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第二の坂本龍馬になりたい人

キラキラしているとキラキラしていないの違いはなんだろうか。
私の名前はqbc。これは”quiet but curious”で、栗林の音kuribayashiからqbcなんですねってよくよく言われるけども、でも”quiet but curious”って意味もこめていて、「静かだが好奇心旺盛」って意味だ。
もうそのまんま、このqbcって名前をつけたときは、たぶん学生で、20か21そこらの、インターネット初めて触っていたときで、その時に小説を投稿するために作ったハンドルネームなのだった。25年も前になるのか四半世紀。小説書き始めたの12歳とかだから35年くらい前かもう。長い時間が経った。
とまれ。
”quiet but curious”と”kuribayashi”のダブルミーニングをつけるくらいには、私はおとなしかった学生の時に。別に社会なんかに出たくなかったし、私は私、ずっと本とか漫画とかゲーム、アニメ見てれば幸せな人間だった。あと小説を書いていれば。
うーん、まあいっか。もうどうでも。”quiet but curious”というのは、別に私、おとなしいけどでもそれと好奇心がないってこととは別だぜみたいなつけた、名前で。初めて自分に自分でつけた別名で。今は別に”quiet”じゃないし。でも”curious”は相変わらずだし。いや今も”quiet”か。いやでも、まあ、”quiet”である時間は減ったのかな。
わからん。わからんよ。まあ人生はいつもまったくわからん!!!!!
と思う2024年5月25日23時31分に書く無名人インタビュー775回目のまえがきでした!!!!!
【まえがき:qbc・栗林康弘(作家・無名人インタビュー主宰)】

今回ご参加いただいたのは 藤川健太 さんです!

年齢:20代後半
性別:男性
職業:会社員
instagram:https://www.instagram.com/kentadestagram/


現在:ふじけんってまじ滾ってるよねって、職場の人とか友達とか後輩とかからも言われますね。もうなんか、湧き上がるもので突き動いてる感みたいな。

まつ:
今は何をされてる方かお伺いしてもよろしいですか。

藤川健太:
そうですね、今は会社員という枠組みになって。あれですよね、仕事とプライベートみたいな感じで言ったらいい感じですよね。

まつ:
そうですね、まず仕事の方から教えていただけますか。

藤川健太:
仕事は今、組織人事をお手伝いするコンサルティングの会社にいまして。リクルートからスピンアウトした会社でして、企業の採用とか研修とか、人事制度とか理念浸透とか、働きがいを上げていくみたいなところをコンサルティングというか、お手伝いをさせていただくような仕事を今してます。
で、私はその中でも今、建設業界とか製造業の会社さんの働きがいを上げていったりとか、今「採用市場」もすごく厳しくなっているので、そういう「労働市場」からどうやって選ばれていくかっていう「ブランディング」なんかをお手伝いをするような仕事をしています。

まつ:
仕事の1日のスケジュールはどんな感じですか。

藤川健太:
そうですね、普通に平日の朝から晩まで働いてますっていうので、午前中はもうお客さんの打ち合わせをしてることが多いっすね。午前も午後も打ち合わせ or 社内でどうやったらお客さんの会社とか組織をもっと良くできるかっていうのを、色んなセクションとか部署に分かれてるので、採用のチームとか管理職育成のチームとか新人研修のチームとかに分かれてるので、理念浸透とか。なんかそういう色んな部署の人たちと内部の打ち合わせをして、こういうふうにもっとお客さんに持っていけたらいいよねとか、なんかそういうのをけっこう喧々諤々と議論してますね。
お客さんがやっぱ、組織が変わったであったり、離職が減ったとか、働きがいが上がったっていう状態にしたいっていう、みんな共通の目的で1日過ごしてますね。なんかほぼお客さんと打ち合わせとかしてますね、対面 or オンラインで。めっちゃざっくりしてるんですけど。

まつ:
建設業界とか製造業界とか担当されてるっておっしゃってたんですけど、社内で言う藤川さんの立ち位置としては、内部とお客様の間に立つみたいな部署?

藤川健太:
おっしゃる通りです。お客さんに実際に対峙する部隊ですね、私はお客さん先に行って、例えば建設会社だったら支店に行ったりとか、作業所へ行って実際に話を聞いたりとか。

まつ:
企業によって課題は異なってくると思うんですけど、例えばどういう相談をされたりするんですか。

藤川健太:
例えばですね、そうですね。やっぱ世代間の、もうたぶん世の中でめっちゃ言われてると思うんすけど。やっぱ若者世代と管理職の40代50代の人たちのやっぱこの考え方の違いとか。だから良かれと思って言ったことが相手からすると全然理解できないことだったりとか、当たり前の感覚が違うっていうところでボタンの掛け違いが起こってしまって離職に繋がってしまうってことがかなりよくあるので。
なので、価値観のすり合わせであったり、あとはお互いが歩み寄れるように第三者が入って、なんかこういう視点もあるんじゃないとか、見ている世界観が違うからこういうノイズというか勘違いが生まれてるみたいなのをほぐしていくみたいな役割とかもやったり。

まつ:
はいはい。

藤川健太:
あとは管理職の皆さんの研修とかで、そういう伝え方、昔は背中を見て育てでバシバシやってたと思うんすけど、今そういうの求められてないっすねみたいな。そういうのをここまで直接言わないですけど、ちょっと違うかもしんないっすねみたいな感じでやっていくって感じです、研修とか。すみません、めっちゃ抽象度高いんですけど。

