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社会とかマジくそめんどいよみたいなことは言いたくない人

きれいに生きたい。
私、きれいに生きたいの。誰からも憧れられる人生とまでは言いません、でも、ちょっといいよねその生き方、くらいには言われたい。あるいは、あなたの人生、ちょっと真似したよ、みたいな一言でもいただけたら、もう嬉しい、嬉しくてたまらない。
生きる目標がほしい。
誰かに与えてもらえるものなのか。それとも自分で得ないといけないものなのか。
今日の無名人インタビューもよろしくお願いいたしますね。
【まえがき:qbc・栗林康弘(無名人インタビュー主催)】

今回ご参加いただいたのは 古木康大 さんです!

現在:自分の問題をモチベーションに好奇心を外側に向けるんですけど、結局多分自分の世界の中でのところで生きてるんだろうなとは思ってるし。

花梨:古木さんは今何をされている方でしょうか?

古木:仕事としてですか?

花梨:どういったことでも大丈夫です。

古木:キャリアカウンセラーをしてます。

花梨:やられてどれくらいですか?

古木:今の会社に入ってから6年ぐらい経つのかなと思います。

花梨:キャリアカウンセラーはどういった方を対象に、どういったお仕事をされてますか?

古木:会社の事業でいうと、大きく2つあります。企業の方を対象にした教育研修というものと。あとは学校向けに実施するキャリア教育です。

花梨:どちらも古木さんは講師として関わっているということですか?

古木:そうですね。基本、研修も講義も講師としてやってますし。会社、人数としては7名だけなんですけど。講師もやるし、バックオフィスみたいな経理総務とか、あんまり部門がないので。企業活動に伴う活動は全部やるみたいな感じですね。まあ、ただ基本的には講師というか、そういう立場で関わってます。

花梨:講義や研修は、どういった形で行っているんですか?

古木:えーっとですね。基本対面というか実際に一つの会場があって。そこに、まあ受講者の人数は様々ですけど、まあ例えば20人ぐらいいて。そこに私が赴いて、特定のテーマの研修を実施するという内容なんですけど。

そもそも、例えば企業さんだったら人事担当者の方とか経営者の方とお話して、今組織にどんな問題があるのかっていうところから研修ってアプローチでお役に立てるようであれば、提案して実施する。そしてまた振り返りをするというところも含めてやりますし。学校教育も結局今、学生にどんなことを学んでほしいですかとかどんな姿になっていったらいいですかっていうところから話していって、講義を組み立てていくような感じです。

花梨:お仕事をされている時はどんな気持ちになることが多いですか?

古木:気持ちですか。なるほど。気持ちかー。そうですね。最近はなんか忙しいなって感じてます。365日あるとしたら、講師として登壇してる日数って今の私の立場だと、1ヶ月に1日とか2日とかかなと思ってて。あとは、例えば研修の内容を作ったりとか。いろいろお客様と出会ってそこに赴いたりとか、経理やったり総務やったり。仕事は無限にあるのでまあ忙しいなっていうことと。

講師として登壇してるときっていうのは、目の前に受講者さんがいて。なんかもちろんそのやるべき内容は決まっててそれをやるんですけど。受講者さんの反応とか、そもそも今目の前にいる受講者さんって何を考えてるのかなみたいなところを考えながらやるので、なんかすごい集中してる感覚は講師としているときはありますね。

花梨:古木さんにとって忙しいという感覚は、プラスマイナスで言うとどちらに近いですか?

古木:どっちにも転がりうると思ってて。忙しさっていうのはこの日々の充実感だったりとか、今の会社2社目なんですけど、仕事がないよりはあった方がいいなと思ってるので。適度な忙しさであれば充実感ややりがいに繋がると思いつつ。やってもやっても終わんねーみたいなときは、やっぱりなんか削がれていく感じですよね。主に精神の方が、消費できたことよりも出来なかった事に目がいって、明日もかーみたいな。まあでも、そうっすねー。総合して今平均で考えるとちょっとプラスに触れるぐらい。ちょっとじゃないかな。まあそうですね、プラスに触れるぐらい今の仕事には満足している状態だとは思ってます、今は。

花梨:受講者に対して集中しているという感覚は、具体的にはどんなものですか?

