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天邪鬼の人

僕は、人々が群れるのを好まない。そう、群れるというのは人間の本能なのだろうが、僕にはどうもしっくりこない。だから、僕は札幌の大学に進学した。東京から遠く離れた、雪の街へ。
ある日、大学の講義室で奇妙な夢を見た。僕は原始時代にいて、20人ほどの集団と暮らしていた。ある朝、西の方に楽園があるという噂が広まった。みんな狂ったように喜び、すぐにでも移動しようとしていた。
でも、僕は違和感を覚えた。「待てよ」と僕は言った。「そんなうまい話があるわけないだろう」
みんなは僕を無視して西へ向かった。僕だけが取り残された。しばらくして、西の方から悲鳴が聞こえてきた。どうやら、他の集団と争いになったらしい。
目が覚めると、講義はとっくに終わっていた。窓の外では雪が静かに降っていた。
僕は考える。この「天邪鬼」的な性質は、単なる反抗心ではない。それは人類を守るための本能なのかもしれない。震災やパンデミックの時、冷静さを保つための力。
雪の中を歩きながら、僕は微笑んだ。この街で、僕は自分の天邪鬼を大切に育てていこう。それが僕という人間の根幹なのだから。
と思う2024年7月26日16時59分に書く無名人インタビュー846回目のまえがきでした!!!!!
【まえがき:qbc・栗林康弘(作家・無名人インタビュー主宰)】

今回ご参加いただいたのは Kジロー さんです!

年齢:40代前半
性別:男
職業:ライター、コミュニティーFMのラジオパーソナリティー


現在:あんまりこの社会に所属したくないなっていうのをずっと感じてて、それは今も結構そうなんですけど。

ゆいぴ:
Kジローさんは今、何をされている方ですか?

Kジロー:
仕事ですか?

ゆいぴ:
仕事でも何でもいいですよ。

Kジロー:
今ですね、第一子、来週1歳になる子供の父親をしております。

ゆいぴ:
どうですか?父親としての自分は。

Kジロー:
自覚はあんまりないんですよね。子供がちっちゃいときってお母さんと一体であるという意識があるらしいんですよね、赤ちゃんって。お母さんはなくてはならないと思うんですけど父親はいなくてもいいんじゃないかなと思ってて。男の子なんですけど、父親の出番はもうちょっと大きくなって意思の疎通ができるようになってからかなって思ってます。

ゆいぴ:
自分の出番は後からだなって思ったのはなんでですか?

Kジロー:
なんでしょうね。男性性の必要性が、子供が言葉を喋れないうちはまだあんまないんじゃないかなと思ってて。でも大きくなって友達と喧嘩したとか、何か楽しいことをしたいと言ったときに、男の僕の出番なんじゃないかなと思ってるんですよね。

ゆいぴ:
それは何か、過去にそう思うに至った経験があったんですか?

Kジロー:
そうかもしれないですね。もしかしたら無意識にそうかもしれないです。僕、ヨーロッパ車が大好きなんですけど、それは120%父親の影響で。たぶん0才、物心つく前の赤ん坊の頃からヨーロッパ車に乗せられ続けてきて、洗脳みたいなもんだと思うんですけど。そのおかげで立派なヨーロッパ車好きに僕も育ったんですよね。それは完全に父親のおかげだと思ってて。知らず知らずのうちに趣味とか仕事とか、そういう領域において影響を与えるのが父親なんじゃないかなと思っております。

ゆいぴ:
ヨーロッパ車の魅力に気づいたきっかけってあるんですか?

Kジロー:
子供の頃は単純にデザインが好きだったんだと思うんですけど。年取って自分が運転するようになってから、ほとんどヨーロッパ車しか運転したことがないのであんま比較できないんですけど、文化を感じるんですよね。自動車の文化を。やっぱヨーロッパで生まれたものだよな、これは。っていう。それが日本車を運転しているときとヨーロッパ車を運転するときの大きな違いですね。具体的に何ってすごく説明しにくいんですけど、文化かな。

ゆいぴ:
ヨーロッパ車のどこに文化を感じます?

Kジロー:
単なる移動手段としてだけで車を作っていない感じがするんですよね、ヨーロッパ車って。日本車は家電の延長線みたいな印象があるんですけど。至れり尽くせりでいろんな便利な機能とか収納とかがあって、ちっちゃいおうちの延長線上に日本車ってあると思うんですけれど。ヨーロッパ車はやっぱ大陸の広い道路をスピードを出して走るとか、バカンスに行くとき乗るにあたって快適に運転できるとか運転して疲れないとか、車自体にちょっと楽しさを感じるとか、そういうところが全然日本車と違うなとは思ってます。

ゆいぴ:
少し話が戻るのですが、お子様が生まれたというところで、どんな感情を抱いていますか?

