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自分のことを喋りたかった人

mixi再開しました。

マイミク申請お待ち、しています。
懐かしいですねmixi。20代のときにやっていました。20年前ですね。。
mixiで知りあった人とゴールデン街で飲んでて、モデルしてためちゃきれいな人なんですけど、病んでいて、強迫神経症で深夜の新宿の闇の中、ごめんねごめんねと言いながら鍵を探していたのを覚えています。ごめんねごめんね、やめなきゃいけないってわかってるんだけどやめられないんだと言いながらかばんの中をまさぐっていました。
あの人、今頃なにしてるんだろな。
て、まあつい数年前に別のSNSで見かけて元気そうでしたよ。
インターネットを通じて、普段通りの生活をしていたら出会わなかったであろう人に会う、ということの楽しさを知ったのはこの頃でした。
そうだね世の中には知らん人がたくさんいる。
今思えば、無名人インタビューの起点はここにもあるのかもしれません。
いやでもね、mixiの頃と今の無名人との大きな、決定的な違いはさ。mixiのときはそれでも趣味が近いとか、そういう関連性があったんだよね。でも今は、言葉が通じる、意思疎通かできる、といったくらいの共通点だから。
まあそれでも楽しいし。全然楽しいし。
つまり、趣味は同じじゃなくても平気なんですよね。
長くなった? 今日の無名人インタビューもよろしくお願い申しあげますね。(主催:qbc)

今回ご参加いただいたのは まよ さんです!

現在:「平日勤め人、休日ひきこもりエッセイスト」

toki:今、何をしていらっしゃる方ですか?

まよ:昨年度、大学を卒業して社会人になりまして、都内の一般企業で、障害者枠の採用で総合職として働いています。
今「かがみよかがみ」って朝日新聞系のエッセイサイトでエッセイを投稿してるんですけど、そこには「平日勤め人、休日ひきこもりエッセイスト」っていうふうに自称してるんですけれども、1年ぐらい前から、エッセイを毎週投稿して皆さんに読んでいただくみたいな毎日を送っています。
週5で1日8時間、1週間40時間仕事をしているんですけれども、結構仕事が終わった後とかも文章を書いたりだとか、そのための勉強になる本を読んだりとかしてます。

toki:仕事とエッセイを書くことと、どちらの方に時間を使いたいとか、その辺りはいかがですか?

まよ:実は、ちょっと体調を崩して、10月まで4ヶ月ほど休職していまして。少し体調が良くなってからは、結構文章とか、自分で思ったことを書き留めてたりしてたんです。今の気分としましては、本当に50:50みたいな感じで、どっちも頑張りたいなというふうに思っています。

toki:趣味はなんですか?

まよ:趣味は、結構いろいろあるんですけど、読書が小学生の頃から好きで。一番読んでたのは小5小6あたりだったんですけど、その2年間で2,000冊借りて読んでいて、司書さんの中でちょっとした有名人になったみたいな感じでした。
文章を書くことも好きで、あとはカラオケ。友達と行く分にも、1人カラオケも。1人カラオケは10歳ぐらいからずっとしてたので、歴としてはもう18年ぐらい。そんなに頻繁ではないですけど行ってて。
あとは料理も好きですし、語学学習、英語とかを勉強するのも好きだったりとか。あとは花札とかゲームも好きで。体を動かすこととか、お散歩とかも結構好きですね。

toki:好きなことがすごくたくさんあるんですね!

まよ:そうですね。好奇心は旺盛というか、結構気が多い方かなっていうふうには思ってます。

toki:逆に何か嫌いなことやものはありますか?

まよ:嫌いなこと…そう言われてみると、苦手なことは結構あります。数字使う数学だったりとか、あと事務的な作業、細かいことを気をつけることだとか。あと何でしょうね、パソコンをいじったりとか、そういうIT関係も苦手ではあるんですけど。
でも嫌いかって言われると…数学とかも高校時代、めちゃめちゃ落ちこぼれたんですけど、でも嫌いかっていうと結構片思いのときもあったりとかして、あんまりこれといって嫌いなものはないかもしれないですね。

toki:そうなんですね。ちょっと気になったんですけど、趣味の一つの「1人カラオケ」は「1人」であることに何かこだわりはあるんでしょうか?

まよ:友達とかとも行くときとかも全然あるんですけど。小さい頃は、家族でカラオケに行っていて、NHK以外の番組をあんまり見ることがない家族だったので、最新の歌を知らなかったんです。
で、小学校高学年とかになって初めて友達と行くようになったら、歌う曲が和田アキ子とかしかなくてすごい笑われたんですね。「お前はいつも『あの鐘を鳴らすのはあなた』しか歌わない」みたいな感じで。
それでその友達から新しい曲を仕入れて、負けず嫌いなのでその曲を練習したいっていうので、1人で通うようになったら、1人の気楽さがすごくて。自分のオタク気質な性格ともマッチして、最新の曲を自分でキャッチアップできるようになった後も、友達と行く前にちょっとこの曲練習したいなだとか、ちょっと今日むしゃくしゃしたから1人で歌いたいなってときには結構行ったりしますね。

toki:和田アキ子しか歌わない小学生はかなり面白いですね(笑)。ありがとうございます。
ところで「かがみよかがみ」でエッセイを書かれているとうお話でしたが、エッセイストとしての活動の調子は最近いかがですか?

