見出し画像

今に集中して目の前のことを淡々とこなしていくことできっと幸せな人生になるんじゃないかなって思う人

力を失う。力を取り戻す。そして力を天に返す。
そうなんです。私たちは循環の社会の中で活きている文化の人たちなのです。そうではないのですか? そうではないらしいのです。いやそうです。
ということで、力を天に返したいと思っているのですが、どうもそれは難しいらしいのです。そうですか? そうなんですか? わからないですね。むずかしいですね。
でも、よくよく考えてみてくださいませよ。この世の中で、自分の思い通りに何かが執り行われていったこと、ありますか? ないでしょう? ありますか? それはありますでしょう。例えばパソコン上でのシミュレーションとか。そうなんです。模擬なんですよれそれは。
そうなんです。現実。この手ひどい壁は、思い通り、思った通り、意図の思惑から外れてびょびょびょーんとどっかにいっちまいやがるのです!
ということで無名人インタビューgo!!!!!
【まえがき:qbc・栗林康弘(無名人インタビュー主催)】

今回ご参加いただいたのは おさむん さんです!


現在:厳しいとか、何々べきっていうのは、手術する前の自分ですね。手術をした後に何かそんなにもう生きてるだけで十分価値があるので、そんなに自分に厳しくしなくてもいいんじゃないのっていう思いが、180度変わったので。

きさい:おさむんさんは今は何をしている人ですか。

おさむん:仕事は鍼灸マッサージ師ですね。普段は地元のクリニックで勤務するっていうのが週4回あるのと、あとは午後を中心にご在宅で患者さんのお宅に回って、マッサージとか機能訓練をやってるっていうのが普段の仕事ですね。

きさい:仕事と趣味だとどちらが中心ですか。

おさむん:いやでも本当どっちかっていうと、若干在宅の方が時間として多いですかね。

きさい:時間帯比で言うと1日どれくらい割いていますかね。

おさむん:本当にこの仕事ってサラリーマンじゃないんで本当に曜日によって全然動き違うんですよ。
すごい今日なんかこの時間にお会いできるっていうのは、午前中で仕事終わってるんですね。なので、火水木土の午後って僕仕事しないんですよ。日曜日はお休みで。
月水金土はクリニックで午前中だけ仕事してるんで、月水金土のクリニック勤務は約3.5時間なんです。
だから月曜日を例にすると、午前中3.5時間クリニックで仕事をしていて、その後2時から5時半なのでやっぱり3.5時間在宅の患者さんのお宅に回ってマッサージとリハビリをしてるので本当半々ぐらいですね。時間で言うと。

きさい:なるほど。お気持ち的にはクリニックの方がお仕事意識は強いようなイメージなんですか。

おさむん:気持ち的にっていうのが、どういう。

きさい:気持ちの比重ですかね。どちらも本業といったような形ですか。

おさむん:そうですね。比重とかはないので、両方とも同じスタンスでやってますね。

きさい:仕事以外に趣味などはありますか。

おさむん:今日もこれから夜行きますけど、週に1回、火曜日の夜はヨガに行くっていうのが僕の最近ハマっていること。その後、必ず火曜日はヨガ終わったら、ちょうどその上に温泉とサウナがあるので、サウナとヨガが今のところ僕の趣味というか、今年にやっている趣味ですね。

きさい:サウナや温泉を楽しまれているときはどんなところを楽しんでいますか。

おさむん:普段ってどうしてもスマホとかデジタルに日常の、なんだろな。ついついそういう時間がスマホ時間が長くなっちゃうんですよね。だから時間があるとか、ちょっと暇があるとすぐスマホを見ちゃったりとかして、よくないなと思うんですけど。
ヨガであれば当然ヨガしている時間とか、サウナ入ってるときってスマホをいじれないんで、普段どうしても偏りがちなスマホ時間を強制的に止めるっていう時間ということではやっぱりヨガとサウナは使ってますね
あとはもうそこに集中できるので、頭ん中次何しようかなとか、あの今日はここだったかみたいな変な反省とか、先の予定とかを考えないで無心になれるっていうんですかねヨガもサウナも。そういうところを気に入っています。

きさい:なるほど。最近、何か楽しかった出来事はありますか。

おさむん:楽しかった出来事。

おさむん:些細なことですけど、僕は子供は3人いるんですけど、長男は、もう就職していて、自分で一人暮らししてて2年目なんですね、一人暮らしして。なかなか元気だからそんなにちょくちょく実家には帰ってこないんでしょうけど、この前の土日に本当に半年ぶり以上ですかね。実家に帰ってきてくれて、なんかこう家族全員が揃ったので、5人がこの家の中に揃ったっていうのがものすごい嬉しくて、幸せだなって思って、思わず涙が。夜寝てるだったから泣いちゃいました。幸せだなって。

きさい:5人。奥様とあとお子様3人ですか。

おさむん:はい。

きさい:普段ご家族とは、どのように関わってらっしゃるんでしょうか?

