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短歌と人インタビュー 安野ゆり子-004 2023/09/21

一人の人と何かを連続でインタビューして変化を追う企画「《何か》と人」。
歌人、Youtuberの安野ゆり子さんシリーズの第4回です。
前回はこちら。

人物インタビューではなく短歌インタビューになってきました。
短歌を手掛かりに人を知るというルートですねえ。


冒頭

——前回のインタビューから、変化はありましたか。

いやもう波乱万丈、全部喋ったら大変なことになるぐらいいろいろあったんですけど。
その中で一番大きかったのが、障害年金が不支給になっちゃったんです。
障害年金出たら離婚の話を進めて、引っ越してって思ってたんですけど、ちょっとプランを変更しなくてはならないということで。
ただ、障害年金って不支給になっても、不服申し立てみたいなのができるんですね。
それを社労士さんに頼んで申請をしようかなって思ってますね。それが3ヶ月以内にいろいろ手続きしなきゃいけないらしくて、忙しくなりそうです。

——プランは、どういうふうに変更になるんですか。

一つは、夫に聞いてみて、離婚するってことであれば、生活保護で。生活保護だと、生活保護費とは別に引っ越し代も出るんですね。それで引っ越して、障害年金のことをまたやりつつ。

夫がまだ離婚したくないっていうのであれば、今、11月期限の定期借家の家に住んでいるので、多分私が1人で住むっていうことを想定した次の家を探して、引っ越し費用は夫に出してもらって、籍は入ってるけど、たまに会うだけみたいな生活がまた続くのかな、みたいな。

それは今度、夫が何日か後に来るので、そのときにちょっと喋ってみて決めようかなっていう感じですね。

びっくりはしたんですけれども、すごい落ち込むとかはなくて、不服申立ての期限が短いのもあるので、動かなきゃみたいな。やることがどんどん出てきたので、あんまりメンタルには影響なくて。
これは私にとっての試練っていうよりは、今までのらりくらりと私と向き合うことを避けてきたりとか、トラブルに乗じて離婚できてないっていう状態にしてる夫に対して、「さあ障害年金の通知来ましたけど、どういう選択しますか」っていう局面かなって思ってて。

どっちを選んでも、私はちゃんとどっちの道でもやるべきことはもう決まってるので、そんなに困ってないかなって感じです。

——その他には何があったんでしょうか。

バイトを始めまして。スナックで週1回バイトすることになったんですね。
これも結構大きいことでしたね。先週面接して、今週1回出勤したんですけれども、問題なくできたかなって。そんなにお客さん来なかったというのもあるんですけど、でもすごい久しぶりの労働だったし。労働、すごい苦手意識強かったんですけど。
とりあえず続けられそうな感じがあったので、これは大きいですね。

あと、仕事の話だと、まだあんまり告知が出てないんですけど、自主制作映画に衣装提供と着付けをしたんですね。
着物方面でも、仕事をもらってお金もらったりとかってこともこの2週間であったりして。
今まで仕事とかお金とか無縁な生活を送ってきたんですけど、いきなりそういうことが動き出したって感じの2週間でしたね。

——気持ちの面ではどうでしたか。

メンタルはずっと結構大丈夫。
あとスガシカオのライブに行ったりとかして、テンションはずっと高めって感じで。
体の方は、睡眠はちょっと足りない感じはあるんですけど、昼間は動けるし、夜スナックで働いたりとか、あと夜遊びでイベントにちょっと行ったりして、お酒飲んだり寝る時間が遅かったりしてニキビとかはできてるけど、今までの体調不良とは違う、そういう感じです。結構元気ですね。

閉鎖病棟の歌

——これは、どんな歌ですか。

閉鎖病棟に入院していたときに作った歌ですね。
初めて入院したときと2回目に入院したときの歌が混ざっています。

——どんな気持ちで作られた歌なんですかね。

別に気持ちが強くでた歌ではなくて、この歌は「心の花」という雑誌で賞をもらってるんですけど、選者の人からも「客観的」とコメントをいただいていて、実際あんまり気持ちを前面に出したものじゃなくて、見えた風景のをそのまま書いてるって感じなんです。
すごい病院が嫌だとか、世間から離れて嬉しいとか、そういうの全然ない。
見たものを残してるわけですね。