まよ:エッセイスト、と人に言われるとすごい照れますね。
活動としては、今まで40本ぐらい掲載されて、その中で「Ladyknows」っていう、フェミニズム・ジェンダー関連の活動をしている団体と「かがみよかがみ」がコラボして、そのLadyknowsが主催している展覧会みたいなのに5本選ばれるんですけど、85本ぐらいの中から選ばれて、その展覧会で掲示されたりとか。
あと、ランキングがデイリー、マンスリー、ウィークリーで出るんですけど、今年の2月頃に書いたエッセイがいまだに結構上位で食い込めたりだとか。
あとは、Twitterとかでこういうエッセイを出しましたってときに、必ず読んでくださる読者の方がいて、「かがみよかがみ」には、エッセイの最後にコメント欄ってのもあるんですけど、そこでぼちぼちコメントとかもいただけるようになって、非常にモチベーションの素となっています。

toki:なるほど。以前まよさんと同じく「かがみよかがみ」でエッセイを書いていらっしゃる方にインタビューをしたことがあったんですけど、その方は「エッセイストとして書いていると言うよりは、エッセイストになりたくて書いている」というスタンスだったんですよね。
まよさんはその辺り、エッセイを書くことの位置付けやスタンスみたいなものはいかがですか?

まよ:私は位置づけとしては、最初の方はテーマが思いつかないから投稿しないとかあったんですけど、最近は毎週新しいテーマが出されるので、それをその週のうちに出すっていうのが自分の中の納期というか、締め切りみたいな感じになっていて。自分としては、いつかはその「かがみよかがみ」に投稿したエッセイをも本とかの形でまとめられればいいなと思ってるので。
自分でエッセイストと言うのは少し恥ずかしいんですけど、でもその自分にプレッシャーをかけて頑張ろうっていう意味でも、エッセイストと名乗りたいなっていうふうには思っております。

toki:ご趣味も、読書とか文章を書くとか、文章にまつわるものが多いですよね。そういう、文章にまつわるものの、どういった部分がお好きなんでしょうか?

まよ:私すごくジブリが好きなんですけど、『もののけ姫』が特に一番好きで。家族全員好きで、その『もののけ姫』を作るまでの4年間に密着した『もののけ姫はこうして生まれた』っていうドキュメンタリー映画があるんですけれども。その中で宮崎駿さんが「物を作るということは、表現したいものに対して、可能な限り全員でにじり寄っていくその全ての一連のことを言う」みたいなことを話されていて。
私がエッセイを書くときも、最初はちょっとモヤモヤしたものとか、何かこれ使えそうだなっていう種があって、それを少しずつ、時間をかけていろんな角度から見ていく中で、自分の書きたかった言葉を段々発掘していくというか、採掘していくというか、井戸の水源を掘っていくみたいな感じで。そこで自分の書きたい文章を自分で掘り当てられたときの快感、にじり寄って行って、自分で文章化できたときの快感が。今まで40本ぐらい書いていて、やはり今回このテーマはうまく書けなかったなっていうときももちろんあるんですけれども、たまに奇跡みたいにスカッと書けるときがあって、そのときの快感が癖になってしまったというか。

toki:なるほど。

まよ:本を読んでるときも、自分がモヤモヤとして抱えてた文章が、そこに文章化されていて、自分が書きたかったことがここにあって、私のこのモヤモヤを、同じことを考えている人がここにいて、こんな見事に文章化されているってなると、前は「すごいな」とか、「ここにあった」っていう感動だけだったんですけれども。今は自分が文章を書くようになったからか、どこか「先に言葉に出された」って嫉妬するようになってきてしまっていて。この言葉は私が言いたかったけど、でもやっぱさすがこの作者さんだなって、自分でその人に嫉妬できるっていうのは、何か1つ、自分自身で表現者になりたいってのを諦めていないっていう証拠なのかなと思っていまして。

ちょっとまた話があれなんですけど、ジャンプで掲載されていた『BLEACH』っていう漫画があって、その中の名言で「憧れは理解からは最も遠い感情だよ」っていう言葉があるんですけれども。自分で他の作者さんの自分で言語化したかった言葉に嫉妬できるようになったってことは、私まだ一緒に戦おうとしてるんだなっていうことを自分で感じられて。その『BLEACH』の言葉を思い出して、すごい嬉しかったなっていうことがあります。

toki:たしかに、嫉妬ができるということは、その人と同じフィールドに立っている意識があるからこそと言う感じがしますね。

まよ:そうですね。自分で自分のことを諦めてないのかなっていうふうに感じられて、最近そう思えることが嬉しいなって思ってます。

toki:ありがとうございます。ちょっと質問の内容が変わるんですけども、まよさんは周りの人からどんな人だって言われることが多いですか?

まよ:「話し上手かと思ったら聞き上手だったよね」っていうふうに言われたのがすごく嬉しかったです。
付き合い始めたばっかりの友達には、結構自分から話すことが多いんですけれども、付き合いが長い友人とかパートナーとかと話していると、自分は結構聞くことが多くて、その言葉を言われて、「ああそうだったんだ」って。
あと、高校時代は結構ギャルだったんですけれども、そのときは自分のことを「自己開示が早くて大胆だ」って言われたことがあって。あけっぴろげというか、何でも話しちゃうみたいなことを言われて。そのときの友人に「まよを前にすると自分が隠し事をしてるのが馬鹿らしく思えることがある」って言われたことがあって。10年ぐらい前なんですけど、褒め言葉だったのかもちょっとよくわかんないんですけど、その言葉すごい覚えてますね。

toki:そう周りの方に言われて、自分としてはどう思いますか?