古木:どういう状態なんでしょうね。やっぱりその、やるべき内容はあるんですよ。それは結局、企業の方、人事担当者、経営者の方と話して、そもそも組織にこういう問題があるからこういう研修やりましょうっていう風に提案してるものがまず土台にあるので、これ学校の講義もそうですけど。だから、受講者さんと向き合う前に大体今日1時間半ないしは1日で何をするかって決めてやり始めるわけですけど。なんか言葉ってそもそも伝わってるんだろうかとか、投げかけたときの。あとはなんですかね。

例えば学生さんで言うと、目の前に40人いたらやる気のある子もいればやる気のない子もいるわけですよ。だから、なんかそことまずは向き合っていかないと言葉が素通りするばっかりで、受講者の方のモチベーションを上げたりとか、まずは受講者の方の言葉を受容するとか、信頼関係を作っていくとか。だから、やることやらないとなーっていう意識と、今目の前の人たちって何考えてんのかなっていう意識が、ちょっとマルチタスクみたいな状況で存在してるので、忙しいですね。また忙しいって言葉出ましたけど。

実際、カウンセリングとかもやるんですけど、そこは一対一で向き合って、別にカウンセリング自体はあっちから出てくる言葉をまずは聞けばいいので。そこは1回まずは耳を傾けるみたいな姿勢から入れるんですけど。研修とか講義は元々やることが決まっててっていう部分はあるので、そことのバランスを見ながらっていう意識でやってたりするかもしれない。

花梨:そうですね。古木さんはご自身の性格について、どう考えられていますか?

古木:性格ですか。

花梨:はい。

古木:これも結構シチュエーションによると思ってるんですけど。個人のときと、仕事のときと。いろいろあるなーと思いつつ、うーん。性格か。仕事においては几帳面な方だとは思っていて。ただ本来は、本当におおらかになんかざっくり生きていきたいんですけど。なんかあんまり今、さっと自分の性格を言い表せる言葉が浮かばないですね。

花梨:几帳面さを、お仕事中に実感される場面は何かありますか?

古木:仕事の進め方として、リスクを潰していく仕事の進め方をするんですよ。本当にこの工程が終わってるかどうかとか、細かく細かくプロセスを見ていったりとか、そういう几帳面さかなと思いますね。

花梨:対して、本来はおおらかにという点は具体的には?

古木:なんか大学生の頃までは、結構あんまり何も考えず能天気に生きてきた気がするんですよ。でも、社会人になってから、特に組織の中にいるときに、失敗しないようにしないととか。そういう意識が働いた結果、几帳面さだったりとかリスクを潰す仕事の進め方が身についていったと思うんですけど。そこはまあ、現時点においては細かくプロセスを見るっていうのは自分の仕事上の強みになっている部分もあると思いつつ、なんかそれは結構仕事人として身につけていったものであると思っていて。本来の自分の性格で考えると、もうちょっとぱっぱらぱーな感じで。気楽に生きていきてえみたいな。なんかこれ願望に近いかもしれないすけど。なんとかなるでしょみたいな風なのが、プライベートには近い気がするんですけど。まああとは、好奇心旺盛な部分はあると思うんですよね。

花梨:好奇心。

古木:好奇心旺盛っていうのは、好奇心旺盛っていうのは。結構なんか年間で振り返っても、自分がそのとき興味のあることって結構コロコロ変わったりするんですよ。飽き性といったら飽き性だし、なんかいろいろ興味を持って動けてたりはするなと思いつつも。毎回自分が興味があることって結構自分に紐づいたことなので、自分の世界で生きるの好きなんだろうなと思ってます、自分は。

