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大正生まれのおばあちゃんの存在大きかったなって人

存外家族の影響っででかいもので、なにからなにやら、生活一緒にしてた影響でかいし、って思います? 私、ちょっと違うと思っていて。
生活一緒にしてなくても、けっこう家族って似てるよなって思っていて。
それはなんでかって、もちろんDNAですよね。
人間の設計図なんていいますけど、あれが、DNAが似てるから、私たち家族って似てるんですよね。似てる。めちゃ似てる。それは、生き物なんだからね、って思います。
生き物だから私似てる。
私qbcもね、おじいちゃんが塩鮭好きで、しかもものすごくしょっぱいのね。それを、ちょびっとずつおかずにして白いご飯食べてたんだって。それ、私も小さいころからしてたらしくて。
ぜんぜんさ、会ったことないんだおじいちゃん。私の生まれる前に死んでいたから。なのに、似てるんだよね。なんかさ、そういうのあるくて。
そうなんだね、先祖強い。
ということで無名人インタビューゴ!!!!!
【まえがき:qbc・栗林康弘(作家・無名人インタビュー主宰)】

今回ご参加いただいたのは 岡野 由紀子 さんです!

年齢:40代後半
性別:女性
職業:「紙1枚」キャリコン、「紙1枚」思考トレーナー


現在:フレームワークを配り歩いてる人

qbc:
今何をしている人でしょうか?

岡野 由紀子:
フレームワークを配り歩いてる人ですね。

qbc:
何のフレームワークですか。

岡野 由紀子:
戦略やマーケティング、人材・組織開発のフレームワークです。何か考える枠組みを知るだけで、自分1人で考えるよりも全然違う思考が出るじゃんみたいなのがあって。私はアメリカでMBAを取ってるんですけど、MBAの講義で出てきたりビジネス書に載っているようなフレームワークって、すごくとっつきにくく感じる方が思いのほか多いなって感じていて。でも、それって過去から今に残ってきた叡智であって、いろんな人のいろんな経験とかがギュッと凝縮されたツールだと思うんです。それを現在生きている私たちが受け継いで使わせていただいている。だから、使わないのもったいないよって思います。そして、何かを考えたいんだったら、このフレームワークを使って考えてみたら役立つかもしれないよ、というフレームワークを配り歩く人ですね。

qbc:
フレームワーク自体って何かオリジナルのものというか、どんなものなんですかね。何に使うときのものでしょうね。

岡野 由紀子:
オリジナルではないです。伝統的なもの。
実務上の悩みとか、困りごとの解決のための処方箋としてこれ使ったら?っていうものです。
例えば、マネジメントの方が、メンバーの方のモチベーションアップのために何かしなきゃって思ったときに、何にも持たずに考える場合と、「動機づけ、特に内発的動機の三つの要素にも照らして、何か自分がメンバーに対してできてないこと、あるいはできることあるかな」って考えるのとでは大違いだと思ってて。

qbc:
いつ頃からされてるんですか。

岡野 由紀子:
会社を辞めたのは2023年の7月末なんですけど、それは、現職の頃からやっていて。ずっとやっています。

qbc:
前職辞められてたお仕事の職種的には。

岡野 由紀子:
職種は製造業なんですけど、その中でも最後の3年間は、人材開発・組織開発のチームのチームリーダーをやっていました。その前はカリフォルニアに駐在してマーケティングやったりファイナンスやったり、現場の生産性改善に関わったり、いろいろ経験をさせていただきましたね。

qbc:
サラリーマン時代が何年ぐらい続いたって言いましたっけ。

岡野 由紀子:
25年ですね。98年に新卒で入社して2023年の7月末が、25年と半年。

qbc:
なるほど。そうすると、まず辞められて今どういう感じになってますか。

岡野 由紀子:
今ちょうど半年以上経って、1月に会社を立ち上げた感じです。

qbc:
お気持ちの面ではどうですか。

岡野 由紀子:
私子供が今2人いるんですけどね。「あっ」と気づいたのが、子供たち、夫も含めてですけど、何だろうな、彼らとの大切な時間を追体験しているような感じがしていて。子供たちが小さい頃から、私はフルタイムの管理職だったので、本当残業とかも結構あって。いかにご飯を食べさせて風呂に入れて寝かすかみたいな毎日で。熱を出したらどうしよう、ってやりくりしてみたいな感じで。とにかく毎日必死で。あまり感覚として残ってないんですよね。
もちろん写真とかも残ってるし、毎日一緒に暮らしてるんですよ。
それで、最近、子供と出かけてるときに、ちっちゃい子がいたら子供が「自分もあんなにかわいかった?いつもお母さんはちっちゃい子がいたら、かわいいかわいいねって言うね。自分もかわいかった?」とか私に聞いてくるんです。それで、「そりゃあ、かわいかったよ!!!」って言うんだけど、一方で、その瞬間、自分の子供も小さい頃にこんな感じだったんだなみたいな感じで、子供のかわいさとか、子供と過ごす時間の楽しさを追体験してる感じですね、気持ちの面で。