Kジロー:
涙もろくなりましたね、間違いなく。感情的というか。例えばテレビではじめてのおつかいなんかを見たら泣かずにはいられないみたいなね、そんな感じですね。

ゆいぴ:
なんで涙もろくなったんですかね?

Kジロー:
なんでだろう。まともな人間に近づいたのかなっていう気もしますけどね、子供ができたことで。独り身が長かったんですけど、確か35歳ぐらいのときに結婚したんですけど。基本1人でフラフラフラフラしてる人間だったのが、結婚して子供までできたことで好き勝手では生きられないので。そういうところを矯正してもらったのかなっていう気もしてますね、奥さんと子供に。

ゆいぴ:
今まではまともな人間じゃなかったってことですか?

Kジロー:
完全な社会不適合者ですね。今もそう思ってますけど。

ゆいぴ:
なんでそう思うんですか?何かエピソードとかあります?

Kジロー:
10代の頃から浮世離れしたいと思ってたんですよね。あんまりこの社会に所属したくないなっていうのをずっと感じてて、それは今も結構そうなんですけど。所属したくないけど別に人と関わりを持ちたくないっていうわけではなくて。何というかこの社会に染まりたくないし、染まるのは無理だなっていうのはずーっと感じてますね。

ゆいぴ:
ちなみに父親以外に普段やっていること、もちろん仕事のことでもいいんですが、何かありますか?

Kジロー:
やってることはですね、草野球チームの運営をしてますね。

ゆいぴ:
どうですか?草野球の運営は。

Kジロー:
いや本当、気苦労ばっかりですね。楽しみより気苦労の方が多いぐらい。

ゆいぴ:
どんなところが気苦労?難しい?

Kジロー:
基本的に草野球チームって社会人の趣味としてやるんですけど、みんな仕事があったりなんだりでしょっちゅう活動に参加できるわけじゃないんですよね。大体週に1回やってるんですけど、試合をすることもあって。僕はリーダーなので、この日に試合をするって決めたり、グラウンドはこの場所を何時に取るとか、試合のために使える新しいボールは何球あるかとか、チームの道具は誰が保管しているかとか、その試合の日に何人出席するかとか、全てを把握しなくてはいけなくて。それを把握しつつ、さっき言ったようにしょっちゅうみんなが出られるわけじゃないので、試合の日にどうしても人数が足りなくなったりするんですけど。相手チームに迷惑かけられないので何とか知り合いのつてを辿って、助っ人を確保したりなんだりっていう。野球をすること以外の作業がすごくいっぱいあってそれが気苦労なんですよね。

ゆいぴ:
気持ち的な面ではどうですか?運営してるときの気持ちは。

Kジロー:
ただただ野球に参加するだけの気楽な存在になりたいな、とはいつも思ってます。

ゆいぴ:
運営自体はいつからやってるんですか?

Kジロー:
今のチームの運営は2022年からなんですけど、その前も別の地域で何年か運営してましたね、別のチームを。だから全部合わせると、10年くらいチームのリーダーはやったと思います。

ゆいぴ:
気苦労があったり苦しいところがあったりしながらも、10年草野球の運営を続けている、リーダー的ポジションに就いてるのは何か理由があるんですか?

Kジロー:
そうですね、なんだろう。野球を一緒にする人を選べる、っていうと言い方悪いんですけど、リーダーが選べるんですよね。この人入部してほしいなとか、こいつはちょっとルール守らないから部員から外そうとか。そういうのってリーダーのさじ加減なので、心地よくグラウンドで野球をプレイする仲間を自分が選べるっていうのが一番大きいメリットだと思うんですけど、リーダーって。あとはひたすら自分がグラウンド取ったり試合相手決めたり助っ人集めたりするので、他の部員たちのためには間違いなくなってるので。人の役に立っているっていうのも確実にありますね。

ゆいぴ:
プレイもしているんですか?

Kジロー:
そうですね。プレイヤーでもあります。

ゆいぴ:
どうですか?プレイしてるときは。

Kジロー:
プレイしているときは楽しいですね、そのためにやってるので。プレイだけだったらどれだけいいかなっていう気はしますけど。

ゆいぴ:
他に習慣的にやっていることとか、趣味とかあります?

Kジロー:
習慣的にやってることはないんですけど、元々独り身のときはあっちゃこっちゃしょっちゅう旅行行ってましたね。

ゆいぴ:
今はあまり行ってない?

Kジロー:
そうですね。子供ができてちっちゃいので、まだあんまり。

ゆいぴ:
旅行の何が楽しいですか?

Kジロー:
知らないところに行って知らないことを知るっていうのは、楽しいですね。刺激があって。

ゆいぴ:
旅行は一人旅ですか?それとも誰かと一緒に行くんですか?