花梨:紐づいたことって、例えばどんなことに興味あったんですか。

古木:うーんとですね。例えば今自分が悩んでいることを原動力にしてちょっと考えてみようとか。誰かが困ってるからそれについて調べようっていう訳じゃなくて、自分は今これについて困ってるからちょっと調べてみようとか。例えば、1社目のときに転職したいからという理由で、異業種交流会を主催してたりしたんですけど。異業種交流会を主催してると、周りからはなんか人と関わるの好きなんですねとか、こういう出会いの機会を提供してすごいですねとか言われたんですけど。

そもそも自分のためにやってることなんで、なんかあんまりこう、なんですかね。社会貢献みたいなところがちょっとピンときてない。ピンときてないっていうか社会貢献みたいな風に言ったりはしましたけど、なんか実際実質的には自分のためになることをやってると思ってるので。自分の問題をモチベーションに好奇心を外側に向けるんですけど、結局多分自分の世界の中でのところで生きてるんだろうなとは思ってるし。今はなんかそれが悪くないというか、自分のモチベーションというのはそっから来るんだろうなっていう感覚はあります。

花梨:ちなみに最近、興味のあることってありますか?

古木:最近は認知行動療法ってやつなんですけど。要はその認知をコントロールしようっていう話で。認知というのはその外界の捉え方だったりとか自身の思考のフレームみたいなものなんですけど。仕事でモヤモヤしてるときとか仕事で悩んでるとことかなんで悩んでんだろうなって考えたときに、やっぱりその起きた出来事を自身がどう解釈したかによって、自分の感情、どんな感情が湧き上がってくるかが決まってくると思っていて。

だから起きた出来事をどう解釈するかっていう、そこをコントロールすることが自分の感情のコントロールに繋がるんだろうなーと思って。最近は認知行動療法っていうものいいなーみたいな。風に思いつつもこのモチベーションってどれだけ持続するんだろうなと思ったりとか。でも、キャリアカウンセラー研修講師として自分の専門性を作っていきたいので、なんかライフワークみたいなものになっていけばいいなーと思いながら、ちょっと興味を持ってるみたいな感じですね。

花梨:認知行動療法も、ご自身の問題が起点になって興味を持たれたということですか?

古木:そうですそうです。

花梨:ちなみに、どんなきっかけがあったんですか?

古木:なんか多分自分の思考の中に、期待を裏切ったら見放されるとか、ちゃんとしてないと見限られるみたいな信念がある気がするんですよ。信念っていうとなんか、ポジティブな意味合いに聞こえるかもしれないすけど。それは多分、例えば1社目って全然産業廃棄物の仕事してたので、全然今の研修講師と違うんですけど。そこでちょっといろいろ仕事に悩んだときに、なんかこう自分がすごい取り繕ってるなとか、なんかめちゃくちゃ無理してるなーみたいなところからなんか変なスイッチが入って、そういう信念、誤った信念みたいなものが自分に根付いてしまった部分があると思うんですけど。

やっぱり転職しても、たまにそういうのが顔を覗くというか、どっちかというと先に感情が来るので、怒ってたりとかイライラしてたりとか。仕事でのイライラを、今家族と子供2人いるんですけど、家庭にもちょっと影響を及ぼして。で、後から振り返ると、別にあれは子供にイライラしたんじゃなくて、あっまあ子供にイライラしたんですけど原因は多分仕事だとか、なんか後からわかる。例えば、何でか後輩にすごいイライラするなとか、冷静になって考えたら、で誰かに話してみたりすると、どうしてそれってそんなに古木にとってイライラするのみたいな。なんか今話聞いたらそんな、そんなかな? みたいなやり取りをして。

なんか多分自分がすごくこだわってる部分あるんだろうなとか思うと、まあさっきの期待に応えないと見放されるみたいなのは一例であって。自分の中に根付いている思考が原因になってなんか振り回されてる部分がある気がしてて。一例としては、前職のその誤った信念みたいなものが、ちょっと振り回されて変に消耗したりとかしてる自分がいるなって思うと。そこはなんか認知を変えたいなとか、その方が生きやすくなると思っていて。生きづらいなと思う瞬間があったときは、それは出来事のせいにしちゃうとアンコントロールの話になっちゃうんで。認知をコントロールすることで改善するんだったらそれは自分にもできそうだなみたいな感じですね。

過去:なんか環境って自分で変えれるんだなっていうことに気づけたのが大きかったなと思います。

花梨:古木さんは幼少期、どんなお子さんでしたか?