qbc:
お仕事辞められたきっかけは、なんだったんですか。

岡野 由紀子:
きっかけは、いくつかありますが、一番大きいのは、夫のお母さん、義理のお母さんが数年前に亡くなったことです。私と同姓同名だったんですよ。
岡野由紀子さんで、漢字も一緒で。お義母さんが亡くなって、四十九日とかお葬式とか行くじゃないですか。私も参列してるわけですよ。手を合わせて目をつぶっていたら、「故・岡野由紀子」って何回も聞くわけですよね。そしたら何か自分の葬式に参列してる感じがしたんですよ。看板も出てたりとかお花もあるから、視覚的にも見るわけですよね。
自分このまま死んでいいのかなっていうか、ここで1回死んで生き直すとしたら、どうやって生きるんだろうっていうのを、そのときにワーッと考えたんですよね。

qbc:
お葬式の最中?

岡野 由紀子:
そうですね。お葬式の最中ですね。

qbc:
亡くなったのは前年前ですか。

岡野 由紀子:
2年前とか本当最近なんですよ。それより以前に辞めたいっていうのではなく。
新卒からずっと同じ会社で20何年、しかも同じ部署でずっと働いていたので、アメリカ駐在の3年間以外ずっと同じフロアにいました。ずっと同じフロアにいながら、一方で社外に出ても通用する人材でいたいなみたいな気持ちはあって。仕事をしながら、平日の夜とか土日に勉強会とかワークショップを社外の方に向けてやったりしていて。
そしたら、あるとき参加者の方が「岡野さん、これ、お金取らなきゃ駄目ですよ!」って言ってくれたんです。「紙1枚」思考のワークショップをやってたんですけど。そこから数千円なんだけれども、有料でやるようになって。コロナのおかげというのは何ですけども、地方にいてもZoomで世界中に向けてセッションができるってなりましたよね。実際、日本からだけでなく、カナダとからも参加くださる方もいらっしゃいました。自分がそうやって提供するものを喜んで受け取ってくれて、しかも参加者の方が「部下がうまく動いてくれるようになりました」とか「転職うまくいきました」とか、実践してくれて成果も出してて、その人のキャリアが開けていってみたいなのが、週末だったり平日の夜だったり会社の外で起きてきていて。

一方で、会社に行くと何となく求められる女性管理職みたいな感じで勝手に自分が期待感を背負ってしまって

だから、お義母さんの葬式からが本当またバタバタという感じで。「いつかは独立できたらいいな。60歳の手前ぐらいかな?」みたいな感じで、モヤモヤっと、いわば先延ばししてたら、ちゃんと人生というものが追いかけてきてくれたっていう感じですね。unfinishedとか言ったりするものですね。

qbc:
今お話いただいた上で、辞めてどうでした?

岡野 由紀子:
一つは、夫への感謝をいつも思うんですけど。やっぱり彼が応援してくれてるし、生活が成り立ってるっていう部分もあるので、夫に感謝してますね。
あと辞めてみて、なんだろうな。1個1個新しいことをやって、こういう方にこういうふうなコンテンツをお届けしたいなって考える時間が持てていることとか、起業塾とかで新たに出会った方だったり、会社辞めても引き続き会ったりできる仲間たちみたいな、お互い応援し合う人に囲まれて生活できて、本当幸せだなと思って。感謝ですね。一言で言うと。

qbc:
性格は、周りの人に何て言われたりします。

岡野 由紀子:
なんだろう。とにかく新しいことをやってるねっていうのは言われますね。
qbc:
自分自身ではどういうふうに思っていらっしゃいます。

岡野 由紀子:
これいいって思ったら、すごいとことんやってしまう感じかなと思いますね。私は学部のときは、ドイツ文学専攻だったんですけど、でも、ビジネスの世界で働いていく中で経営学とかどんなんだろうってちょっとふと思って。
カリフォルニア駐在の話をいただいたときに、それだったらアメリカでMBAとろうって大学院に行っちゃうとか。
私はパンを食べるのが好きだから、自分でも作って食べたいなと思ったらマスタークラスまでいってしまう。何かこれいいと思ったらぐわーって没頭する感じかな。