Kジロー:
そうですね、独り身だったときは1人でひたすら行ってたかな。あんまり友達と行くことは、そんなに頻度は高くなかったような気がします。たまには行ってましたけど。

ゆいぴ:
一人旅と友達と行く旅の違いって何ですか?

Kジロー:
友達と行く旅は、友達との仲を深める旅だと思うんですけど。一人旅は旅が目的なので、旅に没頭できますね。

ゆいぴ:
やはり気持ち的な面でも違うものですか?1人のときと友達といるときっていうのは。

Kジロー:
そうですね。1人で好き勝手あっちこっち行ってるときは本当に、ああこれが自分という人間なんだっていう気持ちになりますね。

ゆいぴ:
今まで行った旅行先で印象深いところってどこかあります?

Kジロー:
たくさんあるんですけど、国内だったら好きなのは北海道の美瑛、富良野、南富良野あたり、綺麗な丘の景色を眺めるのはすごく好きですね。日本離れしててヨーロッパっぽい。あとは地震ありましたけど、能登半島がすごく好きで。魚も美味しいし、何が魅力かっていうとちょっと答えにくいんですけど独特な建物の佇まいとか雰囲気が能登にはある気がして、大好きでしたね。

ゆいぴ:
北海道の美瑛、富良野だったり能登半島だったりは頻繁に行かれたんですか?

Kジロー:
何度か行きましたね、確かに。今でも行きたいと思ってますね。

ゆいぴ:
何か共通するものがあるんですかね?立地的にはかなり違いがありそうな場所ですけど。

Kジロー:
共通点は、僕が行った時期はですけど、ごちゃごちゃしてないっていうのはあるかもしれない。静かに時を過ごせる。それは共通してると思います。

ゆいぴ:
なるほど。では質問を変えて、Kジローさんはご自身がどういう性格だと思いますか?

Kジロー:
根は真面目なんですよね。でも本当は真面目な自分が好きじゃなくて、もっと本格的に不真面目というか、ふざけたいなと思ってるんですけど。根が真面目だからそれができないのが自分のつまらないところだなと思ってます。

ゆいぴ:
なんで不真面目になりたいと思うんですか?

Kジロー:
真面目な人ってつまらない。真面目な他の人を見ててもこの人つまらないと思うし、自分の真面目なとこもつまらないなと思うので。面白い人がいいですね。

ゆいぴ:
真面目な人はつまらない、ってのはなぜ?

Kジロー:
なんででしょうね(笑) 枠からはみ出ないからかな。

ゆいぴ:
周りからはどんな性格だと言われます?

Kジロー:
周りからは面白いとか変わってるとか、個性的だとか純粋だとか言われますね。

ゆいぴ:
真面目な性格とはまた逆というか、周りからの目はちょっと違うのかと感じたんですけど。そこに差が生じるのはなんででしょうね?

Kジロー:
たぶん客観的に自分を見たら面白いっていうか個性的な人間ではあると思うんですよ、日本においては。相対的に。でも自分の中の絶対評価としては、根が真面目っていうのが自分ではわかってるので。そこはちょっとギャップなんじゃないですかね。他の人から見た自分と自分の中の絶対的評価としての自分は。

ゆいぴ:
日本において面白い、変わっているっていうのはどういう?なんでそう思うんですか?

Kジロー:
基本的に人と同じことを言わないとか人が右向いたら左向くとかいう行動をとる。あとはなんだろう。やっぱ人は言わないことを言う、っていうのはそうかもしんないすね。

ゆいぴ:
それについて何かエピソードあります?

Kジロー:
ゆいぴさんは都会にお住まいですか?

ゆいぴ:
いえ、田舎住みですね。

Kジロー:
だったらわかってくれるかな?田舎って一戸建てに住んでるとゴミ出しのルールがいろいろあるじゃないですか。

ゆいぴ:
うんうん。

Kジロー:
僕が住んでたところは町内会みたいな、なんかよくわかんないのに入らないと、お金を払ってそこに入らないとゴミを捨てちゃいけないっていうルールだったらしくて。ただ大家さんにはそのゴミ捨て場にゴミを捨てていいと言われていたので捨ててたんですよね。それを地元の人がいつも監視していたらしくて。ある時、通りがかった車から人が降りてきて「町内会に入ってねえのにゴミ捨ててんじゃねえこのバカ」みたいな感じでおじいさんが怒鳴ってきたので。もうどうなってもいいやと思って僕も怒鳴り返したんですよね。たぶんそこで、地域でうまくやっていこうという発想の人だったら絶対怒鳴り返さずにすいませんと謝ったと思うんですけど。僕はもう殴り合いになるんだったらこいつ殺してやろうぐらいの気持ちで言い返したので。そういうところがたぶん他の人とは違うんじゃないかなと思ってます。


過去:東京って大都会なんですけど、東京とその周辺で生まれ育って東京しか知らない人も田舎者だと思ってて。

ゆいぴ:
子供の頃ってどんな子供でした?