おさむん:次男三男も、次男ももう今大学4年生で来年の就職も決まって、一人暮らし決まってるし、三男ももう専門学校で将来の決まってるので、もうそんなにベタベタする感じではないですね、あくまでも。21と19なので、何かそんなに頻繁に挨拶とかするぐらいですけど、そんなに距離をちっちゃいときみたいに近づくことはないですね。

むしろうちのカミさんとはよく喋るかなとは。特に今年2月のうちの妻がちょっと脳ドックで動脈瘤が見つかってオペをしたり、そのあと僕も9月に脳の病変が見つかってオペをしたんですね。2人で今年オペしたんですよ。
そのときにうちのカミさんと話したのが、普通に生きてることが尊いというか。それこそ、今日朝目が覚めて起きて、朝今日は僕は子供達とカミさんを行ってらっしゃいって見送りましたけど、帰ってくる保証って誰もないっすね。当たり前に帰ってくるって思ってますけど、もしかしたら事故に遭うかもしれないし、ちょっとなんか、この後大震災が起きてとかって思うと、当たり前に朝起きて、家族は揃ってご飯食べて仕事行って帰ってくるっていう日常が、今年の夫婦お互いの手術経験して当たり前なんか何もない当たり前のことってないんだなって思う。

今はすごい人生で初めて感謝をするっていうことを、病気を通して当たり前を当たり前じゃないってことをすごい感じて、本当に感じたので。カミさんがそばにいてくれるのが当たり前とか、ご飯作っというのが当たり前とか、子供たちが何か学校に行って自分の行きたい道に行って言うのは当たり前でもないし、それこそ僕自身で言えば仕事してるのは当たり前でもないので。そう考えると何か目の前にあるものっていうのは、感謝の気持ちと言うか本当にありがたいですね。

あるのが珍しいっていうのはすごい今年はその病気をして手術をして、僕はもしかしたら帰ってこない。もしかしたら、それであの世にいっちゃうかもしれない。手術は100%の手術はないので、やっぱり目が覚めたときにやっぱり生きていられたことの当たり前じゃないっていう。それこそ先生にも感謝したし病院の方々にも感謝したんですけど、病院で手術して一晩集中室に入って、翌朝からもうご飯食べたんですよ。そのとき食べた何かスープみたいなのがあったんです。コンソメか野菜スープみたいのが。本当笑っちゃいますけど、そん中に入ってる人参を食べたときに、人参食べるのってこれって人参を作ってくれる人がいるから食べるわけで、それを箱に詰めて、それを運んでくれる人がいて、病院まで納めてるのかな。そこで調理する人がいて、初めて僕はこの人参を食べるんだって思うと、そんなことを手術する前なんか微塵も考えたことないんですけど、手術して目が覚めた翌朝の食べれますよって言われて食べた野菜スープの中に人参がすごく頭に残ってんすよね。
ここに運ばれて僕の口にするっていうまでにいろんな人を介在しているわけじゃないすか。さきほど言ったみたいに、それすらに感謝したりとかして。それぐらい生きてるって尊いみたいな。

きさい:手術される前の自分って、どんな考え方だったと思いますか。

おさむん:なんかあんまり感謝という言葉が上辺の感じがして、薄っぺらい感じがしてそんなに感謝しますとかありがとうとかっていう言葉が余り自分の中には抗響いてこないというか。そうですね。なんか、すごいさっきの逆ですけど、夜になったら子供たちやカミさんが帰ってくるのは当たり前で、感謝のかの字もなかったみたいな。自分が生きること自体精一杯だったっていうようなそんな感じですね。

きさい:おさむんさんは周りの人からどんな方だと言われますか。

おさむん:はたからですか。なんだろう。はたからですか。例えばカミさんからですかね。

きさい:そうですね。ご家族でもお仕事の相手でも。

おさむん:うちのカミさんなんて言うのかな。でも結婚するときに。だいぶ前になっちゃうんすけど、付き合うときに言われたのが、ちょうど職場で結婚したんですけど、病院で同じうちの妻看護師で私も病院勤務だったので、同じ職場で仕事をしたときにそこで付き合うようなったんですけど。そのときに何で付き合う、何がよかったの自分のどんなところが気に入ったのって言ったら、仕事を真面目にやるから。だから真面目といえば真面目なんでしょうね。そこにちょっと完璧主義者っぽいところはこうあるべきとか、こうしなきゃいけないみたいな自分に厳しいっていうところがこれは自分ですね、自分の主観がそこにプラスされちゃいますけど。真面目だとは言われますね。

きさい:ご自分でも自分に厳しいと思われてる。仕事を真面目にやるっていうのは、当たっているんじゃないかなっていうお考えですか。

おさむん:そうですね、

きさい:どんなときに、自分真面目だな、厳しい考え方してるなって思われますか。

おさむん:厳しいとか、何々べきっていうのは、手術する前の自分ですね。
ちょっと繰り返しになっちゃいますけど、やっぱり手術をした後に何かそんなにもう生きてるだけで十分価値があるので、そんなに自分に厳しくしなくてもいいんじゃないのっていう思いが、180度変わったので。ここ最近のだから、今年9月にオペしましたから。10、11のこの2ヶ月間は、真面目に仕事するのはそうなんですけど、なんかこうあるべきとか、完璧主義っていうのは、その手術を経験、きっかけにだいぶなくなりましたね。

なんか本当に淡々と目の前のことに集中することだけで、もう十分なので。1年後に何かしなきゃとか成長しなきゃとか、努力しなきゃっていう、なんだろう。そういう未来志向みたいなことはなくなりましたね。それはいい意味だと思うんですけど、先のことはわからないので、先のことを考えるよりは、今1日1日を丁寧に生きるって言ったら言葉があれですけど。でもそうですね。そういう丁寧に雑に扱わない。
それこそ車を運転するときに雑な運転しないとか、スマホにしたって便利なものですけど、あって当たり前ではないのでぽんと放り投げないとか。物とか人とかに対して丁寧に接するとか扱うことは、生真面目だった、手術前は生真面目だった自分に厳しかったですけど、そんなのが生きてるだけっていうことだけでも十分価値のあることなので、そこに何か変に自分に厳しくすぎることはかえって生きづらくなっちゃうんで、息苦しいと言うか。
その辺の変な未来志向とか成長意識とか、そういうのはもういらないってのがすぽんと取り払うというか、手放すことができたので、今日1日を丁寧に生きれば、それが積み重なれば1年であるしっていう感じですかね。

きさい:思い込みなどを手放したことによるお気持ちの変化はありますか。

おさむん:そうですね。そんなに頑張らなくていい。普通に仕事をこなすだけでも十分頑張ってるに値するので、もっとできるんじゃないかとか、もっとこうしなければとかっていう変な縛りがなくなりましたかね。

きさい:ありがとうございます。手術されたのが、どれぐらい前っておっしゃいましたっけ?

