見出し画像

無名人インタビュー:訪問看護師兼エンドステージフォトグラファーの人

世の中いろんなことしてる方いるんだな、とインタビューしてて思います。今回の参加者は看護師とフォトグラファーの二つの仕事をされているこばやしけいこさん。看護、写真、と単独でみればそれぞれのお仕事ですが、これが一人の人間の中に入ってるのかーと。
インタビューの過程で、看護という点、写真という点、がご本人の中で線で結ばれた理由というのがわかってくるのですが、まあ聞いてみないとわからんもんですわな。
今後、こういう思ってもみないような結び目が、個々人の中で見出されるようになるのでしょうか。
こばやしけいこさん回お楽しみくだしあ!


今回ご参加いただいたのは こばやしけいこ さんです!
WebSite

1、訪問看護師兼フォトグラファー

qbc:どのようなインタビューにいたしましょう。

こばやし:たぶん、qbcさんが感じる疑問は、私がこれから出会う人の疑問になると思うので、何か分からないことがあったら聞いていただくっていう感じで。

qbc:分かりました。今、何をやられてる方でしょうか?

こばやし:私は看護の仕事をしながら、好きなことをしています。主にカメラを、フォトグラファーをやっています。看護の仕事はフルタイムじゃなくなってですね、訪問看護のパートをしてるんですけど、その合間に時間を作ってっていう感じでやっています。

qbc:なるほど。

こばやし:欲張りに贅沢に働いてる感じですかね。

qbc:じゃあ、両方がやりたいことなんですかね?

こばやし:そうですね。元々は大学病院で働いてたんですけど、すっごい忙しかったんですよ本当に。消化器内科っていうところで働いてて。別名癌病棟みたいに言われてたんですが。
学校卒業してすぐに働き始めたので、すごいヘビーだったんですよ。いきなり「人が死ぬとは」みたいなことをずっと考えたりしながら。みんなが合コン! とか言ってるときにずっとそうやってやってきて。
一生懸命働いてたんですけど、でも途中でやっぱり自分がうまくいってないこととかでどんどんつまづくじゃないですか。越えられないこととか。やっぱそれが何年目かにしんどくなってきて。

qbc:はいはい。

こばやし:一生懸命に患者さんに寄り添ってきたつもりなんだけど「あなたは私の気持ちが分からない」みたいなことを言われた時に、糸が切れたんですよ。「私ができてないんだ!」って思ってしまって。それから自分がうつ状態みたいになっちゃったんですよね。

qbc:何年目ぐらいで?

こばやし:4年目ぐらいの話ですかね。
忙しさプラスすごいがんばってやってたのに。それで、自分がこの仕事を選んだ意味とか。看護学校の時から、看護観とか色々考えてやってたんですけど。
あと、自分の担当になった患者さんが自殺未遂を起こしてしまったこともあって。その辺りも、体調を崩したきっかけですね。それで辞めはしなかったんですけど。
子育てもしてたし。

qbc:なるほどなるほど。

こばやし:フォトグラファーを始めたのは、もともとスクラップブッキングっていう写真を使う趣味をやっていたんです。スクラップブッキングは結構気合入れないと残せないんですよ。楽しい時はわーって脳ヨガみたいな感じで自分の表現を出すからすごい集中してできるんですけど。
本当に楽しくてはじめは長男の反抗期を期におうちでホームクラスをしようと思っていました。
反抗期だけでも大変だったのですが、子供とともに人との出会いとかで落ちこんで。ママ友トラブルとかけっこうそういうのが大変だったんです。それとか子育てや人間関係で落ちこんだ時に、その看護の時代の色んなことにリンクしちゃって、何もかも全然できなくなっちゃって。

qbc:はいはいはい。

こばやし:その時に、カメラを持って外にフラフラっと出てとにかくボタン押せば結果が残るっていうカメラが良かったんですよね。押せばそのまま心も映るし、みたいなのが楽だった。そこからですかね、カメラにハマっています。
スクラップブッキングのホームクラスで来てくれた人をちょっと撮影・・・
そのくらいに思っていて。カメラを仕事にしようとも思ってなかったんですけど。
カメラを一緒に学んだグループがあって、そのグループの一人から撮影会を一緒にしようと誘われて、撮影会をしているうちに、看護と同じだって気づいたんですよ。
人のことがすごく好きで人に興味をもって記録をするっていうところの部分で、今まで看護でやってきたことと何も変わらないことが分かって。
看護だと、患者さんとのお別れに無力感をいつも感じていたのですけど、これは自己満足なのかとか、答えがなく分らないまま人が亡くなっちゃったり、正解を感じないで誰にも評価も特にされることもなく、やってきていたのが、カメラでは、同じことをしていても目の前で人が喜んでくれるっていう感覚がすごくあって、それでやっているって感じですね。

qbc:二足のわらじ状態は、どれぐらいやられてるんですか?

