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遺言は就職がゴールじゃない、の人

幸福幸福幸福って難しいですよね幸福幸福って。
幸福ムズい。
いやかんたん! 心から理解されることで人は幸せになりますよ。人は、人に話を聞いてもらって、それで心から理解してもらえれば、それで幸せです。
ただそれだけで幸せ。
深い、ただ、心臓が脈打ってるだけで心地いい。
生きて、息を吸って吐いてしてるだけで気持ちいい。
そういう状態を私はインタビューフルネスとなづけました。
この状態に至るのが難しいっていうのはね、単にね、忙しすぎるんですよ。ご飯食べて、今日あった出来事を話す相手がいれば、もう、あなたは、それだけで:幸せです。
さあ! 無名人インタビューゴッ!!!!!
【まえがき:qbc・栗林康弘(無名人インタビュー主催)】

今回ご参加いただいたのは お市の方 さんです!

https://twitter.com/oichi_nn_kata


現在:そうですねすごい体軽いし、頭もよく回るし、お茶会とか「未来へ」とか全部きちんと運営できるし、ネット心理教育にはスタッフとしていろいろできるし、すごい良い状態ですね。なんか嬉しいのと、でも、いつまた波が来るかもしれないっていう怖さ、って言うのはありますね。いつ崩れるんだろう。もしかしたら明日かもしれないっていう怖さはありますよね。

qbc:今何をしてる人でしょうか?

お市の方:まず名古屋市のピアサポーターをしています。
そして、精神障害者の孤独をなくすお茶会という当事者会を主催しています。そして、ボイスチャットのみの「未来へ」という当事者会も主催しています。そして、NPOネット心理教育ピアサポートのスタッフでもあります。

qbc:これは総じて、活動自体は同じものですか?

お市の方:大体精神疾患の人たちの当事者会、あとはそれを勉強するための心理教育ですね、私が双極性障害Ⅰ型とパニック障害なんですね。それに関連した団体を自分で主催してる、参加しているていう感じです。

qbc:主催もあるし参加してるのもあるということですかね。

お市の方:そうですね。あります。

qbc:ピアサポーターって言い方を知らなくて、どんなものなんですか?

お市の方:名古屋市から依頼された場所に行って学校とか、専門学校とか団体とかのところに行き、自分の病気についてと、どうしてそういうふうになったのかっていうこととか、あと、これからこういうことをしていきたいんですっていう何か希望の星みたいなことを話す。皆さんに話す仕事ですね。

qbc:当事者として話す?

お市の方:当事者としてのピアですね、当事者として、みんなの前でお話するというお仕事ですね。

qbc:現状はどんな感じの状態なんですか?

お市の方:今ですか。5年前にこういう、あの当事者会とかピアサポーターの研修を受けたりとかはしたんですけれどもそれが軌道に乗って、大きくなってきているところですね。
すごく順風満帆に進んでいます。

qbc:なんで、その当事者会などやろうと?

お市の方:それですね、5年前娘が東京に就職してしまったのと、あと息子が、精神障害者の母など母じゃないって言って縁を切ってきた事、愛犬が亡くなり、9年付き合ってた彼氏は別れて、完全に孤独なったんですね。
もう、もう駄目だと思って、すごいどうしようもなかったときにいろいろネットで自分の病気について調べたんですよ。障害について、そしたら双極性障害の当事者会がありまして当時2018年だったんですけど、もう既にZoomで当事者会をしているという団体に出会って、そこですごい仲間がいることに感動して、私1人じゃないんだみんな同じような症状があるんだって嬉しくなって、でも東京だったんですね。
リアルオフ会を東京に行っては参加してたんですけど、名古屋に作ってしまおうと自分で思って、まず精神障害者の孤独をなくす当事者会というのを作りました。
その後「未来へ」というのは当事者会の続き、ちょっと枝わかれしたんですよ。その枝わかれした方の片っぽの方に入って、まずはメンバーとして入ってました。管理者の人がもう退くということで私が引き継いだ形です。
ピアサポーターは計画相談所の人が、そういう活動してるなら、ピアサポーターっていうのがあるよって言ってくれて研修を受けてピアサポーターになりました。
その後、病気のこともっと知りたいと思って、心理教育を受けていくうちに、スタッフにならないかって言われてスタッフになりました。

qbc:NPOの?

お市の方:そうですNPO。

qbc:自分のやってきたことが軌道に乗ってきて、今の感情的にはどんな感じですか。

お市の方:そうですね私が孤独な時他に同じような仲間がいるんだって嬉しかったこと、その体験を他の人にして、喜んでもらえてることがすごい私の喜びですし、NPOになったのついこの間なんですけど心理教育スタッフやってることもやっぱり私の中で役に立つっていうことが大きなキーワードなのかなと思うんですけど、その自己肯定感が上げられるというか、達成感があるというか、みんなが集まってきてくれるのは嬉しいです。

qbc:今の病状ってどんな状況ですか?