おさむん:今年の9月ですね。

きさい:本当に最近なんですね。

過去:小学校までよく笑う子だった。兄の東大の合格をきっかけに人と接するのが怖くなった。

きさい:今の人生に至ったおさむんさんのこれまでのことを、ぜひ聞いていきたいと思うんですが、差し支えなければ今ご年齢っていくつでしたっけ。

おさむん:56です。

きさい:56歳ですね。40年50年ちょっと前までさかのぼってぜひ考えていただきたいと思うんですけど、子供のときどんな子供だったと思いますか。

おさむん:まず思い浮かぶのは野球大好きでしたね。小学校のときはすごい野球大好きで毎日、僕の時代は普通にそこら辺に野球するようなスペースが空き地があったので、小学校の友達とドッジボールやっているか野球やってるかみたいな結構体動かすのが好きな子でしたね。
でも小学校までよく笑う子だったし、それこそ僕の時代はドリフとか、そういうのを見て笑うのは大好きな子でした。

きさい:ご出身はどちらでしたっけ。

おさむん:神奈川県ですね。

きさい:野球に熱中されていた頃は、地元の応援などされてたんですか。

おさむん:チームの?プロ野球の?

きさい:はい。

おさむん:巨人しかあのときはテレビで。今みたいにあれなんです。パ・リーグなんか放送されてなかったので。巨人しかテレビで放送してなかったので、巨人しか知らなかったですね。他のチームをやってなくて。

きさい:友達も野球繋がりやドリフだとお笑いみたいなテレビ番組ですかね、そういったのが好きな友達がいたんでしょうか。

おさむん:小学校の話に限定しちゃってますけど、小学校のときって話の中はテレビで何見たっていう昨日何見たっていう、いうと昨日ドリフ見たとか。ちょうどそのときに僕が小学校6年生ぐらいに明石家さんまとか出てきたので、俺たちひょうきん族っていうあれがあったんですけど、お笑い番組があったんですけどそれ見たとかっていう昨日テレビ何見たみたいな感じで友達なるのは多かったですね。

きさい:なるほど。当時の楽しかった思い出とかってありますか。

おさむん:小学校のときは毎日楽しかったですけど、特に5年生6年生のときに出会った、先生もすごい好きでしたけど、そこのクラスってのはすごい楽しかったですね。

きさい:どんなところがですか。

おさむん:その先生は必ず朝登校すると、教室に入る前に必ずグラウンドに2周してから教室に入るっていうのは日課だったんですね。体を冬でも夏でも運動しようみたいな先生だったので。そういうのでこうなんだろうな。体動かすのがすごい好きな先生だったので。
ごめんなさい質問なんでしたっけ。

きさい:どんなところがお好きだったのかなっていうところですね。

おさむん:その先生は体を動かすことをすごい大事みたいなことを言うので、大体みんなそのさっきのテレビの話もそうですけど、あとはもう体を動かすことがほとんど授業。あのときってあんまりちゃんと1時間目から6時間目まできちっとカリキュラムが決まってなかったので。
例えば、うちの神奈川県はめったにその当時雪降らなかったので、たまに雪なんか降ったりとかすると、授業がいきなり国語の授業だったのが、今日は外に行って雪遊びみたいな感じで、先生の裁量権があったみたいな。好き勝手ではないですけど、自由に授業を子供たちの目線で考えてくれた先生だったので、その先生に引っ張られてみんなが一致団結みたいな。
男の子女の子もそんなに分け隔てなくみんなと仲良くしてたそんな感じですね

きさい:もう少し大きくなって中高生くらいになると、どんな経験をしていましたか。

おさむん:中学に入ると、それだけ小学校は本当にただ運動して、あと何かお笑い番組でいいとか自由なあれでしたけど、中学になるとやっぱりガラッと雰囲気が変わるというか、中学に入ると何か勉強しなきゃいけないみたいな、中学普通の市町村の市立中学ですけどなんか厳しかったの覚えてますね。
一番の出来事は、中学校2年ときに僕五つ上の兄がいるんですけど、兄がこれ名前言っていいかな。東大に受かったんですね。それってうちの住んでる田舎にしてみればすごいことなので。一躍田舎じゃ全部広がっちゃうんすよね、今みたいに個人情報ないので、あそこのとこの長男さんは東大受かったらしいよみたいのが友達伝いも。学校自体もそうだし、近くの八百屋さんとか雑貨屋さんとかみんなうちの兄が東大に合格したって知ってるんですよ。
それで僕は僕も頑張ろうってなんか普通に思うんじゃなくて、兄が東大に合格したから自分も東大まではいかないですけど、有名な大学に入らないと認めてもらえないみたいなものすごいプレッシャーを強いプレッシャーを受けたのをものすごい覚えてるんですね。
それから、それまで本当にお笑いとかスポーツ好きだったのが、その兄の東大の合格をきっかけに人と接するのが怖くなったっていうか、そこもやっぱりなんだろな。そこからですね。

ちゃんとしなきゃとか、周りの期待を答えなきゃいけないとか、べき思考。何々でなければいけないみたいな、だから真面目にそうですね、僕にとっては、真面目って言葉ってすごいネガティブな言葉なんですよ。なんだろな、他に取り柄がないみたいな。
なので、でもその最初のきっかけになったのはやっぱりうちの兄の東大合格っていうことで、ものすごいプレッシャーを受けてそれから笑わなくなったし、人と接するのがものすごく怖くなって、自分からは喋らないし。
相当僕の中では、この56年の人生の中でも一番衝撃度は高い出来事でしたね。

きさい:そうだったんですね。そこでちょっと性格が変わった?