こばやし:副業としてカメラマンを始めて4年目ですね。

qbc:カメラのどんなところが好きだったんですか?

こばやし:自分が何が好きかをすごく探してました。全然分かんなくって。自分が何に喜んだりとか楽しいっていうのを分からなくて。
私三姉妹の真ん中なんですけど、バランスを取るとかいい子でいるっていうところに自分がいる意味を感じてきてしまったんだと思うんです。だから人の顔色をうかがってるつもりがなくてもやっぱりすごくバランスを取ってて。
自分っていうのがなかったんですよ。
だからはっきり意見を言う人にすごい憧れていて。自分に興味を持ってくれる人とか「何考えてんの?」とか何か質問してきてくれる人にすごく憧れてて。
どこにでもいられる人なんですけど、はっきり自分が分からないっていうのをいつも悩んでたんです。
その好き探しの中でカメラが好きになっていました。

qbc:どこが楽しかったんですかね、カメラの?

こばやし:小さなところからでした。足元の花の美しさとか。「自分ここにいる」とか「あー私ここに立ってる」みたいな、足元撮るところから始まって。本当小さい草とかあと空気の冷たさとか季節感じられるところとか、雨とかも全部が楽しくなってって。
そのぐらいから色んなこと考えるようになった。
あとは誰かそこに人が入るとその人との距離感とか笑ってる感じとか。
技術はすごく自信がなくてコンプレックスの塊なんですけど。その人との時間を切り取ってくのがとにかく楽しくて。で、それが結果になって残って喜んでもらうと楽しくなってきてっていう感じですかね。

qbc:カメラ歴自体はどれくらい?

こばやし:カメラ歴は長いです。
林家パー子みたいにずっと持ってるのは好きだったんですけど。色んなチェキとかから始まってフィルムカメラも色々。でも技術は何も分からなくて押して失敗しても自分で喜んでたって感じ。学生時代から持ってて、本当に勉強とかしだしたのは4年?5年?ぐらい前になるのかな。はい。そのぐらいからやり始めたって感じ。

qbc:なるほど。

こばやし:カメラがこんな楽しくて仕事にまでするとは思ってなかったですね。
カメラ、アートっていうかスクラップブッキングとか作品作りにすごい没頭していたので、私こういう絵具とかインクとか描くとかそういうのが好きなんだと思ってたんですけど。
カメラって何ていうんですかね、私はたぶん日常記録が好きなんですけど。光の部分っていうか、光と影が両方ないと成り立たないものじゃないですかカメラって。でもその光をうまく表現するとか光ばっかフォーカスしてる時は辛いんですよ。うまく伝わるか分かんないんですけど、おめでたいハレの日ばっかりをメインに仕事するとその中の自分がちょっと分かんなくなっちゃったんですよ。
なんかこれで私やっていけるのか、ずっと続ける自信がなくって。それで最近自分の道っていうかちゃんと決まったっていうか、やりたいものが死ぬこととかに寄り添ったりとかで。それをやってこうとシフトチェンジしました。

2、美しさの表現の場所

qbc:どんなお子さんでしたか?

こばやし:私はどこにでもいる子っていうんですかね。いつもだいたいどこにでも所属できるんですよ。
害がないというか、おいでよって言われたからそこへ行くんだけど、後から話していると
「あれ?けーこいたっけ?」って言われる感じ。それがすごくショックで、嫌だったんですよ、今まで。

qbc:なるほど。

こばやし:でも、あるコミュニティで、それでもいいんだよ、って言われて。それで私これでやってけるって思いました。
自分軸を作んなきゃとか変にこだわってた時は、自立と依存っていう関係にすごい悩んでたんです。どこまで受け入れていいんだろうって。
でも、今のままでいいよって言われて気持ちが楽になりました。