qbc:
身近な人、家族、パートナー、お子さんでもいいし身近な人から言われる性格の一面ってありますかね。

岡野 由紀子:
夫に聞いたことがあるんですけど、とにかく好奇心が旺盛だねって言われますね。

qbc:
何かその他にあります。

岡野 由紀子:
あとは、そうそう。この間、下の子が言ってたのは、自分が言わなくっても何かあったとかわかってくれるみたいなのは言ってた。

qbc:
自分を家具に例えると何ですか。

岡野 由紀子:
家具ですか?。家具?なんでしょうね・・・。

qbc:
家にあるものでいいです。

岡野 由紀子:
なんだろう、そうですね。今思ったのは、クックパッドですかね。アプリの。家にあるものじゃないけど、まあ身近な。

qbc:
いや身近な、家にある感覚あるっちゃありますね。

岡野 由紀子:
家にある。台所で見るから、はい。

qbc:
その心は。

岡野 由紀子:
その心は、はじめに「配り歩く」っていうのを言ったんですけど、クックパッドってユーザーの方が自分がひねり出したレシピを惜しげもなく載せているじゃないですか。なんならお金払って載せてる感じですね。毎月の課金があるから。こういう作り方あるよとか、何かこれやってやったら美味しいよとか、そういうのを惜しげもなく見ず知らずの人に渡してっていうとこですかね。
実際見るだけでも楽しいのかもしれないけど、真骨頂はそれを使ってみるっていうところで、例えば、お肉を野菜炒めやる前に小麦粉をまぶして揉んでおいたら美味しいんだみたいな。知って、やってみて、確かに!っていう、知って使ってみるまでの流れがそこに載ってるっていうのと、その人が仕入れた叡智だと思うんですけど、私料理が苦手だから、料理上手な人すごい尊敬するんですが、その叡智を惜しげもなく投稿してくれてるっていうところですね。

qbc:
使う側ではないということですよね。だからそのレシピをアップするユーザーのほうということですね。

岡野 由紀子:
そうですね。そうですね。だからなんていうかコーチング界のクックパッドになりたいみたいな感じかもしれないです。キャリアコーチング界の。

過去:ものの15分かかってなかったと思うんですけど、あっさり自分が取り組むことはこれだみたいな「紙1枚」にまとまったんですよね。「ええっ!こんなんでいいの!?」ってなって。「紙1枚」思考との出会いはでかいですね。

qbc:
過去について聞いていきたいんですけれども、子供の頃はどんなお子さんでしたか。

岡野 由紀子:
子供の頃は、母に子供の頃どんな子だったって聞いたことがあるんですけど、「とにかくあんたは1人で本を読んでいた」と。で、1冊の本を何回も何回も読んで覚えて言えるぐらいまで読んでたって。そこは今と繋がるなと思って本当、何回も何回も読むんですよね自分のものになるまでというか。だから近所の友達んち遊びに行ってもそこのお宅にある本を読んでたから、小学生の頃とか、近所の幼なじみとかその兄弟から「本読みねーちゃん」って呼ばれてて。とにかく本を読んでたなっていう。
あと一番小さい頃の記憶は、幼稚園の年中のときの記憶なんですけど、幼稚園バスが家の前に迎えに来るんですが、自分の母親、お母さんですね。お母さんが好きだったから、お母さんが家にいるのになんでわざわざお母さんから離れて幼稚園に行かなきゃいけないのと思って。お母さんと一緒にいたいって言えばいいのに、まだ言語化能力がないから、私、4月1日生まれで学年の中で一番遅いんですね。だから本当にちっちゃくて言語化能力もないから「幼稚園嫌だ!」としか言えなくて。「幼稚園嫌だ!」って幼稚園バスをドカドカ蹴ってる自分の記憶。ただ、どっかで冷静な自分がいて、自分ギャーって叫びながら幼稚園バス蹴ってるなって見てる第三者の自分もいるみたいなのもあって。
ちょっと第三者的に自分を見ている自分もいるみたいな、そんな子供だったのかなと。

qbc:
子供の頃読んでた本で印象に残ってるものってあります?