おさむん:変わりました。

きさい:それは、いつ頃まで続いたんですか。

おさむん:もうそれずっと引きずってたので。でも本当最近までかもしれないですね、極端に言えば。引きずっていた。濃淡はあるかもしれないですけど、なんだろな。もう少し細かく言うと兄が東大に受かったことがっていうよりも、そのことによって母親のものすごい狂喜乱舞したんですよね。喜んだんです。喜んだを通り越して狂喜乱舞なんですよね。
これはなぜかというと自分が中卒なので、自分に学がないっていう引け目があったのに、自分の息子が東大に入ったってことはものすごい自慢の息子じゃないすか。なのでその本当に喜ぶ以上の本当にそうですね、狂喜乱舞って言葉は本当にぴったりだったので。
それを見て僕はちゃんとしなきゃとか、この人に何か認めてもらうにはちゃんとしなきゃとか頑張らなきゃとか、価値がないかもしれないみたいなことも感じたんです。
だから母親に対してです

それから大人に対しては、自分の周りはみんな敵みたいに思えてきて信頼をすることが出来なかったっていうのは、結構そうですね。本当に年齢とともには徐々に薄まってきましたけど、14歳のときのあれはどうだろうなー。社会人なってもだいぶ引きずってましたね人を信用しないっていうのは。
結婚を契機にうちの妻、今のカミさんと出会ってから、カミさんが本当になんだろな。自分の考えを少しずつ緩ませてくれるというか、そんなに頑張らなくてもみたいな。十分頑張ってるからみたいな感じでいると安心する存在。
カミさんと出会ってから、ちょっと言い方悪いですけど、母親から呪いみたいのはだんだんとけてきたっていう感じがしますね。

きさい:ご結婚がおいくつぐらいですか。

おさむん:31のときです。

きさい:それまでの社会人生活、大学も行かれてるんですかね。大学生活と社会人生活はいかがでしたか。

おさむん:中学のその件があって、高校入って、僕推薦で大学入ったんですよ。入ったけど、入るのが目的でその大学で何を学びたいかとか、興味がある学科でもなかったので、とりあえず大学入ればいいみたいな感じだったので、目的がないのでその大学に行くこと自体の。親が言うから仕方なく行ったみたいな。
なので、大学時代はただ大学に行って授業を聞いてただけの感じで。だけど、唯一救いだったのは、大学終わって実家から通える範囲内の大学だったので帰ってきて、アルバイト先の人たちが結構みんな仲の良い人たちで、僕はそのときに18、19ぐらいのときなんですけど、そこで15歳から19歳、僕がどっちかっていうと上の方ですかね。それぐらいの10代から大学生まで揃ってるようなアルバイト先だったので、そこでの人間関係が救いだったかなっていうのはすごいありましたね。

大学では単位を取るために行ってた感じでしたけど、それだけだったらたぶん自分は大学卒業するまで持てなかったんじゃないかなと思ったけど。それでもそのアルバイト先の仲間がいたことで、人と交流する事は十分あったので、そこが今振り返ってみるとその仲間に出会えたことが生きづらさってことを楽にしてくれるような存在でしたね、そこの仲間が。

きさい:どんなアルバイトをされてたんですか

おさむん:あのときはレストランのホールの仕事でしたね。

きさい:どんなお仲間だったんですか。

おさむん:どんなお仲間。地元なんですけど、通っていた高校も違うし環境も違うし、なので、そんなこと考えてるんだっていう自分のなんだろう考えることと。人数でいうと、それこそ大体常時10人ぐらいはいたので。途中、何人か入れ替わりありましたけど大体10人ぐらいは絶えずいた仲間だったので。そうするとそんだけ10人がどっか遊び行こうとかすると、話をすると、うまく言えないですけど自分の考えとは全く逆のことを言う人ってそんなこと思ってるんだってこと、そういう気づかせてくれるというか。
そのとき付き合ってた彼女のことなんですけど。例えばうちの家だと、洗濯物を干しました。取り込んで自分の服は畳んでタンスに入れるのが普通だと思ってたんすよ。だけど、そのときに付き合ってた彼女のうちは、洗濯も畳まないんですよね。山積みになってて、起きて、その中で自分の着れる服を着て出ていくみたいな感じの子だったんすよ。

そこのおうちも何回か、しょっちゅう行ってたので、全然お父さんもお母さんも気さくな人だったし、僕の家だと、親がそんなに喋るってことはなかったんですよね。挨拶ぐらいで、そんなに夕飯後とか一家団欒みたいな感じじゃなかったんですけど、そこの家だとお父さんことにずいぶん自分に気さくに話してくるし、親ってこんなに気軽に子どもに話すのみたいな驚き。何か親ってそんな子供と喋るものじゃないって思ってたのが、喋ってくる。たわいもない話を。それはすごい新鮮だったりとか。それが今彼女のお父さん、お母さんの話ですけど、それがアルバイト仲間だと、それぐらい10代のどっかのうちに集まって、そこで飲んだりとかいう機会がよくあって、今そうですね。なんだろう、そんなことが本当はなんだろう、ちょっと今だいぶ昔の話を。