こばやし:最近分かったんですが、質問されると、私あわあわしちゃってたんです、ずっと。
その答えみたいなのが最近ちょっと分かって。私は自分にしか興味なかったんだと思って。
何を答えようとか、何を言ったらこの人は安心するかなとか、良く思ってくれるかなとか何かすごい探してる自分がいるのに気がついて。それで、それが分かったら人に興味が出ました。
うん。何考えてるんだろうなーとか知りたくなったりとかして。だからqbcさんのインタビューとかもすごい興味があって。

qbc:ありがとうございます。

こばやし:どうやって人に興味を持って話を聞いてっていうのがすごい気になってました。

qbc:どっちかというと、なんでみんなそんな興味ないのって思ってますよ。
こんなおもしろいのに。

こばやし:そう、おもしろいですよね。おもしろいとはずっと思ってきてたつもりだったんだけど。
とにかく自分の話題に話を振られると冷や汗と緊張が止まらなくてですね、ちょっと前も。緊張しちゃうというか。
それはなんでなんだろうって思っていた時に、自分のコンプレックスとかを出さないように出さないようにってしてたんですけど。それがなくなったら落ち着きました。

qbc:それは何歳ぐらいまで?

こばやし:ちょっと前に私にずっと興味を持ってくれていた友達がいて、私の写真がとにかく好きだって言ってくれて。私も彼女の書く文章が大好きで、そこからお仕事も一緒にしてて。その子がアロマをしてる子で。その子との出会いがすごく大きかった。

qbc:なるほど。マッサージ?

こばやし:マッサージではなくて純粋に嗅ぐほうです。
その子のアロマを去年の10月ぐらいから受け始めたんですけど。自分の本心とかにアプローチするもので。
ずっと自分が思っていたこと、自分が分からないとか、好きとか嫌いとかの境界線が曖昧すぎることとか、すごく自分で嫌なんだけれどどうしたらいいのか分からないっていうのを。とにかくそういうところを深掘りしながら最後に自分の今好きな匂いを嗅ぐっていうアロマの講座なんですよ。
でも私、それインチキっていうか、本当かな? みたいな疑いみたいのがあったんです。
彼女が作ったアロマからのメッセージというものを匂いを書いだ後読み上げてくれるんです。アロマの元々の効能とかどんな場所でそのアロマが育ったかなど。私は〇〇という場所で育ちました。私の〇〇をあなたは必要としているのかもしれませんね…というように。
そのメッセージを最後に読みあげてくれるんですけど。
自分が悩んでることとか全部入ってるんですよ、本当に。すっごい不思議な経験というか「あ、これさっき喋ってたことじゃん」っていうのをそのアロマ自体がメッセージとして持ってて。っていう感覚がして。
自分をとにかく満たしていてくださいみたいな感じの講座なんです。

私ママ友トラブルとか、今までの人付き合いから、人のこと信用したいんだけど心の底から繋がってる実感がなくて。
信用できていない、どこか線を引いてる。だから興味を持って一生懸命答えるとだいたい人は自分の元からいなくなっちゃうみたいな感じのことを感じていて。

qbc:ん? いなくなっちゃう?

こばやし:そうですね、なんて言うんですかね、「大丈夫?」とかすごい優しく親切される人に限って、ママ友トラブルとかそういうのでいなくなっちゃうイメージがすごいあったんですよ。ぐちゃぐちゃになってというかね。
そのアロマの講座でその子が自分がいつも思ってたこととか掘りさげていってくれて。ここだったら安心って思ったんですよね、すごく。

qbc:掘りさげるっていうのはどういうことについて掘りさげていくんですか?

こばやし:自分でも知らない自分に会ったって感じでした。あーそうかって。自分で一生懸命学んだりして、知ってるよっていうことはいっぱいあったんですけど。ただ自分の中でしっくりくる答えっていうのが全然なくって。
分かってるよ知ってるよ聞いてるよ、だけどたどり着かないんだよねっていうのを開かれたって感じがしました。

