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積み重ねてきたいろんな経験を他人にギブできるような人になりたい人

生きとし生けるものみな幸せになりなさい。なるがいいよ。なっていいよ。もうなってるよ。いやどうなんだろう。どうだどうだ? 一体幸せとはなんだなんだ? どうなんだ知らん知らん。わからんわからん。
困ったな、そうか私って、幸せってなんだかわからないんだ。
困ったな、どうしよう。
そうだね、私にもそういう幸せが何かわからない時代がありました。でもご安心ください。今や今や、私にも家族があり、子供がいて、幸せ幸せそんな感じに思ってるのですが、どうでしょうどうでしょう、無名人インタビューの収益性は低いしこのままあばばあばばと金魚みたいにお口パクパクをしながら生きていくとかなるとかとか思うとかとか、どうなんでしょう? 心配です。
おいおい心配なのはあなたの頭であって、そういう不安をまき散らしてこちらも不安にさせるなよ、とお思いの方も、いらっしゃるかもしれません。
え。いない?
いないんだ。ああ、そうか。いないのか。ああ。ああ。あああああ。
もう、何もかもがよくわからない。よくわからないで書いて生きて、そわそわしてる!
と思う2024年6月1日12時56分に書く無名人インタビュー796回目のまえがきでした!!!!!
【まえがき:qbc・栗林康弘(作家・無名人インタビュー主宰)】

今回ご参加いただいたのは 岩﨑七海 さんです!

年齢:~10代
性別:男性
職業:大学生


現在:自分が止まるとすなわち自分の成長が止まるっていうところに繋がるかなって思って。だからこそ止まってられないなっていう感じになってます。

ナカザワアヤミ:
岩﨑さんは今何をしてる方ですか。

岩﨑七海 :
ちょっと一言で表すのが難しくて、いろいろやってるって感じですね。

ナカザワアヤミ:
いろいろ、について一つずつお聞きしてもいいですか。

岩﨑七海 :
一つ目にやっているのが、自分がRural Laboっていう団体に今入ってまして、そこで今、本部に入って、Rural留学と呼ばれるものでいろいろ動いてます。

ナカザワアヤミ:
ルーラル留学っていうのはどんなことをされてるんですか。

岩﨑七海 :
Rural留学っていうのがRural Laboが提供しているオフラインコンテンツの1つで、2週間自分が住んでる以外の地域に滞在してもらって、自分なりの地域への関わり方を見つける、っていう感じのプログラムになってます。
自分自身も参加して、すごくよかったと感じたので、なにかしらの形で他の人たちにもその魅力を伝えて、参加してもらいたいなっていうところが思いとしてあって。去年の2月か1月ぐらいに地域留学の運営メンバーの募集をかけていたのを見て、その時点でもいろいろやってたっていうのもあって忙しくなるんだろうなと思ったんですけど、でもやんなきゃ後悔するだろうなって思って、忙しくなるのは100も承知でやってみようっていう思いで、応募したって感じですね。

ナカザワアヤミ:
地域に2週間滞在するってことだったんですけど、滞在しながらどんなことをするんですか。

岩﨑七海 :
私が実際地域留学に参加したときの滞在プログラムは、最初の3日4日間で地域おこし協力隊がどういうものなのかっていう説明を受けたり、初日には市長が直接プレゼンしに来てくれたりして。
自分の場合はインタビューがメインで、インタビューして町の内面的なところを詳しく聞きながら、その町で何ができるかっていうのを最終的には政策提言っていう形で発表するプログラムでした。

ナカザワアヤミ:
地域おこし協力隊のインターンみたいな感じですか。

岩﨑七海 :
Rural Laboのプログラム自体は、その地域おこし協力隊のインターン制度っていうものを活用したプログラムですね。

ナカザワアヤミ:
なるほど。他には何をされてますか。

岩﨑七海 :
他にやっているのが、長野大学の、MIZUMATCHって呼ばれるサークルに所属しているんですけれども、そこでは上田市の地域活性化を目的としているMATCHIフェスっていうのが行われるので、その準備の期間に当たっていたっていうのもあって、よりバタバタするんだろうなっていうところが自分の中ではありましたね。

ナカザワアヤミ:
MIZUMATCHっていうのは、MATCHフェスをやるサークルなんですか。

岩﨑七海 :
サークルの立ち上げ自体には水辺の活性化っていうところが目的としてあったんですけれども、今は上田市の地域活性化を目的として動いているサークルっていうのがわかりやすいところになります。

ナカザワアヤミ:
なるほど。

岩﨑七海 :
MATCHフェスが今年は5月19日に行われたばかりで、ようやく仕事が一段落した感じですね。

ナカザワアヤミ:
ここでは岩崎さん自身はどんな活動をされてますか。

岩﨑七海 :
一言で表すのは難しいな。いろいろ動いたりしてたっていうのもあって、言い訳にはなっちゃうんですけれども。MATCHフェス開催に向けて、ワークショップって呼ばれるものをやろうっていうことで、私はそこのグループに所属してたので、その準備だったりとかですね。

ナカザワアヤミ:
活動でいうと、今二つ出てきたんですけど他にもあるんですか。

岩﨑七海 :
活動とは別になるんですけど、バレーボールを継続してやっていまして。小学校1年生の3月、小2に上がる前ぐらいから始めて、かれこれ12年目。結構経ってるんですけど今でも継続してやってます。
バレーやってMIZUMATCHもやってRural Laboもやって、3月4月5月はそういう感じでしたね。それに付随する形で自分の研究っていうのも始まったっていうのもあって、かなり多忙な生活になっちゃってるって感じですね。バイトも含めて。