Kジロー:
小学生の頃は、流行に従ってましたね。友達と同じものを欲しがっていました。流行りものを。漫画とかアニメも。僕が子供の頃って今みたいに衛星放送とかネット放送とかなかったんで、基本的に見るものみんな一緒だったんですよね。ドラゴンボールとかドラえもんとか。だもんで、みんなと同じものを読んで見て、バスケが流行ればみんなと同じバスケットシューズを欲しがって、みんなと同じ流行りのJ-POPを聞いてみたいな。割と小学校高学年、中学年1年まではそうだった気がしますね。

ゆいぴ:
ふうん。

Kジロー:
でもそれよりもっと前を辿って幼稚園の頃を思い返すと、アンパンマン見てたんですけど、僕アンパンマン一味がなんとなく好きじゃなくて。バイキンマンを応援してたんですよね。いつもアンパンマンが勝つことに疑問を感じて、バイキンマンに肩入れして「バイキンマン頑張れ」って応援してたんですけど1回も勝たず。で、アンパンマンとしょくぱんまんは嫌いだけど、カレーパンマンとかおむすびまんは好きだったんですよね。カレーパンマンとおむすびまんはアンパンマン一味に入ると思うんですけど、なんていうか、アンパンマンの仲間だから全員嫌いってならないところが自分の良いところだったんじゃないかなって最近思ってます(笑)

ゆいぴ:
アンパンマンが毎回勝つことに疑問を感じたと。それって小学生以前の話ですよね?

Kジロー:
幼稚園ですね。その視点は未だに持ち続けてますね、たぶん。

ゆいぴ:
そう思ったきっかけは何ですか?

Kジロー:
どうなんですかね。僕、幼稚園ではどっちかって言うほどもなく、完全に虐げられる側だったんですね。早生まれで、4月生まれの発達の早い子にとても敵わなかったんで。やんちゃしているタイプでは全然なかったんですけど、なぜかアンパンマンが好きじゃなかったですね。あとしょくぱんまん。良い子が好きじゃなかったのかもしれない。

ゆいぴ:
しょくぱんまんとカレーパンマンの違いって何ですか?

Kジロー:
なんですかね、カレーパンマンって正義の味方ではあるけどもちょっと人間っぽさがあるというか。しょくぱんまんはいかにも優等生的で、しかもドキンちゃんにモテてるじゃないですか。そこが違いなんじゃないかな、よくわかんないけど。

ゆいぴ:
小学生の頃に印象深かった思い出とか、何かやってたこととかってあります?習い事でも何でもいいですけど。

Kジロー:
習い事は公文式に週2で通って、ピアノ教室と水泳とテニスもやってて。週5日習い事だった気がします。あと英語教室にも行ってたかな。だから平日は習い事ずくめだった気がする。

ゆいぴ:
それは自発的にやりたいって言ってやってたんですか?

Kジロー:
水泳だけは強制的にやらされたんですよね、母がカナヅチだったので。あとはたぶん母に連れられたりして、そこで思わず「僕も通う」って言っちゃったパターンで後悔するっていうやつだと思います。「行くって言わなきゃよかった」っていう。

ゆいぴ:
何を後悔したんですか?

Kジロー:
やっぱ勉強って面白くないっすもんね。活きてる部分もあるんですけど公文に行ってる時間に友達と遊びたかったですね。

ゆいぴ:
中学の頃はどうでした?どんな生活をしてました?

Kジロー:
中学は野球部に入ったんですよね、中学1年で。少年野球をやってなかったのでどうしようと思ったんですけど、野球が大好きになって野球部に入って。人生初のスポーツ刈りに嫌々なって。成長期が来て、体も大きくない方だったんですけど、2年間で身長20センチ伸びて。それに伴って運動能力もぐっと上がって、今まで負けてたやつらに勝てるようになってきたっていう自信はあったかもしれないですね。

ゆいぴ:
中学は3年間野球をやっていたんですか?