お市の方:今年1年間フラットだったので、寛解状態、完治ではないんですけど、病状が出ていない状態ですね1年間。

qbc:出てるときってどんな状態だったんですかね。

お市の方:出てるときは、それはもう酷いもので躁状態のときには起業してしまったり、会社を起こしてしまったり。
なんかバーをやろうとしてしまったりお金の使い方もひどかったし、あと赤信号わーいって渡るような、そんな感じでちょっとおかしかったんですけど、

qbc:赤信号ってリアルな信号ですか。

お市の方:そうですそうです。
鬱状態はもう自殺を何回も測っていて、よく生きてますねっていうぐらい、7階から飛び降りたりとか、それで木の中を落ちていて助かったりとか250錠薬を飲んで意識不明になったりとか、してましたね。入退院を繰り返してました。

qbc:それは精神病院ですか?それとも怪我したときの?

お市の方:精神病院です。怪我したときに長いこと入ってから、その後精神病院に移されるという形ですね。

qbc:いつ頃からその精神病に?

お市の方:精神病にかかったのはもう20年も前なんですけれども、鬱病とまず診断されたんですね。ていうのは調子が悪いときしか病院行かないので。
誤診ではなく、調子が悪いときに言ってるから鬱病だっていうことで長いこと鬱病の薬を飲んでたんですよ。
けどあの5年前に、私自身がいろいろ調べたところ、私双極じゃないかなって自分で思って、先生に、私双極性障害じゃないですかって言ったら、大学病院に入院して、調べてもらおうってなって。はっきりと双極性障害Ⅰ型と診断されました。それが5年前です。

qbc:単純に鬱期にしか行ってなかったから鬱病って診断だったと。

お市の方:そうですそうです。まさか調子がいいのが病気だと思わなかったので。

qbc:双極性障害Ⅰ型ってⅡ型と、どういう違いなんでしたっけ?

お市の方:Ⅰ型っていうのは躁の状態と鬱の状態の波がすごい高いんですね。すごい激しく感情が動きます。Ⅱ型というのはほとんど鬱の状態で、たまに軽躁っていう元気な状態がたまに来るっていうほとんど鬱な状態が、Ⅱ型なんですね。
Ⅰ型の定義としては躁状態で入院したことがあるかないかっていうのは、ありますね。

qbc:なるほど。躁状態の重さというか。

お市の方:そうですね深さっていう感じですね。

qbc:元々、最初鬱になった原因とかって何かあったりしました?

お市の方:それはもう小さい頃からに遡るんですけど。まず小さい頃は父親の体罰だったり、倉庫に閉じ込められたり、母親の言葉の暴力だったり、あと否定だったりとかいうのがあって、いい子でいなきゃって思ってたんですねずっと。
いい子でいなきゃっていうのをずっと続けてきてちゃんと進学校に入り、プログラマーになり、東芝のプログラマーだったんですけど、その後それをやめたあと、自分の親の会社に入って営業で1億売り上げたり、とにかく期待に応えなきゃってやってたんですね。
主人と知り合って結婚した後に会社をやり始めたんですよ、それも今思うと躁状態だったと思うんですけど、会社をやり始めてそれが傾きだして、借金とその借金の工面をしてるうちに、何が何だか訳がわからなくなって部屋の片隅で座り込んじゃうっていう真っ黒な部屋でずっと座ってる状態。
になって会社の事をやれなくなって、もう会社をどう畳んだのかもわかんない状態で記憶がほとんどそっから10年ないですね。

qbc:何歳ぐらいの頃?

お市の方:30代ですね。記憶がない状態でそこがまず鬱病という診断をされた始まりです。

qbc:30代のときに、鬱病診断。

お市の方:そうです。

qbc:その前は別に行ってないから、病名がついてない状態?

お市の方:そうですプログラマーときもノイローゼだねって言われたこともあったんですけどまだ精神病院に行こうと思ってなかったので全然病気だとは思ってなくて、今思うとバリバリ仕事できたのも躁状態だったのかなっていうのはあります。
15年、鬱病と診断されてお薬を飲んでたんですけど双極と鬱病の薬っていうのは違うんですね全く。鬱病の合わない薬を飲んでたために全然治らなくて逆に躁転して悪くなっていくっていう状態で入退院を繰り返したところ、先ほど言ったように自分で調べて、双極だってわかってお薬が変わったらびっくりするぐらい収まってきて、今のように何かまともな人間になりました。

qbc:薬を間違えて飲んでたっていうか病名が違ったのっていうのは15年ぐらい?

