今の私だから見える部分もあると思う人
10年20年、30年と、〇十年でもいいのですが、人間、生きていると、いろんな環境にでくわします。
自分にとって快のある環境、不快な環境、何かどう評すべきかわからない環境、いろいろあるんですありますが、でもその時々で、過去、振り返ったりしますが、過去の見え方って、その時の自分の環境によって、大きく変わるもんなんですよね。
これは分かりやすい例で言うと、
A.蛙化する前の好きな人
B.蛙化する後の好きだった人
ってことですね。
なんか、人間、ほんのちょっとしたことで見え方変わるもんですよ。
A.ぎょうざの満州のぎょうざを食べる前の家のぎょうざ
B.ぎょうざの満州のぎょうざを食べた後の家のぎょうざ
このように変わっちまうんですね。
なんだか、ちょっと何言ってるかわけがわからなくなってきてしまいましたが、要するに、人間! 今! を中心にしないと、過去にぐいぐい、未来にあわあわ、してしまうもんなんです!
ということで無名人インタビューゴッ!!!!!
【まえがき:qbc・栗林康弘(無名人インタビュー主催)】
今回ご参加いただいたのは あみ さんです!
現在:自分の中のスタンダードとか、型から外れた負目がちょっと楽になったというか。色んな可能性っていうのかな、視野がばあーって広がった感じ。
qbc:あみさんは今、何をしている人ですか。
あみ:私は、夏の終わりに仕事を辞めて、それから国内版のワーホリに行ったり、リゾートバイトに行ったり、「おてつたび」っていうのを利用しながら、旅先でちょっと仕事をしていたりします。最近、書く仕事も少しだけですが、始めたところです。
qbc:どれくらい回られたんですか。
あみ:えーっと、8月の終わりに仕事を辞めて、そこから長野の白馬に1ヶ月行って、ちょいちょい地元の富山に帰ったりして、その後に岐阜に2箇所行って、そのあと宮城。で、この間は香川の直島っていう離島にいました。
qbc:どんな気持ちになりました? 旅全体を振り返って。
あみ:うーん、そうだなあ。リゾートバイトは正直、1人で観光する時間が長かったので、職場の人との交流は少しはあったけど、自然が綺麗なところとかを回って、普通に楽しいなって感じでした。
ワーホリは、宮城と岐阜はワーホリで行ったんですけど、結構いろんな人を紹介してもらえるんです。なので、それで繋がりができたりとか、色んな人生の歩み方があるなあっていうのを知れて。岐阜に友達もできて。
あんまり自分をさらけ出すとかって得意じゃないんですけど、結構人との繋がりとか、出会った人から、刺激をもらうのが面白いなって思えたので、リゾートバイトと全然違う感覚はありました。
おてつたびは、その中間くらいで一回しか利用してないんで場所によりけりだとは思うんですけど、リゾートバイトよりは交流はあるけど、ワーホリほどは突っ込まない。まあ友達もできたけれど、そこまでの深いつながりではなくて、交流に重きを置いた感じではない。
ただ、リゾートバイトよりも、地域の特色を生かしたものとか、リゾートバイトの求人に出ていないような仕事、例えばホテルの一般的な業務っていうものじゃないものも結構あるので、もうちょっと利用してみたいなとは思います。
qbc:「色んな人生の歩みが知れた」っていうところで言うと、自分の中で「こういう人生がスタンダード」っていう考えがあって、それとは違う人生があったというお話だと思うんですけれども。
まず、スタンダードな人生については、どんなものだと思っていましたか。
あみ:私の人生もスタンダードじゃないなとは思ってるんですけど、周りにいる友達とかは、普通に大学行ったりして、卒業して、そのままストレートに働くって人がほとんどなので。
私は、経済的な理由で短大を出て、半年アルバイトして、その後に通信制の大学に編入してて、そこで四大卒取って、興味があったデザインの資格取るために半年勉強して、そっから働いたって形なので、割と自分の周りの人が歩んでいるものとは違くて。
