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うつ病でもそれなりに楽しく生きていくことはできると思う人

私の弟は、今ではもう大人になったが、彼がまだ子供だった頃のことを思いだすと、とても懐かしくなる。私たちは年が離れていたため、私はいつも彼を守るように気を配っていた。彼が初めて自転車に乗った時や、泳げるようになった時、私はとても嬉しく思った。私たちは家族旅行で一緒に沖縄に行ったこともあり、彼が真っ黒に日焼けした姿を見て、笑いながら写真を撮ったこともある。
しかし、私たちの関係は必ずしもスムーズではなかった。私たちは時に喧嘩をし、ときには互いに理解しあえないことがあった。私は彼が自分で考え、行動することを促し、彼は私が厳しく接することで成長することができた。私たちの関係は、強い絆で結ばれている。
今では、彼は私たち家族の中でもリーダーシップを発揮し、周りから尊敬されている存在となっている。彼の選んだ職業にも、家族一同が彼を支えている。彼が自分の人生で幸せになることを祈りつつ、私も彼を常に応援していくつもりだ。
わかりました! 無名人インタビュー今日も出動です!
【まえがき:栗林康弘(無名人インタビュー主催)】

今回ご参加いただいたのは ペイ さんです!

現在:2年の引きこもり期間を経て、今は京丹後のサウナで社会復帰しました。

qbc:今、何をしている人でしょうか?

ペイ:今は京都の北部、京丹後市というところにサウナ施設がありまして。蒸 ‐五箇サウナ‐っていうところと、ぬかとゆげっていう施設なんですけど、その2施設で従業員として働いてるっていう感じになります。

qbc:どれぐらい働いてますか?

ペイ:働き始めて半年経ったかな、ぐらいです。

qbc:働いてらっしゃって、どんな感じですかね。

ペイ:元々サウナは趣味で入ってて。提供する立場っていうのは全然経験したことなかったんですけど。今はサウナを通していろんなお客さんと交流できたりするので、それはすごい楽しく感じてはいます。

qbc:どういう楽しさですか?

ペイ:お客さんでもいろんな人がいて。特に蒸 ‐五箇サウナ‐っていうのは、アウトドアサウナになるんですけど、自然を感じながら入っていただくサウナになってて。普通の施設とは違って、薪で火を入れてサウナを温めるっていう施設になってて、火入れの際にお客さんと交流する機会がすごい多くって。

元々愛知県に住んでて、移住して京丹後の方に来たんですけど。その経緯とかをいろんな人に聞かれたりして。今日お話する予定ですけど、うつ病になっちゃってみたいな話をすると、意外とお客さんでもそういう経験してる人が割と多くって。

やっぱり自分みたいにサウナに救われてる人っていうのが多いんだなっていうのはすごい感じてます。で、今自分が提供する側に立って、自分もそういった経験をしてきた身なんで、それを何か活かせないかなっていうのを、今勉強をしながらっている感じです。

qbc:サウナのお仕事って、1日のタイムスケジュールはどうなんでしょう?

ペイ:2施設あるんですけど、今お話させていただいたアウトドア施設の方はサウナ番っていう仕事になってて、出勤してすぐにそのサウナストーブに薪をくべて、火をつけて1時間ほどサウナ室を温めて。で、サウナが温まりきるまでに施設のシャワールームだったりとか、お手洗いだったりとかを清掃します。
今は1日に3組ですね、予約貸切制になってて。で予約していただいたお客様に対してサウナを提供して、っていう感じにはなります。

qbc:朝は何時に出勤するんですか?

ペイ:一番早い時間だと、8時半にはサウナの方に到着っていう感じです。

qbc:お客さんの予約状況によって変わってくる?

ペイ:そうですそうです。朝が入ってなかったらお昼からになりますし。

qbc:そちらの施設って、サウナ室はいくつあるんでしょう?

ペイ:サウナ室が1室だけで、元々は日本の茅葺古民家でした。僕とは別に1人、オーナーがいまして。で、その人たちと一緒に工務店さんも入れながら、できる限りDIYみたいな感じで、古民家を改修してサウナを作ったっていう感じになります。
1室6名までが収容人数にはなるんですけど、2名で予約してペアで来る方もいます。お客様でまちまちという感じではあります。

qbc:何時間ぐらいで1セットなんですかね?

ペイ:今は2時間半で1セットになってます。

qbc:お客さんは何セット入って行かれるんですか?

ペイ:一応予約の枠が2時間半で、それで一枠っていう感じで売り出してるんで。その枠の間は、もう何セットサウナに入っていただいても大丈夫な感じです。

qbc:その古民家には、サウナ以外の施設はあるんですかね?