まよ:でも確かに、あけっぴろげな方だとは思います。なので、エッセイとかを書いていて、人が書かれたくない機微みたいなところを、自分は「まあいいや」と思って書いてしまわないようにっていうのは、結構気をつけるようにしてますね。

toki:ご自身の性格を一言で表すとしたら何になりますか?

まよ:難しい質問ですね。でも、前に言われてそうだなって思ったのは「大胆かつ繊細」。行動とかは結構大胆でサバサバしてるふうに見えるんですけども、全然そんなことなくて、ねちょねちょした納豆タイプの人間で。行動は大胆なんですけど、結構うじゃうじゃ、細かいことを色々考えて、意外に気を使ってるよねとか、気にしいだよねっていうふうに言われますし。自分でも、やることは大胆なのに、こんな細かいこと考えてるなっていうふうに思ったことはありますね。

toki:なるほど。そんな今の自分を、ご自身ではどういうふうに捉えていらっしゃいますか?

まよ:今の自分に対して……でも昔は、0か100思想で、やるかやらないかって極端なところがあって、猪突猛進、もう決めたらそれに向かって突進してくタイプだったんですけど、最近は結構バランスが取れてきたかなっていうふうには思います。
それを「まよ、つまらなくなってきたね」っていうふうに友達から言われることもあったんですけれども、やっぱり障害を抱えていろいろ感じる中で、特別なイベントが大切っていうこともそうなんですけども、日常生活を健康で生きることの大切さに少しずつ気づき始めて、昔よりは毎日丁寧に生きるようになったのかなというふうには思ってます。

過去:第一志望の大学の願書を提出し忘れるというまさかのミスを犯して。それが発覚したとき私、泣くのではなく、笑ってしまったんです。

toki:小さい頃はどんなお子さんでしたか?

まよ:小さい頃は、その時も結構病弱でした。意思は強いし頑固なんですけど、内気なところもありましたね。人見知りをしちゃって、友達も全然いなかったし。
10歳まで小児喘息を抱えていて。小学3年生の時に、突然呼吸がしづらくなって小児喘息だと思って病院に駆け込んだら、実は心因性のものとわかって。それで、カウンセリングに1年間通ったり、その後、3週間ぐらい入院したりして、一時期は不登校にもなりました。
小さい頃は、あんまり明るいわけではなかったですね。

toki:そのような気質はいつ頃まで続いたのでしょうか?

まよ:自分ではっきり覚えているのは、小学5年生の頃に、潰瘍性大腸炎っていう、腸に炎症が起こって血便が出たり、下痢が止まらなくなったりする病気にかかりまして。私の場合は、食べられないものもたくさんありましたし、下痢もひどかったんですけど、特におならがひどくてですね。もう超臭いにおい付きのおならがすごく出てしまうみたいな。それで、一応難病認定も出まして。10歳で難病認定になって、家族や周りは「大変だね」ってなってますし、私も結構気分が暗くなってしまったんですけれども。

それで、中学生になって、当時のクラスは、いつもは賑やかなクラスだったんですけど、ある時すごく静かだったんですよ。運動会を前にグループワークしてたのかな。その静まり返ってる教室で、私がとてつもなくでかいおならをぶっぱなしてしまいまして。そしたら、一旦静かになった後に、爆笑が起こったんですよ。
そんで「こいつ女なのにおならしやがった、ありえねー」とか、私が座ってた椅子の持ち主、その時グループワークだったので席を移動していたんですけど、その椅子の持ち主の男の子が、給食用のアルコールを全部ぶちまけまして。消毒だって言って。それを先生に怒られて、そしたらその子がブチギレして「俺は悪くない、全部まよが悪いんだ」って言って、とりあえずカオスになってしまったんですよ。

toki:わあ。

まよ:とりあえず、私もすごい恥ずかしかったし、穴があったら入りたかったんですけれども。でも、自分の抱えていた難病が、皆に笑われることによって、ちょっとどうでもよくなってしまったっていうか、そこで振り切れたんですね。
その後も、おならとかをすることで、全然女の子として見られなくて、みんなにすごくいじられるので恋愛とかもうまくいかなかったんですけれども。
潰瘍性大腸炎というのは難病ですし、もちろん大変な病気だったんですけれども、自分のおならでそんなに笑ってくれる人がいて、いじってくれて、そうやって笑いを生めるのはちょっとオイシイなっていうふうに思うようになりました。
少しずつ明るくなっていったのは、もしかしたらそのおならが原因なのかなっていうふうに思ってますね。

toki:すごくなるほどです。ありがとうございます。その後、中学校生活はいかがでしたか?