お市の方:15年ですね。そうですね何か薬害性の躁転じゃないかと思うぐらいであのすごい突き抜けて悪くなったので、躁状態がもう口から言葉がワーッて出てそれが止まらないとかになってしまってもう親もこれは精神病院から出せない状態になっちゃったなって思って諦めたぐらいだったんで。

qbc:これちなみに病院を訴えるとかできるんですか。

お市の方:いやーこれ誤診というかもうしょうがないと思うんですよね、鬱状態の時しか行ってないので、精神病院っていうのはその人の訴えを聞いて判断するので、だから、躁のエピソード言ってない私っていうのも悪いので、誤診とは言えないですね。

qbc:その双極性が寛解になった気分というか、どういうふうに思われてます?

お市の方:そうですねすごい体軽いし、頭もよく回るし、お茶会とか「未来へ」とか全部きちんと運営できるし、ネット心理教育にはアドバイスとかいろいろともできるし、すごい良い状態ですね。なんか嬉しいのと、でも、いつまた波が来るかもしれないっていう怖さ、って言うのはありますね。いつ崩れるんだろう。もしかしたら明日かもしれないっていう怖さはありますよね。
本当に何がきっかけで落ちたり上がったりするかわからない。寛解っていうのは薬を飲んでいる状態でも2ヶ月以上続けば寛解なんですね。
それでお薬飲んでいる状態で治ってるので、本当にいつまたどっちかに振れるかわからないんです。

qbc:その恐怖感に対するセーフティというか、そのためにこうしてるみたいなことなんかあるものなんですか。

お市の方:それはちょっと兆しっていうのなんですけども。
ちょっと上がってきたな、ちょっと下がってきたなっていう兆しを自分で気づいて、それはあのカードに書いてあるんですけど、こうなったらこうするっていうカードを書いておいて、それを見て、私今歌歌ってる踊ってるおかしいぞって思ったら、もう下げる頓服を飲んで、早く寝てしまうっていうのを連続して使ったりとか。
落ちてきているなと思ったら今度はそのカードを見て、兆し、例えば朝起きれないとか、朝だるいとかっていうのを兆しを気づいたら、頓服を飲む。ちゃんと活動するっていうのに対処が書いてあるんですよ。その通りにしていたら本当に波が大きくならなくなりましたね。

qbc:この何かプログラマーっぽい発想のカードは、元々一般的にやられてることなんですかね?

お市の方:ネットの心理教育で習いました。独特のやり方ですね。

qbc:自分自身がちょっと見えなくなってる状態ってことですもんね。要するにカードに書いてあることを信じて行動するっていうことですよね。

お市の方:フラットな状態、調子のいいときにそれを作るんですよ。客観的に見えるときに。

qbc:趣味は何ですかね?

お市の方:ネトフリとかアマプラでアニメとかドラマを見ること。あとはSpotifyで歌詞が出るんで歌を歌うこと。カラオケ行くと上がっちゃうといけないんで行かないんですけど、歌う事。あとは、あと私本当に当事者会が趣味みたいなもんなんで当事者会でみんなとお話すること。あとはよく女友達とお茶しに行きますねランチとか。
あと映画もすごい見ます。最近見た映画はちょっと前なんですけどスラムダンクですね。
今度ゴジラが見に行きたくてしょうがないんです。
あとはこの双極性障害に対する勉強も趣味の一つなのかな。
その孤独をなくすお茶会っていうのは私が自分が自殺とか測ったときに、孤独は人を殺すなと思ったんですよ。だから孤独な人を救いたいっていう気持ちで作ったっていうのが大きいですね。

qbc:趣味してるとどんな気持ちになりますか?

お市の方:暇を潰すため、暇ってすごい大事でこの病気で。暇だって考えるって事は躁でも鬱でもないっていうことなんですね。躁状態って頭がくるくる回ってる状態で鬱状態っていうのは完全に突っ伏してしまってる状態なので、ネガティブなことばっかり考えて。
暇だなって思えるってことは寛解の大きな状態なんじゃないかなと思うんですけど。
あ、大きな趣味がありましたボイチャです。ボイスチャット。Discordで「未来へ」もそうなんですけどお茶会もそうなんですけどボイチャのルームを持っていて、朝から晩まで誰かがいるので、そこで話をしますね。