ペイ:もともと古民家は別の所有者の方がいて。で、うちは古民家の一室を間借りしてるような感じになってます。その施設の前に、囲炉裏も最近作って。で、お客さん同士がコミュニケーションを取れるようなスペースかつ、採暖室となってます。

京都の北部って冬は結構雪が降って、めちゃめちゃ寒いんですよ。冬のサウナ後の外気浴はすぐに体が冷えてしまうんで、囲炉裏で温まってもらったり、飲食の許可をうちは取ってないんで提供はできないんですけど、お客様に持ち込んでもらって、料理焼いてもらうことはできる施設になってます。

qbc:古民家は、サウナ以外にも何かされてるんですかね。

ペイ:今後サウナの横にカフェができる計画はあります。
現状はサウナと囲炉裏と、うちは水風呂というものがなくって、古民家の前を川が流れてるんですね。その川に入っていただくっていうスタイルになってます。

qbc:そちらを選んだ理由って、何かあるんですかね?

ペイ:この古民家を選んだ理由ですか。

qbc:そうです。サウナとしては特殊なところだなと思ったので。

ペイ:そもそも、場所を選んだのは全然僕ではなくって。オーナーが元々、長野のすごい有名なアウトドアサウナ施設で修行されてた方で。自然と一緒に触れ合いながら入れるサウナっていうのを、ずっと作りたかったみたいで。
で、オーナーは僕よりも全然先にこっちに移住してきて、物件を探しているときに、今の古民家の所有者の方に会って。その方も若くて、古民家を有効活用できないかなっていうのは思ってたらしく、そこで意見が一致して、サウナができたっていう話は聞きました。

qbc:ペイさんは、どういう経緯でそちらに参加されたんですか?

ペイ:僕は一番最初にも話したんですけど、元々はサウナに入るのが好きだったんだけなんです。サウナにはまったきっかけっていうのが、自分が前職で体調崩してしまって、ちょっと精神的にもすごい病んでしまったというか。それでうつ病という診断を受けて。

当時はもう本当に不眠がひどくて。1日まともに寝れるのも本当に、1ヶ月のうちに数えれるぐらいの酷い不眠だったんですけど。その不眠をどうにか治したい、何か生活の中で治せることないかなって考えたときに、テレビで俳優の人がサウナ入るとすごい睡眠の質が上がると言っていたのを本当にたまたま見て。

温泉は好きだったんですけど、サウナはおまけくらいに思ってました。ですが、テレビで話されていたようにサウナ⇨水風呂⇨外気浴をやってみようと。ちゃんとした入り方でのサウナは、そのとき初めてやったんですよ。そうしたら、その日本当によく眠れて。で、眠れたことにすごい感動を覚えて。そこからもうどっぷりハマっていったっていう感じですね。

qbc:当時は、何歳だったんですか?

ペイ:24歳とかですかね。社会人2年目でした。
で、京丹後の方に行き着いたきっかけっていうのは、今のオーナーが長野のアウトドアサウナで修行されたときに、僕がお客さんとして何回か行ってて。本当にそこのサウナがすごい良くって。足繫く通ってたんですけど、そこで今の蒸のオーナーと仲良くなりました。

そのオーナーも、当時はアルバイトみたいな感じで働いてた人だったんですけど。その人が、京都で同じようなアウトドアサウナを作りたいと、ずっと話されてて。すごい本当軽い感じで、愛知からなら近いし、京都で作るとき良かったらお手伝いしますみたいなことを、ちょろっと言ったんですね。

で、そこからnoteとか、もう今はやってないんですけどYouTubeとかで、自分のうつ病の発信みたいな事をやってて。その発信をオーナーが見てくれて、連絡をくれたんですよ。今仕事してないの?みたいな。京丹後であの時言ってたみたいに本当にサウナをやることになってっていう。人がちょっと足りないから、もし良かったら体験だけでも来ない?と声かけてもらって。

その時点で2年ぐらい働いてなくって、社会というものが怖かったんですけど。ちょっと勇気を振り絞って行ってみようってことで、京丹後に1回遊びに行かせてもらって。次働くんだったら都会よりも田舎で、のびのびとやりたいなってのは思っていたので、京丹後はそれがすごい体現された土地でもありましたし、直感でこの環境いいな、と思いましたね。

サウナ施設といっても、東京とかにあるようなすごい立派な施設というよりは、アウトドアサウナで僕ら働く側も自然に触れ合いながら、日光とかしっかり浴びたりできる仕事の環境がそこにあって。これならちょっと働いてみようかなと思って、来たのがきっかけです。

qbc:ちょっと話が変わりますけど、ご自身の性格は周りからどういう風に言われますか?