医療保護入院といって、半分強制みたいな入院だったんですけど、ただ夫が、二、三日に1回洗濯物を持ってきてくれたり、手紙を書いてきてくれたりして、私も手紙書いたりとか、そんなことが楽しかったですね。
うちから2時間ぐらいかかる病院に入院したんですけど、すごい足しげく通ってくれて、面会OKになってからは、近くのお菓子屋さんで買ったお菓子を持ってきてくれたりとか。
私も外出OKになると、餅つき大会があるから一緒に行こうみたいな。あとクリスマスだったらサンタの衣装で来てくれたりとか。
そういう面白いことをする人なんですけど、夫とのやり取りは、飽きずに楽しくやってましたね。

でも、1回入院すると3ヶ月くらいと長いんで、基本的には退屈で。
入院してるから自分の体調が良くなるとかそういうのは全くなかったんで、だから医療保護入院は嫌だったなっていうのが基本的な入院の思い出ですね。

——どうして保護入院になったんですか。

一番最初は、多分家で夫を殴ったんだと思います。それで、夫とわざわざ2時間かけて電車を乗り継いで病院に行ったんです。そのときは入院したくなかったんで、結構反抗的な態度をとっていたら、自分の意思で入院するんじゃないやつにさせられて。(※あとで思い返したら、父母が東京に来てくれて四人で車で病院まで行ったのでした)

——なんで殴ったんですか。

1回目はわかんないんですよね。なんか流れでとしか言いようがない。あんまり覚えてなくて。
2回目は非常に覚えてて、退院して2週間後ぐらいに、また暴れたんですよ。それで夫が警察を呼んで。それで警察で反抗的な態度をしていたら、緊急措置入院っていうのになって。
緊急措置入院というのは、本人の同意も家族の同意もなしで、もう緊急事態だからっていうので、公的な権力で入院させられるっていうやつなんですけど。

手足の拘束ありで、一晩かな。近所の病院に入院して、それからいつもの病院に救急車で搬送され、そっから措置入院っていう。自傷他害の恐れがある、結構危ない人みたいな。だから、2回目のが大事でしたね。

——2回目の入院は、いつですか。

令和2年の2月。殴り癖があって、そのとき結構。気に入らないことがあると殴ってたんですよ。
その時も覚えてないですけど。夫がいつも、俳句会の後で麻雀するんですけど、麻雀に行かないでくれとか、夫が忙しくしてて、もっと早く帰ってこいとか。そういうことだと思いますけどね。

大体私は、夫が忙しくしてたり家を空けると、メンタルが荒れるので、多分そういうことだと思います。
入院も、多くなると1回1回のことは覚えてないですね。いつも殴ってるし、いつもなんか暴れてるから。どれがどれのことやら。

カーディガンに身を包ませていれば我しみじみ患者なんだと思う

病院で入院してカーディガンを着てると、いかにも患者だなって思ったから、それだけで、ね。この言葉が取り立ててポイントっていうのはないんですけどね。

視点じゃないですかね。
自分っていうのを外側から見ていて、入院してることに動揺してないっていうか、激しい気持ちをまるで持ってない。この人、本当に閉鎖病棟にいたの、みたいな。

誰もいない誰も行けない中庭を見下ろす何か枯れている庭

不思議だなと思ったんですよね。
病院が、回廊型っていうか、真ん中が空いてて、そこがガラス張りになってて、それを取り囲むようにぐるっと廊下があってって配置なんで病棟内から中庭が見えるんですね。

中庭に植物、バラっぽいものとかあるんですけど、もちろん入院してる私は鍵がかかってるのでそこに行けないし。「そこは誰か整備してるんだろうか?枯れてるけど」みたいな、なんか不思議な気持ちになっちゃって。
中庭が見えて、なんとなく気持ちいいけど、でもこの中庭って、枯れてるし何か存在価値あんのかな、みたいな。私にとってはまあギリギリあるけど、みたいな。そういう不思議な気持ちになったので、うん。

富士山が五センチほどに見えるのが唯一取り柄であるこの窓辺

精神科の窓って、あるけど開かないんですよ。換気のために3センチぐらいは開くようになってるんですけど。

窓からは大していいものも見えないんですけど、同じ部屋の人が、「富士山が見えるんですよね」って正月に喋ってて、なんかそれが良かったんですよね。それで作ったっていうのが背景にあるんですけど。

基本的に私、病棟内の人たちとお喋りしないんですね。
看護師さんとは喋るけど、入院患者とは喋らないんです。でも、お正月に富士山ってちょっとおめでたいような話題が出たっていうのが多分私、嬉しくて。