qbc:どんなことについてその人と話したんですか? その友達と。

こばやし:潜在意識とか顕在意識とかあの辺の話から。「もう知ってます!」ってはじめは思ってた。それもちゃんと伝わってた。
でもアロマを使って実感に基づいたたどり方で解いて行ってくれたんです。
自分の感情、ちょっとした嫌な感情、シグナルみたいに自分の中から出てるもので。
嫌な感情っていうのはいつも見ないふりして、逃げたりとか普段やっていたのだけど。
いい子になって見せないようにヘラヘラするんだけど。
「なんで逃げるの?ちょっと待って」みたいな感じで捕まって。
それで「なんで? なんで?」って深掘りされて行ったという感じ。
私は小さな頃から「なんで?」って言われて一生懸命自分なりに答えてきた。
違和感も全て。人とかには「すごいいい顔してるけどあの子すごい毒吐きだよね」って言われたりとか、今まで出し切れなかった自分がいたんです。
みんなにとってはいい子の方が都合がいいんだ。いつもニコニコしていた方がいいんだと。でもその子に捕まって「なんで? なんで?」って聞かれて答えた時に、さっきのいつもそうやっていなくなるみたいな感覚があるって言って。
看護師だからとかそういうイメージと、ちょっと違うこととか言うと浮いちゃう自分とか。でも、そういう裏切りみたいなのが許せないとか思っていたけど、でも本当に信じていなくて許してないのは自分でしょみたいなのを言われたりとかして。あぁそうかって思って。

qbc:それが4,5年前?

こばやし:それを受けたのが去年の10月です。

qbc:なるほど。

こばやし:あ、そうだそのことについてのエピソードですごい大事に思ってることがあって。
その子が美しさの表現の場所っていつもすごい言ってくれてて。
「どういうこと?」って聞いたら「みんなの中に美しさがあるんだけど表現ができないんだよね。それをとにかく試して失敗して自分がその美しいと思うもの見つけてくれる場所でありたい」って。自分のやっていることについて。
で、私すっごい試させてもらって、その子と一緒に。カメラもそうだし文章もそうだし自分の気持ち見つけるところもそうだし。だからそうやってやってもらって嬉しかったことって自分も誰かに伝えていってあげたりしたいなと思うし。
そうやって自分を取り戻して行った感覚がありました。
だから、もう楽しさしかなくて、これから一緒に楽しもうね!さあどうするの?ってよく言ってくれていて、ほんとこれから!って思っていたら
その子今年入って亡くなっちゃったんですよ。開いた心が放心状態になりました。ほんと2ヶ月前。そんなに深い話をさんざん聞いた後で亡くなってしまったので。
何がなんだかわからなりました。蜘蛛膜下で。

qbc:同い年くらいの人?

こばやし:ちょっと上だと思います。でもすごく彼女が残してくれたものが大きすぎて、それで自分は今どんな表現ができるんだろうってすごい思ってて。
彼女から学んだことを自分で今形にしていこうって。
今全部色々あるものには挑戦してみようかなと思ってるところにqbcさんの話をお聞きして。
そしてとても興味が湧きました。インタビュー。誰かの人生ってすごいじゃないですか。私は自分の人生を生きてるから、他の人の人生は生きられないから、それを聞いたりとかするのってすごくいいなーって思ったりして。

qbc:他人の写真撮るのもおもしろいと思います、同じ意味で。

こばやし:そうですね。おもしろいと思います。
私、文章を書くのもすごい好きなので。おもしろかったです、qbcさんの文章。知ってからちょこちょこ、こそ読みして。
私の中で、安心感がないと話せないと思ったんですよ。自分の心を出すのに安心感がないと出せないと思ってて。私、家族には出せるんだけど友人になんでこんな見せれないんだろうと思ってて。やっぱりいなくなっちゃうとかがすごい怖かったんですよ。

qbc:いなくなっちゃう? 離れていっちゃうとかかな?

こばやし:うん、離れていっちゃうとかね。無常、常に世の中が変わるから当たり前なんですけど。心が取り残されて。
だけど、友人が亡くなっちゃったけど何も変わらないと思って。ずっと彼女の居場所はここにあって、だから何も変わんないことがすごく分かって。
私は本当の自分と繋がる・自己開示とか人を信用してみるとかキーワードに動いてみようと思ってるところです。

3、エンドステージフォト

qbc:未来について聞きたいです。今後こうしたいというイメージはありますか?