それこそあれですね。今のその友達のどっかの友達のうちに集まってそこで飲むっていうのが、僕のうちは母親が友達を呼ぶのをよしとしなかったです。うちには呼ばれるとなんか狭いし汚いし呼ぶところは、そんな場所がないから友達を呼んでくれるなみたいな空気があったんすよね。だけど、いつもみんなが集まる家があったんですけど、そこはもういつでも誰でも行ってもいいみたいな。
そこで何か親に怒鳴られることもない家庭。うちは駄目だけど、そのうちはお友達が普通に出入りするのも何も駄目とか、うるさいとかっていうこともなく、受け入れるので、それもやっぱりびっくりしましたね。わかんない。元々沖縄の子だったから、女の子の家だったんすけど、元々はいやうち沖縄にいるときは普通にこうやって出入りしてたよみたいな。男でも女だろうが、普通にうちは近所の人は普通が電話することもなくいきなり来るのが当たり前みたいな家だったらしいんすよね。

だから今から行くからって言って、家にその友達がいれば、普通に行って何か買ってって飲んで、そうするとそこのおじさんとおばさんが何か夕飯できてるから食べるかみたいなすごいそういう気さくな感じだったので、あまりにも真反対だったんでうちの親と。こういう親がいるんだっていう驚きもありましたね。

そういう経験をさせてもらったのはすごい。大学の中っていうよりも外ですけど、そういう仲間に会えたってのは、自分の狭い世界ではないちょっと視野を広げてくれるような人との出会いっていうのはすごい良かったなと思いますね。

きさい:大学出られてからは最初の職場が先ほどのお医者さんですか。

おさむん:違います。そのとき、まさに世の中バブルだったのでバブル経済。それこそどこでも入れるようなあれだったんすけど、やっぱりその大学も別に学ぶことがなくただ入っただけで過ごしたので、特にやりたいこともなく。でも、たまたまタイミングよかったのか、どこに行っても受かるので。でも自分は地元でそのとき付き合って彼女と遊べる時間があれば、それが望みだったので。別に仕事に対しては、何かこれをしたいっていうあれはなかったので地元の会社に入って、やっぱそこも一つの転機でしたね。
要は中学校高校大学、学生のときって、例えば仮に大学だったら、前の晩飲みすぎちゃったら1限出なくても、何とか良かったわけですよね。自由なわけじゃないすか。そんなに人と関わりたくなかったら関わらなくてもいいし。遊びたかったら、遊べばいいしっていう自由じゃないですか。

だけど、社会人なるとそうはいかないですよね。やっぱり職場には先輩がいて、同期はいなかったかな。僕が最初に入って、みんな先輩で上司がいてっていう中でだったのでそっから逃れることってできないですよね、嫌でも。その人間関係がものすごく鬱陶しくて、1年半、1年半、2年。1年半か。1年半たったその人間関係が煩わしくてやめちゃいました

きさい:それからすぐに転職されたんですか。

おさむん:その後に。疲れていたので、少し辞めた後に家でぼーっとするときもありましたけど、またすぐに次の仕事もしたんだけどやっぱり人間関係で何かうまくいかないですよね。
大学生時代のアルバイト先の仲間との距離感とは当然目上の人とは当然違うわけで。ものすごいそれが生きづらくて、結局その仕事じゃなくて人間関係でつまずいちゃうんですね。
二つ目の職場も、1年ももたずに辞めてしまったので。これじゃあ俺は社会生活全然送れないじゃんっていうのを人との距離感が取れなくてすごい悩んだときでしたね。それが社会人になって3年目ぐらいのときになって、二つ目の職場を辞めたときに、いやこのままじゃ俺社会生活を送れないけどって言って何か悩んだ時で、どうなっちゃったんだろうっていうので悩んだ時期でしたね。
23で卒業したので、25ぐらいのときかな。何かこう、社会生活を送れないみたいなそんな苦しさを感じたときですね。今思えば一番人生のあれは一番どん底の時期っていうか、働けないっていうことはショックですね
そのときからうつ病って言われたような気がします。

きさい:その後どうされていったんですか。

おさむん:家の中に引きこもっていてもしょうがないので、幸いなことに大学時代ときのアルバイト先っていうのが、次の仕事や職場決まるまでアルバイトで来てもいいよってことで、アルバイトで採用してくれたので。だから26、27ぐらいまでは、アルバイトで生活したんですよね。自宅だったし。だから幸いなのはやっぱりそこで働く場所があったので、引き込まらずに済んだっていうのは、ありがたいことでしたね。

その後に、やっぱり問題としてはこれから社会人生活これからずっと長いので、どういう仕事に就けばいいんだろうっていうのはアルバイトしながら考えてたんですけど、たまたま地元の本屋に立ち寄ったときに、たまたまそのときに健康コーナー。スポーツの本を探して行ったんですけど、スポーツの雑誌見ててその横が健康コーナーでそこになんだろな。ちょうど僕その時うつ病って1回診察受けたことがあったので、そんなうつ病の何とかとかっていう本を読んで、そのままずっと読んでいくと、その隣その下ぐらいに東洋医学の本があったんですよ。東洋医学の中には漢方とかそれこそヨガもそうですね、インド医学とか、そん中に鍼灸マッサージってのがあるんだっていうのは書いてあったんですよ。

いわゆる気の世界みたいな感じですね。体の中には気が流れていて、その鍼とかお灸によってその気の滞りを巡りをよくして健康に近づけるみたいな。未病とかそんな単語が出てきて。自分のこれから仕事にしていくのはこれかなっていうのを直感的に思ったので、それまで知らなかったんすけど、自分の住んでるところから帰るところに鍼灸の専門学校があったってのはそのときに気づいたんです。たまたまあったんです。
勉強して。勉強ができたんですよね。人と接するのはすごい苦手だったんすけど、入試の科目があってその勉強しなきゃいけないと思ったらそういう勉強するのは全然得意、苦手じゃなかったので。28の年だから、28歳になるときにその鍼灸の専門学校に入りました

きさい:専門学校だと2年ですかね?