岡野 由紀子:
印象に残っているのは、もしかして同世代かもしれないのでご存知かもしれないですが、学研のなんちゃらの秘密?ふしぎ?だったかな?漫画で歴史だったり科学だったりを解説してる学研の漫画が、シリーズものであったんです。あれがすごい好きで。当時は海外旅行とかも全然一般的じゃなかったから、「こんな国があるんだ」とか「こんなことあるんだ」っていう。宇宙の不思議で、宇宙人のこととか見て「地球外にこんな生物いんの?」みたいなのでわぁ!と思いながら読んでました。
それで自分の知らないことを知るっていうのが、面白かったから。

qbc:
学研まんがひみつ文庫っていうのになってますね、今。

岡野 由紀子:
それですね。

qbc:
小中高ってどんな子だったんですか。

岡野 由紀子:
小中高は、小学校低学年・中学年ぐらいまでは、学年の中でも一番小さいから発達がとにかく遅いので、とにかく一生懸命やって周りについていくみたいな感じでした。背の順に並んだら一番前で、前ならえも手を脇にペッと入れる感じ。
高学年ぐらいになると、そういう体格差だったりっていうのもなくなって、小中高は、小学校だと児童会、中学校だと生徒会です。生徒会をやってました。

qbc:
なんで生徒会やろうと思ったんですか。

岡野 由紀子:
なんでやろうと思ったのかな。小学校のときに、なんで児童会やったか覚えてないんですけど、中学校のときはそこが部活みたいな感じで面白かったんですよね。他のクラスの子がいたりとかしてて、行事の前の準備とか、部活感覚ですごい楽しかった。
それで大学になったら、今度は塾でバイトだったけどチューターをやってたから、それまたサークルみたいな感じ。

qbc:
学生時代の人間関係はどんな感じなんですか。

岡野 由紀子:
すごい友達に恵まれてたなと思います。いまだに、中学校のときの生徒会の子とは連絡とったりするんですけど。だから気の合う仲間がいたなみたいなのもあるし、あとは高校2年生3年生のときに、ちっちゃい頃からあったアトピーがすごい悪化してしまって、本当顔とかも真っ赤になっちゃって、なかなか痒みがあったりして学校に行けなかったりしたんだけれども。でもいざ学校に行ったら、友達は普通に接してくれるんですよね。変に「大丈夫?」とかじゃなくて、自然に「おはよう」みたいな感じで。だから、友達とか仲間に恵まれてたなと思います。

qbc:
生まれ育った場所ってどんな風景ですか。

岡野 由紀子:
生まれも育ちも広島の南の方なので、雪も年に一回ぐらいしか降らないし、そんなに災害も最近は豪雨もあるけどないし、とにかく穏やかな山に近い田舎の。

qbc:
ご家族からは、どんなふうに育てられたと思っていらっしゃるんですか。

岡野 由紀子:
なんだろうな。3人きょうだいで妹と弟がいるんですけど、「お姉ちゃんだから我慢しろ」と言われなかったなっていうのは、大人になって改めてですけど思っていて。とにかく私がやりたいことを応援してくれたっていうのはあります。
例えば、父も母も広島出身だけれども、ちょっと田舎のほうの出なので、私が高校生の後半ぐらいの頃に、「女の子なのに4年制大学、4大に行かすの?」って親戚に言われたって母が言ってたりとか。でも別に女の子だから、短大に行きなさいとかそんなの別になかったし、外国語勉強したいなと思ってたから文学部行かせてもらって。
高校生のときは、学校のプログラムでオーストラリアに1ヶ月行かせてもらったりとか、やりたいっていうのはすごい尊重して、させてくれたなっていうのは思う。

qbc:
大学はどんな感じで選ばれたんですか。

岡野 由紀子:
大学は本当は英語をやりたかったんだけれども、センター試験に失敗して。なので英文には出願できないねってなったので、フランス文学かドイツ文学ってなりまして。で、ドイツ語のほうが語感がちょっと感じがいい気がするっていう直感です。いわゆる直感ですね。

qbc:
なるほど。そのあと大学卒業後はどうされるんですか。

岡野 由紀子:
卒業後は地元の会社に就職をしました。

qbc:
それが25年続いた会社?

岡野 由紀子:
そうなんですよ。

qbc:
20代はどんな感じになるんですかね。

岡野 由紀子:
20代は、それまで文学をずっとやってて特にドイツ文学の主要テーマは愛と死なんですけど、愛について4年間語ってきた後で、今度は何千万稼ぐかみたいな、その部として、何千万何億稼ぐかみたいな話になって。だから、そこでちょっと初めは戸惑いがあった。1日に億単位のお金が動くっていう世界がすごい驚いたなと。
海外系の部に配属されたので、海外との接点はずっとあったんです。入社して、本部長に挨拶行きますよって連れて行かれたら、メキシコ人の人がいてものすごいびっくりしたこともあって。
20代は、学びの対象が、仕事に必要な知見というか専門性になってきたっていう感じなんでしょう。だからそれですかね。
27歳から30歳までアメリカに駐在させていただいて、とあるプロジェクトに入れてもらったときに、この仕事をしようと思ったら、自分は経験がないけど何が必要かなって思ったときに、本社の資料をいただいて、ばーっと勉強してやったというか。それを繰り返した感じですかね。やったことないアサインメントをいただいて、すごいスピードで必要な知見だったり知識を学習して、それを実践して成果上げてっていうのをとにかく回していた感じだと思います。

qbc:
30代も?