古木:うーん。なんか、あんまり記憶ないんですよね。人によって思い出せる解像度も違えば、期間も違うと思うんですけど。私あんまり中学校ぐらいまで、何考えてたんだっけ自分ぐらいの記憶の曖昧さであって。幼少期。なんか自分が幼少期に何を考えていたかまではわかんないですけど写真みたいな記憶で残ってるのは、兄の後を着いていったりとか。

花梨:蟻の後ですか?

古木:あっ兄です。ブラザーの方です。まあ、蟻の後を追っかけていたこともあるかもしれないですけど。あとはなんだろう、おじいちゃん相手にウルトラマンごっこしたりとか、そんな幼少期っていうと保育園とか、そんな感じだったかもしれないですね。

花梨:当時好きだったこととか覚えていますか?

古木:好きだったこと。なんか楽しかった記憶はあるんですけど、何が楽しかったのかは覚えてなくて。ただ不満はなかったんですよね正直。友達と遊ぶの好きだったし、別に学校も苦じゃなかったし。だから、そういう意味では高校ぐらいからいろいろ悩みとかができたところから記憶が、記憶というか自分が何を考えたかを振り返ることができるんですけど。中学校までは本当に、なんかまあ楽しかったなみたいなー。でもなんか小学校はクラス委員とか、中学校では生徒会長とか。両親が教師なんですけど、小学校教師。なんかそういうちょっと強引にいい子の位置づけみたいなのはあったと思いますね。でも、それもそんな無理してたわけでもなく。あといじめとかに特に巻き込まれたわけでもなく、特に悩みもなく楽しく生きていたなーみたいな。

花梨:中学校時代、覚えていることとか、印象に残ってることって何かありますか?

古木:中学校。運動会楽しかったなとか、あーあと柔道部だったんですよ、中学校。柔道部は、記憶にいろいろ残ってますね。なんか、別に強くはなかったんですけど。どっちかっていうとなんかめちゃくちゃな部で。普通に蹴鞠やってたりとか、全然柔道関係ないんですけど。じゃんけんして、負けたら罰ゲームで好きでもない女の子に告白しに行ったりとか、柔道場の外を見ていて、一番最初によぎった人に声をかけに行く罰ゲームをするとか。なんかあの、防犯ブザーあるじゃないですか。防犯ブザーを鳴らした状態でキャッチボールしてたら上の屋根に引っかかって取れなくなっちゃって鳴り続けたとか。なんかそういう、めちゃくちゃだったなみたいな、あれはあれで印象深かったみたいな。そんな記憶はありますね。

花梨:部内でのそういった出来事が起きた時、古木さんはどういった立場なんですか?

古木:あれやろうこれやろうって言ってくるやつは別にいて。で、私は割とまとめ役っていうわけでもなくて、なんでしょうね。自分的にはなんかナンバー2みたいな感じでいたような感覚はあるんですけど、かといって別に罰ゲームの対象にならないわけではなく。ある意味平等な立場で争いに臨んでたみたいな。でも、1人はそうですね。1人はもう完全に主導権を握るやつがいたので、別にいじめとかじゃないんですけど。怯えてた訳でもなく、そういうちょっとめちゃくちゃな感じを楽しんでたような自分もいたような気がしますね。

花梨:高校生活はいかがでした?