ペイ:周囲の人からは、もうとにかくお喋りで明るくて。それこそ、うつ病に無縁みたいな感じと言われてました。小さいときからサッカーやってて、サッカー部のキャプテンだったりとかもやってて。人の中心にいるようなことが、気づいたら多かったんですけど。

周りからはそう言われますけど、実際はめちゃくちゃナイーブで、小心者です。人の評価とかすごい気にするようなタイプなので。自分の思っている自分と、周りから評価される自分は大きく違うのかなって思います。

qbc:自分自身では、どんな性格だと思ってらっしゃいます?

ペイ:人と会話したりとか交流を持つような、コミュ力みたいなものはある方だと思うんですけど。
でも、そういったところで人の顔色をすごい伺ったりとか、人が何を思ってるんだろうとか、怒りを抱いているのかとか、悲しさを抱いてるのか、楽しいのかってのをすごい勘ぐってしまうというか。人の感情にすごい繊細なところがあって。まあ強い人間ではないです。

qbc:弱い人間ということですかね?

ペイ:どちらかと言えば弱いと思いますね。

qbc:家族や恋人とか、身近な人からは何て言われます?

ペイ:家族にはうつ病の時にも面倒見てもらったりはしてたんですけど、強がったりすることが多いから、あなたは本当はそこまで強くないんだからみたいなことをすごい言われて。ああ、やっぱちゃんと見てくれてるんだなっていうのは、すごい感じました。身近な人に対しては、自分をさらけ出す機会が多いのかなとは思います。当たり前ですが。

今は彼女もいるんですけど、家族と似たようなことを言われます。付き合う前の印象よりも、意外と繊細で、打たれ強いのかと思ったらそんなことはないとか言われたりはしますね。
良いのか悪いのか。笑

qbc:今、通院はされてるんですか?

ペイ:今も愛知の心療内科に月に1度通院してます。

qbc:改めてなんですけど、サウナで半年やってみて、働くってどんな感じですかね?

ペイ:自分がサウナを好きだからといって、全部が全部楽しいというか、もちろん仕事なんで大変なこともあるんですけど。
サウナを提供する側に立ってすごい思うのは、お客様がうちのサウナに入っていてすごい気持ち良さそうな表情とかを、ダイレクトに感じとることができて。お客様の反応がすごい直に伝わる、感じられるっていうのはすごい大きいのかな、自分のやりがいに繋がってるのかなと思っています。

ただ、やっぱり昨今のサウナブームって言われてる中で、いろんな施設がどんどん出来上がっていて。その中で生き残っていくためには、っていうのももちろん考えないといけないですし。そういう点では楽ではないですけど、でもやりがいはすごいあるので。そのモチベーションをどう維持しつつ、施設としてもどう生き残っていくのかっていうのは、僕なりに考えながらやってますね。

qbc:良かったと思う部分って他にもありますか?

ペイ:その他で言うと、普通に生活してたら出会えなかった人たちと交流が持てたりするのは良かったかなと思います。例えば、僕のSNSとかで自分の鬱の体験談だとか、普段の考えだとか、そういった発信を見て来てくれるお客様も少ないですがいらっしゃって。

自分が発信するだけでは会えなかった人たちと、サウナという場所を通して出会えるのは良いなと感じています。自分の体験談と、お客さんの鬱の体験談の情報交換だとか、交流が持てるっていう。仕事をしながらいろんな人とコミュニケーションを取れるっていうのは、働いてて良かったなと思う点ではありますね。

qbc:接客とかコミュニケーションをとるのは、ご自身で向いていると思います?

ペイ:それまでは、まともなサービス業を経験したことがなくて。ダイレクトにお客様と関わるみたいな仕事を正直やったことがなかったんですけど。
でも今こっちに来て、向いてるか向いてないかで言ったら、自分で言うのもあれなんですけど向いてるのかなと思って。さっきも繊細だってちょっとお伝えさせてもらったんですけど、
お客様がどう思ってるのかなっていうのが、アンテナというか、そういうのはすごい敏感にはな自分の感覚が、良くも悪くも活きてるのかなっていうのはあります。

過去:うつになった当初を振り返ると地獄だったなとは思うんですけど。

qbc:子供の頃はどんなお子さんでしたでしょうか?

ペイ:小さいときは、親からよく言われてたのは泣き虫で、自信がないというか。何するにしても奥手だったとは言われたことがあって。自分が当時どういう振る舞いをしたかっていうのはあまり覚えてないんですけど、今も自分の根本にある性格っていうのは、小さい時からあったのかなっていうのはあります。

qbc:どんな遊びをしてましたかね?