まつ:
いえいえ、なんとなくイメージできました。

藤川健太:
もうけっこう泥臭いですね。けっこうコンサルっていうと、なんだろう、外部からなんかこうせいみたいな、なんか「案」だけ作るみたいなの多い印象を持たれたり嫌われてたりするんすよね、建設業界・製造業界の会社さんからだと。昔けっこうやっぱコンサルティングの会社が、外野からなんか指示だけ出すみたいな、いや俺らのことわかってないでしょみたいな感じだったんすけど。私達は割とベタベタというか、もうがっつり入っていって泥臭く色んな人の思いとか背景に思い巡らせてやっていくみたいな、そういうのでやってますね。

まつ:
お仕事をされていて、自分の中でいい事例としてやれたものとか、業務のこういうところが好きだなみたいなのってありますか。

藤川健太:
ありがとうございます。私自身前職の経験としても、「社会に出たり社会人になると、どんなに学生時代素敵だったり輝いてたり、めっちゃいいなって思った人たちもくじかれてしまうこと」ってけっこう多いなってのが、問題意識として持ってて。
学生時代教員免許とかも取ってたんですけど、教育系の仕事をずっとやってて。今年齢は28歳なんですけど、社会人4年目で転職をして今の会社なんですけど。ごめんなさい、前提長くなって。そういう思いが、やっぱその家族のこととか身の回りの人でもやっぱそういうことが多くて、今の会社に行きましたっていうのが背景としてあって。

まつ:
はい。

藤川健太:
もう少し具体的に
何にそのやりがいとかを意味を感じるみたいなところでいくと、勇気をくじかれてしまうっていうのが、なんて言うんすかね。「変えられるもの変えられないもの」でいくと、変えられないものとか理不尽とか環境によっていろいろ起きちゃうなっていうのがある中で、私が一番意味を感じたりとか、こうやりがいを感じたところでいくと、私今建設業界の会社さんを主にご支援をさせていただいてるんですけど、2024年問題っていうのってなんかちらっと聞いたことあります?

まつ:
ちらっとあります。

藤川健太:
ありがとうございます。あの運送業界とか建設業界で、要は残業超過したら国に罰せられますよっていう当たり前の話なんですけど。なんかそれが適用されるっていうので大騒ぎになってるんですけど。で、これが起きるからこそ、やっぱ建設会社さんって横の繋がりとかっていうのは談合とかが起きかねないからあんまり持てなかったんですよね、業界柄。それに対して、第三者的な感じで私が入っていって、実は私が仲良くなった会社さんとか色々とご縁があった会社さん同士を数社集めて業界のなんかコミュニティ的なやつを作ったんですね今年。去年からずっとやってて、今年遂に動き出して、先日キックオフもしてたんですけど。

まつ:
はいはい。

藤川健太:
なんかそういう痛みを分かち合えたりとか、この勇気を紡ぐみたいな関係性の輪を作ったときに、やっぱその組織で悩まれてる建設業界の会社さんの役員の方とかが、もう本当にこういうのありがたいですみたいな。なんか自分たちだけ困っててもう駄目かもとか、なんかこんなやっても仕方ないなって結構思ってた部分あるけど、皆さん実際そう思ってて、それでもなおやってる状況とか思いを聞いて、自分だけじゃないしもう少し自社も頑張ってみようと思いましたみたいな。そういう言葉やっぱ受けたときに、やっぱり意味というか、勇気を紡いでいく、なんかそういう関係性をやっぱ紡いでいきたいなっていうのは、非常に思いました。すいませんベラベラしゃべったんですけど。

まつ:
ありがとうございます。逆にこういうところが難しいなとか、今までこういう苦労をしたなっていうのはありますか。

藤川健太:
はいはいはい。人間って、合理的だけで判断できない生き物じゃないですか。なので、感情っていうところをいかに、しかも1人1人違うので絶対に、考え方感情は。なので感情に寄り添ったり感情を配慮して進めていくというか、目的に向けてやっていくみたいなところが非常に難しいなっていうのを、すごい抽象度高いんですけど、そこはもう日々、もう毎秒感じてますね仕事中。もう関係者全ての。

まつ:
立場的にも、色んな会社の人とも社内の人とも関わるしってなったらそうですよね。

藤川健太:
もうおっしゃる通り、その通りです。もう、そうなんですよ。困ってます、日々。でもすごいやりがいは感じますね、本当に。

まつ:
ここまで仕事のお話を聞いてきたんですけど、仕事以外のところで今好きなこととか、何か別で活動されてることなどあれば、お聞きしてもよろしいですか。

藤川健太:
わかりました。そうですね、私その趣味というか、自分のライフミッション的な、過去のところで少し触れられたらとかも思うんですけど、自分が本当にやっぱ心が沸く瞬間というか、やっぱりやりたいことってキャリア教育とか、そういう自分のあり方に誇れるっていったらなんかけっこう大げさなんすけど、自分も何かできそうやなとかって思う人が少しでも増えて、一歩踏み出せる世界線になっていったらいいなっていうのが、僕けっこう思ってて。
なんで僕、よく休みの日なんでそんなことすんのって周りの人に言われるんですけど、何かというと、趣味半分仕事みたいな感じで、「キャリア教育系」の活動とかけっこうやってるっていうのがあって。何をやってるのでいくと、そうですね、3本柱ぐらいあって。