売店で三ツ矢サイダー買うという彼女さざ波のように恥じらう

——この歌は、この連作の中にあって、この一首単独だけでも味わいがありますね。

なるほど。そうですね。
並びの話で言うと、私は基本的に一首ずつ独立した歌を詠むことに重きを置いてるんですけど。
でも、賞に出すことを考えると、前後の間みたいなのも考えるんで、この辺の入院の歌は、賞を出すことを前提に作っているから、独立した一首として考えるってことを私自身がやってなかったので、その指摘は、なんか、なるほどなっていうか。

短歌である程度有名になろうとすると、賞に出すことになるんですけど、賞だとテーマとか、連作の並び順とか、そういうところをすごい見られるんですよ。
もちろん一首一首がいいっていうのは前提なんですけど、それだけじゃ全然取れないっていうのがあるので。その辺が、難しいですよね。

でもアンソロジーに入るときは一首だけだし、俵万智さんの歌も、前後関係は切り取られてその一首だけ有名になったりするし。その辺は何か私も、なんかあんまり考えてないっていう感覚でやってるから。
ただ歌集を出すときはまた並び順変えたりすると思うんで、そういう難しさも面白さもあるなあ、なんて。

一房に種一つあるぽんかんを白きベッドに腰掛けて食む

何気ない風景のようでいて、ベッドに腰掛けてものを食べることって、家では多分あまりないと思うんです。結構特殊なことやってるなって私は思ってて。入院してるからこその日常ではありえない場面だなと思って。

午後中を塗り絵にあてて一枚のマンダラ模様完成したり

家の中でも病院でも、塗り絵を一生懸命やっちゃって時間が経つってことは、あると思うんですけど。それがマンダラだったって、結構、っぽいなって思って。
何時間も真剣に1人でやってできたのが仏教的なものであったっていう。そこに自分自身も怖さみたいなものを感じたので、自分のことだけど、面白いなと思って詠みました。

看護師が談笑しながら運びくるワゴン今夜はクリームシチュー

看護師さんって、働いてる人だけど、夜勤で夜も一緒にいたりすると、結構喋っている人も多いっていうか。
病棟の中では、看護師さんって働いてる姿が丸見えなので、喋ってて笑ってる様子とか、何かに集中しているところとか、逆にボーッとしてるところとか見えちゃうんですよ。

夕飯を持ってくるときに看護師さん同士が笑って喋ってるっていうのは、私の思ってる「仕事」とか「職場」とはちょっと違う側面が見えて、印象的だったんですよね。

誕生日だった一日暮れゆきてカーテンを引く音を立てずに

誕生日の日が病院にいて終わっちゃって、もうカーテンを引いたら寝るだけじゃないですか。だからなんか、終わっちゃうなっていう感覚。

日が落ちるのは自然の流れだからしょうがないけど、カーテンを引く行為は自分で一日を昼から夜へ区切ることだから、自分で自分の誕生日をこうやって終わらせてるのが悲しかったみたいな。

洗濯をしてきてくれることだけが君との絆 閉鎖病棟

——この歌は、noteの記事には「おまけ」とありますが、どういう意味でしょうか。

他の八首は「心の花」の雑誌に掲載されたものですが、このおまけの歌はどこにも載せてないんですよ。行き場がなくなっちゃってて。
でもこれは、入院して一番最初に作った短歌だったので。

短歌

今回の八首の作品に対しては、賞をもらったこともあって、もう何回も自分でも見てるし、改めて何か思うってこともないんですけど。
私の歌の持ち味っていうのは、客観的に、結構鋭い言葉で書いて、自分の入院したとかって話の暴露系っていうか。何でも書いちゃうし。

あんまり感情的にならずに、冷めた感じで書くみたいな。
それが自分の持ち味だと思ってたし、それを褒めてくれる人も多かったなって思ったんですけど。

なんか最近、またご飯の歌とか作るようになって。弟にご飯作ったとか。
友達にそういう作品を見せたら、病院の話とか暴露系よりも、ご飯作ったとかそういう方がゆり子さんぽいよって言われて。

自分が持ってるものっていうのは変わってくんだなって、言われて思いましたね。

投稿作品の歌って、雑誌では、選者は私の姿が見えないじゃないですか。
同じ結社にいるといっても、普段から仲いいわけじゃないし。
だから、歌の完成度とか、歌としての面白さとか斬新さとか、短歌っていう意味では今回の病院詠みたいなのがいいねって歌壇では言われるんだと思うんですけど。

私っていうものを知ってる人だと、見方が違うみたいで。
どういう人たちが見るかでも、ずいぶん短歌って違うなって思いましたね。
友達に言われたり、qbcさんからも、ご飯の歌のほうが私っぽいって言ってくれて、なんかそうなんだ、みたいな。
ある程度時間をかけて喋って、それから短歌を見ると、そういうご飯系のほんわかした短歌のほうが私っぽいって言ってくれるんだなっていうのが、びっくりしたまでは言わないけど、そういうもんか、みたいな気持ちになりました。