qbc:その会の人たちってことですかね。

お市の方:そうですそうです。メンバーと。

qbc:今生活はどういうふうにしてらっしゃるんですか。

お市の方:生活はB型作業所でB型の入力作業、在宅の。とピアサポーターの収入と、あとは社会福祉のお世話になってますね。

qbc:性格は人から何て言われますか。

お市の方:社交的でアグレッシブでこうと思ったらすぐ動くからすごい行動力があると言われてます。

qbc:躁状態のときのことですかねこれ。

お市の方:いえ、違います、元々そういう状態、そういう性格ですね。すごいすぐ友達作るんですよ。

qbc:自分ではどういう性格だと思ってらっしゃいますか。

お市の方:自分では意外と気にしいで、こんなこと言っちゃった、こんなふうに思われてるんじゃないかなってくよくよしたりとかすることが多いですね。1人反省会が多いです。

qbc:身近な人からは何て言われますかね。

お市の方:恋人はもう2年8ヶ月付き合ってるんですけど、私が当事者会とかやってるのをすごい尊敬してくれてて、すごい行動力だって言って、その自分も病気なのに、他の病気の人を救おうとするその姿を尊敬してるって言ってくれてます。でサポートしてくれます。
母親はよく私の病気を理解してなくて。ただみんなの前で話をしてるっていうのを喜んでてすごいすごいって言って聞きに来たことも2回ほどありますね。良い子の私が今も良い子なのが嬉しいみたいな感じです。
一時期ひどかったので、それが治ったのが単純に嬉しいっていう感じですかね。治っていないんですけどね。

qbc:好きな食べ物は何ですか?

お市の方:好きな食べ物はプリンです。

qbc:プリンめちゃくちゃ種類があるじゃないですか。

お市の方:月に1回、プリンデーを設けて、コンビニのプリン全種類買ってくるんですよ。どれが一番美味しいか比べるんですけど私の中でジャージー牛乳プリンが一番ですね。

qbc:なるほど。一気に食べるんですか?

お市の方:大事に1個ずつ食べますね。味わって。

qbc:ジャージー牛乳プリンってあんまり硬くないやつでしたっけ?

お市の方:ツルンとした白いやつですね。それか滑らかプリン、メイトーの滑らかプリンかな。

qbc:あれもロングセラー商品ですよね。

お市の方:そうですね。プリンデーは楽しみです。

qbc:何日とかって日にち決まってるんですか。

お市の方:決まってないです。気が向いたときに。今日行ったときに食べようと買おうと思って行きますね。

過去:波乱万丈だったけど何一つ無駄なことはなくて。例えば結婚したことによってかわいい息子と娘がいるわけですけど、起業して失敗したことによってそういう人の気持ちもわかるし、病気がすごく悪くて今よくなったことでも当事者会でみんなの気持ちがわかるし何か人生のいろんなことを全部経験しちゃった感じがするので。

qbc:子供の頃はどんなお子さんでしたでしょうかね。

お市の方:そうですね、いわゆる繊細さん。ちょっとしたこと叱られてもすごいしょげるし、でも中でも多分親にすごい怒られたのは何か反抗したんじゃないかなっていうのを思ってて。そういう強気な面もあって、とにかくいい子でいなきゃって思ってたんで、親の言われたことは何でもやりましたね。やれないと怒られるから怖くて、自分で倉庫に隠れたりとかしてましたね。倉庫は悪いことした時に入れられるところなので自主的に。
不眠症も長くて小学校ぐらいからもう不眠症で、朝まで小説書いたり、本を読んだりしてました。本はお友達でした。小学校図書館の本全部読んじゃったりとかしてましたね。
でも勉強はすごいやってて、勉強だけは親に褒められるので、褒められたいがために勉強だけはすごいしました。
ところが高校になって解放された気分になって、何か勉強をもうしなくてもいいじゃんって急に思ったんですね。
好きな勉強だけして嫌いな勉強しなくて。だから10段階で10があったり1があったりっていうすごい極端なことになって。

qbc:何が好きで何が嫌いだったんですか?

お市の方:あの物理と微分積分が嫌いで、政治経済とか歴史とか、国語は大好きで、あと生物ですね。大好きでした。

qbc:現代文とか古文が好きってわけじゃなかったですかね。小説とか。

お市の方:古文はあれでしたね、あさきゆめみしが漫画があったんでそれ全部まる写ししましたね。現代文は大好きです、あの国語ですね、先の先まで読んじゃって、まるで本を読んでるかのように読んでましたね。国語だけは勉強しなくても大体とれたんで。
あの小学校のときに読解力検査みたいなのがあって、全国で2位でした。

qbc:何歳の時に?