まつ:
はいはい。

藤川健太:
1本目が、キャリアイベントに呼んでもらって登壇とか、ゲストとしてなんかこうロールモデルって言ったらおこがましいんですけど、こういう生き方とかキャリアの悩み方ってあるよねみたいなのを、けっこう関東、これは関東の高校生大学生とか、あとはメディア、YouTubeとか、なんかそういうので出させてもらって、よくイベントに行ってますね。高校とか大学とかのなんか授業の1個にゲストとして行くみたいな。そういうのやったりとかをしてますねっていうのが1個で。

もう1個が、僕東北で割とずっと活動していて。震災を経験した友人がいるんですけど、学生時代の。その子が社会人になるときに、何か東北に「恩送り」をしたいっていうので、高校生大学生とかを中心に、まあ中高大学生中心に、自分の置かれた環境でも頑張れたりとか、何かこう一歩踏み出していく、私も地方出身なんですごい気持ちわかるんですけど、一歩踏み出していくような、なんかこう勇気を持てるような繋がりを作ったりイベントにしたいねみたいな感じで、こういうキャリア教育イベントっていう、「コンパス」っていうのをやってるんですけど。これはもう5年間ぐらいやってて。実際に震災を経験した子とか、なんか普通に東北で育ってきたけど、宮城でいつもやってるんですけど、なんか宮城で育ってきたけど、なんかこう殻を破りたいとか何か一歩踏み出したいみたいな。1回15人ぐらいで、社会人は、例えばANAのパイロットの子が来たりとか、大学を中退してなんか世界3周ぐらい回ってる人が来たりとか。東京消防庁で1日3回ぐらい出動してもう本当に生死と間近でともにいる子が、家族を震災で亡くしてる子も結構いるので、来てる子に。そういう命の尊さとかそういうのを一緒に考えたりとか、今後の自分の人生何が大切なのっていうコンパスとか軸みたいなのを一緒に考えるみたいなワークをしたりとか、なんかそういうのをやってて。
そうですね、去年は結構メディアの人が撮りに来てくれたり、市長さんがなんか、全然そういうのになっていっても全然変わらないんすけど、活動は。なんかそういう応援の輪が広がっているみたいなのがめっちゃなんか嬉しいなと思って。なんかこういうのを東北だけじゃなくて、それこそ石川県の能登半島とか、そういう地震とか、やっぱその分断されたり関係性の線がやっぱなくなっているところとか、地方とかやっぱ結構多いので。そういうとことに展開していくようなことできたらいいなとかは若干思ったりしてるってのは、ごめんなさい、めっちゃ長くなったんですけど2つ目で。

まつ:
はい。

藤川健太:
3つ目が地方創生文脈で。私出身香川県で大学も徳島大学っていう、四国の人間なんですけど。香川とか徳島と一緒に、大学とか高校とか、あとは県庁とか四国の経産局とか、あと地元企業か、思いがある人材育成したいっていう企業とかと一緒に、なんかそのキャリア教育系のインターンを一緒に作ったりとか。まあ半分仕事なんですけど、なんかこういうのを今の会社でもやらせてもらったりとかっていう、全然自分のミッションではないんですけど手を挙げてやりたいなみたいな感じでやったりとかっていう、なんかそんな感じのことを普段はなんかわたわたとやってますね。

まつ:
仕事と、休みの日にやってるやりたいことが繋がってるんですね。

藤川健太:
そうなんですよね、なんでよく体調崩すんですよね。それが悩みです。

まつ:
これだけ活動されてたら、稼働時間が。

藤川健太:
いやいやいや。いや分かんないす、僕このインタビューのモデルがちょっと分かってないのであれなんですけど、まつさんもなんかこういう、普段もお仕事されつつこういうこともプラスでたぶんされてるんだろうなっていうところで。

まつ:
なるほど。興味があってやってるので全然っていう、その感覚でやられてる。

藤川健太:
そうですよね、まさしく。なんでちょっとは共感いただけるかなと思って、私もあの話してますね。

まつ:
ありがとうございます。

藤川健太:
いえいえいえ。もうなんやそれみたいな人も多いんで、なんでそんなことやってんのって言われることがやっぱ多いんで。なんかやりたいことだよなみたいな、なんかそういうもんじゃないですか、こういうのって。
いや、インタビューのなんか目的とか見てもなんかめちゃくちゃ素敵やなと思って、そうなんですよね、応募させていただいて。本当にたぶんきっと、仕事プライベートも忙しい中皆さんやられてはるんやろうなと思って。

まつ:
たしかに、インタビュアーも別で仕事がある人も多いかもしれないですね。

藤川健太:
すみません、お忙しい中。ありがとうございます。

まつ:
こちらこそありがとうございます。ちょっとまた質問変わるんですけど、他の人からどんな性格だねって言われることがありますか。

藤川健太:
どんな性格だねか、そうっすね。まあ滾ってるねっていうのは印象残ってます。

まつ:
おお、滾ってる。

藤川健太:
僕も1年前ぐらいに初めて知ったんですけど、「滾る」っていう漢字があるんですけど。僕藤川健太っていうんですけど「ふじけん」って言われるんすけど、ふじけんってまじ滾ってるよねって、職場の人とか友達とか後輩とかからも言われますね。もうなんか、湧き上がるもので突き動いてる感みたいな。だからオーバーワークするんすね、よく色々と。
とは言いつつ、なんかパッションとか熱量とか元気とかなんか太陽感あるけど、まつさん、こっからが重要で、実はふじけんってちゃんと陰の部分もあるよねっていう、月というか。それはたぶんあの過去の色んな経験があると思うんですけど。なんか人の痛みを分かろうとするスタンスとか姿勢とか、なんか寄り添ったりとか、なんかそういうところが、色んな人がなんか健太にいろんな相談をしたりとか色々やろうってなったときに、エンパワーメントというか力を貸してくれるんだろうなみたいなのは、けっこう言ってくれましたね。