Kジロー:
そうですね。野球部にはずっと所属してたんですけど、膝が成長痛で怪我になっちゃって、部活の半分もたぶん出られてないですね。それは本当に苦しかったですね、めちゃくちゃ苦しかった。

ゆいぴ:
中学時代の野球はどうでした?苦しかったことも含めて。

Kジロー:
母に、整形外科にめちゃくちゃいっぱい連れてってもらったんですよ。どうにか治りたくて。

ゆいぴ:
うん。

Kジロー:
でもなかなかそう簡単に治せるもんでもないらしく、遠いとこにあるお医者さんに連れて行ってもらった時に、先生から「君は選手としては大成しないから早く諦めた方がいいよ」っていうことを言われてすごくショックを受けたんですけど。今になって思うとあの助言は全く以て正しいなって確信してますね。やっぱスポーツをするにあたって一番の才能って体の丈夫さだよなっていうのを今身にしみて感じているので、あのときは苦しかったけど今はあの先生のおっしゃった通りだなっていうのは思ってますね。

ゆいぴ:
部活以外ではどうでした?

Kジロー:
部活以外はですね、さっきも言ったんですけど早生まれなんですけど。早生まれにしてはかなり勉強はできた方だと思います。塾にも通ってたんですけど。

ゆいぴ:
早生まれにしては、っていうのは周りの早生まれはあんまりできなかった?勉強は。

Kジロー:
僕2月生まれなんですけど、4月生まれの子とほぼ1年違うんですよね。子供の1年ってめちゃくちゃ大きくて全然発達が違うんですよね、頭も。どうしてもやっぱり4月とか5月生まれの子の方が成績が良い傾向に、もうこれは世の常で絶対そうなると思うんですけど。そこになんとか食い込めたっていうのは我ながら偉かったなって今、昔の自分を褒めてますね。

ゆいぴ:
勉強に対してはどう思っていました?

Kジロー:
言葉が得意だったんですよ、英語と現代国語だけがすごく得意で。その2つで他の全ての足手まといを引っ張るっていうやり方だったんですね、数学とか社会とか。

ゆいぴ:
うんうん。

Kジロー:
言葉は良かったんですけども、勉強やってて嫌だったのは数学の公式を覚えて問題を解くっていうのがいけ好かなくて。問題の解き方のテクニックじゃなくて、なんでその公式が成り立つのかっていう原理を僕は教わりたかったんですよね。それが未だに不満です、学校教育に対して。

ゆいぴ:
なんで公式を覚えるだけじゃ気にくわなかったんですか?仕組みを知りたいっていうのは?

Kジロー:
テストのための勉強でしかないじゃないすか、ああいう数学のトレーニングって。人によっては将来仕事ですごく役に立つと思うんですけど。義務教育の勉強ってテストで点取るための勉強でしかないのかっていうのが、良くないなと今も思ってますけどね。あの、歴史の年号の暗記とか、あんなんどうでもいいからなんでその戦争が起きたのか順を追って教えてくれよって思いますけどね。

ゆいぴ:
じゃあ高校時代は何してました?

Kジロー:
中学のときに塾通って勉強してたのが本当に嫌だったんで、高校受験で志望校に受かった時点から「もう俺は一生勉強しない」と心に決めて全く微塵も勉強しないで3年間過ごしましたね。赤点とりまくってました。

ゆいぴ:
へえ。中学までは結構勉強できたのに高校に入って勉強をせず赤点を取り続ける自分、ってKジローさんの中ではどうだったんですか?

Kジロー:
むしろかっこいいと思ってたかもしれない。いかに勉強しないで赤点を取りつつ卒業するかっていうのをテーマに過ごしてたので。やっぱ赤点仲間ってできるんですよね、クラスで。「俺学年ビリ2だったー!」とか言ってみんなでワイワイしてるのは楽しかったですね。

ゆいぴ:
勉強以外のところではどうでした?

Kジロー:
高校は全く雰囲気が合わなくて、すごく自由な高校で校則がなかったんですよ。制服もないし、確か「上履きを履きなさい」ぐらいしか校則がなくて。もう金髪にしようがピアスを何個開けようがキャミソールで来ようが何でも許される学校で。文化祭とか体育祭に命をかける生徒が多くて、僕はそのみんなで盛り上がってやろうぜっていうのにすごく馴染めなくて、それが社会不適合者の始まりなんですけど。つまらない3年間を過ごしましたね、ドブに捨てたと未だに思ってます。

ゆいぴ:
部活は?

Kジロー:
最初弓道部に入ったんですけどあっという間に幽霊部員になりました。で、帰宅部ですね。帰宅部でエースと呼ばれてました。

ゆいぴ:
帰宅部エースの所以は?

Kジロー:
帰宅部として、僕なりの美学があって。単位は取らなきゃいけないんですよ、無事卒業するために。単位を取るにあたって、いかに最大限授業をさぼるかということ、帰るときも電車の時刻表が頭の中に入っていて、何時何分にこの教室を出て早歩きで行けばスムーズに家に帰れる、っていうのを友達に指導したりしてたのでエースと呼ばれてましたね。

ゆいぴ:
どういう気持ちで友達に指導をしてたんですか?