ナカザワアヤミ:
いろいろやられてる中で、今、楽しいと感じるのはどういうときですか。

岩﨑七海 :
楽しいって感じる部分は、なんだろうな、難しいですけど、一番は自分の中で明るい兆しが見えたとき。
ちょっと抽象的でわかりづらいかもしれないんですけど、成長の兆しが見えたなっていうふうに感じた瞬間がやっぱり自分の中で楽しいなって感じますね。将来的な話ですけど、佐渡に戻って観光を使った何かで活性化させたいという思いがあって、今こうやっていろいろ多忙化させてはいるんですけれども、そういう中で、佐渡に使えるものがあったなみたいな感じで、自分の中で成長する過程だったりだとか、佐渡で使えるぞって思うようなことが収穫できたら、活動やって楽しいなって思う瞬間ですね。

ナカザワアヤミ:
最近それを感じたのはいつでしたか。

岩﨑七海 :
やっぱりMATCHフェスが直近で終わったばっかりで、そこで言うんだったら、イベントを通じて子供たちとすごい触れ合ったんですよね、ワークショップっていうところで。子供たちが笑顔になっていく姿を見ていて、やっぱり子供たちの力が地域活性化には不可欠だなっていうところを感じたところがあったので、佐渡でもイベントだけじゃなくて子供たちの力を使っていろいろできることはあるんじゃないかっていうのを自分の中で改めて感じた瞬間だったかなとは思います。

ナカザワアヤミ:
なるほど、いろいろ活動されてると思うんですけど、どういうきっかけで活動を始めることが多いですか。

岩﨑七海 :
最終的なゴールっていうのは、さっき話したとおり、佐渡で地域活性化を起こして佐渡を日本一アットホームな島にするっていうのが夢ではあるんですけど、言語化するんだったら、住む人も来る人もほっと一息つけるような島を作りたいなって思っています。
そういう意味で言うと、いろんなことをやっていく中で、絶対に成長する過程だったりだとか、あとは佐渡で使えるものがあるっていうのを、経験していくからこそ見えてくることが絶対あるなっていうのを持ってて、だからこそ、自己犠牲だったりだとかっていうのはいとわないでやれることはたくさんやっていこう、っていう精神で今はガツガツやっていて。だから多忙化するっていうのも承知の上で、健康なんてとりあえずどうでもいいやみたいな感じになってますね。

ナカザワアヤミ:
今も結構忙しさは継続している状態ですか。

岩﨑七海 :
やっぱりまとまって1日ぐうたらできる時間とかはなかなか取れない状況にはなってますね。

ナカザワアヤミ:
もちろん望んでやってるところはあるのかなと思うんですけど、その状況に対しては、ご自身の感覚としてはどうですか。

岩﨑七海 :
そうですね、望んでやっているからそんなに苦だなって思わないかなと思ってたんですけど、結構自分の中で、休む時間も大事だなって感じるときは多々ありますね。最近になって。

ナカザワアヤミ:
どういうときに感じたんですか。

岩﨑七海 :
そうですね、なんかいろいろやりすぎちゃって頭がパンクしかけちゃうときがあって、そういうときに1回休みたいなって。でもいろいろやっているからこそ休めないっていう状態で。自分が止まっちゃうと事業自体も全部ストップすることになるんで、自分が止まっちゃうとみんなに迷惑かけちゃうし、だからこそ止まってられないなっていう感じはありますね。
いろんな人たちの支えがあって今こうやっているっていうのもありしますし、自分が止まるとすなわち自分の成長が止まるっていうところに繋がるかなって思って。だからこそ止まってられないなっていう感じになってます。

ナカザワアヤミ:
その状態で休んだ方がいいかもって思ったのはどういうきっかけですか。

岩﨑七海 :
なんていうんでしょうね。佐渡に戻って佐渡のために何かをするっていうこと自体は、もともと高校1年生のときに決めたんですよ。観光の力を使ってっていうところまでは既に決めてたんですね。そのときに決められたのもやっぱり休みがあった、言い方悪いですけど、コロナ禍の休みがあってそこをゆっくり使って自分の中で考えに考え抜いたからこそできたことだなって思ってて。
だからこそ、休みと活動っていうのはちゃんと自分の中で定めないといけないなって、今の自分の課題ではあるんですけど、タイムスケジューリングの管理っていうのは結構やっぱりちゃんとやった方がいいなっていうふうに思ってますね。

ナカザワアヤミ:
なるほど、今大学何年生ですか。

岩﨑七海 :
今大学2年生の代です。

ナカザワアヤミ:
今年、20歳21歳あたりになる年ってことですかね。

岩﨑七海 :
そうですね、今年で20歳になります。節目の年でもあるので今回インタビュー受けようって思ったので、自分の中でなにを思っているのかというのを再確認するためにっていうのもあって今回インタビュー受けさせていただいてるって感じです。

過去:だけど、やっていく中で結局、佐渡が好きなんだろうなっていう瞬間が多々あったりして。

ナカザワアヤミ:
過去のことも振り返ってお聞きしたいんですけど、先ほどから佐渡の話が出てますが出身も佐渡ですか。

岩﨑七海 :
そうですね、出身が佐渡で、生まれ自体は新潟県の胎内市なんですけど、実質的には生まれも育ちも新潟の佐渡って感じです。かれこれ18年間ずっと高校を卒業するまでずっと佐渡にいました。