まつ:
なるほど、ありがとうございます。

過去:なんか人ってやっぱ変われるなじゃないけど、人の可能性を見つけてやっぱ一歩踏み出させてあげる、踏み出すみたいなのってめちゃくちゃ大事だし尊いし、なかなかそれって普段できることじゃないし、なんかそういう存在に出会えて関われたっていうのはすごい僕にとってはでかくて。

まつ:
小さい頃はどんな子供だったなと思いますか。

藤川健太:
まじ僕子供の頃あんまりいい記憶あんまなくて、そうなんですよ。けっこう人の後ろに隠れたりとか、自分にけっこう自信がない少年でしたね。何かやりたいんやけど、なんか自分なんてみたいなのをめっちゃ思う人間でしたね。

まつ:
どういう場面でそういうふうに思ってたんですか。

藤川健太:
それはもうけっこう明確にあって、本当に自分能力がないというか、何もできへんなみたいなのをちっちゃい頃から割と思ってて。なぜかというと、まあそうっすね、家族とバレーボールっていうこの2軸があると思ってて。

まつ:
なるほど。

藤川健太:
家族でいくと、僕おかんおとん兄貴の4人家族なんですけど、兄貴めっちゃすごいなっていうのをずっと思ってて、その勉強と運動とか人柄とか。僕が落ちた中学に受かり、僕が落ちた高校に受かり、僕が落ちた大学に受かるみたいな兄貴だったんですけど。なんで、かっこええなみたいな。6つ離れてたんで、なんか普段喋ることがなかったんですね、学校かぶることもなかったんで。
僕は地元の荒れ果てた中学校に行くことになるんですけど、『クローズ』とか、『東京リベンジャーズ』みたいな中学校に行くことになってしまったんですけど。すいません、余談で。そんな学校に行くわけなんですけど。

まつ:
はいはい。

藤川健太:
バレーボールでいくと、僕けっこうこれでかいなと思うのが、僕小中高大と15年間学生時代バレーボールやってたんですよ。とはいえ僕、小2からバレー始めた割に、中2の終わりぐらいまでもうバレー楽しいと思ったことほとんどなくて。もう毎秒やめたいと思ってたんすよ。これなぜかというと、もう壊滅的な、もうたぶん向いてないっていうか下手というか、なんか自信がなくて。なんか試合になったらいつも狙われるし、なんか卑屈な自分1人ぼっちになるしみたいな。で、チームメイトから、またお前のせいで負けたみたいな、また健太のせいで負けたみたいな。自分が悪口言われたりとか、親も僕のせいで悪口言われてみたいな、なんかご飯会とか呼んでくんないとか、なんかそういうのがあったりとか。
自分のせいで大切な人も傷つくというか、虐げられるというか村八分みたいな。これはちょっとあんまり記事によろしくない言葉かもしれないんすけど、本当に「世の中終わってんな」じゃないけど。ほんまこの田舎って、本当「世も末やな」みたいな、「ほんましょうもないな」って思ったんすけど、ちっちゃいながら。でも小さいときとかって、もうその世界線が全てじゃないですか、この世の全てじゃないですか。絶望の淵に立ってたんですよね、リベンジャーズ中学校で。

まつ:
はいはい。

藤川健太:
ほんでしかもですね、僕落ちたって話したと思うんですけど、その勉強まじできなくて。どれぐらいできなかったかというと、正負の数がマイナスとマイナスでプラスになるみたいな関係とか、あとは「I am」, 「I are」,「I is」のなんで「I am」になんのみたいな。その意味で、は?みたいな、「I is」でしょみたいな。変な感じになって全然できないみたいな。
もう俺は何しても駄目だと思って。僕は手を挙げたことがなくて、学生時代。なんかこれやりたいですみたいな。なんかいつも人の後ろに隠れてみたいな。っていうのがけっこう過去自分の、あったっていう。

そんなバレーの状況の中、僕が中学校のときに兄貴が就職で帰ってくるときに、なんか新卒で入った会社があんまり馬が合わないじゃないすけど。なんか人間関係とか色々環境、なんか変な人ってどこの会社でもいるじゃないすか。なんか親戚中からは、なんかちょっとあんまり言い過ぎたら角が立ちそうなんでちょっと言葉を選ぶと、なんか四国で言うとここ行っときゃめっちゃええやんみたいに、親戚中に言われるみたいなところに行ったんですよ。それで1年目で色々あって、その体に支障をきたしたりとか心にきてみたいなところがあって、やめちゃってみたいなのがあったときに、本当に働くとか社会に出るって本当に大変だなみたいな。すごいきついしなんか理不尽だし、こんな素敵でかっこいい大好きな兄でもこんなことになる。こんなことというか、なんか、こういう目に遭うっていう。もうなんかもう仕事とか働くとか世の中ってもう本当に嫌だなっていうのを僕は絶望、なお思うっていうのが、ごめんなさい僕がそう思ってた感じっすね、まじで。大人には絶対なりたくねえっていうのを思ってましたね、そのとき。

まつ:
じゃあその時点では、現状にも絶望してるし未来にも絶望してるしっていう。

藤川健太:
そうですそうです。おとんおかん別に大学も行ってないし、兄貴が大学行って、なんかええなあって言われる大学に行った割にはこうなるんやみたいな。もう絶望でしかなかったです。僕正負の数分かんないしみたいな(笑)