まよ:中学の区の抽選に落ちちゃって。私、小学生の頃から、母の友人でジャーナリストをしている人の影響で、ジャーナリストになりたかったんですけど、落ちちゃった中学校は新聞部が有名で、全国優勝とかしているところで、そこに入学して新聞部に入るんだって思っていたんですけれども、抽選に落ちて、新聞部も何もない学校に行って。
そこで、今まで全然運動してこなかったけれど、バスケやってみようってバスケ部に入って、そこで体力がついてったら、もうどんどんどんどん明るく、快活になっていって。そしたら、小学校とかのときに趣味だった文章を書くことであったりだとか、本を読むことっていうのが、部活の方に力を入れたことで少しずつ遠のいて、中学時代はあんまりしないようになりました。
もう中学のときは、本当にみんなが認めるような陽キャ。率先して笑いをとっていくみたいな感じでしたね。

toki:そうなんですね。
小学生の時のおならのお話もありましたけど、みんなに「笑われる」ことが、嫌だなと思う人もいると思うんですよね。一方で、まよさんは人に「笑われる」、というより「笑ってもらえる」ことを喜びに感じていらっしゃるなと思ったのですが、そうやって「笑われる」ことを肯定的に捉えられるのはなぜなんですかね。

まよ:そうですね、最初に血便の症状が出て、病院に行って、難病ですって言われたとき、頭が真っ白になってしまって。そのとき、難病っていうと、小5の私の拙い知識だと、当時は難病で死んでいくラブドラマみたいなのが流行っていたので、すぐに「死」が思い浮かんで「私やばいの!?」みたいな感じで。先生に「私死ぬんですか?」って焦って聞いたら、「潰瘍性大腸炎では死にませんよ」って言われて、そこで一気に、生きてられるんだみたいな感じで明るくなれたんですね。そこで一気にマイナスからプラスになって、その時から全体的にポジティブになったというか。やっぱり、地として人を笑わせるのが好きだったってのもあると思うんですけれども。

toki:ほうほう。

まよ:あとは、潰瘍性大腸炎で、10歳までに発症するってのは確か全体の5%ぐらいで。まだ物心を確立する前になったので、笑いの方にうまく切り替えられたんだと思います。
例えば、高校生とか、20代の女性がいきなりおならをするようになったとしたら、それはものすごく切り替えが大変だったと思うんですけれども、私は気心知れた小学校のメンバーとか、中学のメンバーの前でそれができたっていうことで、うまく笑いの方に切り替えられた。人格が形成されるそのときに笑いの方に切り替えられたっていうのが結構でかかったのかなっていうふうに思ってます。

toki:なるほど。ありがとうございます。先ほどは中学時代についてお聞きしましたが、高校時代はいかがでしたか?

まよ:高校は、国際科のある高校に行きたくて、猛勉強して入ったんです。でも、国際科のある学校だったので、みんな海外経験豊富で、帰国子女が多くて、なんなら英語は元々最初からペラペラみたいな感じで。私としては、中学のときまでは率先して笑いを取りに行っているっていう自覚があったので、高校に入って、もう帰国子女だとか海外経験があるとか無いとか、それ以前に私パスポートも持ってないんですけど、みたいな感じで。自分のキャラ付けが全くなくて、そこですごく落ち込んだんです。
そこでやっぱり、高校受験をするにあたって、自分が小学校のときから抱いてた、ジャーナリストになりたいっていう夢が大きくなってきて。で、ジャーナリストだけじゃなくて、文章で何かしらやりたいっていう気持ちがふつふつとあったんですね。

toki:はい。

まよ:で、高校では女子サッカー部に入っていたんですが、行事系がすごい活発で、派手にやる学校だったので、例えば寸劇の脚本を書く機会とかが色々あって、私はそれに立候補して、文化祭の劇や新入生歓迎会、フェアウェルパーティーで、笑いのショートストーリーみたいなのを書いて、みんなに演じてもらって、それを演出したりして、皆さんの前で披露するみたいなのを何回かやって。
で、やっぱり文章書くの好きだなとか、やっぱり私こういう道に進みたいなっていうので、入学当時は本当にキャラがなかった自分を、文章を書くことで私こういうこともできるんだっていうふうになって。だんだん、それが本当にやりたいことなんだなって気づけたのが高校時代でしたね。

toki:なるほど。ちなみに、ジャーナリストになりたかったというお話でしたが、ジャーナリストという仕事のどんな部分に惹かれていらっしゃったのでしょうか?

まよ:私の母の友人が、ジャーナリストとかインタビュアーみたいなお仕事をされている方で、小学生のときに、「夜回り先生」の本を読んでいたら、母が、友人の〇〇さんがその方にインタビューしてきたよって、そのインタビュー記事を読ませてくれたんです。
私は、その夜回り先生の講演で会って話を聞いてみたかったんですけれども、私は当時からいろんな人の話を聞くのも好きだったし、自分が話すのも好きだったし、本を読むのも文章書くのも好きだったので、その”好き”が仕事にできるんだって繋がりで、具体的にジャーナリストって言うのが浮かんできましたね。

toki:好きなことを仕事にしたいという思いは、もうその時から持っていらっしゃったわけですね。
高校時代を経て、その後はどうされたのでしょうか?