お市の方:小学校6年生ですね。あとは中学のときも内閣総理大臣賞佳作っていうのを作文で取りました。これも本ばっかり読んだ賜物かなと。

qbc:高校のとき、解放された気分になり、勉強偏りができたあと、どんな感じになったんですかね。

お市の方:私元々コンピュータがやりたかったんですね中学んときから。足が悪いので、座ってやる仕事、コンピューターと思って、高校のときに商業に行きたいって言ったんですよ。そしたら先生に怒られて進学校に行けるやつは進学校に行けって言われて断念したので、もう絶対に専門学校に行くって決めてて。
高3の夏休みに、自分でもう奨学金の試験を受けに行って、コンピュータの専門学校行きますって言ったら母親が泣いて、大学に行きなさいって泣いたんだけど、父親がやりたいことをやるのはいいことだから行けって言ってくれて、それでコンピュータの専門学校に行きましたね。そのころ女性は、1クラスに5人いるかいないかでしたね。

qbc:いかがでしたコンピュータ専門学校?

お市の方:めっちゃ面白かったです。そればっかり勉強できるのがもう本当に面白くて。
もうずっとトップでプログラムやってて、NECの子会社だったんですけど、就職もそこに決まって種子島に行かないかって言われたんですよ。

お市の方:宇宙センター?

お市の方:そうですね。だけど私そんな田舎に行くの嫌だって言って学校に講師として就職する方になったんですけど。
でも子供ができて、そのときの彼氏との間に。内定取り消し願いっていう前代未聞のものを出して、何かその後その専門学校では妊娠しないようにっていうのが、釘を刺されたらしいですよ。それで20歳で駆け落ちまがいのことをして最初の旦那と結婚しましたね。

qbc:これは躁状態だったんですか?どういう状態だった?

お市の方:この頃は病んでなかったと思うんですよ。でも、躁状態だったのかな、もうすごい熱くなって反対されましたけど。

qbc:日常的なっていうわけで病的なわけではないですもんね。

お市の方:そうですね反対されればされるほど好きになって、もう一緒なるってなって。

qbc:自暴自棄になったわけではないってことですね。

お市の方:もうね、この子供を産みたいっていうのが。
でも結婚したらDVですごい殴られたり蹴られたりして、裸足で家を飛び出して隣のうちの人にかくまってもらったりとか。DVで、3年我慢したけど、3年で、もう息子がかわいそうだと思って、離婚しましたね。
この後がすぐに東芝に就職したんですよ。そっからさっき言ったように営業になり、起業し、病気になりっていう感じですね。起業する前、親の会社にいる間に2番目の旦那に出会い、うちの会社に入ってきた人なんですね。息子がこの兄ちゃんがパパが良いっていったから。その人と結婚したんです。

qbc:ちなみに家業はどのようなものかお伺いしてもよろしいでしょうか?

お市の方:塗料の卸売販売と、建材、内装材を売ってたんですけど私は主に内装材の営業をしてました。だからパチンコ屋さんとかの内装をやるので、1件を請け負うと億なんですよ。

qbc:なるほど。小さい商店とかじゃなくて。

お市の方:ある程度大きなパチンコ屋さんの内装全部やるので。億でしたね。

qbc:プログラマーは退職して、そちらにっていうことですよね。

お市の方:そうです。ノイローゼになって。4日間家に帰らずに車に乗ったままあちこちぐるぐるして、行方不明になっちゃったんですね。大騒ぎになって、帰ったときに社長にどうするんだって言われたときにちょっともうやれないですやめますって言って。

qbc:で、2回目ですね再婚されて。

お市の方:15年ほど一緒にいたんですけど、すごい仲の良い家族で。息子もすごい懐いてたしかわいがってもらったし、で娘も生まれたし、家族4人でゲームするような本当に仲の良い家族でしたね。
だから会社を起業しなければ今でも結婚してると思うんですよ。会社起業して駄目にしちゃったことで、旦那も鬱病になっちゃったんですね。
入院しちゃったりして。もう駄目になりましたね。

qbc:何の会社を起業したんですかね。

お市の方:塗装工場ですね。あの内閣総理大臣が、テレビに映るときに映る机があるじゃないですか、前に。あれうちが塗装したやつです。
大臣の家具とかあとは法定裁判所の家具とか全部うちなんですよ。塗ってたんですよ。すごい何か売れが良くて。

qbc:塗料も売ってるし、施工もするってことですね。

お市の方:そうですね現場に行って塗ったりもするし、工場で塗ったりもするし。
5人ほどやってましたね。

qbc:グループ会社的な会社を起業したってことですかね。

お市の方:いや、グループ会社じゃないですね、独立しました。

qbc:これ何で会社がトラぶったんでしょうね?