ペイ:幼稚園からサッカーに通わせてもらったっていうのもあって、サッカーやったりだとか。ゲームしたりするインドアな遊びよりも、どちらかというと友達と公園で遊んだり、外で体を動かすことの方が多かったと思います。

qbc:小中高はどんな感じですか?

ペイ:小中高はもう本当に、自分の軸となってたのはサッカーだったんですけど。
小学校ぐらいから、何て言うんですかね。学級委員だったりとか、部活のキャプテンやったりとか、クラスの真ん中にいて〜みたいなのが、ちょっとおこがましいんですけど確立されててたと思います。

中学校の時に父親が3年間、単身赴任でアメリカに行って。その間にちょっとグレちゃって。グレちゃってって言っても、めちゃめちゃヤンキーかっていうとそうでもなくて、ヤンキーの友達と一緒につるんで遊んでるみたいな。そんな僕だったんですけど、サッカー部の顧問の先生がキャプテンに任命してくれて。これは信頼されてるんだなと思うと同時に、しっかりしなきゃなと思って。真面目に部活やんないとなっていうので、ちょっとずつ感覚が通常?に戻っていって。サッカーを真剣にやって、引退してからは普通に公立の高校を受験して、サッカーの練習会とかも声が掛かったりはしてたんですけど、断って普通の公立高校に進学しました。

高校でも相変わらず部活ではキャプテンで、クラスでは室長とかやって。全然そんなガラじゃないんですけど、リーダーとしてまとめるとか、そういう役割を担わされたっていう言い方もあれですけど。担っていた印象が、振り返ってみると強いです。

qbc:サッカーを始めたきっかけって、何だったんですかね。

ペイ:サッカーを始めたきっかけは、幼稚園の時の友達が先にやってて。多分当時やりたいって言ったんでしょうね、分かんないんですけど。親が地域のサッカースクールに入れてくれました。物心ついたときにはもうサッカーやってたみたいな感じです。

qbc:どうしてクラスの中心になれたと思います?

ペイ:いやあ、そうですね。自分でいろいろ考えたりして思うのは、根の繊細な部分というか、人の顔色を伺ってるっていうのが良くも悪くも得意っていうのがあるのかなと。
ほとんど人見知りはないんで、いろんな人に声かけたりだとか、この人今こう思ってんだろうなって話すとか。それがクラスであれば、女の子とかもいたんでなかなかできなかったんですけど、部活では割と後輩の面倒見とかはいいというか、お世話好きではありました。

チームのいろんな子と分け隔てなく仲良くみたいなのは、意識したというよりはもう無意識にやってたりはしてて。それが周りの人に評価してもらえてたのかなというのはあります。
サッカー部のキャプテンだからクラスでも任せたぞ、みたいな流れがすごい多かったのはありますね。

qbc:その性格って、どこから影響を受けたと思います?

ペイ:人の顔色を伺うとかですか。

qbc:みんなをまんべんなく面倒見るとか、そういうのはどこから。

ペイ:部活内でも、特に仲いい人間っていうのはもちろんいました。ただ、サッカーでチームスポーツというのをずっとやっていく中で、人間関係がうまくいかない時期っていうのを何回も何回も経験してきた、ちっちゃい時から。

少年サッカーとかって、意外と親が絡んできたりするんですよね。あの子はあんまり性格良くないからとか、子供に吹き込んだりして、子ども同士の仲に亀裂が入るみたいな。それに対してすごいずっと疑問というか、怒りというか。親は関わってくんなよみたいな。笑
なんで人間ってみんな分け隔てなく仲良くやれないんだろうなっていうのはすごい思ってて。それを自分なりにこうやったらいいんじゃないかっていうのを、無意識にやっていたのが良かったって言ったらあれなんですけど。あと人の顔色を伺うようになったのは、完全に父親との関係性だと思いますね。

qbc:どんなお父さんだったんですか?

ペイ:父親はもう厳格で頑固で融通利かないみたいな、ちょっと昔の九州男児じゃないですけど。今の家庭では珍しいのかわかんないですけど、すごく亭主関白な感じ。で、小さい時からお父さんに怒られないようにするにはどう過ごしたらいいのか、みたいなのをすごい意識して生活をしていたんですね。

その反動で、父親がアメリカに行ってしまった期間っていうのが、やっぱり自分の中で羽目を外すというか、ネジがバーンと外れちゃった瞬間というか。父親がいないからもう自由、やりたい放題、みたいなのでヤンチャしてしまったのかなっていうのがあります。

一番の自分の根本にあるのは、父親に怒られないようにするには、っていう。父親の顔色を伺うっていうのを多分、無意識に小さい頃からやっていて。多分それが、いろんな人に対しても出てるのかなっていうのはあります。

qbc:全体的に見ると、どんな家族でしたか?