まつ:
なるほど。ちょっと話が戻るんですけど、バレーボールが中2ぐらいまで全然楽しくなかったっておっしゃってたじゃないですか。

藤川健太:
はいはいはい。

まつ:
中3以降に何か気持ちが変わるきっかけみたいなのがあったんですか。

藤川健太:
いやもうありがとうございます。さすがのポイントを掴んでいただいてありがとうございます。もうこのままだったらなんかただただ世も末だって言って、ただただ下向いている人になるんで。ちょっとここでですね、実はそうなんですよ、なぜ僕が今その組織人事系にいるとか、教育にいるかとかに繋がる出来事が、そうなんすよ、転機がありまして。

まつ:
はい。

藤川健太:
あの何かというとですね、僕中3のときに出会った顧問の先生、2ヶ月間の関わりやったんすけど、やっぱこの先生のおかげでけっこう人生が変わったというか。自分も本当にこんな風になりたいなっていうのを、やっぱ就職するときとか、今でもけっこう思ったりとかすることがあって。前提、僕本当に高校も行きたくないし、なんならもうバレーなんて続けるとこって思ってたんですよ、高校いったとしても絶対。
それがですね、あのめっちゃ具体的な描写になるんすけど、なんか要は声のでかさ以外で初めて褒めてもらったっていうエピソードなんすけど。何かというと、レシーブ練習というか、バレーの練習してるときに、「お前のそのフォーム、チームで一番ええぞ」みたいな、もっとこうしたらできるよみたいな、なんかふとしたアドバイスをいただいたときに、あれ?みたいな。俺声のでかさ以外で褒められたこと人生で初めてかもしれへんと思って。で、僕それやってみたらめっちゃできるんすよ。めちゃくちゃなんかレシーブ、自分全然できへん下手や、チームの穴やって言われてたのに、僕めっちゃ取れるようになってきて。で、僕身長ちっちゃかったんすよ、その当時。なんか、「もうちっちゃかったらお前レシーブしとけみたいな、後ろおってやっとれ」みたいなこと言われていて、当時は。なんかお前飛んでみって言われたら、なんか筋肉の付き方いいからちょっと1回やってみって言われたら、なんか僕むっちゃ飛べて。バスケットリングつかめるぐらい飛べたんすよ。で、お前打ってみって言われたら僕めっちゃ打てたんすよ、スパイク。ええ?みたいな。お前むっちゃいいやんみたいになって、そっからもバレーむちゃくちゃ楽しくなって、2ヶ月間でめっちゃバレー好きになるっていうのがここであるんですけど。

まつ:はいはい。

藤川健太:
ほんで、え待ってみたいな、俺バレー続けたいぞって思ったのと、なんかもうめっちゃありきたりであれなんすけど、やっぱその1個何かできたらなんか次頑張ろうって思えるもんじゃないすか、人間って。ほんで、勉強もなんかやってみますかみたいな感じになったら、僕なんかもう死ぬほど勉強して、十何時間とか。クローズ中学校みたいなところから一生懸命やって、何とかその公立高校というか、バレーができて、しかもなんか大学受験も何とか頑張れるかみたいな、なんかそういう高校に行けることになるんすけど。僕は百何十番ぐらい順位を上げて。中3で中1の内容全部復習する人間みたいな感じやったんすけど。なんかそっから、高校で学級委員やってみたりとか、高校でバレー部のキャプテンをしたり、大学でも14年ぶりにリーグ優勝なんかできたりとか。

「人ってやっぱ変われるな」じゃないけど、「人の可能性を見つけて一歩踏み出させてあげる、踏み出す」みたいなのってめちゃくちゃ大事だし尊いし、なかなかそれって普段できることじゃないし、なんかそういう存在に出会えて関われたっていうのはすごい僕にとってはでかくて。僕たぶんそれなかったら、もう僕絶対今頃もうなんか、やる気なく日々を過ごしてましたね。いやそれが悪いとかじゃないんですけど、、、すごい感謝してますし、そういう人間になりたいと今思ってます。

まつ:
ありがとうございます。
高校生活はどんな感じで過ごされてました?印象的な出来事とかありますか。

藤川健太:
そうですね、高校はもうとにかくずっとバレーしてましたね。そうですね、高校からバレーがなんかぐんぐんできるようになっていく感じで、キャプテンを初めてさせてもらって。チームの分裂とか、組織って束ねるとか、なんかパッションだけじゃ駄目なんだなとか、自分の意見を、相手に伝えるだけじゃ駄目で相手の受け手を考えないといけないなとか、そういうのをやっぱ組織の分裂とかからいっぱい学びましたね。ぐらいですかね、高校時代は。

まつ:
キャプテンやったことによって、組織や人との関わり方に興味を持って。

藤川健太:
おっしゃる通りです。

まつ:
大学が教育系の専攻だったっておっしゃってたんですけど、そこを選ぶきっかけみたいなのってあったんですか。

藤川健太:
体育会でバレーを続けたいっていうので大学。で四国の中でっていうのと、あとまあ僕教育系なんて絶対行かないって思ってたんすよ。「僕みたいな高校生」なんか面倒くさいし、何考えてるか分かんないし、学生とかってなんか怖いし、、、最近パワハラとか色んなこと言われるし。絶対なんねえって思ってたんですよ僕。絶対嫌だみたいな、教育関係だけはと思ったんですけど、なんか先生のすすめとか、親がまあまあ英語やっとったらいいんじゃないみたいな感じで。英語の教員に何となく、なんか取りに行くみたいなしょうもない、しょうもない大学生だったんですけど。教員、英語の高校の教員免許とってましたね。

まつ:
英語は得意というか、教科の中では好きだったとか?