まよ:高校時代は、学校のイベントや行事にすごく力を入れて、部活もやってましたし、校外活動も色々やってたんですけれど、高校卒業して浪人してしまって。第一志望の大学の受験願書を提出し忘れるというまさかのミスを犯して。それが発覚したとき、私、泣くではなく笑ってしまったんです。あまりにも情けないミスというか、もう自分がすごくまぬけだなと思って、そこで笑ってしまって。我が家は母、父、姉、弟、私の5人家族なんですけれども。女性陣はみんなそれを聞いて笑って、男性陣はみんな泣くっていう。なんか面白いなって思ったんですけど。
それで浪人して、予備校に通ってるときに双極性障害Ⅰ型を発症してっていう形でしたね。発症して、結局大学に入るまで、浪人してると言いつつも、実態はもう引きこもりニートみたいな感じで。勉強もしないし、もうひたすら布団の中とか部屋の中に閉じこもって、家の外にも出ない、全然誰とも連絡を取らないっていう時期を経て、まあ何とか大学に入ったって感じですね。

toki:願書を出し忘れたことに気づいた時、笑っていらっしゃったんですか。

まよ:そうですね。やけくそになったのかもしれませんが、爆笑しました。
その双極性障害っていうのが、躁な状態と鬱の状態を繰り返す病気でして。私の場合は、2回大きな躁の状態があったんですけれども。夜中に神社でアカペラで熱唱して、警察に連れてかれたこともありましたし、なけなしの30万の貯金を1週間ぐらいで使い切ったり、あと小学校卒業して以来全く連絡を取っていない小学校の卒業生全員にはがきを出したりとか。あとは家出したり、公園の花壇にある花を全部抜き取ってそれを砲丸投げみたいにして投げて警察に連れて行かれたりみたいな。そういう奇行を繰り返して。
私はⅠ型なので、本当に躁がひどい状態になるとそういうこともしてしまうんです。それだけじゃなくて、地味なところで言えば、いきなりルワンダに留学に行くって言って家族を慌てさせたりとか、本当にそういう突飛なことをしてしまう、万能感に包まれて、何でもできるみたいな感じ。「アイアム ゴッド」みたいな感じになってしまって。

toki:はい。

まよ:そういう躁の状態があると、その反動で鬱の状態もあって、躁鬱のジェットコースターみたいな上がり下がりを経て、もうとことん疲れてしまって、最終的にその大学に入学するまで2年間引きこもって、大学に入学した後も1年目に、また躁の状態がきて、今度は閉鎖病棟に入院することになってしまって、3ヶ月。その後にまた2年間、休学っていう形で引きこもり生活を送ってたって感じですね。

toki:なるほど。でも引きこもっていた間も、大学に入りたいという思いは消えなかったんですね。

まよ:そうですね。人間って、多分うまくレールに乗っているときは、自分のコンプレックスだとか、何に偏見を持ってるかって気づきにくいと思うんです。
私は浪人生として、と言っても実態はもう浪人生ですらない、勉強すらしてない状態で、ひたすら部屋に閉じこもって毎日2ちゃんねるとかの掲示板を見て、自分よりマシじゃない人間を探しては、心の中で貶めて自分の居場所を保ったり、もう情けない自己肯定なんですけれども。あとは自分と似た状態の人を見て、自分でもまだ希望があるんじゃないかってなんとか思い込もうとしたりだとかするときを経て、やっぱり自分の中に学歴コンプレックスがあったんだなっていうことに気がついて。
最初の方は、一浪したからには何々大学以上じゃないと何かダサイよねとか、二浪したんだから、ここの大学以上は入っておきたいっていうふうだったんですけれども、最終的にその2年目の浪人…浪人っていう言葉もあれなんですけど、引きこもってる時期のときに、大好きだった祖母が亡くなりまして。祖母はずっと体調を崩して、特養施設に入ってたんですけれども、そこへ集まった優秀な親戚に会うのが嫌で、大好きな祖母のお見舞いに引きこもっていた2年間は全然行けてなかったんですよ。
で、自分のつまらないプライドのせいで、大好きな祖母を大切にできなかったっていうことをお葬式のときに猛烈に後悔しまして。それがその浪人の2年目の12月で。今度はもう大学名だの何だの気にしてられないから、とりあえずこの部屋から出ようっていうので、そこから3ヶ月はめちゃめちゃ勉強して。運良く拾っていただける大学があって、大学に行ったって感じですね。

toki:部屋を出てみて、大学生活はいかがでしたか?

まよ:すごい楽しかったですね。やっぱり2年間、暗黒の時代があったので、もう何をするにも楽しくてキラキラしたんですけども。本当はそうやってキラキラする中でも、双極性障害の、特に躁の状態を発症しないためには自分でブレーキをかける必要があったんですね。
でも楽しさにかまけて、だんだんブレーキを踏むことを怠って。そしたら、大学1年生の8月、9月に躁を発症して、もう止まらなくなってそのまま激躁状態になって、今度は入院になってしまって。で、また休学っていう形でしたね。

toki:なるほど。休学後は大学には復帰されたのでしょうか?

まよ:そうですね。休学した1年目、同期が2年生のときにも復学しようとしたんですけど、どうしても通うことができなくて、その年も休学して。3回目の1年生をやったときに、学校側からもう今年がラストチャンスですよ、これ以上休学したら、除籍処分になりますよって手紙が届きまして。これはもう四の五の言ってられないっていうので、もう必死になって戻って、何とかついていって、3回1年生をやり直して卒業できたって感じですね。

toki:卒業後は就職されたんですか?