Kジロー:
とにかく早く帰りたい一心ですね。この暗黒の場所から逃れたいっていう。僕みたいに学校が合わない子が帰宅部になって、家に早く帰るっていう感じだったんで。合わないやつら同士で早く帰ってましたね。

ゆいぴ:
その子たちと一緒に帰ってるときは、気分的にどうでした?

Kジロー:
退廃的な時間でしたね。全くもってマイナスな、何もプラスにならない仲だったなって思う。

ゆいぴ:
高校卒業した後はどういう生活を?

Kジロー:
大学に行ったんですけど、さっきも申し上げたように赤点だったので。全国の大学が載っている分厚い冊子を見て、勉強しなくて入れる大学を選んでそこに行きました。それが北海道の大学でした。

ゆいぴ:
あれ、地元はどちらです?

Kジロー:
埼玉でしたね。幼稚園から高校まで埼玉です。

ゆいぴ:
地元の埼玉から遥か遠く北海道に行くっていうのは全然ありだったんですか?

Kジロー:
とにかく関東から離れたくて、飽きちゃって。でもなるべく本州から離れたくないなと思ってたんですけど、自分の学力で受かるのが北海道のそこしかなかったんで仕方なく。

ゆいぴ:
どうでした?北海道での大学生活は。

Kジロー:
それはもう今の自分にものすごく繋がって活きてますね。本当に行ってよかったと思ってます。

ゆいぴ:
どのようなところが今に活きていると?

Kジロー:
一番はですね、生まれた頃から高校卒業までずっと首都圏にいたので田舎というものを知らなかったんですよね。田舎がどういう状況にあるかっていうのを。北海道の大学行ったら、当然北海道は田舎なんですけど、テレビ番組で北海道知事と東北の知事が対談してて。「我々の経済は今これだけ苦しいんだ」っていうのを喋ってて。僕は東京しか知らなかったので、うわあ地方ってそんなに今経済苦しいのかっていうのを知ってすごいカルチャーショックを受けて。確かに北海道、当時札幌にいたんですけど、最低賃金が600円・・・630円とか40円だったんですよ。信じられないぐらい低くて。かといって生活費が安いわけでもないんですよね。寒いから冬は灯油代とかガソリン代とかいっぱいかかるし、だから北海道ってたぶん生活がすごく苦しい地方なんですよね。そういうのを知れたっていうので、自分の見識が広がりましたね。やっぱ東京を基準にしてるってのは異常なんだなっていう。日本の国土面積のほとんどが田舎なのに、一部の東京だけを基準とするのは間違いだなっていうのを学びましたね。

ゆいぴ:
その学びは今どのように活きているんですか?

Kジロー:
僕が思うに、東京って大都会なんですけど、東京とその周辺で生まれ育って東京しか知らない人も田舎者だと思ってて。というのも東京しか知らないっていうのは、井の中の蛙じゃないですか。日本はもっと広いのに。もっといろんな所があるのに、テレビ局も出版社も東京にあるし、いろんな大企業も東京にたくさん本社があって。「東京=日本」みたいな状況になってるのが良くない。その結果、この人口減少に絶対繋がってるなっていうのを思ってて、そういう視点を得られたっていうのはすごく良かったですね。今も地方に住んでるんですけど。

ゆいぴ:
今はどちらにお住まいなんですか?

Kジロー:
今は長野県です。

ゆいぴ:
それは大学卒業してから長野に移住したんですか?

Kジロー:
大学卒業して埼玉の実家にいながら東京の会社に通ってたんですよね。サラリーマンで。もう完全に嫌になって2年ちょっとで辞めて。あとフラフラフラフラあちこち行って長野に落ち着いたって感じですね。

ゆいぴ:
東京での仕事はなんで嫌になっちゃった?

Kジロー:
IT企業だったんですけどパソコンと一日中にらめっこする仕事で。基本的にあんまり他人に構わないというか。みんなそれぞれ自分の作業があるので。1フロアに100人どころじゃなくいっぱい人がいたんですけど、声を交わす人もそんなにたくさんいないし。なんて言ったらいいんだろう。人間味が失われる仕事だなって思ったんですよね、人と話さないし。コミュニケーション取らないし。これは良くないなっていうのはすごく思いましたね。

ゆいぴ:
いろいろ転々とした後に長野を選んだ理由って何かあるんですか?