ペイ:高校ぐらいまでは、父親も怖かったりはしましたけど、全然虐待とかそういうのは一切なくって。で、別に家にお金が無かったわけではないですし、大学にも通わせてもらいましたし、家族で出かけたりもしてました。
一見普通の家庭というか、別に何の問題もなさそうな家庭で育ったりはしたんですけど。

僕が中学校の3年間で父親がアメリカ行ったぐらいから、段々家族の関係、というよりも親同士の夫婦の関係っていうのがちょっとずつ壊れていって。
で、僕が大学入学したぐらいから、もう2人とも一切口きかなくなっちゃって、親同士が。それから家庭内別居になりましたね。僕は実家にいたんで、2人の、何て言うんですかね、伝書鳩みたいな役割をしてて。完全に口をきかなくなった両親の間を取り持ってました。

qbc:なるほど。

ペイ:長男というのもあったのか、自分がなんとかしないとみたいな。今まで家族が仲良かったっていうのを経験してますし、急に親同士の関係が仲悪くなったっていうのは多分、自分の中であまり受け止めきれてなくって。

長男として家族の関係がどうにか良くならないかっていうので、親の間をずっと取り持っていった結果、仕事のストレスもそうですけど、家庭内のストレスもあって鬱になったっていうのは否定はできないかなと思います。

qbc:他に、兄弟はいらっしゃいますか?

ペイ:妹が1人います。

qbc:そこから大学へ進んで、どういう生活でしたか?

ペイ:元々行きたい大学には落ちてしまって。で、一応愛知の県内だったんですけど、自分の地元からはちょっと遠い大学に通いました。地元の友達とかも本当0で、新たな関係を構築していかないといけないっていう感じからスタートしたんですけど。

でも本当に振り返ってみると、大学の4年間を有意義には全く過ごせなくて。大学で授業を受けたらすぐ帰って、地元の友達とバイトしたりお酒飲んだり遊んだりっていうのをずっと繰り返していて。

今思えば、大学の4年間という時間の中で、もっといろんな人とコミュニケーションを取っておけばよかったのかなっていうのは思います。あとは特に夢とかもなかったんで、平凡って言ったらあれですけど。大学で何か頑張った、功績を残したっていう記憶はないですね。

qbc:何学部に行ったんですか?

ペイ:心理学部です。

qbc:どうして心理学部を選んだんですかね?

ペイ:心理学部に行ったのは、元々中学校の時にちょっとグレちゃった経験があったのと、人に対して分け隔てなくとかそういう人間の心理みたいなものに興味があったから。人の気持ちとかって、自分自身もそうですけど複雑だな、みたいに思ってて。

で、学校の先生になりたかったっていうのもあって。先生になるんだったら人の気持ちの構造を知った上でなった方がいいんじゃないかなと思ったっていうのが、進学のきっかけではあったんですけど。その後結局、教職課程もすぐやめちゃいましたし、ただ単に心理学を学んだっていう感じの大学生活にはなりました。

qbc:就職の方はどんな感じで?

ペイ:父親が自動車大手部品メーカーみたいなところにいて。父親というか家族にも反対されないし、夢も特にないし、給料もそんなに別に悪くないしっていう点で、本当に周りからの評価だけを意識して自動車関係の同じようなところに就職したっていう感じですね。

qbc:会社員生活はいかがでしたか?

ペイ:振り返ると地獄だったなとは思うんですけど。
そもそも入った会社でもいろんな部署があって。大手のメーカーに人を送るための人材派遣だったりとか、後は総務関係ですね。なるべく人と関わりたいと当時は思っていたので、そういうところに行きたいっていう希望はずっと入社前から出してて。なるべく通るようにするねっていうのを人事から言われてたんですけど。

蓋を開けてみたら、親会社の役員、社長とか副社長とかいるじゃないですか。その人たちの運転手っていう部署に、謎に配属が決まりまして。
配属を断ることもできないんで、2年ぐらい働いたんですけど。やっぱり毎日半端じゃないプレッシャーで。時間をロスしたらいけないし、事故なんて起こしたらもう本当に、本当に終わりなんで。そんな環境で働いていく中で、多分自分の性格というか、人の顔色を伺いすぎるみたいなのも災いして。自分のストレスのキャパを超えてしまったんじゃないかと思います。

まあ、あとは勤務が変則だったりしたのもあって、生活リズムみたいなのも崩れていって、最終的には事故を起こして。他部署にもう、強制部署異動みたいな感じになったんですけど。
事故を起こしたあたりぐらいから、正直あんまり記憶がないんですね。それぐらいには多分鬱も始まってたと思うんですけど。その辺りぐらいから一切眠れなくなって。ご飯も食べれなくなって、っていうのが、なんだかんだで1年ぐらい続いたって感じですかね。

qbc:周りのケアはどうでしたか?