古木:高校はですね、ラグビー部に入ったんですよ。それが楽しかったなっていう、体を思いっきり動かせて楽しかったなーっていうことと。あとはー、結局高校で彼女ができなくて、文理選択の瞬間があったんですけど、本当に未来のこと何も考えなくて。なんか女の子の比率が多いからっていう理由で文系を選択したんですよ。

でも、結局のところできず。まあ、でも文化祭とか頑張ったりして。どちらにせよ高校から、小中は一貫というか地元で小学校で6年間過ごした大部分が中学校に移行したりして、ほぼほぼ何か小中一貫みたいな感じで。楽しくですね、過ごせていたんですけど。

高校になると、2クラスだったところがいきなり6クラスになって。なんか友達の作り方がよく分からんくなって、本当に最初の1年の頃に。なんかどうやって友達作ってたんだっけみたいな。そこで、初対面の人と仲良くなる、友達になるみたいなの結構大変だなとか、しんどみたいな。コミュニケーションに関する悩みみたいなものが生まれて、そこからやっとまともな悩みと向き合うようになったなーみたいな感じですね。

花梨:この悩みに対しては、どのように向き合っていたんですか?

古木:あんま向き合ってないですよね。なんか再現性がないっていうか結局。あのーなんかまあもがいていたら、2、3人仲のいいやつができて。そこで居場所ができて落ち着いたみたいな。これって結局大学も一緒で。大学も本当に入ったときにどうやって友達作っていいかわからなくて。で、別に高校で教訓みたいなものを得てなかったので、あわわーって言ってたら結局また居場所が、どっかのタイミングで仲いい友達ができて、落ち着いて。その足場が安定するまではちょっと不安定な時期が、続いたって言っても1ヶ月前ぐらいですけど、どっちも。

やっぱりその高校に入ったときの、周り知らない人ばっかりだなとか、かといってどんどんグループもできていくし、なんか早く友達作らないとみたいな。あれなんか勝手に仲良くなるんじゃなかったっけあれ? みたいな。仲良くならなきゃってこれどういうモチベーションで関わっていけばいいんだみたいな。そういうコミュニケーションの悩みに、ぶち当たったのは高校の最初の、なんかリアリティショックみたいな感じでした。

花梨:進学した大学は、どうやって選びましたか?

古木:うーんと。まず、何考えてましたかね。なんか、そのとき確か海猿の映画がやってて。海猿って分かります?

花梨:分かります、分かります。

古木:潜水士の映画なんですけど。なんとなく自然いいなみたいな感じに思って。海いいなみたいな。潜水士になりたいから東海大学でも行くかみたいな感じに思って、東海大学覗いてみたりとか、なんか謎に一橋大学のオープンキャンパス行ったりしてたんですけど。結局東海大学が海猿で血を吐くシーンがあったのでそれでやめて。なんか我ながら浅って感じなんですけど。結局、私富山県なんですけど、出身。家から近いけど一人暮らししたいなっていうこととか、あとまあ正直特にやりたいこともなかったので学費安い方がいいから国立大に行こうとか。

あとは、でもなんか新しそうなことが好きだったので、近くの国立大といったら富山大学金沢大学だなって感じだったんですけど。富山大学は一人暮らしできなさそうなので金沢大学だなーって言って、石川県の金沢大学にして。あとはなんか、聞いたことある学部よりは全然聞いたことない学部行ってみよって思ったんで。本当に、そのときできた学部の1期生みたいな感じで入って、何が起こるか楽しみだなーみたいな、可能性いっぱいみたいなそういう選択基準で大学を決めた気がします。

花梨:大学生活は4年間いかがでした?

古木:大学生活は楽しかったですね。友達どうやったら作るみたいなのもありましたけど、バイトも楽しかったし。やっぱりいくつか居場所ができるともう安定して。ただ今、研修講師とかキャリア教育の講師をやる立場になってあの大学生活を振り返ると、なんかあんまり軸みたいなものはなかったなと思ってて。

古木:あー軸ですか。

古木:そうっすねー。まあなんか、自然が好きとか、じゃあ炭焼き窯でも作ろうとか、自然が好きだから能登に旅行に行こうとか。なんかよくわからんけど海外に行ったらなんか変わるんかなと思って、タイのNGOに行ったときもあるんですけど。別に長期的なものを見据えて逆算して動いた行動っていうよりは、そのとき浮かんできた興味を追いかけていった感じだったので。

あとは、なんか自由な時間がありすぎて。マージナルマンというか社会にも出てないし、別に高校みたいにガッツリ時間割に組み込まれてるわけでもないし。なんかタラタラ自由な膨大な時間の前に圧倒されて早く社会人になりたいみたいな風にも思ってもいましたし。なんか楽しかったですけどふわふわしてましたね。

花梨:早く社会人にっていうのは、どういう?