岡野 由紀子:
そうですね。30代もそうですね。帰国してからも同じ感じですね。お客様の顧客調査やろうって言ったら、統計の勉強はしなきゃとか。それはずっと続いてますね。
新しくチャレンジしたいって言って、HR、、、人材開発、組織開発チームを作ってもらってやるってなったら、ちょっとヒト系の知識は、MBAでもちょっと授業はあったけど、これまで学んでないからっていうので、グロービスの大学院で、その講義を取って。ずっとそういうのを続けて、今も続けてるっちゃそうですが。そんな感じですね。

qbc:
パートナーシップ、ご結婚は?

岡野 由紀子:
アメリカから帰ってくる直前に結婚したんで、30になってすぐです。

qbc:
その後お子さん生まれたりっていうのはどの辺ですか?

岡野 由紀子:
結婚した翌年に上の子が生まれて。そしたら本当フルスロットルで仕事してたところに、子供が生まれて産休育休で1年間休ませていただいて。その間は、夫も仕事頑張ってやってるし、子供も日々成長していくし、自分だけ何も変化してないとか成長が滞ってる?とか思って、ちょっと悶々とはしてましたね。

qbc:
なるほど。自分の人生に転換点が起きるとしたら、どこに置けると思います。いくつ置いてもいいんですけど。

岡野 由紀子:
転換点は、やっぱまずはアメリカ駐在ですね。カリフォルニアに27歳で行って、2003年から2006年。駐在行った時がまず一つ。ここは、ドイツ語をずっと大学時代にやってたから、いつかドイツに駐在させてくださいって上司に言ってたんだけど、アメリカのポストにチャレンジする機会をいただいて。そういうやってみたいですっていうの言っていると、見てくれてる人がいるんだなっていう。
2000年の初め頃って、日本企業で女性社員を駐在に出してるとこあんまりなかったんですよ。だから日本人のコミュニティの中で自己紹介しても、私が仕事で来てるって思ってもらえなくて。「仕事で来たんです」「旦那さんの仕事は何ですか?」って何回も繰り返した後で、ようやく「あなたが駐在で来ているの!?」みたいな。
駐在に行く前に、先輩社員の方から「現地のプロパーの方に、私に何ができますかって、まず言って、とにかく役に立て」って言われてたんで、「何ができますか?」って本当に馬鹿正直に言ったんですよね。What can I for you? って。そしたら、「お前何ができるんや」みたいな感じで「what can you Do, for me?」って言われたりとか。
「自分に何ができるんだろう」っていうのを突きつけられたような気がして。っていうときに、さっきもちょっとお話した、本社の方から資料をもらってそれを読み込んでその切り口でもって現地の方と話したら、自分も役に立てたみたいなのもあって。

元々私が入社した年は、一般職と総合職がある時代で、私は一般職で入ったから、お茶の出し方だけ新入社員研修でやって、即配属だったんです。だから、総合職の人が行くみたいないろんな研修とかやってないんですよ。っていう中で、そうやってあんまりいわゆる研修だったり、そういう訓練的なものをやってない自分でも誰かが作ってくれた、知見みたいなものをツールとして持っていれば、人の役に立てるんだみたいな。そこでフレームワークが出てくるんですけど。丸腰でぱって行くだけなのと全然違うことあるんだみたいなのがあって。
そのアメリカ駐在のとき、いきなり日本人がいないチームにぽーんと行かせてもらったのもあって、自分に何ができるんだろうな、できることないやんって。なんとか誰かが作ってくれた知見、フレームワークのおかげで役に立てたみたいな経験は大きかったな。

qbc:
他にも置けますか、転換点。

岡野 由紀子:
2016年の「紙1枚」思考との出会いは大きいですね。それまで、MBA取ったり自分なりにビジネス書を読んだりとか、あとはセミナーに行ったり、とにかく自己啓発を続けていたと。
でも、だんだんそれが変なタグ付けみたいになってきてしまっていて、「アカデミックだね」みたいな感じで言われるようになってきちゃったんですよね、会社で。ものすごいもどかしくて。自分としては、ここですごく使えるいいと思ってるものを、言葉を尽くして一生懸命一生懸命説明したり、これをやりましょうよって言ってるんだけれども、説明すればするほど溝が深まるというか。っていうところで困ってて。
今になって見れば、自分が話したいことを一方的に話していたら、そうなっちゃうよね・・・と思いますが。