ペイ:一緒に働いてた近しい人たちは本当に良い人たちばかりで、顔色悪くね?大丈夫?みたいな感じで気を遣ってくれたりしてたんですけど。
ただ僕自身も、体調が悪いのが会社にバレるとまずいなと思ってて。それなりに規模が大きい会社だったんで、自分が体調悪いとか言うと、どこまで事が大きくなるんだろうってすごい想像してしまって。それが当時は怖くて怖くて。

ケアっていうのは正直、自分が症状をアピールしてなかったっていうのもあるんですけど。最終的には事故を起こしてしまって、もう部署異動した方がいいんじゃないみたいな感じで、半分クビじゃないけど、もう運転は任せられないっていう上の意図は汲み取っていました。

qbc:ご家族はどうでしたか?

ペイ:母親は、自分の実の兄が鬱で休職しているっていうのを経験していて。身近に鬱の人がいたっていうのと、あと母方の祖母も、祖父が亡くなってから2年間ぐらい、ちょっと鬱のような感じになってしまっていて。母親は結構そういった精神の病みたいなものに耐性があったというか、無理して行かなくていいとずっと言ってくれてたんですけど。

その時点ではもう母親と父親は喋ってなくて。母親はそうやって言ってくれるけど、父親はいつまで休むんだみたいな、そういう感じだったんで。正直家で休んでいても、父親に何か言われるんじゃないかとか考えちゃって。泣く泣く会社に行っていたっていう感じです。

家にいても休まってないというか、家では家で問題があるし、会社は会社で問題があるしっ、自分に安らぐ場所がないなっていうのは、当時ずっと感じながら生きてました。

未来:うつ病の自分を受け入れて、そんな自分でもどう過ごせるかっていうことにフォーカスしていけば、ちょっと楽になるんじゃないのかなと思うんで。

qbc:5年後10年後、30年40年、最後死ぬところまで見据えた上で、未来ってどんなイメージがありますか?

ペイ:個人的には、絶対こうなってないといけないっていう軸はあまり作りたくない人間で。ある程度近い未来じゃないですけど、直近直近で軽い目標を立てていって、それに立ち向かっていって、結果上手くいってればいいのかなっていうのはあって。

今はサウナ施設で働いてますけど、じゃあいつかサウナ作りたいっていう目標みたいなのは正直ない、って言ったらあれなんですけど、別に作らなくてもいいのかなっていうのはあって。
サウナを作るというよりか、自分と同じ境遇になった人たちのコミュニティだったりとか。休んでしまった時とかの選択肢っていうのが、復職とかだけじゃなくって、もっと別のところにあるっていうのも、自分の活動とか発信を通してやっていきたいっていうのがあって。

それでこの無名人インタビューさんもそうですけど、こういう活動を見てもらって、賛同してくれる人たちがもしいるなら、そういう人たちに対して小さくてもいいんでコミュニティを作ったりしていって。少しでも生きるのが楽になるような活動だとか、そういうのをやっていきたいなっていうのは、一番今の自分の中で未来に対して思うのはそこかなって思います。

qbc:コミュニティは、どのように作っていきたいですか?

ペイ:今自分の現状でいうと、やっぱりサウナ施設で働かせてもらってるっていう点は活かしたいなと思っていて。うつ病の人とかって、僕もそうだったんですけど、どっちかっていうと部屋に引きこもりがちだとか、運動をする機会がないだとか。ストレスや悩みの根源を絶つっていうのは大切だと思うんですけど、人間らしい生活を意識して送るっていうのは、もっと根の部分で大切になるんじゃないかなと体験を通して思っていて。これはうつ病とか関係なく、健常の方にも当てはまると思います。

ちょっと外に出てもらうきっかけ作り、みたいなことはしたいです。今の自分が提供できるのは、やっぱりアウトドアサウナにいろんな人が集まってもらって、自然いっぱいの環境の中で、太陽光を浴びながら同じ境遇のような人たちが集まって、そこでコミュニケーションが取れたりしたらすごい良いんじゃないのかな、とは個人的には思っていて。直近はそういった活動の企画、実行ができればいいかなと思っています。

ゆくゆくは自分でそういった施設?逃げ場?みたいなものが作りたいです。どういうコミュニティのスペースを提供できるかは、模索中ではあるんですけど。それがもしかしたらサウナかもしれないです。

コミュニティ作りとかって人のためのように聞こえがちですが、半分自分のためでもあるんです。僕も来てもらった人たちも、みんなこの一瞬だけは病気のこととか忘れたり、自分の今の辛い境遇だったりとかを忘れられるような環境作りをしていきたいなとは思ってます。

qbc:前のお仕事を辞めたあと、「次に働くなら都会よりも田舎」と考えた理由ってなんでしょう?