ナカザワアヤミ:
ありがとうございます。子供時代はどうでしたか。

岩﨑七海 :
一言でいうなら、めちゃくちゃ元気だったかな、元気でコミュニケーションも高くてって感じだったんじゃないかなって思いますね。元気すぎるのが仇となってちょっといじめみたいなことを食らったりはしたりはしましたけど、元気で活発的でっていう感じの子だったんじゃないかなと勝手ながら思ってます。

ナカザワアヤミ:
どういう過ごし方をしてましたか。

岩﨑七海 :
小学校ぐらいまでは、なんだろうな好奇心にかられながらって感じだったのかな。さっきも言ったんですけど小学校1年の春からずっとバレーやり続けていたので、バレーやりながら遊んだりとかっていう感じだったかなと思いますね。
子供時代を振り返ると勉強はそこまでちゃんとやってきたかって言われるとちょっと曖昧な部分があって。自分の中でこれ面白そうだなって思うことに対してはすごい熱心に向き合ってて、でもそういうのじゃないときは本当に取り組まなかったかなって。例えばめんどくさいようなこと、小学校だと音読だったり漢字練習だったりだとか計算練習とかっていうのはそういうの本当に熱心に取り組まなかったですね。逆に、社会科系の科目、歴史とかっていうのは熱心に取り組んでたなって。
自分の出身校が佐渡の島の中でも真ん中の方の小学校なんですよね。小学校3年生のときに統合して規模が大きくなったっていう小学校でした。

ナカザワアヤミ:
小学校時代で何か思い出に残ってることとかありますか。

岩﨑七海 :
小学校のときの印象に残ってることって、すごい負のエピソードしかなくって。小学校三、四年ぐらいのときにすごい差別的な感じなのかな。すごい遠い記憶になってるので僕もあまりわかってないんすけど、他人からすごくいじらるような感じだったんで、それが結果的に自分の中で癪に障ったりっていうのが多々あって、それで切れまくったりっていうので、負の記憶がすごい混ざってるんですけど。

なんだろう、楽しかったっていうか自分が好奇心持ってやったことで、今に直結するところで言うんだったら、小学校6年生のときの話なんですけど、修学旅行で福島の会津若松に行ったんですよ。そのときの観光プランがすごい面白かったなって思って、観光パンフレットをすごい漁ったんですよ。持って帰ろうみたいな感じ持って帰って。
小学校で自由学習っていうもので、自由に何でもやってもいいよ、ノート1冊まとめて来れば何でもOKだよみたいな感じで言われたので、時間あるし、自分で観光コース作ってみようみたいな感じでパンフレットをあさって、自分なりに観光コース作ったっていうのが記憶でありますね。

ナカザワアヤミ:
パンフレットが面白かったんですか。

岩﨑七海 :
パンフレットというよりは就学旅行が楽しくて、そんなプラン立ててみたいなって自分の中で思っちゃって。そしたらなんかいつの間にか観光プラン立てた感じですね。観光コースみたいなものを組み立てました。

ナカザワアヤミ:
なるほど。中学校に入ってからはどうでしたか。

岩﨑七海 :
中学校のときは部活中心だったかな。部活が結構メインで、勉強もちゃんとやりながらって感じだったのかなと思いますね。先輩方が強かったのもあってそれに追いつこうと思って頑張って部活やってたけど結局追いつかなかった、みたいなのもありましたけど、部活に熱中してたなって思います。勉強もそれなりに頑張ってやってて、学年内だと結構上位の方まで入ってたかなって感じでしたね。

バレー中心で、そのころは正直佐渡への気持ちはそこまでだったなって思いますね。
正直、将来佐渡に戻るとかって全然考えてなかったと思います。そのときに関しては。何となく教師やりたいなとか、何となく学芸員、博物館の学芸員やろうかなとかっていう感じで、すごい何となくの夢を思い描いてましたね。

ナカザワアヤミ:
どうして教師や学芸員になりたかったんですか。

岩﨑七海 :
やっぱりずっと社会科が得意だったっていうのもあって、自分の興味分野でもあったので、それを使った何かができるんならそれがいいと思って、思いついたのが小学校のときは社会科の先生。中学のときには学芸員もありなのかなって。それが自分の好きなことを熱心に探求できるものなのかなとか思ってた感じでした。

ナカザワアヤミ:
佐渡に戻る、みたいな話があったんですけど、将来についてはどういうイメージでしたか。

岩﨑七海 :
個人的な話は正直あんまり考えてなかったっすね。何となく大学進学して教師になるのがいいかな、学芸員がいいかなみたいな感じだったんで。それで言うんだったら正直佐渡に戻ろうって思ってる子は少ないです。多分9割方は出ようって思ってる感じなのかなって。

ナカザワアヤミ:
佐渡には高校はあるんでしたっけ。

岩﨑七海 :
島内で言うんだったら、佐渡高校と佐渡総合高校っていうのがあって、大体そこの二高に行くのが普通かなって感じで、スポーツがすごい優秀だったりだとかあとは勉強ですごいもっともっとやりたいって思うような子たちは島外の学校に進学するって感じでしたね。

ナカザワアヤミ:
なるほど。で、高校入学したらコロナだったってことですよね。

岩﨑七海 :
そうですね。高校に上がる前ぐらいからもうコロナ禍が始まっていて、入試ないんじゃないか、とかうちらの中で話してましたよね。

ナカザワアヤミ:
あーなるほど確かに。年明けてからでしたね。

岩﨑七海 :
そうですそうです。

ナカザワアヤミ:
入試は無事できたんですか。

岩﨑七海 :
そうですね。入試自体は無事できて。何かわかんないんですけれども謎にそのとき自分の中でゾーンみたいな感じで入っちゃって、問題どんとこいやみたいな感じですごいわくわくしながら受けてましたね。