(カリフォルニア駐在中に、自費でMBAをとった)

でもそんな中でも、いわゆる課長職の試験を受けさせてもらいますってなって、その試験であなたが新しい立場になって何に取り組みますか、要はあなた何するのっていう論文を書かないといけないというときに、書けなかったんですね。自分が何やりたいのかわかんない。それまで、とにかくやったことないけどアサインされたことをとにかく頑張ってきていたので。自分が何やりたいとか、それはアメリカ行きたいとかありましたけど、現場に出たいとかあったけれども、何かやりたいのかわからなくって全然論文が書けなかった。

自分なりに考えて上司に見てもらうんですけど、でも教科書的でわからないみたいな感じで何回出しても出しても駄目でっていうときに、「紙1枚」思考のやり方で考えをまとめたら、ものの15分かかってなかったと思うんですけど、あっさり自分が取り組むことはこれだということが「紙1枚」にまとまったんですよね。「ええ!こんなんでいいの???」ってなって。「紙1枚」思考との出会いはでかいですね。
おかげでその昇級試験は、係長クラスの人数が100人ぐらいいたけれども、その年、試験自体チャレンジできてなおかつパスできたのは私入れて2人しかいなかった。それ以来、仕事の中でも「紙1枚」使って。残業も大幅に削減されたし。
海外駐在もやって戦略周りをやらせてもらって、財務(ファイナンス)もやったし、次は、戦略を実行するのはヒトだから、ヒト領域にチャレンジしたいです、って「紙1枚」で思考整理して上司の方に相談したら、希望の部署をゼロから新設してもらって異動もできました、だから、そこから本当にキャリアがまた新たに開けたみたいなのあって、「紙1枚」思考との出会いはでっかいですね。それで独立もしてるんですけど。「紙1枚」。

qbc:
他は転換点、どこに置きます?

岡野 由紀子:
あとは。さっきの義理のお母さんが亡くなったときの自分の葬式に、参列したことですね。

未来:未来に希望を持って今生きれる人が増えていって、憧れられる大人でいっぱいの日本になったらいいな

qbc:
ありがとうございます。そしたら未来ですね。未来想像してもらって、10年20年30年でこの先を考えて最後死ぬっていうところまで考えて、どんな未来を今イメージされてますか。

岡野 由紀子:
なんだろうな。やっぱり自分も周りの方のおかげで、思ってもみなかったキャリアが開けてきてきたっていうのがあるので、私と関わってくださった方が、自己一致ですけど、自分に正直なやりたいことができること。自分の意思を自分の言葉で言語化して、なおかつそれを実現するためのビジネススキルを身につけていただきたいと思っていて。そのビジネススキルは「紙1枚」思考ですけど。そういうのをずっとやり続けていって、自分と一致した満足のいくキャリアを歩めるようになりましたみたいな感じで、ぽっぽっぽって連絡もらって、
「よかったね」って言いたいんですね、とにかく。「よかったね」って。そしたら、「どうせ自分なんか・・・」とかじゃなくって、自分の未来に希望を持って生きれる人が増えたらいいなと思って。
そういう人って側から見ても、年取るの悪くないかも、もっといけば憧れられる人というか、増えるかなと思っていて。

なので、未来に希望を持って今生きれる人が増えていって、憧れられる大人でいっぱいの日本になったらいいなと。ちっちゃい頃、私が自分のおばあちゃんを見てかっこいいな、なりたいなって思ってたんですけど、なんかそんな感じで生きていけたらいいなと。

qbc:
フレームワークを配り歩くっていうときに、そのときの楽しさの一番のピークって何ですかね。どこが一番楽しい。

岡野 由紀子:
楽しいのは、私は単に質問をしたりフレームワークをお渡ししてるだけなんだけど、お客様だったり、ワークショップに参加してくださった皆さんが、「あー!これだ!」って言うときがあるんですよね。自分が大事にしてることだったり、自分がわかってないことだったり、自分が今これをやりたいんだとかやるべきときだみたいなのを、目の前の人が勝手に見つけて、あ!って言うときですね。
私は単に本当にフレーム、1枚の紙にフレームを書いて、Zoomだった画面共有ですけど、テーマを決めて質問しながら、おっしゃったことをいわゆる「見える化」していくだけなんですけど。キーワードを書いていって。そしたらそれを見てるだけで「やっぱりこれだ」ってお客さまが指差すときがあるんですよ、っていうときに、あ!って言うのを見たときがすごい嬉しくって。そういうときって、やっぱりキャリアの転換期にあって、例えば、異動すべきか、異動しない留まるべきかみたいな悩んでる人がいたとして、モヤモヤ悩んでただけれども、ただ、私質問してるだけなんだけど、自分で何がやりたかったことか自分でこうしようって決めれたときのスッキリした顔って本当にびっくりするぐらい変わるんです。そこを垣間見させていただくのが、すごい好きで。