だから、それに関して結構、劣等感っていうのかな。あんまり自分のそういうところを深掘りして欲しくないなって思いがあったんですけど。会社辞めた負い目もあって。
でも、ワーホリに行った時は、自分がどれぐらいの田舎に耐えられるのか試したくて、一つの山に人が7人しかいないところで1ヶ月生活した人とか、仕事で結構いい役職にいたけど、つまらんなと思って辞めて、何年か世界中飛び回って、仕事もせず遊んでましたって人とか。で、結局友達のご縁があって仕事紹介されて、こんなのもいいかなと思って仕事してるっていう人がいたりとかして。
スタンダードの型にはまりたくないし、はまってこれなかった自分だったけれど、その人たちが普通に楽しそうに生活して、何とかなるよって言ってるのを見て、型にはまってない人の人生の話を楽しめたっていうのが結構大きくて。
自分の中のスタンダードとか、自分が型から外れたっていう負目がちょっと楽になったというか。色んな可能性っていうのかな、視野がばあーって広がった感じ。「道」っていう観念に縛られなくてもいいかなって思えた感じです。
qbc:その、可能性が広がって、気持ちが楽になった、弛緩した状態は、収束はしましたか? こういうふうにやっていこう、みたいに。
あみ:ずっと富山県にいたので、私自身。今は、もうちょっといろんなところを訪れたいなって思いが結構大きくて。こういうことを仕事にしたいっていうのもなくはないんですけど、多分それよりも、今したいこと、いろんなところ回ってみたいっていう思い、まだそのままでいいたいなって思いがあります。
qbc:仕事を辞めたところからの延長線上にまだいるよっていう状態ですかね。それともちょっと違う?
あみ:うーん。仕事を辞めた原因が、パワハラみたいな感じだったんですよ。就いてた仕事自体はわりと好きだったんですけど、自信がなくなっちゃったというか、なんていうのかな。「人としてダメ」とか、人間性を否定するようなことを結構言われてきて、上司に相談しても、全然直らなかったからやめたって感じで、なんかそこで一回終わった。一区切りって感じかな。
だから、延長線上にあるってよりかは、一旦区切って、終わって、0の状態から、っていう方が、感覚的には近いかもしれない。
qbc:ああ、えっと、仕事を辞めて、旅を始めたわけじゃないですか。今はその仕事を辞めて旅をしている状態を、この後もしばらく続けたいなって感じですかね。
あみ:はい。
qbc:ちなみに仕事は何年ぐらいやってたんですか。
あみ:半年だけなんです。
qbc:なるほど。やめた理由はお伺いしたんですけど、なんでそこから旅に移行したんですかね。
あみ:なんだろう。なんか多分、結構家庭内も仲悪くて。仕事的にも結構苦しかった時期が長くて、ずっと今まで、自分がしたいことっていうよりかは、しなきゃいけないことを、自分が持ってるわずかな何かで、どうやりくりしていくかって感じだったんですけど、感覚的に。
でも多分潜在的に、いろんなものを見たいとか、いろんなところに行きたいっていう思いがずっとあって。全部0になったときに、それが一番に出てきたのかなと思います。
qbc:うんうん。今仕事を辞めた時の状態を「0」って言っていたじゃないですか。今、数字としては何になりますか。
あみ:今もほとんど0かなとは思ってます。
いろんなものを見れてはいるけど、そこに関して、進めていこうっていう気持ちがあるっていうよりかは、もうちょっと視野を広げたいっていうか。「進めなきゃ」っていう気持ちもない状態で、いろいろ見たい。
0から進めようとすると、純粋にやりたいことを探せなくなってしまうなって自分自身は思うので。色んな人とあってきて、みてきたものもあって、状況はちょっとは変わっとるとは思うけど、自分のスタンス的には0かなっていう。
qbc:趣味は何ですか。
あみ:趣味かー。今は、いろんなところ回ること。最近ちょっと停滞気味ですけど、本読むこと。あとは、前職が県内のグルメ関連の雑誌で書く仕事をしていたので、わりとお店とか、カフェ巡りは好きかな。それから、家に猫がいるので、猫と過ごすこと、かな。
qbc:何猫ですか?