ナカザワアヤミ:
うんうん。勉強するのは好きでしたか

岩﨑七海 :
正直そこまで。正直そこまでだったんすけど、なんかわかんないんですけど中学の受験勉強自体は割と熱心に取り組んでた方かなと思いますね。ちゃんと真面目に。図書館行ったりだとかっていう感じで毎日のように。部活終わってから本格的に取り組み始めて、本格的に取り組み始めたのは正直11月ぐらいだったかな。

ナカザワアヤミ:
高校生活はどうでしたか。

岩﨑七海 :
そうですね、高校時代は、いろんなきっかけがあふれてて、それをちゃんとつかみに行けた3年間だったなって風に思いますね。

ナカザワアヤミ:
なるほど。コロナのときに高校生だった人が意外と周りにいなかったんですけど、休校期間があったということですけどどのくらいから学校に行けたんですか。

岩﨑七海 :
勉強し始めたっていうか、課題みたいなのが出てはいましたけど、急に休校が始まったっていうのもあったので、何だろうな本格的に学校に行き始めたのは6月って感じで、5月下旬中旬か下旬ぐらいかな。そのぐらいのときから分散登校って形で学校に行き始めたかなって。

ナカザワアヤミ:
先ほど、チャンスをつかみに行けたっていう話があったと思うんですけど、どんなチャンスをつかみましたか。

岩﨑七海 :
すごい難しい話になっちゃうんですけど、なんだろうな、きっかけがすごいたくさんあったところで自分から積極的につかめたっていうのがあって。
高校2年生のときの話ですけど、総合探究の時間、自由にしていいよみたいな感じの時間だったんですけど、そのときに自分から何かしようって思って、そのときに頼った先生がすごく相談に乗ってくれる良い先生で。結果的に他校へのアンケートもできましたし、あとは人と繋げたりしてくれたっていうのがあったりして、すごいそのときの経験がすごく楽しかったなって思って。その経験が今の活動とかにも繋がってるなと思う部分もあったりしますね。
あとは、高校2年生の冬にすごく熱心に活動している子がいて、その子と繋がって、高校3年生のときに何か佐渡でアーシングヨガっていうのをやろう、観光プランとして、一つ組み立てようっていう話があって。そこのプロジェクトメンバーにも参加できたりっていう感じですね。

ナカザワアヤミ:
ご自身としては中学時代と高校時代って変わったと思うことはありましたか。

岩﨑七海 :
だいぶ変わったかなって。原点としては変わってないと思うんですけれども、考え方により深みが出たんじゃないかなっていうのは思ってます。元々中学小学校時代からのコミュニケーション能力っていうのはすごい磨きかけて、高校でもすごい磨きがかかってましたし、それに付随するような形で行動力もすごい備わってきて、その強みっていうのを十分に生かし切れたんじゃないかなって高校時代は思いますね。

ナカザワアヤミ:
実際に行動するかどうかで結構大きな壁があるような気がするんですけど、そこの違いみたいなのは何で起こったんですか。

岩﨑七海 :
変化自体はあったなって思うんですけれども、一番の違いで言うんだったら、学校外へ飛び出そうっていうところになるのかなって思いますね。
中学校のときとか小学校のときとかっていうのは学校内で全て完結してたなと思ってて。高校に上がってからその学校外のところまで突っ込もうみたいな感じでいろいろやってたなって思いますね。学校内に収まるだけじゃなくて学校外でもいろいろやろうっていう感じでした。

ナカザワアヤミ:
それは自然と外に行き始めたんですか。

岩﨑七海 :
なんか自然な感じで行ったなって。活動のためにやるんだったらそれは必要だよねみたいな感じですね。

ナカザワアヤミ:
ちょっと視点を変えて、さきほどは佐渡に戻る気はなかったみたいな話があって、でも高校生時点では、将来佐渡に戻ってもっと観光で盛り上げたいっていう思いを持ってらっしゃったと思うんですけど、これはいつ変わったんですか。

岩﨑七海 :
変わったタイミングは、間違いなくコロナのタイミングですね。5月ぐらいに結論出たなって感じはしてます。
そのタイミングで将来のことをある程度決めとけよ、みたいな、大学を決めろよみたいな感じで学校側から出されたんですよ。ある程度は絞っておけよ、じゃないけど、自分の興味分野がなんなのかっていうのはちゃんと調べておきなさいよみたいな感じで言われたんすよ。

じゃあ何がやりたいんだろうなって、すごい自問自答をしてたんですよ。それはやっぱり時間があったからこそできたなっていうふうに思うんですけど。
自問自答していく中で、小学校中学校とバレーをずっと続けていたので、遠征とかにすごい行くんですよ。で、そこで島に帰ってきたときにほっと一息つけたなって思って。そのほっと一息つく空間ってなかなかないんじゃないっていうのを自分の中で感じとって、で、それを思ったのと同時に、自分はなんか佐渡に還元したことあったっけなって思ったんすよ。そう思ったときに、自分は何もやれてないんじゃないかって。ただいるだけじゃ意味ないじゃないかって。こんなすごい魅力ある、島に何もできてないじゃないかと思って。

それを思ったときに、自分で自分の能力を生かして、佐渡に貢献したいって思うようになって。そこから自分の強みを生かせること改めて確認しようと思ってインターネットですごいあさったわけですよ。その中で観光っていうことが目に飛び込んできて、観光を使って佐渡を活性化させようって言う結論に至ったのはそこのタイミングですね。