お市の方:現金で150万くれてるところがあったんですけれども、そこがうちから手を引いたんですよ。そのお金で給料払ってたもんですから現金がいるじゃないですか。なので手形を割ったりとか一生懸命やってるうちに、手が回らなくなって自転車操業になって、やっぱ1社抜けたのが大きかったですね。
で、私が寝込んで事務をやることが旦那ができなくて、やめるって言って、父が全部借金を背負ってくれて、閉じましたね。それが30代です。

qbc:そこから記憶が?

お市の方:記憶は10年ないですね。何をしてたのか思い出そうと思ってもなんかモヤがかかって。ただいろんな人に迷惑をかけたんだなと思ったのは、はっきり双極だってわかって薬を変わって頭がはっきりしたときに、全く友達がいなくなってたんですよ。
縁を切られてたっていうか、だから多分私は躁状態とかで迷惑かけて、全部見切られてたんだなっていうのは思いましたね。

qbc:それは40代?

お市の方:いいえ。気づいたら52でした。

qbc:てことは20年ぐらい記憶はないってことですかね。

お市の方:そうですそうです。30、40代の記憶はないそうです。
37からですかね、37から40代。15年ぐらいですかね、記憶がないのは。

qbc:37から52ぐらいってことですね。

お市の方:そうですね。52のときに両親との軋轢があったのが、私はこういうのが嫌だったこういうのがつらかったって話をしたら、向こうも謝ってくれて、こういうふうに病気にさせたのは自分たちのせいだって言ってくれて、なんか、すごいなんか、報われた気分になって、両親と仲も良好になり。そしたらもうまたさらに病気が良くなりましたね。
その父もそれを見て安心したのか今年の8月に亡くなりました。
ちゃんと家で看取って、看護して、11日間妹とお母さんと3人で診て、亡くなったんですけど次の日見たらお父さん微笑んでたんですよ。
すごい笑顔でこんな、こんな死に顔ある?っていうぐらい笑ってて、余程私がまともな状態になったことが嬉しかったんだろうなっていうのを感じましたね。
で、今に至りますね。今当事者会に力を入れて、あとピアサポーターをもっともっと名古屋市内中に行きたいなと思ってます。

qbc:記憶がない状態のときって。人から話を聞くみたいな状態ですか?

お市の方:そうですそうです。こういうことがあったよっていう話を聞きましたね。その頃からの友達が1人いるんですけどその子だけ切れなかったんですけど、こういうのをやってたよとか、こういうことを私にしてくれたよとかそういう話をしてくれて、私なんか夜バーで働いてたらしいんですね。
バーで働いてて、なんかすごい人気だったらしくて、それもなんかちょこちょこ記憶あるんですけど、なんか、夜働いていたらしいです。私多分多重人格じゃないかと思うんですけどその間の記憶が本当に飛んでるので

qbc:2人目の旦那さんと離婚はいつ頃されたのか、記憶がないときなんですかね。

お市の方:記憶がないときの間に、旦那が多重債務をしたんですね。
カードローンで自己破産して何か私お金のことトラウマだったので、もう嫌だって思って。離婚しようって言ったのはもうきちっと覚えてます。

qbc:親権は、お市の方さんで?

お市の方:私の方で。母子家庭を2回経験しましたね、息子と娘と。双極性障害ってこんな感じですごい波乱万丈なんですよね。

qbc:自身の人生振り返っていかがですか?落ち着いてる時期にお話をお伺いしてるのかなと思ってるんですけど。

お市の方:そうですね、波乱万丈だったけど何一つ無駄なことはなくて。例えば結婚したことによってかわいい息子と娘がいるわけですけど、起業して失敗したことによってそういう人の気持ちもわかるし、病気がすごく悪くて今よくなったことでも当事者会でみんなの気持ちがわかるし何か人生のいろんなことを全部経験しちゃった感じがするので。
最近何か悟ったようなこととか言い出して、悟りを開いてると言い出してるんで、私人生終わりかなと思ってるんですけど。なんかいろんなことを、今56、57なんですけど、悟りを開いてきますね。

未来:就職がゴールと思ってたんですけど、必ずしもそうじゃなくて、自分のできることをやっていく。生きがいができるっていうことがゴールなんじゃないかと思って。

qbc:5年10年、最後死ぬまでっていうところまでイメージをしていただいて、どんなイメージを今、未来に対して、思い描いておりますでしょうか?