あみ:スコティッシュホールドの立ち耳の猫です。耳が折れてないやつ。
qbc:本は何を読むのが好きですか。
あみ:本は、去年は130冊くらい読んだんですけど、エッセイとかが結構短くて読みやすいなって感覚があります。最近はわりと小説も読みます。
qbc:どんなテイストのものが好きですか。暗いのとか、明るいのとか。
あみ:うーん、なんだろう。極端に明るくても、極端に暗くても、現実味がないので。ほどよいぐらいが好きです。変にハッピーエンドとか、バッドエンドとかじゃなくて、自分が生きてて、普段感じる感情に近いものがある方が、私は好きなので。明るいとか暗いって部類ってよりかは、ノーマルが好きなのかなって思います。まあ、どちらかといえば少し明るい、くらい。最終的に少し前向きになれる方が好みなのかな、とは思います。
qbc:性格は周りの人から何て言われます?
あみ:性格は、考えこみすぎとも言われるし、好奇心旺盛とも言われるし、結構行動に起こせる方だとも言われます。
なんだろう。わりと自分が決めたことに関して、周りが「こうした方がいいんじゃない」って言っても、あんまり従わないというか、そういう頑固なところもあるとは言われる、かな。そんな感じです。
qbc:自分ではどんな性格だと思ってる?
あみ:考え込みすぎだな、とは自分でも思います。好奇心旺盛とも思うし、飽き性だなとも思います。
なんか変にちょっとぐるぐる考え込みすぎるところは、今、コンプレックスではあります。
qbc:コンプレックスだと意識したのはいつ頃ですか。
あみ:うーん、中学生ぐらい? 小学校高学年ぐらいから?
qbc:悩み出したのはなぜだったんですかね。
あみ:自分自身が、家庭内が仲悪かったのもあって、結構繊細というか、傷つきやすくって。例えば、学校の先生が、クラス全体に怒ってる時、みんな平気そうに座ってるけど、大きい音とか怒鳴り声とか本当に苦手で。自分に対してじゃなくても、びくびくしてしまって、体が震えたりしてしまって。「なんで私はこんなに傷つきやすいんだろう」って、自分の傷つきやすさ、抱え込みやすさについて悩むようになりましたね。
なんかもう周りの人が、そういうことを簡単に流せるっていうか、全然気にしない人、怒られても全然直さない人とかもいると思うんですけど。そういうふうになった方が、生きるの楽なんだろうなとか、自分が負わなくていい傷を負って、いちいち悩んで、受け入れるのに結構時間がかかってしまうので。
そこら辺は今もコンプレックスではあるし、シーズン小学校の頃からも、そういう部分に気付いてからは、気にしてると思う。
qbc:家族や恋人、親友。そういう距離感の人、身近な人からは、どういう性格だと言われます?
あみ:さっき言ったこととそんなに変わらないけれど、頑固というか、揺るがない、とか、そういうのは親とかに言われます。逆に、距離がまだある人だと、穏やかとか、のんびりまったりしたようなイメージは持たれやすいかなあ。
だから割と、最初に言ったような好奇心旺盛だとかっていうイメージの方が、身近な人によく持たれますね。
qbc:好きな食べ物は何ですか。
あみ:好きな食べ物……。わりと好き嫌いがないので、結構気分によりけりなんですけど。カフェに行くのが好きなので、割とそこに置いてあるような、コーヒーに合うような、お菓子とかは結構好きです。ラテも好きだし、飲み物含め喫茶店とかコーヒー屋さんにあるようなものは好きかもしれないです。
あとは富山県は海鮮が美味しいので、刺身とかも結構好きです。
qbc:富山ってカフェ多いんですか?