ペイ:それはもう、完全に個人的な好き嫌いなんですけど。単純に人混みの中っていうのが苦手で、疲れてしまうっていうのはあります。
あとは、田舎の自然だとか、そういった環境の中で一時的にでもゆっくり暮らす方が、メンタルにもいいのかなっていうのは思います。完全に僕個人の考えなので、全ての人に当てはまるとは思ってませんが。

あとは偏見もちょっとあるんですけど、都会で働いてる人たちがすごい疲れてるようなイメージがあって。完全に偏見ですし、そんな人たちばかりじゃないのも分かります。ただ、そういう人たちに対して、田舎にちょっと逃避じゃないですけど、逃げてきてもらうような仕組みとかを作れたら面白そうですね。自分の今の現状を忘れられるような空間っていうのは、都会の方に作ったりもできるとは思うんですけど。自分はちょっと都会は違うなって思って。

そこで田舎の方に今、自分で拠点を置いて。田舎で過ごすのがいいよみたいなことを発信して、足を運んでもらうっていう機会を作ってるって感じではあります。本当に都会嫌いは個人的な問題ですよ。笑

qbc:遠方からサウナに来られる方は結構いらっしゃるんですか?

ペイ:施設は京都の北部にあるので、京阪神のお客様は結構多くって。本当にまだまだ少ないですけど、東海や関東から来てもらえるお客様もいます。
多分、都会の方がサウナの数もあって、それにサウナ好きの人数、分母も多いと思うんですね。アウトドアサウナってやっぱり都会ではなかなか体験できないサウナなので、それを目指して半分旅行も兼ねて来てくれる、みたいなお客様は多いですね。

qbc:自己分析を多くされてきたように感じるんですけども、いつ頃から自分や他人を観察する、意識するようになったと思いますか?

ペイ:一番大きいきっかけだったのかなって自分で思うのは、元々小学校とかまで仲良かった友達が一時全員離れていったんですね。あの中学でちょっとグレちゃった時に。多分ですけど、あの子と関わったらあかんよみたいに友達の親に言われたりして。ずっと仲良かった人たちがいなくなるっていうのを経験して。

自分はこのままじゃダメだと思って更生し始めたんですが、今までの友達はもう周りからいなくなっちゃったし、またヤンキー友達と絡むのもちょっと違うのかなとも思い始めていて。1人ぼっちになった時期がありました。
どうやって振る舞えば、自分から人が離れていかないようになるんだろうとか。どうしたら嫌われないでいてもらえるんだろうかとか、そこですごい考えて、悩んでっていう経験が今も自分のベースにあるのかなと思います。

qbc:そういった経験を振り返ると、どう感じます?

ペイ:振り返ってみたらよかったのかなと思いますけど、当時は本当に辛かったです。周りに誰もいなくなっちゃったっていうのがあって、それが自分の中ですごいトラウマになってるのかなと思って。そのトラウマをもう起こさないためにはどうしたらいいのかっていうので、多分人の顔色とかをすごい伺うようにはなったと思うんです。小さい頃からの父親の影響もあると思いますけど。

先ほどもちょっとお話させてもらったんですけど、サウナのお客様だとか、この人は今何を考えてるのかっていうのが、察知できる力っていうんですかね、そういうのはいい方向に転んでる自分の持ち味なのかなっていうのがあるんで。
人間関係において苦労することもあるんですけど、全部が全部悪いことではないのかなと、本当にこの歳になって思い始めました。

qbc:もしもの未来の質問なんですけれども。またちょっと暴走してしまって、周りが離れていったら、どうやって解決すると思います?

ペイ:また中学校のときみたいな経験を?

qbc:例えば、例えばね。

ペイ:もう1回するってことですよね。

qbc:どんなことで暴走する可能性があるかなって。

ペイ:やっぱり自分の振る舞いで、他人に評価された上でこっちに近寄ってもらったり、離れられたりっていうのはあると思っていて。当時それこそ中学の時だと、何も周りのことなんか気にせず、自分の好きな、好きなというかヤンキーの友達といた方が楽しかったんで。それで自分で何も考えず、そういう振る舞いをしてたんですけど。

すごい難しくはあるんですけど、過剰に自己中心的な態度を取ったりするのはよくないんだな、っていうのはその時の教訓であって。そこは今後あんまりならないように意識はしています。ただ、あまりにも周りの言いなりになることも良くないと思ってて。。難しいです。笑

qbc:自己中心的になりそうなきっかけってありますか?