まよ:はい、就職しました。

toki:差し支えなければ就職先について教えてください。

まよ:都内の一般企業ですね。私は、やっぱりずっとジャーナリストになりたいっていう気持ちが心の中にあって。大学入った以前も以後も、病気のことでいろんなことがあって、いろんな活動ができなくなってしまったんですけれども。でもやっぱり、心の奥底で、物を書く仕事はしたいなっていうふうには思っていて。新聞社を受けるか、それとも障害者雇用枠で自分の行けるところ、条件のいいところを受けて現実を見るかっていうふうになって。
障害者雇用枠のある新聞社もあったんですけれども、転勤が必ずあるっていうことと、例えば選挙前とかはハードワークになって難しいんじゃないかっていうことで、結局自分の中で、この条件で入れる一番いいところを選ぼうと思って、自分に合ったということはもちろん、障害者雇用枠での就活のときに、いろいろ支店訪問やOBOG訪問をして、この会社ならいいところだなというふうに感じられた職場に内定をいただいて、そのまま就職しました。

toki:なるほど。ありがとうございます。
ちょっと質問の内容が変わってしまうんですけども、今までちょこちょこご家族のお話が出てきましたよね。これまで、ご家族とのご関係はいかがでしたか?

まよ:家族との関係はですね、やっぱり元々仲の良い家族ではあったんですけれども、私は1回レールから外れたときや、ちょっと立ち直ることが必要な挫折にあったときに必要なものは、3つあるかなっていうふうに自分の経験で思ってて。時間とお金と、自分自身と周りからの理解の3つが必要だなって考えているんです。
私は、やっぱり浪人させてもらったときもそうですし、2年間浪人って体でやっているときも、お金も出してもらいましたし、時間ももらえましたし。あと何より、家族からの理解があって自分は立ち直れたと思うので。家族との関係は、病気になる前からすごくよかったです。

toki:そうなんですね。

まよ:私、姉とは小学1年生から姉が結婚して家を出るまで、18年間ぐらい相部屋だったんです。私が引きこもって布団から出てこないときも、姉と部屋をシェアしてたんですけれども。
当時、ずっと引きこもってて情けないとか、誰とも連絡を取ってなくて、もう自分の殻に閉じこもってるのが苦しいみたいなことを、当時お世話になっていた精神科の先生に話したら、その先生が「あなた、お姉さんと相部屋ですよね」っておっしゃって。「それって正しく引きこもれているんですか?」って言われまして。そこで私、その通りだなと思って爆笑してしまったんですよ、診察室で。
その時も、自分のことを客観的に俯瞰して、笑えたことでちょっと楽になったので、やっぱり私にとって笑いにできるかできないかっていうのは結構大きなポイントなのかなっていうふうに思っています。

toki:「正しく引きこもれているんですか」は、かなり面白いですね(笑)。

まよ:私も、その時すごく「確かに!」と思って。正しく引きこもれているんですかってちょっとパワーワードすぎて。
母も父も、息をする粗大ゴミみたいなのが隣にいる中、相部屋だった姉も、思春期だった弟も、変わらず接してくれていたので、本当に家族には助けてもらったなっていうふうに思ってます。

未来:笑うことで、つらかった自分を突き放して客観的に見られる、その瞬間が私にとって今まですごく大きかったなって

toki:5年後や10年後、何年後でも、もしくは死ぬまでにでも大丈夫なんですけど、これをやりたいとか、こういうふうになっていたいとか、そういったものって何かございますか?

まよ:死ぬまでにっていうのであれば、「笑い皺の素敵なかわいいおばあちゃんになりたい」っていうのがあるんですけれども。それを除くと、やっぱりいつかは文章を書いて、それをまとめて自分なりの本にしたいなっていうふうには思っています。

toki:どういう本を作りたいですか?

まよ:そうですね、今はやっぱり、エッセイを夢中になって書いているので、エッセイを書きたいなって思うのと。
その中でも私この1時間で結構笑いについて話したと思うんですけれども、2月に書いたエッセイで、今でもずっとランキングにランクインし続けているエッセイがあるって言いましたが、そのエッセイは、大学入学の前後で計4年間引きこもっていたときに、半年間ぐらいLINEを開かなかったことがあって。スマホを半年間放置してることって、現代の日本の若い世代にとってはやっぱり社会的な死を意味することだと思うんですけど。それだけLINEを溜めたらどうなるでしょう?っていうクイズから始まる、LINEを半年ぶりに見て、友人とどういう連絡を取り合って、どうやって元の世界に、人間社会に戻ってこれたかっていうのを書いたエッセイで、Twitterでは「これは私の一番死にたかった頃の話です」っていうふうに紹介したんです。
そのエッセイがありがたいことに皆様に読んでいただけて、未だにランクインしていて、何かしら届けられたのかなっていうのはすごく嬉しいことなんですけれども。いつかこのエッセイを超えるような、読んだときに笑えるようなエッセイを書きたいっていうのが近場の目標ですね。

toki:なるほど。

まよ:やっぱり私もいろんな本を読んできて、泣いたりだとか笑ったりだとか悔しくなったりだとか、いろんな気持ちがあって。落ち込んだ時には、しっかり落ち込んでちゃんと泣く時間も絶対に必要なんです。でも最終的に、私はやっぱり心のどこかでその人に笑ってほしいって思ってしまう性があるので。
やっぱり今ランクインするそのエッセイが2位で、それを受けて笑える何かのエッセイが1位にランクインすること。1位2位でワンツーフィニッシュすることが今の最大の目標であり野心でもあったりします。

toki:今、やりたいことについてお伺いしましたが、「こうなりたい」みたいな、自分の内面の部分での目標って何かありますか?