例えば上司の方に話してみますと言って実際行動を起こしてくれる人も本当にたくさんいらっしゃって、あとで本当にうまくいきました、とか。もちろん、行動したこと自体が大切だから、うまくいかなくてもいいんですけど。だから目の前の人が自分の中で持ってたんだけど、持ってないと思ってたことに勝手に気づいて、歩き始めるところを垣間見えるというか。やっぱりその悩んでるって言っても、答え持ってるやんっていうのを見れたとき。

qbc:
はいはい。それに似た他の楽しさってあります。同じ楽しさが得られるような、他のこと。

岡野 由紀子:
それは仕事じゃなくても。

qbc:
今のお話ですね。フレームワークを配り歩く楽しさのお話をしていただいたんですけども、別のことで。それと似た楽しさ他にありますか。

岡野 由紀子:
仕事してる中で?

qbc:
何でもいいです。例えば、料理してるときと同じ楽しさですとか。

岡野 由紀子:
そうですね。旅をしてるときに、何日か同じところにいると、一番初めに行ったときは見知らぬ道だったりとか乗ったことないバスだったりするんですけど、それは1回通るともっと来た道になるなっていうのがあって、1回来た道は元来た道になって、さらにその先の新しいところに行けてみたいなので。だんだんと自分のcomfortableゾーン広げていくっていうのがすごい何か楽しいなって。そんな中でも、ここにいると自分落ち着くみたいな場所みたいなものは確保しながらだんだんcomfortableゾーンを広げていくっていうのは楽しいなと。

qbc:
へー。その感覚と、その人他人が気づく瞬間が似てる?

岡野 由紀子:
似てるっていうか、何だろうな。似てるかもしれないのは、そうやって自分の限界というかcomfortableを広げていくっていう、これが私のパターンなんだなみたいなのを認識してそれを実際やっていくっていうところかな。その旅行中にふと気づいたときに、そっかそうやって一歩一歩できることとかを増やしていって。でもそれは、昨日ここのストリートに来た自分がいるから、今日の自分はこの道を見知った道でここ進んだら馬がいるとかだよっていうので、何かそれってちょっとなんだろうな。自分の道が繋がってて点が線になっていてよく言いますけど、繋がっててっていうのを感じるんですかね。目の前の方があ!言ったのも、その人オリジナルの経験があってその経験の中でいろいろ考えたり感じたり、その中で価値が形成されていってるので、それはでも、普段は思考の中にあるから見えてないものを紙の上に出してって、あ!言って気づいてみたいな。その人が持っているんだけど、気づいてないことを気付けるよう手助けするってちょっとおこがましいですけどみたいな。

qbc:
それは、でも他人に起きてることじゃないですか。 

岡野 由紀子:
そうですね。

qbc:
それを自分も何かミラーニューロン的に感じてることなのか、あるいは全く違うことが起きてんすかね。どうなんですかね。

岡野 由紀子:
目の前の方と話してるときに、自分に起きてることですか。

qbc:
目の前に起きてるの、目の前の人の中で点が線になった瞬間じゃないすか。それを共感して共感覚的に感じてることなのか。それともまた違うこと起きているんですかね。どうなんだろう。

岡野 由紀子:
そうだな。目の前の人があ!って言ったときは、いわゆるエンパスみたいな人は、同じ痛みを感じるといったりしますけど、そこまでではなくて。観察してる感じです。観察してるんだけど、人の美しさとか強さを見せてもらったみたいな感じ。

qbc:
同じじゃないけど、やっぱ似てるってことですねそれね。はいはい。

岡野 由紀子:
見せてもらったみたいな。

qbc:
ありがとうございます。もしもの未来の質問というのはしてるんですね。もしも勉強ができなくなったら。勉強自体ができなくなったらどうします?どういう人生だったと思います。