ペイ:なりそうなきっかけは、、ありますね。
自分が調子に乗って天狗になってしまったりすると、周りの人たちっていうのは離れていってしまったりするのかなっていうのはあると思うんで。なるべく謙虚に、でも芯は強くみたいな。そこはなるべく意識はしながら、今過ごしてますけど。ただ、自己中心的になってしまう可能性もあるのかなと思います。

qbc:もし仮にそうなったときに、今度は何が引き止めてくれたり、あるいは違うステージに連れてってくれると思います?

ペイ:全部中学の話になってしまうんですけど、当時、本当に狭い環境の中にいたなっていうのはすごい思っていて。何て言ったらいいんですかね。うまく言えないんですけど、環境を変えるっていう勇気みたいなのもすごい大切だなとは思っていて。もちろん自分が反省した上でですけど。
1回見捨てられてしまった人たちに対して信頼を取り戻すっていうのは、もう本当にそれ相応の努力っていうのは、やっぱ必要だと思って。それをやることも、もちろん大切だと思うんです。

逆にちょっと視点を変えて、受け入れてもらえる環境っていうのがどこかにないのかなっていう考え方は、大人になってから、鬱になって京丹後に来て思えたというか。一種逃げのような感じではあるんですけど、でもその逃げってネガティブじゃなくてポジティブなのかなと思うし。自分勝手にならないといけない場面というのも、絶対出てくると思うんで。
本当に、やらかしてしまった自分に対して反省をした上で、っていうのは根本であるんですけど。もっと自分の今いる環境とかに固執せずに、柔軟に環境を変えられる能力みたいなのは重要になるんじゃないかなとは思います。

qbc:今、一番怖いものってなんですか?

ペイ:一番怖いもの。怖いものですか。

qbc:うんうんうん。

ペイ:すいません。ぱっと出て浮かんでこなくって。

qbc:はいはい。

ペイ:怖いもの。鬱の経験をしてから、あんまり、人だとか物に対して怖いとかいう感情を抱かなくなったというか。もう駄目なもんは駄目だっていうのが根にあって。

鬱もそうなんですけど、ちょっと前だったら怖いのは鬱が再発することだったとは思うんです。けど、2回ぐらい再発して、この病気はもう再発するものなんだなと。もう本当諦めの感情というか。
そういうポジティブなあきらめを覚え始めてから、例えば人の死とかに対しても、もうそれは絶対避けられないものだから、その一瞬はやっぱり悲しいですけど、前を向いてやっていくしかないなって。

っていう感じで、鬱になったおかげでっていう言い方は語弊があるかもしれませんが、怖いって感情の感じ方が若干変わったっていうのはあるのかもしれません。

qbc:最後に言い残したことがあれば、お伺いします。

ペイ:最後に言い残したいことは、うつ病とか休職や退職、ニート、、これらは本当にネガティブイメージになってて、年々公表したりする人が増えてる中なんですけど、やっぱり周りに受け入れられなかったりとか、身近な人が助けてくれなかったりとかってのは多いと思うんです。
でも本当に自分が今いる環境って、すごい狭い環境なんだなっていうのは分かってほしくて。今自分が属している環境ではうまくいかないことも、ちょっとだけ、本当に勇気を出して変えてみたりすれば、自分に合う環境っていうのは絶対あると思うんで。

うつ病については、完治っていう言葉がなくて寛解っていうんですけど。もう一生付き合っていくもんだと思って捉えた方がいいと個人的には思うんで。鬱を患った自分のまま、どう過ごせるかっていう方向にフォーカスしていけば、ちょっと楽になるんじゃないのかなと思うんで。

今、鬱で悩んでる人に対して絶対に病状は良くなるよとは、僕は言えません。それくらい辛い病気ということを知っていますし、厄介な病気です。だけど、うまく鬱と付き合いながら生きていくってことはできると思うんで。そこに関しては自分の発信や大袈裟に言えば生き様を見ていただいて、もしちょっとでも同意というか、ああ、この人みたいな生き方もアリかもなという風に思ってもらえたら嬉しいです。

qbc:ありがとうございます。

ペイ:ありがとうございました。

あとがき

サウナで無名人インタビュー始めたいなって思ってます!!!!!

【インタビュー・編集・あとがき:qbc】

【文字起こし:花梨】

【編集:なずなはな】

#無名人インタビュー #インタビュー #自己紹介 #サウナ #うつ

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