Kジロー:
子供の頃から家族旅行でしょっちゅう信州に来てて馴染みがあったっていうのが一番なのと、やっぱ山が美しい。で、果物も美味しいしっていう感じですかね。

ゆいぴ:
どうですか?長野に住んでみて。気持ち的な面でも。

Kジロー:
首都圏に住むのは僕の中ではダメなことなので。その反骨精神を表現する手法として長野県に住むのは良いことだなと思ってるんですけど。いかんせん寒いんですよ、ものすごく寒くて。12月から5月ぐらいまで全く野菜などが採れなくて灰色の世界なんですよね。それが強いストレスですね。埼玉で一年中野菜がとれるのを見て育ったんで、生き物としてそんなに食べ物がとれない期間が長いっていうのが結構ストレスですね。本能的な不安なんでしょうね、おそらく。

ゆいぴ:
それでも長野に住み続ける大きな理由というか、魅力って何なんですか?

Kジロー:
実はもう出たいなと思ってて(笑) 夫婦でもうちょっと暖かいとこ住みたいねって話してて、海がある。でも、今、私の母が同じ地域に住んでて、子供に何かあったときにいろいろ頼めたりするんですよ。あと妻の実家は千葉なんですけど、景色が退屈な千葉には住みたくないっていうのもあって、ちょっとね、いろいろ夫婦で悩んでいるところですね。

未来:人を糾弾したり弾圧したりする集団には絶対に入りたくないっていうのだけは、それだけは心に固く持ってますね。そういう人間にはなりたくない、いじめに加担する人間に。

ゆいぴ:
未来についても聞いていきたいんですけど。この先5年10年、さらに20年30年、最後にご自身が死んでしまうところまで考えて、どういうイメージを未来に対して持ってますか?

Kジロー:
先のことあんまり考えないでずっと生きてるんですけど。未来について考えたときに真っ先に思うのは、他力本願で仕事うまくいってポルシェ乗りたいなっていうだけですね。

ゆいぴ:
ポルシェでなければダメなんですか?

Kジロー:
ですね。やっぱりヨーロッパ車好きの男として生まれたからには、一度は左ハンドルのポルシェを動かしたいなって思ってます。

ゆいぴ:
ふうん。他力本願で、っていうのは?

Kジロー:
基本的に働く意欲が人より少ないので、あんま自分でこれやってやろうとかお金稼ごうという意思がなくて。ただ、自分が今まで知り合った人のつてとかでうまいこと仕事もらって、金稼げたらなってぼんやり希望を持ってるのが最近ちょっと形になりそうで。香港人の友達がいるんですけど、その友達の香港の知人が日本で旅行会社作って、香港人の観光客を日本に送り込んでツアーをやろうっていうのを企画してて。それに加えてもらえそうなんですよ、旅行業者に必要な資格というのがあってそれを僕は持ってるので。そこに入って、運転得意なので、観光客の送迎とか。旅行も好きなので、ツアープランを考えるとか。そういうので入れそうなんですよね、この1週間前ぐらいに出たばっかの話なんですけど。もう香港の人達が会社を作りそうな勢いなので。僕はツアープランを考えてる最中ですね。それは結構他力本願でうまくいきそうな気配があります。

ゆいぴ:
Kジローさんが考える他力本願の範囲ってどの程度なんでしょうか?

Kジロー:
そうですね。一番はきっかけ、最初の一歩をくれるってことですかね。自分で会社を興すのってやる気にならなくて、誰かがやってくれてそれに乗っかるのが一番いいなと思って。そうなったときに自分の実力が出るんじゃないかなっていう気がしてます。

ゆいぴ:
なんでそうなったときに自分の実力が出ると?

Kジロー:
煩雑な作業がすごい苦手なんですよ、事務作業とか。興味がなくて。僕、興味のないことに対して全く何もできなくなるタイプの人なので。そういうことをやってくれるのであれば自分の能力をフルに別のことに活かせるなという。

ゆいぴ:
なるほど。気持ち的な面ではどうですか?今後生きてく上でどういう気持ちでいたいとか、心持ちでありたいみたいなのあります?

Kジロー:
こういう人間でありたいっていうのはあって、コロナ禍とか大震災とかいろいろあったんですけど、そういう集団に対する危機が起きたときに、豹変しない人間でありたいっていうのだけはずっと思ってますね。突然コロナ禍になってみんな家の中に閉じこもってるときに、東京ナンバーの車が来たらそいつに石投げるとか実際にあったと思うんですけど、日本各地で。どっかの町の家族の1人が最初のコロナ患者になって、村八分にして引っ越しさせたとかも、実際に長野県内でもあったんですけど。そういう人間になりたくないなと。何か起きたときも、周りがパニックになってる中では絶対に冷静でありたいし、人を糾弾したり弾圧したりする集団には絶対に入りたくないっていうのだけは、それだけは心に固く持ってますね。そういう人間にはなりたくない、いじめに加担する人間に。

ゆいぴ:
非常に強い意志を感じたんですけど、なんでそう思うんですか?

Kジロー:
それは持って生まれたものじゃないかなと思ってるんですけどね。たぶん天邪鬼として生まれたので、集団に背を向けたい。

ゆいぴ:
何かきっかけがあったとかではなく?