まよ:どういう人になりたいか……。なんか、心の相談室みたいな電話番号があるじゃないですか。困ったときとか、自殺を考えてる人がかける。あれ、昔どこで読んだか定かではないんですけれども、電話をして繋がる確率が確か3%とかっていうのを読んだことがあって。97%は繋がらずに終わってしまうっていうふうな話を聞いたことがあるんですね。
その繋がった3%の人は、もちろん良かったと思うんですけども、私は残りの繋がらなかった97%の人たちの叫びに気付ける人になりたいというか。そのときに何かしら助言を言うっていうのは多分難しいことなので、無理なんですけれども、隣に座ってずっと話を聞いていけるような、心の余裕も時間の余裕も、経済的余裕があればって。自分は引きこもりのときもあったんですけど、こうして一般的な就職ができて、っていうのが、特例ではなく誰かにとっての前例になれればいいなと思っていて。だから、その97%の誰かのちょっとした悩みとか苦しみに寄り添えるような人間になりたいなと思っています。

toki:なるほど。ありがとうございます。
まよさんの中で、「これは譲れない」みたいなこだわりや、大切にしていることは何かありますか?

まよ:元々こだわりがあんまりないタイプというか、好きな芸能人とかいるわけでもなく、推しとかもいないですし。ひとつのことを集中的にこれが好きっていう感じには今まであんまりなったことがなくて。それこそなんでしょう、本を読むときも、いろんな人が好きで、この人の本だけっていうのはあんまりなかったので。でもそれも、多分今まですごく恵まれてきたからであって。
例えば、自分のこだわりって、それが侵害されそうになったときとか、そのこだわりが危うくなったときとかに、その大切さを強く感じると思うんです。それが、私の家族ってすごく話を聞いてくれて、私の自主性とか大切なものを尊重してくれる家族で、姉も弟もそれを侵害してくることもなく優しくて。学校とかでも、陽キャで自分のやりたいことを何でも好きにやれてこれたので。
多分これから先、例えば結婚したりとか、子供が増えたりとかで、自分の時間や大切なものを削って何か他のことのためにしなきゃいけないっていうときに、より強くこだわりを感じるのかなというふうに感じていまして。直近では、結婚とかを考えた場合に、自分の苗字が変わるのが多分すごく嫌なので、それについてパートナーとお話しなければいけないなとは思っているんですけれども。
今までってよりか、これから先? それこそ私が浪人を偽ってた時代に、だんだん自分の学歴コンプレックスだったり学歴に対するこだわりに気づけてたように、恵まれてるときってあんまりそのこだわりを実感できないんじゃないかなっていうふうに思ったりします。

toki:自分の中から何かを削らなければいけないような状態になった時に初めて、自分にとってのこだわりが明らかになるんじゃないか、ということですね。

まよ:そうですね。何かと何かを天秤にかけたときに、自分のことを差し置いてどっちかを優先しなきゃいけないってなって、失った時に気づくものであって。私も今まで、学歴コンプレックスも、大学に入ることで満たされてしまったので。多分これから先、どんどんこだわりが強くなるんじゃないかなっていうふうに思ったりします。

toki:ありがとうございます。さっき、ちょろっと「結婚」と言うお話も出てきたんですけれども、将来的には結婚や、家庭を持つことって考えていらっしゃるんでしょうか?

まよ:今のパートナーと、そのつもりではいますね。

toki:どういう家庭を築きたいですか?

まよ:何だろう。難しいな……。

toki:ゆっくり考えてもらって大丈夫です。

まよ:長く考えた上でつまらない言葉になってしまうんですけど、笑いのあふれた家庭ですかね。また笑いに戻ってしまいますね。

toki:やっぱり笑いは大事?

まよ:笑いは、そうですね。やっぱりこの1時間でお話しした、おならで笑ってしまった話だとか、「それって正しく引きこもれているんですか」であったりとか、笑うことで、つらかった自分を突き放して、客観的に俯瞰して見られる。笑いにすることでピリオドを打って「過去」にする、その瞬間が私にとって今まですごく大きかったなって、1時間話してて思いました。

toki:ありがとうございます。毎回みなさんに、もしもの未来について質問させていただいているんですけれども、まよさんには2つ、お聞きしたくて。
まず、もしも就職するときに新聞社の方を選んでいたとしたら、今の人生ってどうなっていたと思いますか?