古木:何者にも貢献してないなって思ってて。バイトもしてますけど、別にバイトぐらいなんか、そのときは誰でもできるでしょみたいな風に思ってたりとか、別に僕じゃなくていいよねみたいな。大学生活を全うするための活動ですけど、それはある意味自分のための活動であって。なんか全然社会に貢献してないから、あんまり満たされてないというか。うん、って感じですね。

花梨:大学卒業後は、どんな生活を送られてました?

古木:大学卒業は、結局地元に帰ろうっていう感じになって。まずは就職なんですけど、そのときも新しいものだとか、自然いいよねとか。あとなんかリサイクルっていいよねみたいな、めっちゃ社会の役に立ってるよねと思って。それで産業廃棄物中間処理業の仕事に就いたんですけど。その地元の会社が今から列車やるよみたいな、列車の解体もやるぜみたいな新規性を押し出しててそのとき。そこで、自分が大学選んだときみたいな、新しいものに飛び込んでいきたいとか、可能性があるものに飛び込んでいきたいみたいな。可能性あるというか、可能性を感じるものに飛び込んでいきたいなところで飛び込んできたんですけど。

結局4年勤めたんですけど、入社して1週間で本当にすごく悩み出して。なんか、人間関係とか、何て言うんですか。自分が理想としてる、働くイメージと現実のギャップみたいなものとか。で、転職しよって本当に1年目から思ってたんですけど。ただなんかこう、転職したいから転職した結果、今より悪い状況だったらどうしようとか。新卒で入ってるんで、なんか割と1社目って世界の全てみたいな風に思えちゃって。これは、転職したいからという動機で転職してはいかんなと思って。なんか自分のやりたいことを見つけてから転職しないと、状況が悪かったら終わりだぞみたいな。

かといって、社内で相談できる人もいなかったので、じゃあまずは人脈を広げないとかなと思って異業種交流会やって。異業種交流会を3年続けて、なんか結果、異業種交流会を開催することが目的になっちゃって。何のために、あれ? 異業種交流会を始めたんだっけっていうところに立ち戻って全然転職できてねえなっていうところになり。1回異業種交流会やめようと思って、もうこれは人に聞くしかないみたいな感じでなんか、こんな自分になりたいんですけどどうすればいいですかみたいな風な質問を、自分がこうなりたいっていうイメージと近い人に聞いてったら、今の会社の社員の人に出会って。で、セミナーやってますみたいな風に言われたからセミナー行ったら、いいねみたいな感じになり。転職を希望しますみたいな話をして今に至るみたいな。

花梨:そのセミナーはどんなところが良いと思われたんですか?

古木:なんか、あんまり決めつけてこないというか、何々さんはどう思いますかとか、参加者同士のディスカッションが多かったりとか。こうすればうまくいきますよっていうような関わり方は一切なくて、考えさせてくれるというか。あとは、そのときは本当に働くって何なんだろうなみたいな哲学的な事をずっと考えてた時期だったので。この仕事に就けば、そのテーマをずっと考えられるんだなと思って。それでお金もらえるって一石二鳥じゃんって思って。これやみたいな感じっすね。

花梨:転職先で働き始めた最初の頃は、いかがでした?