おさむん:3年です。

きさい:その後、そのお勉強をされてもう独立といったような形になってたんでしょうか?

おさむん:3年通って国家試験を受けて、鍼灸マッサージ師の資格を取って、一番最初は地元の病院に入職して、そこでうちの今のカミさんと出会った感じですね。
もう出会って、だがらそれが31のときか。でも、まもなく本当にすぐに同棲を始めてもうすぐ結婚してしまったので、31のときに、2人とも31のときは結婚してたので、あっという間にそうですね。いきなり結婚までスピード結婚で結婚しました。
それからは手に職を持ってるので、病院勤務とか。要は仕事いくらでもあるので、病院勤務やった後に急性期というか救急車で運ばれてる患者さんをリハビリするところなので、今度は地元のいわゆる街中のクリニックで働いたりとか。
あとはいわゆる今でいうデイサービスとか、あとは障害者福祉といって何だろうな、脳性麻痺とか65歳以下の若い人のリハビリをする施設に行ったりとかっていうのを何件かやりながら独立したのが5年前ですね。だから51のときです。

それまでは、子供たちもちっちゃくて教育費かかるので、うちの妻としては独立ってよりも、ちゃんとサラリーが入ってボーナスがあってっていうような病院とか施設とかっていうとこで仕事をしていて。5年前ぐらいになったら、どうやらあなたの場合は何か組織に入って仕事すんの無理っぽいから、別に独立してもいいんじゃないの。何とかなるんじゃないのってうちのカミさんの後押しがあって、全然見通し立ってなかったですけど、とりあえずカミさんからそういうならそうかなって感じで、何の後先考えずに、うちのカミさんの一言で独立しました。

きさい:その手に職、資格を取ったことによって何か変わられた実感はありましたか。

おさむん:サラリーマンの場合だと、今の時代はそうじゃないかもしれないすけど僕の場合
、僕たちの時代というか、50代の人間にとっては、やっぱりその仕事したら同じとこで勤め上げるみたいなところがやっぱ残ってたのでそういう思いが。終身雇用みたいな感じの中で、育ってきたので。
でも手に職持つと別にそこでもう学ぶこと学んだら、次にステップアップするために別の職業を選択できる自由さがあるので、そこは一つのとこにずっといるのではなくて、次に学びたいところがあったら、次に転職できるということでは、すごい自由。縛られないっていう縛られるの嫌な自分の性格には合ってたと思います。

きさい:独立されたときはどんなお気持ちでしたか。

おさむん:不安でしたね。食べていけるのか。自分が働けなければ働かなければゼロだし。
特に幸いにそうですね。そのときに患者さんが、今の週4回アルバイトしているクリニックが午前中だけ働きに来てくれるのはOKだよってことがあったので。とりあえず独立しましたってときに週5回の今のクリニック勤務っていうのは決まっていたので、最低でも0円ってことはなく、7万ぐらいはとりあえず決まっていたので、そこはまず僕自身というかカミさんをまず安心させるというか、ゼロではないっていうところの安心感ですね。
でも最初の1ヶ月はそれだけしかない。7万しかなかったので。51歳で7万しかなかったので、さぞかしカミさんとしてはあれだと思いますけど。そこの先生がいい先生で、うちの仕事のアルバイトの午後はどうしてるのって言われて、いや暇ですって言ったら、うちの田舎だとリハビリの必要な人にリハビリをできるようなマンパワーがないので行ってみる?って言って先生が紹介してたんですよ。それで午後に行くようになったんですね。その先生がこの患者さん行ってきてってのが1人が3人になり、3人が5人になりっていって。一番多いときで十二、三人。1人が大体週2回とか3回行くのでだんだんその午後の予定が埋まってきて。そうですね。5年。
2018年の10月に僕、独立したんですよ。それまでは、僕毎年年末になると子供たちと一緒に家族旅行行くのが、恒例だったんです。だけど、2018年の12月は子どもたちに家族旅行できなかったんですよ。当たり前ですけど、7万しか働き口がないので予約してたホテルをキャンセルしたんですよね。それがもうすごい申し訳なくて。自分の勝手っていうのはあれで独立することになって、楽しみにしてた家族旅行を行けなくなっちゃったっていうのが子供たち申し訳ないなっていうのがあったんですけど。

そんなこんなでクリニックの先生とかに恵まれて、そのクリニックの7万プラス在宅での仕事が増えてきて、2019年12月には家族旅行に行けるだけの食いぶちはできたんです。収入は得られると1年間で。2019年の12月に家族と一緒に旅行に行けたときっていうのは、もう何とも言えない嬉しさというか、良かったっていう
そのときの旅行先のホテルは今でも覚えてますね。そこに連れて行ったってこと。ホテルはとても今でも思い出のホテルです。