藤川健太:
全然得意でも好きでも何でもなかったんですけど。高校時代に行ったホームステイ先で、僕イエスとノーとセンキューぐらいしか2週間で、僕イギリス2週間ぐらい行ったんですけど、なんか全然できなくって。で、もう二度とやりたくないなと思いながらも、ちょっと英語やっといた方がいいかと思って行ったって感じっすね。

でも大学では、色んなことがいろいろ紆余曲折あって、やっぱ自分の殻を破らないととか、自分変わらないとって思って、大学3年のときにアメリカに行って。そのとき短期やったんすけど、100人以上となんかセルフィー撮ったら自分の殻破れるんじゃねとか思って、169人とセルフィー撮るチャレンジを1人でやったり。
あとは、フィリピンへ教育のボランティアとか行ったときに、貧困層からリーダーを作るとか。「痛み」がわかる、要はいろんな立場の「リアル」が分かる人からリーダーを育成しようみたいなボランティア団体で行ったんですけど。教育の、リーダー育成みたいな。そこで出会った子供たちっていうのと対話してる中で、教育って改めて大事やなみたいなのをすごい思って。
それで僕教員免許やっぱ取った方がいいんかなと思って、TOEIC200点か300点ぐらいだったのが、最後810点ぐらいまで上がるっていう。やっぱ人間ってやればできるっていう。

まつ:
はいはい。

藤川健太:
あとはオーストラリアで先生させてもらったりとか。

まつ:
それは大学のときですか。

藤川健太:
大学のときですね。ゼミの先生がオーストラリア人で、なんか「健太エナジェティックだから行く?」みたいな感じで、「あー行きまーす」みたいな感じで、僕オーストラリアでバレーのコーチと日本語教師を英語でやるみたいな。なんか向こうの国、もうちょっといいすかこれ、このエピソード。

まつ:
どうぞどうぞ。

藤川健太:
向こうの国ってやっぱ、そう僕がファーストキャリア教育とか選んだのに繋がるんすけど。オーストラリアへ行って、マルチカルチャーというか、文化がすごい多様性が飛んでて、色んな人種。あとは状況で、アフガニスタンから紛争で逃げてきてたりとか、向こうで差別をされているアボリジナルって人たちがいたりとか。なんかそういうのがあったときに、すっげえ荒れてる学校に、私先生で行ったんすけど、校内暴力とか、僕の授業1ミリも聞かないんですけど、色々あるんですけど。でもお互いのアイデンティティとかバックグラウンドは絶対にディスらないっていうのがあって、彼らの中で。なぜかというと、やっぱ違うってことが当たり前だからみたいなのがあって、やっぱすごい素敵だし尊いなと思うんですよ。

日本ってやっぱね、まつさんももしかしたら感じる部分が多分に、こういうお仕事されてたらあると思うんすけど。人と違うレールというか、人と違うことをしたときにけっこうなんだろう、浮いちゃうというか。なん反応するみんなが、無意識に叩いちゃったりとか。そういうのってたぶん、なんだろう、人と違うことをやってたりすると、悪意なくそういうのをやられたこと絶対あると思ってて。僕はちっちゃい頃からそういうのはけっこう多かったんで。大学時代に、プレゼンコンテストに出るとか、海外行くとか、なんかごっついなみたいな。関東に就職するとかすごいな、みたいな。
そういうのってほんまに、しょうもないなと思って。可能性を広げたりとか、在り方に誇れる人みたいなのが増えたらめっちゃいいなっていうのを、そこでけっこう強く思いましたね、彼らと触れ合って。僕アンジェラ・アキさんの「手紙」っていう曲を最後の授業で僕やったんですけど、オーストラリアで。あの曲流しながら、これの背景に込められた思いとかそういうのを伝えて、君らは僕の授業を聞かないどうしようもない奴らではありましたが、でもお互いのことをリスペクトし合ってる本当に素敵な人間だと思いまっせみたいな話をして。私は日本でこういうのをやっぱ伝えていきたいし、やっぱり日本をそういう国にしていきますみたいなのを言って、僕は帰るっていう。今でもけっこう当時の中高生が、日本へ来たらけっこう会ってますね。

まつ:
関係が続いてるんですね。

藤川健太:
そうなんですよね。

まつ:
それがきっかけで教育系のところに就職して。

藤川健太:
そうなんですよ。民間の教育で、なんかひとりひとりに向き合って、やりたいこととか志を見つけられたらいいんかなと思ってそっちに行きました。

まつ:
そこではどういう仕事をされてたんですか。

藤川健太:
塾みたいなところでしたね。そこの校舎責任者をやったりとか。あとは採用とかに携わったりしてましたね。なんか大人向けにも色々やってた会社なんで、そこで採用チームの採用をやったりとか。