あみ:そんな比較したことはないんですけど、わりと多いと思います。
qbc:新しいカフェが多い?
あみ:新しいカフェも、滞ることなく増えとるイメージはある。けど昔からあるようなところも普通にある。
過去:普通に遊んでもいいし、普通に休んでもいい。自分の置かれとった状況がどれほど窮屈な状況だったのかがわかって、ようやく解放されたみたいな感じがすごい強くて。
qbc:小さい頃はどんな子供でしたかね。
あみ:幼少期は、目の前に興味があるものがあると、ダーッと走っていっちゃうような子だったと聞いてます。人見知りも全くしないし。自分の欲にストレートというか、これが見たいあれが見たいと思ったら、そっちの方に行っちゃうような子。
だったけど、小学校上がってぐらいからは、逆転して。人目が気になっちゃうとか、人見知りになってしまったかなあ。おとなしい子になった記憶があります。
qbc:なんでですかね。
あみ:多分、人目を意識できる年齢になったのと、成長するにつれて、大人から、注意されたり怒られたりする場面が増えてきて。自分がってよりかは全体に対して。クラスとかで怒られる場面が増えたこともあるし。
あとは家族の仲が悪いこともあって。父親が、一切褒めるっていうことをしない人だったので。そのころはまだ暴言とか吐かれてないんですけど。
そうやって、察知するものも増えてきたし、自分が傷つく場面も増えてきて、人目を気にする年齢になってきて、自分を開くことが怖くなったんだと思います。
中高は結構、そういう人目を気にするっていうのがさらに強くなったし、家でも嫌なことを言われ続けてきたので、一番ストレスがひどかった時期かなとは思う。高校生の頃は特に。
なんかもう、勉強だけみたいな学校に進んで。それも人目気にしてたからっていうのもあると思うんですけど。自分の良さが全くわからないから、せめて良い学校に入って、何とか自尊心を保とうとしてたと思うんですけど。
別に行きたくない学校だったし、もう精神的にも疲弊しきってたんで、勉強が手につかなくて。成績もすごく悪かったし、課題も大量に出されるけど全然終わらんし。学校で家庭のこととか相談できる雰囲気も微塵もなくて。
そのストレスに加えて、家で父親に暴言とか吐かれて、過食にもなったし、発作も出るし、髪も抜けるし、蕁麻疹とかもしょっちゅうストレスで出てたんですけど、母親もその時正社員になりたてで忙しかったので、なんでそんな弱い子なんだっていう感じで叱責されて、それもまたストレスで。友達に相談しても、あまり理解される話ではなくて。おばあちゃんちとかに逃げ込もうとしても、「迷惑な存在だから行くな」って言われてたから、本当に逃げ場がなくて。
「なんで生きてるんだろう」って思ってしまって。高校の頃は、もう二度と戻りたくないぐらいしんどかったかなあ。
qbc:どんな家庭だったんですか。
あみ:父親の機嫌をずっと伺ってる母と、思いやりが全くない父親。に、当たられやすい私。その様子を見ておとなしくしている弟、みたいな感じです。
弟はもう、言うことない優等生で。中学のときは、私もそれなりの成績だったけど、弟はさらにその上を行くような、ずっと一番を取ってる子だったので。頭の良さに関しては、文句のつけようのない。反抗期とかもそんなになくて。だから、父親が多分一番ムカつく人物、自分がイライラしたときに当り散らせる人物が、私だった。
父親は会社で嫌なことがあったら、私に当たる。母のストレスも父親には渡れないから、私にいく。弟には、いかない。でも、そういう現場を弟は見て育ってる。っていう、いびつな家庭だったかなと思います。
でも、もう少しで多分離婚するので、そこはようやく解消かなとは思ってます。今は、母とは何回ももう喧嘩っていうか、何回も話し合って、病院も何回も行って、そういうので和解したというか。自分の症状が本当にストレスによって引き起こされていて、病院の先生がこういうふうに言ってて、こういう状態なんですっていうのを、自分の言葉プラス、病院の診断で理解してもらえるようになった。
qbc:今あみさんはどういう状況ですか。通院してる?