きさい:すみません、今ちょっと途切れてしまいました。ご家族と一緒にっていうところまで聞こえました。2019年のクリスマスですかね。

おさむん:収入が増えて、旅行行けるだけの稼ぎができたので、19年に行ったホテルってのは今でも思い出のホテルで、今でもちゃんと覚えています。

きさい:それで、だんだんご生活も安定されてきたっていうイメージですね。

おさむん:はい。

きさい:振り返ってみて過去の話残したことはありますか。

おさむん:でもざっと。特にはないですね。
冒頭に言いますけど、もう今も精神疾患を持ちながら僕は生きているので、僕のこれからの人生100年とすると、もう折り返しを過ぎてるので、これから自分のWILLというか、天命は精神疾患になっても生きていける居場所を作りたいなっていうのは思っていて。対話の場であるとか。ちょうどその双極性障害の当事者の集まる、ZOOMでオンラインで集まる場所があるんですけど、それを主催してる運営会社から、ピアサポーターという当事者会の司会進行としてお仕事もらってるので。
それは、精神疾患、双極性障害っていう人の集まりのところで司会進行をして、要はブレークアウトルームで皆さんどんなことに悩んでるかとか、どういうふうに生きて生きづらさを感じてるかっていうところのその場を回すっていうんですかね。そういうことで僕その会社と契約をしてお金をもらってるので、いわゆるクリニックで患者さんを見るっていうことではない別の働き方なので、そういう場所を今後は作っていきたいなとか、増やしていきたいなっていうのがありますね。

きさい:それはいつ頃からお考えになってるんですか。

おさむん:去年からですね。去年、一昨年。一昨年に長男が卒業をして、自分で社会人になって働くようになって、3人のうちの1人が教育費が負担もなくなったわけなんですよね。そうすると、なんとなく生活にも余裕が出てくるので、これからどういうふうにしていきたいのかなと思ってたんですね、去年は。
そのときにそういうこと何が一番自分の中でのその指標になるのかなっていうと、自分で他の人と違うところっていうのは、やっぱり自分は双極性障害って当事者だけど、10年間仕事辞めることなく続けることができて家庭を持って子供を育てることができてるってことは、きっと今例えばすごいうつ病だったりとか、何かしらのそれこそ今、発達障害ってよく言われますよね。生きづらさ働きづらさを抱えてる人って結構いるので、そういう人たちの例えば20代30代でそういう病名がついて、これからどうすんだろうって不安になっている人がいるとしたら、50代で結婚して子供もいて子供たちの無事育て上げて楽しく人生を送ってるよっておじさんがいるよってなれば、20代30代で先が見えない絶望している人なんか少し一筋の光みたいな、かっこよく言えばそうですね、こんなおじさんいるから大丈夫だよっていう一つの何か、何だろう。なんて言葉ですか、指標じゃないな、生きる励みになったらいいなってことで、僕は患者さんじゃなくて、当事者の会ってのにもっとその輪を広げていきたいなと。僕の中ではこれからの僕のWILLっていうのはそこなのかなっていうのは思ってます。

きさい:使命感のように感じてらっしゃるんですかね。

おさむん:そうですね。僕しかできないことだと思う。

きさい:いいですね。

未来:やりたいと思ったことは、先延ばしにしないでやるっていうこと。人生何が起こるかわからないので、今に集中して目の前のことを淡々とこなしていこうっていうのは、きっと幸せな人生になるんじゃないかなって思ってますね。

きさい:5年後10年後、あるいは死ぬまでっていったようなスケール感で考えていくと、どういう時間的にはどんなイメージを持ってますか。

おさむん:そうっすね。また戻りますけど、やっぱりその今回夫婦で脳の患者なって、いつ何が起こるかわからないっていうのが思ったので、60なったらやろうって言ったらたぶん一生やらないと思うんすよね。なのでまずは来年銀婚式になるので、来年は。
どうしても僕、自営なので休むことにものすごい後ろめたさを持ってたんですけど、今回の9月で手術しますっていう患者さんに言ったときに、患者さん離れていっちゃうんじゃないかっていう恐怖心があったんですけど、みんな心配してくれてるっていうか、応援してるから頑張ってとか。意外と批判的なことを言う人誰1人もいなかったんすよ。むしろ今ちゃんと治して元気でまた戻ってきてみたいな感じで、職場のスタッフからも患者さんからもその家族からも言われたので休んでもいいんだなって思ったんすよ。
結局僕11日間ぐらい休んだんですけど、もちろん収入減りますけど。10万ぐらい減りますけど、別に次の10月からは普通に職場と仕事復帰したので、その9月だけですよね、収入落ちちゃうのは。また10月は普通に戻ってるので休んでもいいんだなと思って。
来年の銀婚式にもうちのカミさんと台湾旅行に行くってのは、いつか行くじゃなくて来年行くって決めてるんですね。
やりたいと思ったことは、先延ばしにしないでもう決めるっていう。そこがまずはやっぱりあれですかね、健康っていうのが一番僕の中ではキーなので。うちのカミさんもそうですけど、やっぱり一度手術してやっぱ再発っていうのが怖いので、なのでやれることは、やりたいと思うことは、必ずやるっていうのは先延ばしにしないってことは、心に決めてるというか。

おそらく仕事の面で言うと、やっぱりその対患者さんクリニックでっていうのもそうですけど、今、火水木土の午後は、あと日曜日は丸々一日ですけど、休みなのでそこを使ってやりたいことやっていきたいなと。たぶん人と接したいってのはあるでしょうね。患者さん以外の人。それこそ今日のインタビューもそうですけど、全然仕事とは関係ない人と出会いたいっていうのは一つあります。