古木:まずは転職できたっていう経験がすごく自分の自信になって。自分で環境を変える決断ができたことそのものが自分の自信になってて、そういう意味ではちょっと自己肯定感も上がってるし。会社の仕事は、やっぱりなんか人間関係はすごくフィットして、仕事は探せば見つかるので、やるぞみたいな感じで1年間過ごして。そっから今5、6年目でやっぱり責任も増えてきたりとか、やれることはあるんだけど優先順位をつけなくてはいけないとか。あとはやっぱり入社1年目でやらなければいけないこと、入社後6年目でなければいけなくてステージが変わってきてるので、今自分がこれに時間を費やしていいんだろうかっていうこととか。そういう変遷をたどりつつも。まあでも本当にそうですね、環境としては恵まれているし、不満は、しんどさはありますけど不満はなくて。ただ、10年後はどう、どうしていこうかっていうことを少し漠然と考えつつ。転職そのものには全く悔いはないし、この選択をできたことは、自分で選んだ、自信に今もなってるなと思ってますね。なんか環境って自分で変えれるんだなっていうことに気づけたのが大きかったなと思います。

未来:なんか将来に希望を持ちつつも、うんうん唸ったりして。いろんな感情を味わいながら、過ごしていたいなーとは思いますけどね。

花梨:5年後、10年後、あるいは亡くなるときまで想像してもらって、未来に対してはどういったイメージをお持ちですか?

古木:うーん。未来。あんまり長期的にものを考えたことが人生上もないんですよ、10年とか20年とか。ただ、職業上で言うと、今34歳なんですけど。例えば、10年経って44歳になったときに、なんでしょうね。なんか社会に対して、やる気はありますガッツありますみたいな風にいたとしたら、それは20代30代の子に負けるし。そういう意味では、やっぱり専門的な技能を身につけておかないとなっていう思いもあるので。例えば、今だったら認知行動療法ですけど。そういうちゃんと自分の興味あるものを追いかけて行って、5年後10年後に、例えばあなたってなんでいるんですか? って言われたときにこれができますって自信を持って言える自分になっていたいなとか。

あとは、子供ができたときに、自分の10年後っていうよりは子供が10年後どうなってるのかなっていうのはあって。例えば、今長男が5歳なんですけど10年後って言ったら15歳で、15歳っていうと中学生なんすかね、中学生なのかなと思うんですけど。中学生から見て自分ってどんな父として見られたいんだろうなとか。もしかしたら中学校になると就職とか、ちょっと考える時期なのかなって思うと、あんまりそのとき自分が愚痴とか吐いてるとちょっと、その子の職業観の醸成によろしくないから、子どものためにもちょっと仕事が楽しいって言えるような自分になっていたいなとか。そんな感じですかね。10年ぐらいが限界な感じもありますね、なんとなく。これ以上はなんかちょっと思考の取っ掛かりがあまりにもなさ過ぎるというか。できれば変化を楽しみたいので、あんまり自分が想像した範囲で収まってもなーって思う部分もあるので。

花梨:どんな父に見られたいかというイメージは、今何か思い浮かんでいますか?

古木:なんか社会に出るの楽しそうだなっていう、思えるような人間にはなりたいかなと思いますね。なんとなくちっちゃい子からすると親を通して社会を見る場面であると思ってて。なんか、将来を悲観するか楽観するかってのは結構親の姿勢も関わってくると思ってるので。少なくとも子供が将来を悲観する材料としては入りたくないなとか。そのぐらいですかねー。だから仕事を楽しそうだなとか、働くって楽しそうだなーとか。あとは例えば、勉強してる姿勢とか、何かを学ぶことの楽しさだったりとか。まあなんか、大人になったら別に何も学ばなくていいんだぜとか、社会とかマジくそめんどいよみたいなことは言いたくないなとか。そんな感じですかね。

花梨:今お話いただいたことが全て実現したとしたら、古木さんはどんな気持ちになりそうですか?