ナカザワアヤミ:
ということは、高校3年間、佐渡に戻るぞっていう気持ちで活動されてたってことですか。

岩﨑七海 :
そうです。佐渡に戻るぞっていう思いを掲げつつ、親にもちょっと相談したんですけど、やっぱ多少反対されて、なにもないじゃんっていうふうに言われたんですよ。でも佐渡ってすごい魅力あるから、なおかつこれから絶対観光伸びるしってすごい熱烈に話して、親からも好きなことやればいいんじゃないみたいなスタンスで賛成もらってっていう感じで。佐渡に絶対に戻るぞって思いを掲げつつ、いろいろやってたって感じでした。

ナカザワアヤミ:
その反応っていうのは、いずれ佐渡に戻るぞっていうことに対してのコメントですか。

岩﨑七海 :
そうですね、佐渡に戻るの?ってすごいびっくりされました。やっぱり最初は。

ナカザワアヤミ:
なるほど。そういう雰囲気なんですね。戻ってくる前提の人はそもそも、あんまりいない。

岩﨑七海 :
やっぱり島の外の方が魅力溢れてるんじゃないかなって考えている方が多いですし、実際住みやすさとか、利便性とかっていう話をするんだったら間違いなく島の外の方がいいですね。ただそれ以外の部分、自然だったりだとかっていう部分で自分の場合は惹かれて、戻りたいなって、その魅力あるところを生かしたいなっていうふうに思いました。

ナカザワアヤミ:
戻るっていうのは、1回大学に通うために佐渡を出なきゃいけないっていうことですよね。

岩﨑七海 :
それは必然的に決まっていることだったので、しょうがない、じゃないですけども、ここでしっかり学んでから戻るぞという感じ。大学4年間しっかり学び切ってから戻ろうって言うところを思ってました。

ナカザワアヤミ:
大学では何を学んでいるんですか。

岩﨑七海 :
メインとしては観光も学びつつ、今の自分の中での研究テーマっていうのが、ルーラル留学の経験が生きて、地域おこし協力隊のインターン制度が呼び起こす影響と効果を探求したいなっていうところです。

ナカザワアヤミ:
なるほど。大学を選ぶとか進学先を決めるときの基準としては、観光が大きかったんですか。

岩﨑七海 :
その通りです。やっぱり観光が主軸として自分の中にあって、なおかつ親の思いとかいろいろあってその国公立を選んで欲しいっていうことと、やっぱり親への負担かけたくないので国公立で観光が学べる大学をいろいろ調べていく中で2個に絞られました。今通ってる長野大学と、もう1個が国立の和歌山大学ってところ。
自分の中でどっちがいいんだろうなっていろいろ悩んで、悩みに悩んだ末に最終的にたどり着いたのは長野大でした。その理由はそのホームページとかいろいろ探っていく中で、和歌山大もすごい地域活性化はちゃんとやってるいるっていうのはわかってはいましたけれども、長野大学の方がそっちの方を重視しているっていうのを感じ取って、和歌山大自体はグローバル視点がちょっと強かったなっていうのを思って、そういう意味では長野大の方が地域に主軸を置いてるからいいなって感じで長野大にしようっていう感じになりましたね。

ナカザワアヤミ:
長野には国公立大学の信州大学と長野大学があるんですね。

岩﨑七海 :
県立大としては別に長野県立大がありますし。

ナカザワアヤミ:
当時の思いを持って今も勉強されているんです。

岩﨑七海 :
そうですね、もうずっとその思いを掲げて、なんだかんだ1年目終わりましたけども2年で入っていろいろ勉強してるって感じっすね。

ナカザワアヤミ:
入ってみて実際どうでしたか。

岩﨑七海 :
そうですね、最初の時期はちょっとギャップあったのですごい精神的にダメージが来たなっていうのがあって。1年目の最初から地域に飛び出せるかなと思ってわくわくしながら行ったんですけれども、実際現実そうではなかったという感じで。基礎単位ばっかり取らされたので、1年目だから必然的にそうなるのは仕方ないことではあったんですけれども、行動的にやりたかったっていうところがあって、進学したは良いものの、あれってなっちゃって。
何もできてない状態なんじゃないかなっていうので、ちょっと五月病というか、入学して2週間ぐらいのタイミングですごいあれっていう感じになっちゃって。

ナカザワアヤミ:
うんうん。

岩﨑七海 :
それでも佐渡に戻ったタイミングで、自分の進学したきっかけがこうだったじゃんっていうのを思い出したから何とか五月病を乗り越えて行きましたね。

ナカザワアヤミ:
そこからいろいろやり始めるんですかね。

岩﨑七海 :
サークルは5月のタイミングで全部確定したって感じですね。合格したタイミングでもバレー部に入ろうとは思ってましたけど、それ以外で何やろうかなっていうのはすごい考えてたんですけど、最終的にMATCHフェスを経験してMIZUMATCHに入ろうって感じなりましたね。

ナカザワアヤミ:
今のような日々を送るようになったのは大体いつぐらいからですか。

岩﨑七海 :
常にひまがない感じになってきたのは間違いなくMIZUMATCH始まってからで、10月ぐらいかな。自分の中で学んだものを絶対に生かさなきゃいけないっていうふうに思ったりして、今が割と超多忙なんですよ。それと比べたら全然まだまだって感じだったんすけど、それ10月ぐらいからスケジュールに隙間がない感じになっていったなって思いますね。