——ご自身では、どちらが自分らしいと感じていますか。

22歳から26歳ぐらいまでは、入院してない期間だとしても、家にいても基本的に病んでるんで、家にいても死にたいとか自分働けないとか、歌舞伎町に行って飲んだみたいなのを詠んでるから。
結構、自分の認識としては、入院とか病んでる系の方が自分だなってのがあって。

でも、大学時代の歌とか、あとは、最近の27歳ぐらいの歌は、またちょっと違うなっていうのはあって。
ただ割と自己認識ではね、今回みたいな歌もね、かなり自分らしいからね。

——安野さんは、短歌を作らないでいるとどうなるんですか。

令和元年の夏から令和2年の春ぐらいまで、「心の花」を抜けてて、だから半年弱ぐらい、短歌を作ってないんですよ。
それで平気だったっていうのが、当時はそういう感じ。

その時は詠みたい気持ちもないし、詠まないから自己嫌悪とかもないし。
基本的に、浮かんできたときに作るとか、自分が楽しいから作るとかっていうので短歌をやってて、何も浮かばないなら、浮かばないで別に暮らしていけるっていう。
なんか、多分、そういう感じですかね。

あんまり、何かがあるから自分は生きてるんだみたいものもないので、あんまり困らないっていうのが正直なところですね。

それより、なんか今、自分すごい元気ないなって思う判断基準に、歌を歌えなくなるっていうのがあるんですよ。

私、常に家で歌を歌ってるんですけど、それが歌いたくないなって思うときは、本当にメンタルが相当落ち込んでるときで。

そっちの方が、自分の中でショックが大きい。短歌できないより。
一番やりたいことは、生活上のことでは、好きな人と穏やかに暮らしたいってことなんですけど。
そういう生活のことを除いて大きい夢みたいなものだと、私、スガシカオと同じ舞台で歌いたいんですよ。

別に歌手になりたいわけではなくて、歌手だと歌で生計立てなきゃいけないじゃないすか。私、歌を歌うのはカバーソングだけ歌えればいいし、オリジナル曲は歌いたくないですし。

思ってるのは、YouTubeとかですごいチャンネル登録者が伸びて有名になって、お金が入ってくるようになったら、私主催でライブイベントを開いて、そこに私の好きなアーティストを呼んで、しかも私も一緒に歌いたい。私主催だから私も歌うっていうイベントにしたいんですよ。

——短歌を作る理由はなんでしょう。

短歌はちょうどよかったんですよ。
何か表現したくて、でも手段は何でも良かったんだけど、たまたま出会ってちょうど良かったのが、短歌だったって感じですね。
歌詞を書くのは苦手で、俳句は当初は歳時記と実際の季節のズレが難しかった。小説は完成まで辿り着けない。

短歌は、みんなが褒めてくれたし、他の人から見ても才能があるとかうまいねとか、期待してるよとか、そういう感じで見てくれるから。

なんだろう、「頑張るにはいいかな」っていう感じですかね。
自分に合わないこととか、周りから見て才能ないなってことを「それでも好きだから」で続けるのもまあいいけど、どちらかといえばね、才能あるねとか、自分がやってて楽だなってことで努力して、成果を上げた方が効率もいいですし。

終わりに

4回目にして、短歌で描かれる像と、歌人自身の語る物語が重なるように感じられたように思います。

で前回から始まった「安野先生の短歌教室」ですが、あとがきコーナーに移動しました。

今回私の作った歌はこちら。
「冷凍庫カレー雪平溶かします午前とりむね削ぎ切り補充」

午前中に、冷凍しておいたカレーを雪平鍋で溶かして、夕食を作る。カレーの具が少なかったので鶏むね肉を追加した、という歌でした。

安野先生から
・「雪平」がわかりにくい。「雪平鍋」まで書いたほうがいい
・「午前」がわかりにくい。歌の中だけでは、なぜ午前なのかが不明。
・「補充」がわかりにくい。冷凍庫に補充するのかと思った。
・助詞がない。初心者にありがちなのだけどあったほうがいいです。

最初に思いついた言葉にひきずられて、読者目線のフォローがない状態で作ってしまったなと思っています。前回からの成長としては、こういう情景が書きたい、というものをしっかり見つけてきた、というところですねえ。

制作:qbc(無名人インタビュー主催・作家)

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