まよ:私、昔は人にインタビューしたいだとか、人の話を聞きたいって思ってましたし、そういうことも好きなんですけれども、エッセイを書いてるうちに、私ってこんなに自分のことを喋りたかったんだなっていうことに気づきまして。
こないだ、朝日新聞で行われた、若い女性を対象にしたイベントに参加したんですけれども。その中で、新聞記者で今編集局にいらっしゃる、30代くらいの女性の「かがみよかがみ」の編集局長の方が「新聞社の記者って、自分の書きたいことを書けるのが年に1回の年末の元締めでしかない」みたいな話をされていて。もしかしたら、今新聞社に入っていたら、自分の書きたいことと、実際に書けることが違っていて苦しんでいたのかもしれないなっていうふうには、そのお話を聞いて思いましたね。

toki:なるほど。

まよ:自分で書くことによって、自分の今までを吐き出したりとかする作業っていうのが、今の私にとってはすごく大切な過程だと思うので。新聞記者として人にインタビューして、人のことを書くっていうのは、実はやりたかったこととはちょっとずれていたのかもしれないなっていうふうに、その言葉を聞いて思いましたね。
でもその一方で、人のインタビューをする技術っていうのは、自分を掘り下げて書く上でもすごい大切なことだと思うので、すごく充実した生活だったとは思うんですけれども。
なので、そうですね、新聞社に対する憧れがゼロになったっていうわけでは全くないですし、今でもいい仕事だな、憧れるなって気持ちはありますが、今の生活に不満があるというわけでもないですね。

toki:ありがとうございます。あともう一つ、もしも大学受験で、願書を出してその大学に受かっていたとしたら、その後はどんな人生になっていたと思いますか?

まよ:本当に違う人生だったんじゃないですかね。
2年越しで入れた大学は、実はその第1志望校のところだったんです。願書を出し忘れたところに、ありがたいことに奇跡が起きて、入れたは入れたんですけれども。でも多分、病気の発症も多分してなかったか、もっと遅れたか。下地があったので、いつかは発症してたかもしれないんですけれども、そのタイミングでは多分発症してなかったであろうし、引きこもりもなかったと思うので。
とりあえず言えるのは、多分今インタビュー受けてなかったと思います。で、もっと嫌な奴になってたと思います。

toki:嫌な奴っていうのは、どういう嫌な奴ですか?

まよ:高校時代の私を振り返ってすごく思うのは、猪突猛進で自分のことばかり考えていて、周りに対する配慮とかそういうことが全然できてなくて。で、自分で課外活動だとか、イベントや行事をやって、成功してどんどん自信がついていって、でも当時の私を知る昔からの友人からは「あのときのまよは、なんかあんまり好きじゃなかった」って言われることとかもあって。
今の私も、当時の私のことはあんまり好きじゃないんですね。いや、もちろん若くて自信をつけてるんで良いことはあったとは思うんですけれども。それにしてもちょっと自信をつけすぎてた。鼻が伸び続けたピノキオ状態になっていたので。あそこで失敗するのはすごい苦い経験でしたし、引きこもりに4年かけてすごい遅れてしまったんですけれども、私には必要な苦い薬だったのかなっていうふうには思っています。調子に乗っていた私に、神様が「少し立ち止まって考えろ」ってツッコミを入れてくれた、そういうふうに考えています。

toki:なるほど、前向きに捉えられているんですね。

まよ:そうですね。全てのことを無理やり前向きに考えることは、あんまり好きではないんですけれども。でも、それなりのことはもしかしたらできていたのかもしれないです。それこそ新聞記者としてバリバリやってたのかもしれないですけど、多分、薄い人間、今よりは厚みがない人間だったんじゃないかなっていうふうには思っていますね。

toki:ありがとうございます。そろそろインタビューも終盤になるんですけれども、最後に言い残したことはありますか?

まよ:そうですね、でも本当に、お話聞いていただいてありがとうございました。

toki:いえいえ。こちらこそ、ありがとうございました!

あとがき

今回、参加してくださったまよさんは、ご自身の中で「笑い」をとても大切になさっていました。実際のインタビューも、私の方が声を出して笑ってしまうような場面もあり、とっても和気藹々とした雰囲気。自分自身を客観的にみて突き放すために、”笑い”が大切というお話でしたが、ご自身だけでなく、周りの人も笑顔にさせてしまうようなエネルギーを持った方だなと思いました。(ところで、わきあいあい の あいあい ってめちゃ難しい漢字なんですね)

無名人インタビューは文章での投稿がメインとなるので、どうしても、音声でしか感じられない参加者さんの雰囲気や、インタビューの空気感を伝えることが難しいんですよね(そこを感じられるのがインタビュアーの特権とも言えるのですが)。
まよさんの信条がそのまま現れているかのようなインタビューの様子、100%伝えられないのが悔やまれますが、きっと読んでいただいた皆さんにも、その内容から感じていただけたのではないかと思います。

それから、個人的に染みたのは「レールから外れた時に大切な3つのこと」のお話。
私は、就活がうまくいかず、休学するという道を選んだのですが、それも時間とお金、何よりも、家族の理解があったからこそ成し得たことなのだなと思いました。周りの人のおかげで、今の自分が在るのだということに、気付かされる言葉でした。

今、苦しみや痛みを感じていたとしても、そんなことに悩んでいた自分が馬鹿みたいと、笑い飛ばせる日がいつか訪れるのかもしれない。今の自分を笑い飛ばしている未来の自分を想像してみるだけで、なんとなく少し心が晴れていくような気がします。
まよさん、ありがとうございました!

それでは、次回の無名人インタビューもどうぞお楽しみに。

インタビュー担当:toki

編集協力:生きにくい釘

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