ナカザワアヤミ:
志を最初に抱いたのは高校1年生の5月、何年も経ってるんですけど、その中でもその辺の気持ちに対してブレとかはなかったんですか。

岩﨑七海 :
いや正直ぶれるところは多々ありました。なんだろう、自分が好きなこと、バレーもやりたいし、なんていうんでしょう、自分の気持ちの中で揺れ動く部分はやっぱりありました。だけど、やっていく中で結局、佐渡が好きなんだろうなっていう瞬間が多々あったりして。結局今の活動やってる原点っていうのもやっぱり、自分が将来佐渡で学んだことを形として出したいって思いがずっと心の奥底で潜んでて、まだまだやっていかなきゃなっていろいろやってるっていう感じになるのかなと思いますね。

ナカザワアヤミ:
佐渡の一番好きなところはなんですか。

岩﨑七海 :
一番好きなところっていうとすごい難しいんですけど、自分の中で一番好きなのは佐渡の空気感だなと思ってます。空気感って何かって言われると、すごい言語化するのは難しいんですけれど、なんだろう、佐渡にいるときの心地よさ、住んでいるときの心地よさだったりだとか、あとは触れる人たちのあたたかさだったりだとかっていうのは自分の中では一番魅力的な場所なんじゃないかなって思いますね。

ナカザワアヤミ:
空気感を作ってるのは自然環境とかですか。

岩﨑七海 :
自然環境もそうですし人も両方ともあるんじゃないかなって思いますね。

ナカザワアヤミ:
佐渡にいるときはどういうことを感じますか。

岩﨑七海 :
感情ですか、難しいな。感情としては、明るい気持ちにさせてくれるような島なんじゃないかなって。明るい気持ちになる島であり、自分の中で楽しいっていうことを思い起こせるような島になってるんじゃないかなって思いますね。

未来:見つけるために、今やってるって感じですね。

ナカザワアヤミ:
将来の話とか今後についてお聞きしていきたいんですけど、岩崎さんは今後、3年後5年後10年後、どんなご自分になってると思いますか。

岩﨑七海 :
何だろうな、今の経験から話すのはすごく難しいところではあると思うんですけど、こうありたいなっていうのは、たくさんの経験を重ねてそれを形作れるような人でありたいなっていうところは思ってますね。いろんな経験を積み重ねてきたからこそ、それを他人にギブできるような人にはなりたいです。
佐渡に対する想いっていうのはぶれずにやり続けて、たくさんの経験を積み重ねるような人生を送って、将来的には30ぐらいには島に戻ってすごいいろんな活動を熱心にやっていけたらなっていうのは思ってますね。

ナカザワアヤミ:
30歳、ちょうど10年ぐらいですね。10年間でやりたいこととか、ありますか。

岩﨑七海 :
まず一番は、自分がやっぱり地域おこし協力隊のインターン制度っていうところを研究しているので、地域おこし協力隊の経験は絶対にしたいなっていうのは思ってます。

ナカザワアヤミ:
なるほど。

岩﨑七海 :
実際にやって、自分が観光分野で経験していたことを形作れるような人になりたいなと。ただ、地域おこし協力隊に着任する前には絶対に社会経験を積んでおきたいっていうところで、どこかの企業で修行するような三、四年間を過ごしたいなっていうところは思ってますね。

ナカザワアヤミ:
うんうん。大学卒業したら就職予定なんですね。

岩﨑七海 :
1回就職しようかなっていうのは思ってます。その就職先自体は、分野いろいろあるんですけど、地方創生とか、あとは地域活性、観光っていう分野でいろいろやっているような企業さんがあればそこに勤めるでもいいですし、あとはもう最初から他の地域に飛び込んで他の地域の企業さん、観光協会だったりだとかで経験積むのもありだなって思ってますね。

ナカザワアヤミ:
卒業後すぐに戻るとか、佐渡の地域おこし協力隊になるわけではないんですね。

岩﨑七海 :
その通りです、わけではない。なぜかっていうと、最初はそのまますぐ戻ろうって思ってたんすよ、自分の中では。でも、島の外でその4年間の学びだけじゃ絶対足りないだろうっていうのを思ったんですよ。絶対にまず島の外でもうちょい経験した方がいいんじゃないかっていう結論にたどり着いたので、島の外での経験を積み重ねた上で、佐渡に戻ろうっていうところを思ってますね。

今の時代って広い視点で捉えなきゃいけないので、内部だけ見てても形づくるのは難しいので。広い視点を獲得するためにもやっぱり島の外での経験はたくさん積んでおかなきゃいけないなっていうところ思ってます。

ナカザワアヤミ:
なるほど。

岩﨑七海 :
佐渡の地域おこし協力隊でもいいかなとは思うんですけど、ただそれ以外の地域でやりたいなっていうのが自分の本望ですね。やっぱり他の地域で何かをしっかり経験、経験じゃないけど、しっかりやってからじゃないと意味ないなって。実績として残るようなことはやっぱりやっておかないとなって自分の中で思ってるんですよ。

ナカザワアヤミ:
佐渡で実績作るというより実績作って戻るイメージなんですね。

岩﨑七海 :
そうですね。
自分が何かのスペシャリストであった方がいいんじゃないかって、こないだゼミの担当の先生とお話していく中で言われて、その通りだなと思って。何かのスペシャリストっていうところだったら、地域おこし協力隊だったりだとか、自分の興味分野のなにかしらのスペシャリストになっておこうかなっていうのは思ってます。
今だったら間違いなく、地域おこし協力隊と、あとは地方創生、あとは観光っていうところになってくるかなとは思いますね。

ナカザワアヤミ:
今あげている中から絞っていくイメージですか。

岩﨑七海 :
難しいですね、今いろいろ考えてるところではあるんですけども、自分の中でやっぱり広い視点を持っていた方がいいかなと思うので、重点的に勉強しておこうかなとは思ってますね。それを重点的に勉強しておくことでやっぱり繋がるものは絶対あるかなとは思うのでちゃんとやっておこうかなと思ってます。