岡野 由紀子:
できなかったら。

qbc:
勉強自体が楽しくないと。

岡野 由紀子:
楽しくなくなったら。

qbc:
そうそう。自分がうまくできないとかじゃなくて、そもそも勉強自体がつまらなくてみたいな。何を求めるんでしょう。

岡野 由紀子:
何だろうな。それは他の領域の勉強じゃなくてそもそもっていうことですよね。

qbc:
逆にいうと、残るものありますかって質問ですね。

岡野 由紀子:
人の役に立たなくなったら、自分ってどうなんだろうとか思ったことがあったんですけど、そのときに、「そうか」って思ったのは、私が大学生の頃に母方の祖母が亡くなったんですね。結構お見舞いにも行ってて、そこで、いつも、おばあちゃんは文句を言わないんですよね。よく病院食がまずいとか言ったり、そういう話もあるけれども、ご飯持ってきてくれたら「ありがたいね」って、「ありがとうございます」って言って。看護師さんとかお医者さんにもとにかく「ありがとうございました」ってお礼を言ってて。その姿を見てて、病院だから本当むちゃくちゃなことを医療従事者の方にやってる人もいたけど、そういうの全然なくて。とにかく自分もがんで痛みとかすごいあったはずなのにありがとうありがとうって言ってて。おばあちゃんが何かを生み出してるかって言うと、そのいわゆる経済的に資本主義的に生み出してるかって生み出してないんだけど、その姿を見て「こういうふうな人になりたいな」というのは、思ったんですよね。最後の最後まで「ありがとうございました」って言って、そういう立派な生き方を見せれてたらいいですね。あり方というか。

qbc:
なるほどね。何で岡野さんは今の岡野さんになったんですかね。何が一番良かったと思います。今の自分に至った理由。

岡野 由紀子:
なんでしょうね。とにかく仕入れた知識を使うのが楽しかったんでしょうね。さっき思い出したのは、高校2年のときに初めて海外に1ヶ月ぐらい行かせてもらったときに、それまでは教科書の中の勉強であった英語が日常で使うコミュニケーションのツールになってホストファミリーとお話もできるみたいなの。学んだことを使うのってすごい役に立つし楽しいなと。新しい文法を覚えたらすぐホストファミリーに使ってみて、通じる。本当に言葉なんだみたいなのとかあって。そこの驚きというか、わー楽しいっていうのがあって、英語だけじゃなくていろんなとこに触手を広げていくとやっぱそれはそれで役に立っていくし。新しく試してみるのが楽しいみたいな。

qbc:
それも自分で気づいたんすかね。英語が使えるんだって。教えられたわけじゃなくて自分で
たどり着いたんですかね。

岡野 由紀子:
それはそうですね。ホームステイに1ヶ月ぐらい行ったときに、ビートルズのイエスタデイが、単なる音楽とわかんない何かの「音」だったのが、ある日急にyestarday〜って歌詞も言葉として聞こえてきて、あ!っていう感動があって、単語テストがあるから覚えるとか文法を覚えるとかやってきたけど、こうやって使うためのものだったんだなと高校2年の夏に気づきました。

qbc:
ありがとうございます。最後の質問ですね。最後に残したことはっていうので、遺言でもいいですし、インタビュー振り返っての感想みたいのでもいいし、読者向けメッセージでも大丈夫。最後に残したことがあればお伺いしております。

岡野 由紀子:
なんだろうな。そうですね。やっぱり小さい頃のおばあちゃんの存在大きかったなっていうのをちょっと改めて思いましたね。当時の女性としては、大正生まれなんだけれども、女の人が働いてて珍しくてすごい料理上手だったから近所の料理屋さんに頼まれて、お刺身とか作りに行ってて。だから、何かできることがあって働いてそういうおばあちゃんかっこいいなみたいなのがあったから。なんかそうやって、おばあちゃんのようになりたかったんだなっていうのを改めて思います。それがおばあちゃんの場合は料理だったけれども、私の場合はビジネススキルを配り歩くだったり、コーチングを通して、相手の中にあるけど気づいてないものを気づけるような、そして、それを使えるようなお手伝いをすること。そのときそのとき、特に駐在期間とかもそうですけど、何か一生懸命できることをやってきて、よかったなというふうな思いですね。

qbc:
ありがとうございます。

あとがき

人の人生を百人千人という単位で聞いて、眺めて、読んで、考えて、味わって、泣いて、笑って、そういうことの総体が、自分の人生なんだなって思う。
それって幸せなことなんだよな、とかみしめる日々。
この日々に感謝しなくちゃいけないな、と思っています。
性格、どんどん良くなってる気がするな年取って丸くな。
愛してる人生! 大丈夫私! 最高! の! 自分!!!!!

【インタビュー・あとがき:qbc】

【編集:さりあ】

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