古木:どうでしょうね。どんな感情なんでしょう。なんかずっとハッピーな状態ってあり得ないと思ってるので、自分の性格上。悩んでるときも楽しかったりするので。なんかうんうんうんうん唸りながら興味のあるものに向かっていく。でも、やっぱりわくわく感みたいなものが伴った悩みみたいなものに囲まれてたら相当ハッピーだろうなと思ったりとか。なんか自己嫌悪にまみれてるときが一番危険だと思うので、自己肯定感くそ下がってるとか自己嫌悪感すごいみたいな状態になりたくないんですけど。なんか将来に希望を持ちつつも、うんうん唸ったりして。いろんな感情を味わいながら、過ごしていたいなーとは思いますけどね。うーん、全部叶ったら。なんか自分が想像もできない楽しいわくわくするようなものになっていればいいなと思うんですね。もう、常時ハッピーみたいな状態を目指してないので。なんでしょうね。すごい概念的な話ですけど、そうっすね。たまに、年に何回か楽しいことがマイルストーンみたいな感じでずっと続いていけばいいなとは思いますね。

花梨:もし異業種交流会で現在の会社の方と出会われてなくて、セミナーにも参加していなかったとしたら、古木さんの人生はどうなっていたと思いますか?

古木:前の会社にずっと勤め続けてるんだとしたら、鬱になってたと思うし。だから異業種交流会をやって今の社員の人と出会っていないifはあんまり想像したくないですね。いいイメージは少なくても湧かないなって感じで。

そういうifで言うんだったら、大学をもうちょっと将来的なビジョンを持って選んだらどうなってたんだろうなっていうことはありますね。大学でお米の研究をしてたんですけど、今に生きてる実感は本当になくて。今、研修講師になって、例えば、准教授とか研究者っていうあり方もいいなと思ってて。

でも研究者って、修士博士から進んでいくことが多いので。私が今から例えば教授になろうと思ったら、社会人大学入りなおして、資格、そもそも心理学系のものに大学で触れてなかったので。大学からある程度何か自分の興味を掘っていった結果研究者になるっていう道は、割と今の性格上フィットしてんのかなと思いつつも。ただ、そんな道はなかったって感じですけどね。ifがあるんだったらそういう、大学選択のところでなんかあったら面白かったかなと思いつつ、別にそれを選べたタイミングがないので後悔すら湧かないみたいな感じなんですけど。

花梨:最後に言い残したことはありますか?

古木:インタビューを受ける機会は貴重だなって思いました。質問が飛んできて、その質問から自分を省みるということは貴重な機会だなと。改めて思いました。

職業ダイアログというポッドキャストをやってます。

たくさんの人の職業の話を聞きたい。
職業という切り口で世の中をどう捉えているのか知りたい。
たくさんの人のものの見方や考え方を知りたい。
話し手さん、絶賛募集中です!お気軽にのぞいてみてください!

あとがき

あれもやりたい、これもやりたい…。
未来のことを考えると、どうしても主観的な視点に固執してしまいそうになります。

現在は、誰かから与えられるのではなく、自分で目的や理想を見つけ出そう!という傾向が強いですが、それには良い面もあり、当然悪い面もあります。

その1つが、自分の周りの人からの影響です。
特に、両親の姿は、子どもにとっては絶対的な存在に映ります。
親が無自覚に振舞っていることから、子どもは多くの考えを得ていますよね。
人間は、自分の持っている世界からしか、新たな世界を創造できない。だからこそ、創造された世界にはこれまで培ってきた多数の価値観が反映されるように思います。

「周りにどう見られたいか、周りにどんな印象を持って欲しいか」と、俯瞰した視点からの理想について伺った時、確かに!と共感が止まりませんでした。

将来、もし子どもを持った時、私はどういう母に映っていたら理想なのだろう。

子どもじゃなくても、後輩とか、新しく出会う人とか、学生時代の友人とか。自分がどういう存在で、どんな影響をもたらしたいか、といった視点で考えてみると、また新たな考えが思い浮かぶかもしれませんね。

改めて、古木さん、無名人インタビューへのご参加ありがとうございました。
次回の無名人インタビューもお楽しみに。

【インタビュー・文字起こし・編集・あとがき:花梨】

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