お市の方:私最後にいい人生だった、面白かったって言いたいんですよ。今の状態で最高に面白い人生だと思ってて、このまま当事者会は続けて、誰もいなくなってもここに場所があるよって、戻ってきたい時は一度戻ってきていいんだよっていうので、ずっとやってきたいと思ってる。これはライフワークだと思ってるんですよ。あと双極性障害についてピアサポーターとして広げていくこと。もっとみんなにわかってもらうこともライフワークだと思います。
NPOになったネット心理教育ではもっと双極性障害の人にこうやったら治るんだよっていうことを広げていきたいっていうのが。
だから双極性障害を何とかしてあげたいっていうそれが私のライフワークなのかなっていうふうに思ってますね。
最後まで行って本当に面白い人生だったよ私って言って笑って死にたいですね。
そんな感じかな。何かずっと来なかった人でもボイチャに急に来たりして鬱になったから、まだあるかなと思ってきたらあったから嬉しくてきたっていう人もいるんですよ。
だからそういう場をずっと続けていきたいなと思ってます。

qbc:それと似たものって自分の人生振り返ってありましたか?

お市の方:バーで働いてたとき相当有名人だったらしくて、ホームページとかやってたんですけど、何十万っていう読者がいて、やってたっていう記録が残ってて、あれは私の居場所だったんだなというその間ね。
だからどうにもならないときの逃げ場所だったのかな、あそこは。現実逃避ですね。

qbc:バーを辞めたのはどのタイミングで?

お市の方:お付き合いしていた相手と別れたのがきっかけで、辞めました。

qbc:病気との関連性はないってことですか?

お市の方:病気もひどくなったんですよ、で入院しちゃってもうそんな人と付き合えないような感じになって、別れたんですけど、なんか私は絶望感で余計悪くなってっていうね。
それで9年付き合った恋人と別れましたね、そのときに。

qbc:なるほど。で、別れてから、娘さんも東京に就職したりしてっていうことですね。

お市の方:そうですね。絶望で、そうですね。

qbc:でこの頃に双極だったっていうのわかったってことですよね。

お市の方:そうです、その退院してからもうがむしゃらに勉強してネットとかで、双極じゃないかなと思って病院に行って、双極ですってわかったっていう、そっから劇的に人生が第3ステージに移行しましたね。

qbc:夜の仕事期が第2期ってことですか?

お市の方:そうですね。いい子でいた子供時代っていうのが第1ステージです。

qbc:バーに戻りたくはないんですか。

お市の方:もう絶対戻りたくないです。全部消しちゃってよかったと思ってます。Twitterも何千人というフォロワーがいたけど、全部消して黒歴史クリーナーで消して。

qbc:それは、どうして変わったんですかね?

お市の方:黒歴史でしかないですよね、目が覚めたっていうのかな。これまともじゃないなって思って。

qbc:それは今の活動始めてからですか?

お市の方:いや、5年前に双極だとわかる前、孤独でしょうがなかったときですね。あの時に、私全部切ろうと思って、全部消そうと思ったんですよ。
娘がちょっと大学でいろんな賞を取るようなったんですね、映画のカメラで、もし有名人になっちゃったときに母親がそんなことしてるってばれたら、大変なことになると思ったんですよ。それでもう全部消そうと思って全部消しましたね。

qbc:もしもの未来っていう質問をしていて、もしも第4ステージがあるとしたら何があると思います?

お市の方:第4ステージ、私このまま穏やかに亡くなってくんだなと思ってるんで、今すごい幸せなので、この幸せを逃したくないなという。親友の理解者がいるし、彼氏も理解者だし、母とは仲良くなったし。娘や息子も戻ってきてくれたっていうか、心は戻ってきてくれたし、今本当幸せなんですね。だからこのままいって、穏やかに亡くなりたいなと思ってて。

qbc:幸せになれなくてもう無理だと諦めたことってありますか?

お市の方:元の自分に戻りたいっていうのがあったんですよ。ずっとバリバリ仕事ができた。でもそれはもう無理なんだなっていうのは諦めましたね。で諦めて違う道を行くっていう選択をしたらすごく楽になりました。

qbc:例えば違う道っていうのは?

お市の方:ピアサポーターとか、当事者会を開催したりとかしてる自分ですね。
だから就職がゴールと思ってたんですけど、必ずしもそうじゃなくて、自分のできることをやっていく。生きがいができるっていうことがゴールなんじゃないかと思って。
だったら私は限りなくゴールに近づいてるんじゃないかなと思ってます。

qbc:そのスイッチっていうのは、考え方の切り替えはどうしてできたと思います?