こばやし:今後はね、壮大なスケールのやりたいことがこんな年齢からあってですね。
人生のエンディングに寄り添った写真を撮りたいと思ってます。怒りとか泣いたりとかに寄り添ってる写真も含めて。こういうのってなかなかないんですよ。寄り添いづらいから。

qbc:なるほどおもしろそう。

こばやし:さきほどの彼女の死に、すごい背中を押されたというか。もうその子と約束してたんですよ、1月にプラン発表とか。エンドステージフォトをライフワークにしていくことを。モデル募集とか。手帳に書き込んでいました。
今は彼女と約束したことをやってるところで。それを証明する、必要とされているということを証明するというか、人間にある感情は全部大事なんだよっていうのを証明したくて。

qbc:エンドステージフォトって、おじいちゃんおばあちゃんを撮るイメージなんですかね?

こばやし:いや、誰でも大丈夫です。自分の最後を意識したところからだから。誰でも。
なんか日常ってもっとドロドロしてるじゃないですか。怒ってわめいて。
大切なものって考えると、結婚式の私じゃなくて日常の私だったり親だったりするじゃないですか。だからそれを撮りたい、普通の日常を残したいんですよ私。

qbc:不思議。おもしろいですね。結婚写真を撮るように、大事に日常写真を撮るっていう発想がすごいですね。

こばやし:日常って、たとえば普段の自分の健康と同じで、そんなに重要視されてないんですよ。日常写真って大事だよって言っても、なかなか。
でも死っていうものをきっかけに考えてもらうと、撮ってほしいってすごい思ってくれる。

qbc:大切なことかもしれないですね。自分の好きな場所、大切な記憶のある場所にいる自分を他人に撮ってもらうって、たしかに重要なことのような気がします。

こばやし:そうですよね。絶対楽しい。だから話は看護になりますが私、訪問看護が大好きなんです。その人のお家でその人の空間でやるのが大好きで。病院では結局見つからなかった答えとかがそこにあって。好きなものに囲まれてるその人を見つけられるから。すごい楽しい。

qbc:そのアイデアすごいと思いますよ、こばやしさんの今おっしゃってる感覚。ものすごい重要な感覚だと思う。

こばやし:私はこのエンドステージフォトに関しても、誰か他の人がやりたいって言ったら本当に明け渡そうと思っているんです。というか本当にたくさんの人にお願いしたい。自分では出会える人に限りがある。私は目の前の人でいっぱいいっぱいだから、共鳴しあってくれたらすごい嬉しいなと思います。

qbc:おもしろいですね。それでは、お時間なので、最後に言い残してしまったことがあればおうかがいします。

こばやし:言い残してしまったことは、大丈夫です。ありません。すごいおもしろかったです。

qbc:ありがとうございます。私、こんどついに自分がインタビュー受ける側になるんですよ。101回目企画で。

こばやし:そうなんですか。楽しみに。

qbc:憂鬱です。何を話したらいいんだろう。

こばやし:私も、さっき話したように質問嫌いだったんですよ。すごい嫌で嫌で。何を自分はしゃべるのか何を語るのかなみたいな、すごい思ってたんですけど。
でも、たぶん触れてほしくないって言いながらすごい触れて欲しくて、そう思ってしゃべってたから。だからすごい楽しかったです。
自分がすごいこだわってるところとか、言えてないところは、まだ答えが出てないところで。そこはもっと考えることができるっていうか、もっともっと悩めってことかみたいな。だから、楽しかったです。

qbc:ありがとうございました!

こばやし:ありがとうございました!

あとがき

ある人のことを、その人だけを切り出すのではなく、その人の生活という文脈ごと取り上げる。
その方法のひとつが訪問看護であり、日常の中のその人を撮るエンドステージフォト、というお話でした。おもしろいですね。ホリスティックやナラティブというキーワードが思い浮かびます。
けっきょくある局面だけとりあげただけでは不十分で、その人がその他ひきつれいてるもろもろをまとめた上で見てあげないと、記号化せずに受けとめてあげないと、理解されたという感覚が得られない。不満だと。不十分だと。
なんというか、このインタビューという方法自体が今この社会に必要だと私は感じているのですが、そういうことに思いをいたす回でもありました。写真は生活ごと写すのだ!

それから、インタビュー中、話に出たのが冒頭だったのでつっこんで聞かなかったですが、看護の仕事をしながらご出産もされて、てめちゃくちゃハードだよなー!! すごい! て思いました。
世の中に力を!!!


編集協力:有島緋ナさん 白原すみさん

マガジンで過去インタビューも読めますよ!

インタビュー参加募集!

この記事が参加している募集

いただいたサポートは無名人インタビューの活動に使用します!!