本語って難しいけど、奥深いなって思うんですけど。責めてる生き方って何? っていう、そのキーワードが今はわかっとっても、その未来に行ったときに、あ、これもかみたいな。これもやったんかっていうのが一つ一つ紐解いてって。自分がやっぱその使命感のために動いてることが、行き着くんやろなって。見たくないところとか、あと自分が逃げてる部分をどんどんどんどんかき乱されていくっていうか。

その中ではやっぱりその人に言われたけど、やっぱり今の自分、否定してる自分が好きっていう人が、私自身と一緒におって心地いいっていう人もいると思うから。そういう人にはすごく批判されると思うって。そこは覚悟していかなあかんなと思って。
だから、それが人が変わるときじゃないけど、周りの環境が変わるとき。だから次のステップに上がるためには、そこが必要なんやなっていうのは思ってます。

あるく:ありがとうございます。言い残したことはあったりしないですか。

磯崎:別にないです。

あるく:ありがとうございます。

あとがき

磯崎さんは今Beauty Japanという大会に参加されているそうで、無名人インタビューに応募してくださった時の応募フォームやインタビューが始まる前の会話のなかでもそのお話をされていたので、てっきりそれに対してのお話だったり野望だったりが今回のメインになるのかななんて思っていました。
それがいざインタビューが始まってみると全然そんなことはなくて、磯崎さんご自身の、等身大の人生全体のお話になっていきました。
必死に、必死に、ご自身の今と過去と人生と向き合おうとしていらっしゃる感じがしました。
インタビューさせていただいた人の中で一番、インタビュー中の感情がぐるぐると激しい方だったように思います。

4児の母で、Beauty Japanに参加していて、働いていて、自分で活動をやっていて、、と肩書だけ拝見すると勝手に自信に満ち溢れていてメラメラでキラキラでというイメージを持ってどこか身構えてしまっていたことに気づきました(磯崎さんがそうではないということではなく)。インタビューの中でも仰っていたように「わからないから動いている」んですね。

肩書ややっていることで人に対して勝手にイメージを持ってしまうことってよくありますよね。私は特にその傾向が強い気がしています。私の今の一つの課題はその傾向から逃れることですね。
【インタビュー・あとがき:あるく】

【文字起こし:尾崎ゆき】

【編集:mii】

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