ナカザワアヤミ:
地域おこし協力隊って制度自体が最近よく使われるようになったものなので、学ぶとなると先行研究はあるんですか。

岩﨑七海 :
あんまりないイメージの方が大きいですね。論文とかいろいろ調べてはいますけど、正直あんまりないなっていうのは自分の個人的な印象ではあるので、新しい形でっていうところになってくるんじゃないかなとは思います。
ただなんだろう、やる意義っていうのが何かって言うと、先行事例を作るっていうのもそうなんですけれども、大事なのは、自分がこの論文を書き起こすことで他の、やってみたいなって思いがある地域に新しい風を吹かす、地域おこし協力隊インターン制度を活用してみようっていうところになってくればいいなっていうのは思ってます。

ナカザワアヤミ:
地域おこし協力隊インターン制度は、いろんな地域にとって意味があるっていうことですか。

岩﨑七海 :
自分の中ではあるって思ってます。やっぱり自分が経験する中で成長できましたし、それと同時に、なんだろうな、自分の個人の中でも世界観が変わったなっていうのを思いますし。地域で言うんだったら地域の困っているところが、なにかしらの形で解決できるようなものになるんじゃないかなとは思っているので、そういう部分で文字起こしはしておくべきだろうなっていうのは思ってます。

ナカザワアヤミ:
研究としては卒業まで卒業論文も含めてそういう感じで今のところ進めていく予定なんですか。

岩﨑七海 :
論文まで持っていけたらいいですね。
それで言うんだったらRural Laboのやっていることの繋がりもあるところで実際に地域おこし協力隊のインターン制度っていうのを活用してるので、一つの事例として挙げられる部分になってくるかなと思います。

ナカザワアヤミ:
今時点で、佐渡でこれをしたいとか、そういうものがあったりするんですか。

岩﨑七海 :
それが思い付いてればいいなとは思うんですけれども、正直まだまだ、いろいろ思っているところがある真っ最中で。何をしたらいいかっていうのもまだわかんない状態が続いているので。今やっぱり上田にいるからこそわからない風景っていうのもあったりするので、佐渡で何をやりたいのかっていうのはまだ具体的に決まってないなっていう感じです。
ただ、観光だったり地方創生の部分で何かやりたいなとは思ってますけど、言語化してこれやりたいみたいなのが、まだ思い付いていない状態ですね。

ナカザワアヤミ:
それを見つけるための行動としては、何か考えてることとかありますか

岩﨑七海 :
見つけるために、今やってるって感じですね。全ての行動っていうのは、自分で最終的に佐渡で何をやりたいか、アットホームな島にするために何をやりたいかっていうところに繋がるので、それが自分の中では楽しみであり、将来自分が行動している、なんていうんでしょう、原点って感じになっていますね。

ナカザワアヤミ:
楽しみっていうのは、どういうことをやるか楽しみみたいな意味ですか。

岩﨑七海 :
そういう感じですね。自分が将来やることに対してすごいわくわく思って今やってるので。今やってることも楽しみつつですけど、将来やることに対しても、期待感じゃないですけど、言語化するのは難しいんですけど、なんだろうな、わくわく感を持ちながら、自分の将来に期待を寄せながら、そういう感じで経験積めたらいいなって思ってます。

ナカザワアヤミ:
今、上田から見る佐渡と自分が住んでたときの佐渡で何か見え方が違うところってありますか。

岩﨑七海 :
中にいたときはそこまで、自分の中では島に魅力があるって感じてたんですけど、外出ていろんな人に話をすると、すごいね行ってみたいねっていう話をすごいされるんですよ。それを聞いてやっぱ佐渡に持ってるポテンシャルって想像以上のものがあるなって感じましたね。

ナカザワアヤミ:
なるほど。

岩﨑七海 :
だから、もっともっとできることがあるんだろうなって。そのポテンシャル秘めているからこそ、できることがまだまだあるんじゃないっていうのは思ってますね。

ナカザワアヤミ:
自分で気づいてなかった部分とかもあったんですか、そういう話を聞く中で。

岩﨑七海 :
自分が持っているものを話すとそういうふうに言ってくれるので、10人に話せば大体9人8人は、そんなすごい島なのっていう感じで言ってくれるんで。自分が住んでいるとき以上に、佐渡が持っているポテンシャルっていうのがすごい深いものがあるなっていうのは外に出て感じ取った瞬間ではありましたね。

ナカザワアヤミ:
ポテンシャルを感じるようになった。なるほどありがとうございます。そうですね。いろいろ聞いて気もしてうん、観光とか、地方創生とか、キーワードとしてはそのあたりが結構うんたんですが、
地方創生、結構そういった話題が多く出てきたんですけど、地方創生とか地域を、佐渡を盛り上げるというのは岩崎さんにとってどういうことですか。

岩﨑七海 :
佐渡を盛り上げるっていうのを言い換えるとするのであれば、まずは観光的な側面で言うんだったら、観光客が上昇の局面に向かっている中で、それを維持するっていうのがベストになってくるのかなって。で、地方創生だったりとかっていう佐渡を盛り上げるっていう分野で、具体化してあげるとするんだったら、Uターンの人たちが増えてきてくれる。
佐渡で育ってきてくれた人たちが、戻ってきてくれて、一緒に佐渡を、盛り上げるっていうよりかは何かもっと活気あふれるような島にできたらいいのかなって。若い者の力があふれるような島になったらいいんじゃないかなっていうのは思ってますね。