まつ:
その教育のお仕事をしてるところから、今の会社に行く経緯をお聞きしてもいいですか。

藤川健太:
僕2つあって。
1つ目が、僕その仕事めっちゃしすぎてよく体壊すって話してたと思うんすけど、まじで体を壊すんで、僕なんかもう仕事、その校舎責任者に3年目でなったときに、なんかプレッシャーとか色々感じすぎちゃって、僕1回目が見えなくなりかけるっていう事件が起きて。ばい菌とストレスと過労となんか色んなもので、1回僕救急車に乗りまして。3日間、目の前が真っ暗になるみたいな時期があって。身寄りもいないし、関東に。これはまずいということで救急車乗って、『乗り心地がけっこう悪めなんやな救急車って』いうのは僕の感想だったんすけど。
ごめんなさい真面目に言うと、人生で初めて自分ってなんか、本当にこのよく言うじゃないすか、「死にかけたときに回想する」じゃないすけど、「やり残したことなんだろう」的なやつを、僕は若干25,6歳ぐらいであったんすけど。救急車乗って、目が見えなくなって自由にできなかったとしたら何をしたかったんだ僕はみたいな思ったときに。「もっと本当に僕の人生の志というか、大事にしてることがここ6,7年あるんですけど、言葉が。僕なりたい自分が、縁ある人の人生の転換点になる、っていうのが僕の志であって。こう思ったときに、誰を救いたいというか、誰のために働きたいとか、何をしたいんだろうと思ったときに、恩義がある人へ恩送りしたいなぁ、と。ちゃんと幸せにできる力をつけたいなというのを思ったっていうのがありまして。そのときに思い浮かんだのが、さっき話してた、あのここで伏線を回収するんですけど、兄貴のエピソードがやっぱ僕浮かんできて。そういう組織とか人との関係性で病んでしまったり心をくじかれてしまう人のなんか救いというか、勇気になるような存在になりたいなと思って。
それなんか色々あるじゃないですか。ファイナンシャルプランナーとか、こういう言語化とか、過去の価値感や未来の思いを紡いであげるっていう、まつさんがされてるような、色んな方法がある中で。僕は1個、健太と話したらなんか元気出たわみたいな、そういうなんか気合根性パッションじゃなくて、再現性と実効性を付けられる、そういう組織人事系の力をつけられたらいいなっていうのは思ったってのが1個目ですね。

まつ:
はいはい。

藤川健太:
2個目は、その僕自身やっぱけっこう、自分が熱量を持った「本気」というか、けっこう変わってると自分のことをちょっと思ってるので、そんな自分でも自分らしく在れるというか、いいねって言われる、なんか本気を笑わないみたいな感じの会社がいいなと思って。今の会社にいったって感じっすね。超ざっくり言うと。すいません、1個目の方めっちゃ話したんすけど。

まつ:
ありがとうございます。

未来:僕と縁ある人が、自分の在り方に誇れるようになってほしいってのが一個あって。1人でも多くの人が自分自信も認めてあげて、関わる人とか大切な人を応援できたりするような関係性とか世界線になっていったらいいなっていうのはけっこう思いますね。

まつ:
直近でも、5年後10年後でも、死ぬときまで想像していただいても大丈夫なんですけど、こういうことをしてみたいなとか、こういう人でありたいなとか未来に対するイメージっていうのは何かありますか。

藤川健太:
あります。めっちゃ抽象高く、なんかアホみたいな表現なんすけど、僕やっぱ第二の坂本龍馬になりたいみたいなのをけっこう思ってて。めっちゃ一言で言うと。あの分かりやすそうで全然わからんっていう感じだと思うんすけど、何かというとこれ、僕歴史上の偉人で坂本龍馬が一番好きなんすよね。けっこう厳しい家庭環境というか、なんか差別を受けていたりとか、脱藩をして志を遂げるために単身で上京し、みたいな。なんかそういうところ、負けん気じゃないけど、世の中に訴えかけるみたいなところが、そういう一つの大義を持って、多くの利害関係者とか目的に向けて、敵対してた薩長を繋げたりとか、政権を繋げたりとか。
そういう未来とか大義に向けて、本当に尊い思いとか志に向けて、色んな人の間に立って物事を進めていったり、より良い未来を一緒に作っていこうぜっていう、手を組んでいく、みんなで。なんかその世界線を、僕は地方でやっぱやっていきたいなっていうのがあって。第二の、地方の坂本龍馬的な感じっすね。
やっぱ勇気をくじかれてしまう機会が多いので、思いを持ってても、地方って。いつかは、四国とかにも恩送りしたいし、そういう地方とかで苦しんだりとか、思いが途絶えそうになってる人達の勇気になりたいなっていうのはありますね、そういう文脈で。

まつ:地方になると、なぜ勇気をくじかれてしまう人が多くなると思いますか。

藤川健太:
2つぐらいあると思ってて。1個目が、まず文化というか、慣習的に閉鎖的みたいなところがあるのかなと思ってますと。2つ目が、けっこう1個目と通ずるんすけど、外部とか外と触れ合ったり知る機会がないから、「当たり前でしょ」とか「常識でしょ」とか、理解不能みたいなのを排除してしまうんで、人間って無意識に。そういうのが蔓延ってるんじゃないのかなって思うんで、僕は色んな機会とか、そういうのを溢れさせたいなって思いますね、若者世代とかに。で、そういうのを知った上で選択をできるような世界線にしたいっすね、地方とかを。地方に機会を届ける坂本龍馬っすね。めっちゃ龍馬好きやんみたいになるんですけど、そんな感じかな。ちょっと全体的に抽象度が高くて申し訳ないです。