お市の方:やっぱり長い経験ですかね、いろんなことの。
いろんなものが符合してきて、両親との和解が本当に大きなスイッチで、なんかそれまで捉われてた縛られてたことから解放されて、ようやく何か自分の人生を生きれたっていうんですか。親が老人になってる事でそのとき初めて気づいたんですよ。
こんなおばあちゃんとおじいちゃんになってると思ってびっくりして、それからですね、人間として見れたのは。それまでは父母だったのが、ああ人間だったんだな、普通にと思って。

qbc:今、パワフルではあると思うんですけど、今力がもう本当みなぎって精神的にもエネルギーが溜まってきたよってなったら、何が一番やりたいですかね?

お市の方:孤独をなくすお茶会をNPOにしたいっていうのがありますね。

qbc:このお茶会っていうのは、何かユニークなところがあるんですかね?

お市の方:そうですね、なんか雑談でもいいよ、ドタキャン・ドタ参いいよ、何でもありだよっていうのがうちのお茶会の特徴で、当事者がいいっていうんじゃなくて勉強しましょうじゃなくて、ほんとに孤独をなくしたい人たちが集まって、病気の話でもいいし、雑談でもいいし、そういうのでここは私の居場所って思ってくれる、そんな場所にしたくてお茶会って緩い名前にしたんですよ。

qbc:病気じゃなくてもいいんですかね?

お市の方:いや、精神疾患の方だけですね。

qbc:居場所っていうのはどういうものなんですかね。

お市の方:そこにいると安心する。そのわかってもらえるっていう安心感。
同じ病気の人がいて、同じ症状があって、それでこうだったんだよっていうと、あるある、そういうことあるよね私もあったっていってくれる安心感。
そこにいていいんだっていう生きてていいんだっていう安心感ですね。
私なんて生きてなければよかったなって思った事何回もあったんで。だから私の居場所でもありますね。

qbc:どんな気持ちになるって言えばいいんですかね、生きていてもいいんだっていうふうな気持ちって?

お市の方:いやあもう、言葉に尽くせないほど嬉しかったですね。なんかもう生きるのつらいとか、なんか親にも認めてもらえなくてそんなずっとそういうな感じで生きてきたんで、なんかすごく居場所ができたことが嬉しくて。
素の自分、作った自分じゃなくて素の自分でいられるっていうのは、本当に嬉しいですね。

qbc:最後の質問です。インタビュー振り返りでもいいし、人生振り返りでもいいし読者に伝えるでも独り言でも、遺言みたいにしてもらってもいいんですけど、最後に言い残したことがあれば、お伺いしてます。

お市の方:キーワードとしては孤独は人を殺すっていうのはあって。
孤独でいないでくださいって。誰か何か一生懸命自分で探してみれば、あたりに落ちてるんですよ幸せって、ちっちゃな幸せが。そのちっちゃな幸せを拾うことをすれば、ネガティブ拾っているより幸せの小さな欠片を拾ってた方が幸せになるんだよっていうのは、すごく自分でも今思ってるし、ただ今日は晴れたなっていうのでも幸せとか、そんなちっちゃなことでいいんで。そうしてるうちに何か大きな幸せの流れに飲み込まれて、本当に幸せになると思ってるんですよ。
なので、小さな幸せを見逃さないでくださいっていうことは、そうですね、私の遺言かな。

あとがき(編集)

お市の方さん、ありがとうございました。
初めてこうして文字起こし以降だけを担当させてもらいます。
インタビューとしての当事者、ではない状態からこうやって編集していくのは、インタビュアーとインタビュイーが作った世界に「お邪魔します」って入る感覚です。

人生を何ステージかに分けたときにどこが区切りになるのかな~なんて考えてみました。
自分で進学とか就職とか結婚とかそんなものが境界になるのかなと思いきや、なんか違うようで。
環境の変化というよりは心の持ちようの変化?自分への評価が変わった時を挙げることになるのかなーなんて考えました。

今日朝別のインタビューをさせていただいたんですが、その方とお市の方さんと得意科目がほぼ同じでした。
昨日読んだ本と今週の始めに読んだ本の内容、大切だと言ってる内容が似ていました。
更には年始に読んだ本でもまた別の同じことが書いてありました。

本でもインタビューでも、あれ、これあそこでみた内容だな、聞いた内容だな、と理解が深まる感覚が最近多いです。
それが本なら「同じことばかり言ってるな」ってなりそうなもんですが、逆に私が今欲している情報だから入ってくるんだなって感じてます。
それが誰かに関する内容だったらじゃあどういうことなんだと思いますが、沢山の人にインタビューして、何か集約されていく大切なものでも見つけられたりするんですかね?

本日も読んでいただき、ありがとうございました!✿

【インタビュー:qbc】

【編集・あとがき:イワナ】

#無名人インタビュー #インタビュー #うつ #双極性障害

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