夢を叶える。

夢が叶った。
そんな経験は誰もができる体験ではないと思う。
幼い頃に描いた夢を実現できる人はほんの一握りだと思う。だからこそ、オリンピックの時期になると多くのアスリートの人生を特集して、多くの人が涙を流すのではないだろうか。

幼稚園の時の夢はケーキ屋さんだったと思う。教育番組の影響だったのだと思う。ティラミスを作りたいからケーキ屋さんになりたいと言っていた。

小学校の時の夢は特別支援学校の先生だった。『光とともに』という漫画の影響だった。親からはわざわざ特別支援に行かなくても…と言われていたが、どうしても特別支援の先生になりたかった。

中学校の時の夢は管理栄養士だった。大好きな料理をなんとかして仕事にしたいと思った。この夢は高校まで続いた。

高校に入って管理栄養士になるための進路を模索した。理系に進もう。栄養科のある大学に行こう。そうやって進路を決めて行った。

でも壁にぶち当たった。絶望的に数学ができなかった。理系に行ったものの、赤点の連続、理系に楽しさを見出せなくなった。それで当然、管理栄養士への道を諦めた。

夢がないまま高校3年生になった。いっそ大学には行かず就職しようか、なんて考えた。叶えたい夢もやりたいこともない、そんな無気力状態だった。
ただ、なんとなく演劇部で書き続けてきた脚本を生かして、文章を書くことを仕事にしてみてもいいのかなとふんわり思って、でもセンスのない自分には食っていけないだろうと諦めてみたり。

そんな中で出会ったのが、地理という学問だった。厳密には地理を面白く楽しく教える恩師だった。平田オリザの『幕が上がる』という小説のなかにこんな言葉がある。「私たちは舞台の上ならどこへでも行ける」。その言葉を借りるなら『地図の上ならどこへへでも行ける』だろう。そのままの意味だが。地理という学問を通じて世界を知った。社会を知って、経済を知って、自然を知って、文化を知って、争いを知った。もっとこの学問に触れていたいと思った。そしてさらに、私が感じたこの想いをもっと誰かに伝えたいと思った。つまりは、恩師のような存在になりたいと思った。地理の先生。それが夢になった。

地理学を専門的に学べるところに進学した。教職課程も履習した。地理の先生になることが夢になった。夢というよりは目標になった。大学で学ぶ地理学はどこまでも深くて広い世界だった。広すぎて学べば学ぶほど何が地理なのか分からなくもなった。それでもとても充実していた。

大学四年生、人生の大きな選択が迫っていた。一般企業に就職するのか、本当に先生になるのか。私が先生になれるのか。とても悩んだ。自分は向いていないのではないかとも思った。最終的に背中を押したのは教育実習で恩師の働く姿をすぐそばで見たことだった。

来春から教師になる。ごく最近できた夢ではあるが、夢が叶ったと言える。もしかしたら今後、特別支援の免許を取ろうと思うかもしれない。大学生ボランティアとして障害者と共に過ごした時間は、きっと私をそうさせるだろう。そうすると、小学生のときの夢を叶えることになる。

もう忘れてしまったけど、昔の私は色々な夢をもっていた。なりたいと思う職業があった。もしかしたら、いつかふと思い出して叶えようとする時がくるかもしれない。でもまずは、教師という叶った夢を、現実の職業として向きあっていきたい。楽しいことばかりではないと思う。やめたいと思う日が来ると思う。でも、せっかく叶えた夢だから、大切にしたい。

先生になったら、文化祭で料理を作って売ることがあるかもしれない。そうしたらパティシエさんになれるかもしれないし、レシピを考えて調理をする管理栄養士さんになれるかもしれない。演劇部の顧問になったらまた脚本を書くかもしれないし、学級通信なども書くかもしれないから、物書きになれるかもしれない。

夢を叶えるという体験は誰もができるものではない。幼いころからの夢を一貫して持つことも叶えることもできなかった。でも、なりたいと思った自分の姿を実現させることができた。そして幼い頃からの夢を擬似的にでも実現させられる可能性はまだ十分に残っている。この経験は私の宝になると思う。だからまずは、自分にできることを精一杯頑張ろうと思う。

未来の私がいつかこの文を読んで勇気付けられることを願って。

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