まつ:
今やってるお仕事とか、お仕事外の活動の方で、直近でやってみたいこととか、たどり着きたい目標などはありますか。

藤川健太:
そうっすね。今まさしく、そうですね、四国のさっきちらっと言ってたプロジェクトとかはあったりしてるので。四国の学生とか若者とけっこう一緒にやってることが多いので、5年後とかに、そういう四国の、一緒に良くしていこうとか未来を作っていくような若者たちと、何か少しでも前に進めたいよねっていう、きっかけになったよねっていうのを何か生み出せたらいいなと思ってて。
もうちょっとだけ具体的に言うと、今来年の大阪関西万博に向けて動いています。万博ってけっこう一つの点とかイベントで終わっちゃうんですけど、そうじゃなくて、このイベント万博っていう一つの「きっかけ」=「機会として」若者が世の中とか日本とか世界とかSDGsに対して課題意識を持って、何かプロジェクトみたいな団体を学生が立ち上げる、みたいなのを支援してて。それの四国バージョンを、あの僕も今携わっています。要は今年立ち上げて来年実際にあって、それが3年後4年後とかまで紡いでいけたらなんかめっちゃ素敵な世界線だなっていうのは、思いますね。

まつ:
さっき「縁ある人の人生の転換点になる」っておっしゃってたんですけど、自分の縁ある人には、どうなって欲しいなとか、どういう人生を歩んで欲しいなとか、そういう思いは何かありますか。

藤川健太:
なるほどなるほど。どういう状態になってほしいか。僕、在り方に誇れるようになってほしいっていうのが、めっちゃごめんなさいふわっとしてるんすけど。
僕と縁ある人が、自分の在り方に誇れるようになってほしいってのが一個あって。それなんでかというと、自分の在り方に誇れるようになると、自分の存在というか、自分も自己肯定感、自己有用感的を持てて。相手に対してもリスペクトとか、想いを応援できたりとかそういう、感覚になるなって僕は思ってて。
逆に自分の在り方を認めてあげないと、やっぱ人に優しくとか応援するとかって絶対無理で、無意識で攻撃しちゃったりするんで。1人でも多くの人が自分も認めてあげて、関わる人とか大切な人を応援できたりするような関係性とか世界線になっていったらいいなっていうのはけっこう思いますね。

まつ:
それを自分の身の回りのところから広げていくイメージというか。

藤川健太:
本当におっしゃる通りです。それが一つのきっかけとして、人生の転換点っていう、健太との関わりとかでそういうのが生まれたわとか、そうなっていったら嬉しいなって感じっすね。

まつ:
ありがとうございます。
最後になるんですけど、話し足りないことがあればお聞きしたいのと、もしなければインタビューの感想や読者の方へのメッセージなど一言お願いします。

藤川健太:
そうっすね、言い足りたいことっていうのは特にないですっていうのと、ありがとうございます。ラストメッセージか、なんかけっこう今、何て言うんすかね、ちょびっとだけ考えてもいいですか。

まつ:
もちろんです。

藤川健太:
僕趣味のところで、コーチングとかも学んで人にけっこうやってることもあって。
僕やっぱ全ての人って「強み」とか「可能性」とかあると思ってて。それを活かしてやってほしいなっていうのを、、学生とか若手の皆さん向けのキャリアイベントでもけっこう僕伝えるんですけど。
僕が最後お伝えしたいこととしては、「人って絶対に可能性がある、自分で気づいてないだけ」ということですね。もしそういうのをもっと知りたいとかあれば、一声私に声かけていただけたら、いつでもそういうのをお話ししますよっていうのをお伝えしたくて。
で、聞くまでもねえなっていう感じで、まず自分でやりたいんだったら、僕おすすめの方法が1個あって。人の強みって何かというと、これも毎回のイベントで言うんすけど、あと研修とかで。自分が「無意識的に自然とやってしまうことって何だろう」っていうのを、色んな質問とか色々あるんすけど、それをちょっと考えてみると分かることがあります。無意識に自然とやってしまうことって人生の中で変わらないので。それをやっぱり活かせるような仕事とか生き方とか、キャリアっていうのを歩んでいくと、すごく活躍できるし楽しくなるし、やりがいも感じるようになるので。そういうの気になるなとか思ったら、またいつでも声かけてくださいっていう。僕も、今後「縁ある人の人生の転換点」になれたらなと思ってます。

*上記内容のイベントでお話している映像です:

 よろしければご覧ください!

まつ:
ありがとうございます。

あとがき

自分の個性のなさに苦しむことがある。というより、分かりやすく個性を表現するのが下手なのだ。どれだけ尖っていても、それが周りから理解されていれば「キャラ」として認められている感じがする。個性的とされてる人って、自分の説明がうまい人ではないだろうか。そんな風にうがった見方をしてしまうこともある。
個性的であることを求められる場があると思えば、自分を表現すると「嘲笑」がついてくることもある。笑われずに個性を貫くには、やはり説明のうまさが必要になってくる気がする。ただ自分らしくあることが個性ではないのか、という思いを抱えつつも、周りへの配慮があって初めて「自己表現」が成り立つというのも理解できる。
周りの声なんて気にするなは正論だけど、流れ込んでくるものを見ぬふりなんてできない。雨が降っているみたいなものだ。雨の中進み続けることはできるけれど、煩わしいししんどいのも事実だろう。雨がいつ止むかも、そもそも止むのかどうかも分からないのに、その雨の中でどうにか生きていかなければならない。
正直私は自分を守るのに精一杯だ。本当は「雨なんて気にしてませんよ」という顔で、颯爽と歩きたいのに。だけど、自分を笑わない人と出会えたときは一瞬だけ雨を忘れられる。インタビュー中、そんな時間が何度もあった。自分も、相手に傘を傾けながら話を聞ける人でありたいなと思う。

【インタビュー・編集・あとがき:安東】

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