あみ:一応通院はしてますけど、すごい強い薬を飲んでるとかではなくて、多分うつ患者さんの半分くらいの量。
qbc:いつから病院に通うようになった?
あみ:ずっと通院するようになったのは、3年前ぐらいから。
qbc:学生の頃から?
あみ:高校生の頃とか、点滴打ちに行ったりとかしてたので。それを含めると本当に長いんですけど。
でもちゃんとした病院に出会って、定期的にカウンセリングを受けて、薬を処方してもらうっていう形になったのは
、ここ2、3年ぐらい。
qbc:それは通信制の大学に入ってた頃?
あみ:だと思います。
qbc:弟はどうしてるの。
あみ:弟は大学進学して、奨学金を借りながら、横浜に住んでます。
qbc:お父さんはどれぐらい怒るんですか。
あみ:怒るポイントもよくわかんないんですよね。
洗面台に髪の毛1本落ちてただけで、夜中にたたき起こされて、どうなっとるんやって。本当に神経質で。ドアの開き具合とか角度とか、シャワー浴びる時間とか、パソコンを開く時間、ドライヤーをかける時間、座布団を置く位置、カーペットのずれ。全部自分の中で決まってるので。
普通の人は多分そこまで気にしないじゃないですか。まあ髪の毛はわかるけど、でも夜中に叩き起こして怒鳴りつけるほどではないと思うんです、普通。
だから、そういう意味のわからないところで、私の配慮が及ばない、普通の人だったら気にしない部分で勝手にルールがあるので、それに関していちいち怒ってきたりとか。それに関して、本当に知らなかった場合も、「知らなかった」って言うと、殴るって言われるから。
もう私は父親とは、中学卒業してから怒鳴られる、注意される以外はまともに話してないです。怖くて話せないです。父親の前でもうご飯は食べられない。
qbc:なるほど。今は病院に相談してる?
あみ:今は別にもう、父親にとって私は空気のような存在。たまに怒鳴られて邪魔って言われるけど、だいぶあの頃よりは、そういう扱いをされないっていうか、もういないものとされてるので。いるときに色々言われたりとか、暖房消されたりとかはするけど。発作とかが出て苦しくなるぐらいの暴言を吐かれたりとかはない。
だから、助けてくださいって言っとるっていうよりかは、ちょっと考え込みすぎるところもあるので、それで苦しくなっちゃうところもあるから、そこら辺を安定させるというか。今は症状がそんなに出てないので、減薬しつつ、変に自分のメンタルが崩れないように調整してるって感じ。
qbc:自分の人生で、ターニングポイントを置くとしたら、いくつか置いていいんですけど、どこに置けます?