Kジロー:
そういう視点を持ってきたんですよね。さっきのバイキンマンを応援してたのもそれに繋がる気がするんですけど。バイキンマンにもきっとバイキンマンなりの大義名分とか、本人なりの思いはきっとあるだろうから。

ゆいぴ:
もしもKジローさん自身に、他の人と同じ方向を向きたくないっていう一面が全くなかったら、どういう人生を歩んでいると思いますか?

Kジロー:
僕から天邪鬼要素を取り除いたらどうなるんだろう?長野県には住んでないだろうし、きっと北海道にも行ってないだろうから。たぶんですけど東京で毎日文句言いながら独身で寂しく過ごしてたんじゃないでしょうか、おそらく。

ゆいぴ:
自分のどういう要素を顧みてそう思うんですか?

Kジロー:
天邪鬼だから人の少ないところに住みたいとか、東京に向かって砂をかけて田舎に住んでいきたいとか思うんだと思うんですよね。天邪鬼の何が役に立つのかって考えるんですけど。大昔、人間が狩猟採集とかで住んでたときに、20〜30人ぐらいの集団で住んでたとして。今住んでる場所から西のちょっと気温が高い方に何十キロも移動すれば食べ物がいっぱいとれて楽に暮らせるぞ!みたいな噂が流れてみんながそれに狂喜乱舞して行こうとしている時に、「いやお前らそんなうまい話ないよ、待てよ」っていう天邪鬼がいないと、もしその西の暑いところに集団で行ったときに他の別の集団も集まって、人間だらけになって食べ物も奪い合いで殺し合いになる可能性があると思うんですよ。そこに待ったをかけられる人間って必要だったんだろうなって僕は思ってて。その遺伝子が、今のこの天邪鬼という性質が僕に出てんじゃないかなって考えてるんですよ。だからさっきも言ったコロナとか震災の時に、いやちょっと待てよ冷静になれよって言えるための天邪鬼なんじゃないかなと。人間という種類の生き物にとって必要な存在。で、天邪鬼は結構僕の根幹になる部分だと考えているので、これがなくなると僕ではなくなるでしょうね。

ゆいぴ:
その天邪鬼に対する考え方ってどこからきたんですか?

Kジロー:
自分でそう考えただけです。原始社会ではそうだったんじゃないかなと思って。

ゆいぴ:
他に未来に対して、何か考えてることとか野望とかあります?

Kジロー:
ありますね。子供がもっと大きくなって自分で歩けるようになったら、子供と2人でヨーロッパを歩いて旅したいなとは思ってますね。僕1人でスペインを歩いて旅してすごく良い経験になったんで。子供にも味わわせたいなと思ってますね。

ゆいぴ:
良い経験っていうのはどのような経験ですか?

Kジロー:
わかりやすい点で言うと、世界にはこんなに景色のいい場所があるんだとか、こんなに違う食べ物があるんだとか、そういうわかりやすい文化の違いもあるし。あとは1人で知らない土地に行って、言葉もろくに喋れないけれども、なんとかなるんだっていう経験。カタコトでも何でも、ジェスチャーでコミュニケーション取れるんだという経験も貴重でしたね。そんなに世の中、死ぬほど嫌な奴はきっといないだろうっていうのもやっぱ旅をすると知ることはできるし。基本的に知らないことを知るのは良いことだと僕は考えて生きているので、あんま自分の見える範囲だけ見て過ごして欲しくないなっていうのは子供に対しても思うんじゃないかと思います。

ゆいぴ:
最後に言い残したことっていうのを聞いてるんですけど。今まで人生を振り返ってきて未来のことまで考えた上で、遺言のような感じになってもいいですし、記事を読んでくれてる人へのメッセージでもいいですし、インタビューの感想でもいいんですけど、何かありますか?

Kジロー:
感覚は道標。感覚は道標だから、あいつらが右を向いたとしてもお前まで右を向く必要はない、かな。

ゆいぴ:
その心は?

Kジロー:
己の感性、頭脳に従って生きようということですね。

ゆいぴ:
はい、ありがとうございます。

あとがき

他人や世間に逆らうようなことをする、他人の意見を素直に聞き入れない。そんな人間のことを人は「天邪鬼」と呼びますが。周りに流されず自分の感性や気持ちに従順な人たちのことを「天邪鬼」だとは思いません。むしろ素直に生きている人たちだと。決して簡単なことではありませんよ。それだけの努力や学び、経験があってこそです。前例のないことをしたり、周囲と異なる言動をとることは、世間に背を向けることと果たして同意なのだろうか?そんなことをふと考える、風の冷たい夏の夜でした。

【インタビュー・編集・あとがき:ゆいぴ】

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