ナカザワアヤミ:
観光客って今増えてるんですね。

岩﨑七海 :
増えてますけど、減るところがすごいネックになってくるので、それが維持できるかどうかなんすよ、観光の分野で言うんだったら。観光客の中で魅力に触れて移住したいって思ってくれるような人たちがいてくれたらいいなとは思いますね。

ナカザワアヤミ:
なるほど。ありがとうございます。岩崎さん地方創生っていうのはどういうものですか。

岩﨑七海 :
なんだろうな自分の中での地方創生っていうのは、原点に戻るじゃないすけど、結局は佐渡のためを思ってやることっていうのが自分の中ではありますね。地方創生って、自分の住む地域を思ってやることなんじゃないかなって。

ナカザワアヤミ:
なるほど、何をやるかというよりは、思い。

岩﨑七海 :
思いの方が大事なんじゃないかなって。地方創生って一言で表すとすごい難しい分野だっていうのは自分の中でも思ってます。
で、いろんな人たちの中でいろんな定義があると思うんですよ。それが自分の中で落とし込めるとしたら、どっかしらの地域のためにやることなんじゃないかって。それが規模感としてはすごい広い人もいますよ。それこそやっぱり日本のためとか、県のためっていう感じでは広い人たちは絶対いると思うんすよ。
でも、結局はその思いがあるからこそやってることなんじゃないかっていうのは思っているので。だから、なんだろう、地方創生っていうのは地域への愛があってやることなんじゃないかっていうのは思います。

ナカザワアヤミ:
なるほど。ありがとうございます。いろいろお聞きできたんですけど、岩崎さんから言い残したこととか話し足りなかったことは何かありますか。

岩﨑七海 :
そうですね。自分が多忙化しているのが周りの人からしたら、すごい忙しそうだねっていうふうに思う人がやっぱりたくさんいるんですよ。体壊さないでねとかってよく言われるんですよ。
でも、結局楽しくてしょうがなくてやってるので、いろんな人たちに伝えたいことがあるとするんだったら、自分の中でわくわくするようなことだったり楽しいことっていうのは、絶対見つけておいた方がいいし、その見つけたことに対して熱中してやれたら一番いいんじゃないのかなって言うふうに思うので、自分の中でわくわくするようなことを何でもいいから見つけてほしいなっていう思いはあります。
多忙化してる要因って自分が将来のためを思ってとかっていうのもあるんですけど、自分が楽しくてしょうがないからやってるんですよ。なんで、楽しいことを一つ何か明何か者の形に見つけて欲しいなっていうのは思いますうん。

ナカザワアヤミ:
なるほど。岩崎さんにとっての楽しさは、先ほど言ってた明るい兆しがみえるといったことですか。

岩﨑七海 :
そうですね。明るい兆しを求めてるっていうのもそうですし、難しいですけど、自分が行動していく中で、見えてくるものがたくさんあるので、それ自体が全部成長に繋がって、成長できたなって感じる瞬間がやっぱり自分の中で楽しいって思う部分とかっていうのはありますね。
今の活動ってすごい言語化することがすごい難しいんですよ。このイベントやったから成功、やり切ったみたいな感じじゃないんすよ。その先があるからこその楽しさっていうのがすごいあるなと思います。

ナカザワアヤミ:
うん。ありがとうございます。成長っていうのは、どういうことができたときですか。

岩﨑七海 :
成長は、やっぱり自分ができていなかったことがようやくできるようになったときだったりだとか、やってみようって思ったことが形つくられてようやく出来上がったときとかっていうのはやっぱりやってよかったなって、成長したなってすごい楽しい瞬間になるなと思います。

ナカザワアヤミ:
ありがとうございます。

あとがき

無名人インタビュー×地域の原点となったRural Laboさんのインタビュー、ありがとうございました!

地域課題山積するふるさとを離れてはや10年が経ったナカザワです。
地方創生に関わる仕事をしながらも、一向に地元に貢献しない私。岩﨑さんに質問しながら、あれ、私もなんで今地元に関係ない地域のことばっかり考えているんだろう、と思いました。

「なんで別の地域にかかわるんですか」というのは私への質問でもあったようです。

岩﨑さんほどの志はないものの、なんとなく、「ちょっと○○町の地域活性化にかかわってたんですよ」的な看板をもっていつかは帰ろうかなとふんわり思っていた。
それはなぜだろうか。

スキルをつけて地元に貢献したい。それはもちろん大前提。
田舎はやっぱり看板大事。まあ事実それもある。

が、気づいちゃったんですよ。
一回外に出て戻る人(私)にとって、「自分の地元でなにかやろうとして失敗したとき」が怖すぎるんだ、と。
失敗した後の再挑戦が可能なのかもわからない。最後の砦としての愛するふるさとを失う可能性もある。私自身はもちろん、私の家族が変に気を使ったりする必要があるかもしれない。

地元に残ってるのはそれほど分かり合えなかったマイルドヤンキー的な人しかいないし、戻る気なんかない雰囲気で外に出てしまったから協力者があまり見込めないし、念入りに根回ししてから帰ろうと思ってる。
(もちろん、あくまでもナカザワの場合ですよ。岩﨑さんの話じゃないです。)

もちろん戻ってないから最悪の事態になるかはわからない。でも、そういうことを考えさせる地域性だから課題まみれになるのかもしれない。いろいろ理由つけて帰らない自分の小ささに、無力さに、なんだかうんざりしちゃいました。
私もがんばります。

【インタビュー・編集・あとがき:ナカザワ】

#無名人インタビュー #インタビュー #大学生 #ルーラルラボ #地域おこし協力隊 #地方創生   #地域活性

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