あみ:まず高校卒業したときがひとつ。仕事を辞めたときがひとつ、かな。
qbc:仕事を辞めた時は先ほど聞きましたが、高校卒業のタイミングではなんかあったんですかね。
あみ:激しすぎる暴言が、無くなったわけではないけども、母親が何度も止めてくれたおかげで、自分が泣いて発作起こして、苦しんどるから話しかけんなって言ってくれたから、少し話しかけられることが減ったんですよ。今も全然いやなことしてきますけど。
かつ、課題だらけで、話聞いてくれない高校。課題が終わらなかったら、結構劣等生として見られるんですよ、先生から。それが無くなった。成績も全然、家庭環境のせいにしたら駄目だけど、上がらなかった。
受験生の頃は頑張ったけど、結局家庭の経済状況で、頑張って意味ある?っていうぐらいのレベルの短大に行ったので。そこは落ち込んだけど、でもようやく、あの地獄のような高校生活から逃れられて楽になった。
あと、バイトとか初めて自分のお金で遊べるようになったし。ようやく自由に、罪悪感を抱くことがなく、勉強しなきゃいけないとか思わず、遊べるようになった。休んでもいいやって思えるようになった。
短大も色んなところから人が来てて、そこで仲良くなった子の家も結構荒れてて。でもその子、元からの性格がすごい楽観的で、自由に気ままに生きていくっていうスタンスの子なので、そういうことをいろいろ話したりして。その子繋がりでいろんな人と出会ったりして。
普通に遊んでもいいし、普通に休んでもいい。自分の置かれとった状況がどれほど窮屈な状況だったのかがわかって、ようやく解放されたみたいな感じがすごい強くて。
大学受験で、本当に望んでもない短大生活、行きたくもない学校に行くことになっちゃって、そのときは落ち込みましたけど、でも、ようやくあの高校から抜けられたっていうのと、多少ですけど自分のお金でどっか遊びに行けるし、親が家にいないときは寝れるし、もう心おきなく休めるっていうのと。
なんかそういう部分で、本当に高校のときに出てた、髪が抜けるとか、蕁麻疹とか、過食とかは、もうピタッと無くなりました。
未来:でも、今の私だから見える部分もあるとは思ってる。
qbc:5年、10年、30年、40年、50年後、最後死ぬっていうところまで考えてもらって、どういう未来をイメージできますか、今。
あみ:未来かあ……。なんだろう。未来について考えるのは、怖いんですよ。
qbc:怖い。
あみ:うん。未来……。
なんか仕事を一個に絞って、メインとなる、大きい軸となる仕事があってもいいと思うんですけど、何個か仕事をして、色んな経験をしたい。そっちを選びたいかなと思って。
一つのことっていうよりかは、いろんな柱があって、いろんな繋がりがあってっていう方を選びたいし、場所に縛られるっていうよりかは、自分が好きなところに移動できたら、さらに理想だし、何拠点かで生活できたら、さらに嬉しい。これは20代のうちに出来たら嬉しいなと思ってます。
qbc:多拠点。
あみ:いろんなところにやっぱり行ってみたいし、見たことないことを見てみたい思いは今もあるし。急に飽きるかもしれないですけど。
でも、性格的にはそういう方が合ってるのかなと。固定された場所にいるってよりかは、ある程度自由が利くところにいたい、かな。
qbc:それは、育ち方と関係があります? 多拠点が良いっていうのは。
あみ:まあ、離婚したらですけど、家には定期的に帰ってきたいし、地元の友達との繋がりも大切にしたいのもあるし、猫飼ってて、その子がすごい大事なのもあるんですけど、それよりかは他のいろんな場所の面白いところとか、楽しいことを深掘りしたいっていう方が大きいかな。多拠点にしたい理由は。
qbc:書くことを始めたっておっしゃってましたよね。書くことはどうして始めたんですか。
あみ:元から前職で書く仕事をしてたんで。そこで、体調崩しちゃったので仕方ないんですけど、自分的には納得できない形でやめちゃって、多分そこの思いがまだ消化できてない時に、岐阜で、東京と2拠点生活をしている人に出会って。その様子をnoteに書いてるって言ってたから、なら自分も何ができるか、何を発信できるかわからんけど、やってみようかなと思って。
そんな、何かを伝えようって思ってるわけじゃないけど、発信することで繋がっていく関係がやっぱあるんですよねってその人は言ってたから。何もしないよりかは、何かして、自分も動いて発信して、誰かが発信するのを見て、これ面白そうだなって思ったものに携わってたら、より視野が広がるし、面白いんじゃないかって。