きさい:どんな場でとかイメージはありますか。

おさむん:ちょうど私の住んでる隣町に神奈川県茅ヶ崎市っていうとこがあるんですけど、そこにいろんな人が全く全然職業も年齢も住んでいる場所も全く全然違う、今で言うとコワーキングスペースです。そこに集まってくる人がいるんですよ。
そこで開催しているワークショップとかで僕顔出しててそこで何人か出会う人がいるんですけど、その人たちとちょっと来年何か仕事は全く関係ない何かイベントごとをしたいねっていう話は、今してるんですけど。

きさい:どんな感じですか。

おさむん:僕が10月のときにたまたま発達障害のお子さんたちを見ている方がいて有名なのかあれですけど、その人が発達障害は障害じゃなくて特性であるっていうことでテーマで講演会を開いてる方がいて。その人を呼んだのが僕の鍼灸師の後輩なんですよ。その方を呼んで講演会を開いて、発達障害は特性である。差別ない社会を作ろうみたいな講演会を開いたんですよね。
ものすごい感動したので、それを神奈川県の相模原市というとこで開催したんですけど、それをぜひ僕仕事以外の仲間は茅ヶ崎にいるので、茅ヶ崎市にその方の講演会をやりたいっていうの、ちょっと言ってるので。その相模原市でやった僕の鍼灸の後輩と講演者の方を来年茅ヶ崎に呼びたいってことで、今茅ヶ崎の仲間と話を進めてるとこですね。来年中にできたらいいなっていうのは。それはもう全然仕事関係ない。
要は、障害ってついたものに差別偏見とかしないで理解を。まず知ってほしいっていう啓発をして言いたいなっていうのが、来年のまずはその目標ですね。実現したいってのは強く思ってます。

きさい:そこからまた発展した新しいイベントになったりっていうこともありそうですね。

おさむん:そうですね。僕が今、来年もし呼ぶことができて茅ヶ崎で成功したら、今度はそれを他の市町村とか、もしかしたら神奈川を飛んで静岡県の方とかに持っていけたら、少なくとも発達障害っていうことをものを、よくわからん、言葉は知ってるけどよく知らないっていう人に知ってもらえるっていうのって大きいと思うんすよ。
当然発達障害のお子さんを持った家族ももちろんそうですけど、それ以外の人が、あとは僕の鍼灸師の仲間がそこに行きたいとか、鍼灸師のその友達の友達が、その講演会を続けることによって、発達障害ってことを知るきっかけをいっぱい作れば、発達障害に対しての偏見ってのは減っていくと思いますね。

やっぱ知らないから避けようとするし、背中向けようとするでしょうけど。知れば次はどうしたらいいのかっていうのはまた課題になってくると思うんですけど、まずは知ることっていうことの形作りを、来年以降から続けていきたいなとは思ってます。

きさい:最後にもしもの未来質問をいつもさせていただいてるんですが。もしもお兄さんが大注目される東大に行ってっていうイベントがなかったら、ご自身はどんな人生を歩まれてたと思いますか。

おさむん:ええー。なかったらどうなんすかね。少なくともこの仕事はなかったでしょうねと思うんですよ。まさか鍼灸マッサージ師の仕事をして独立してっていうのはなかったのかな。
もうちょっと言うと14歳のときのあれが、18歳の兄の東大合格があって人間不信になって24、5のときに、人間関係うまくいかなくてうつ病って言われてっていうその出来事がなければ、僕はこの先どうしようかっていうときに本屋で東洋医学の本を手にすることはなかったろうし。だから、少なくとも鍼灸マッサージ師なんていう仕事があること自体も知らずにおそらく平々凡々ともしかしたら。そうですね。そうですね。

ちょっと重なってますが、14歳のときに、こういうイベントがあって人間不信にならなかったら人付き合いがそんなに苦じゃなかったかもしれないすよね。小学校のときみたいに屈託なく笑って人のことを疑うこともなく、人とうまくいって大学行ってそのときに付き合ってた彼女ともしかしたら結婚してたかもしれないすね。ってことは、今のカミさんと出会うことは、なかった。僕は鍼灸マッサージ師にならなかったら病院勤務なんかないですからね。カミさんと出会うこともなかったし。ってことは今の子供たち3人と出会うこともなかったので。
なんかどうなんですかね。もしかしたら大学時代のときにうまく人間関係困らずに就職したあのときに付き合った彼女と結婚してたかもしれないですね。その生活なんか想像できないです。だいぶ遠い話なので。何十年前の話ですね。

きさい:今はご自身の人生が全然違っているなっていうお気持ちですか。

おさむん:そうですね。

きさい:ありがとうございます。インタビュー最後に伝えたいこと言い残したことはありますか。読者向けでもご自分に対する独り言でも大丈夫です。

おさむん:やりたいと思ったことは、先延ばしにしないでやるっていうこと。人生何が起こるかわからないので、今に集中して目の前のことを淡々とこなしていこうっていうのは、きっと幸せな人生になるんじゃないかなって思ってますね。

きさい:ありがとうございます。

あとがき

おさむんさんが針灸に出会ったり、背中を押されて独立したりしながら歩んできた人生に、インタビュアーも確かに勇気をもらいました。社会で困っている人々の一つの指標になりたい、とのこと。無名人インタビューとしても、このお話がおさむんさんの未来を作っていくのを願います。
ありがとうございました!

【インタビュー・あとがき:きさい】

【編集:さりあ】

#無名人インタビュー #インタビュー #自己紹介 #鍼灸 #マッサージ

マガジンで過去インタビューも読めますよ!

インタビュー参加募集!


この記事が参加している募集

#自己紹介

230,268件

いただいたサポートは無名人インタビューの活動に使用します!!