きっかけ自体は、そういうふうに広がることもあるのね、と思って始めて。そしたら結構面白い情報も入ってくるし、いろんな人がいるし、こんな取り組みあるんやとかこんなことしてる人いるんだとか、それこそ仕事辞めて旅しているような、同じ状況の人がいたりとか、海外のワーキングホリデーいくために日本のワーホリとりあえず回ってみてますとか、そういう面でも、自分の視野が固まりすぎなくて、面白いものが発見できるから、今も何となくやってるって感じ。
qbc:毎回、もしもの未来について質問をしていて。もしも、子供の頃から家族の仲が良かったら、どんな人生にしたいと思いますか。
あみ:だったら、今は細々としたやりたいことがポンポンって出てきて、それをとりあえずやってみようって形だけど、多分、周りの子がこういう国に留学してみたいとか、憧れるからちょっと行ってみたいとか、そういうのに影響されて、留学行ったり、普通のサークル生活を楽しんだりしてると思う。
だから、普通の大学生の好奇心の向く方へ行ってたかと。私はその立場にいなかったから、その子たちから見える好奇心、楽しそうなところにはいけない。
でも、今の私だから見える部分もあるとは思ってる。まあ仲良かったら、それこそ自己肯定感も今より全然高いと思うし、変な発作とかに苦しいめられることもなかったし、病院に行くこともなかったから、こんな這いつくばって頑張って上がってこうっていうよりかは、普通に歩きながら、たまに迷いながら、自信をつけていくことは出来たんじゃないかな、とは思ってます。
qbc:やり直したいですか?
あみ:なんかもう今の状態を見て、やり直すとか考えると、ちょっと気持ち悪くなっちゃうので。
なんていうんだろう、父親からされたことを経験した自分が、それを無しにして全てやり直すって思っても、もう別の世界としてその未来を歩んじゃってるわけだから、やり直したいとはいえない、かも。
qbc:写真を撮ってる時の気持ちってどんな気持ちですか。正直言って、上手いと思ったんですよね。
あみ:ありがとうございます。iPhoneですけど。なんだろう、率直に自分が感動したから、人に見せたいなみたいな気持ちで撮ってるから。多分、生活情報誌を作ってたときに、カメラマンさんと一緒に取材をしてたので、上手な撮り方とか、見よう見まねで少し身についてる部分もあるのかもしれないけど。
qbc:前職では、写真を撮るっていうのはワークとしてやってなかったんですか。
あみ:やってなかったです。カフェのバイトしてたときは、Instagramにその商品を上げるとかしてたけど、そんながっつりは。
何となく、自分が「これすごい綺麗だな」とか、「すごい素敵だな」と思ったものが全部映るようには撮ってるつもりです。
qbc:どんな気持ちです? 撮ってる時は。
あみ:母によく、道にこんな猫がいたよとか、こんなもの食べたよとか連絡するんですけど、テンションをそのまま伝えたいから、特に写真撮ってるときは、何か考えてるっていうかは、これ見せたいなっていう気持ちで撮ってるかな。
qbc:ありがとうございます。
最後の質問は「最後に残したことは」っていうものなんですけど。インタビュー振り返っての一言でもいいし、読者に伝えたいこと、メッセージでもいいし、遺言みたいに思ってもらっても良いんですけれども。
最後に言い残したことがあれば、お伺いしております。
あみ:自分が今話したことが、客観的にみてどんなふうにまとまってくるのかが、結構楽しみです。そんな感じですかね。
qbc:ありがとうございます。
あみ:はい、こちらこそ、ありがとうございます。
あとがき
あっちゅって餃子の皮の中からあふれでる肉汁スープ熱いすぎる。
ということで、実家にいたころはよく食べていたぎょうざの満州のぎょうざ、あんまり食べていませんね。というか太りすぎていて、外食に気をつけなくちゃいけません。
なので、昔みたいに食べられません。
ここで昔のように食べたいと思わないでいられるかどうかが、今を中心にできているかどうかですね。
しょせん人間の認識は即興。自己同一性はAIに任せておきましょう。
【インタビュー・あとがき:qbc】
【編集:toki】
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