できない自分ごと愛するということ

 これまで、鬱になってからの薄暗い思いしか書けなかった。
言葉を書くことで、傷は深くなっていくと分かっているのに、どうしても心の中に留め置いておくことができなかった。

 そんな私にも、最近少し光が見えてきた。
 だから今日は、その話。

きっかけはお世話になった先生(A先生)に連絡をしたことだった。鬱になってから、職場の人には全く連絡できず、職場以外の知り合いにも鬱になったことは伝えても、それ以上の話は何もできず、一人で殻に閉じこもっていた。
A先生に連絡したのは、お世話になっているのに何も連絡をしていない自分の不義理に嫌気がさしたからで、もし許されるのなら、その不義理を謝りたいと思ったからだ。

もしかしたらもう二度と、学校には戻らないかもしれない。

漠然とそんなことを考えて、二度と会えなくても後悔しないように感謝を伝えようと思って会いに行った。
駐車場でA先生を待つ間、身体中の震えが止まらなかった。窓を開けているのに車内には空気がないんじゃないかってくらい息ができなくて、何度も何度も大丈夫だと自分に言い聞かせて、A先生の到着を待った。

これが最後になるかもしれないから、言うべきことをしっかり伝えよう。

その思いだけで、なんとか踏みとどまることができていた。

A先生の顔を見て、これまでの1年間のことが一気に思い出された。着任したその日からA先生がいろいろなこと、教員としても社会人としても必要なことを教えてくれた。地域の不動産情報も教えてくれた。大卒1年目の新人に、どこまでも親身に寄り添ってくれた。授業のことも、テストのことも、生徒との関わり方も、些細なことでも逐一相談に行く不出来な後輩を戒めることなく、本気で一緒に考えてくれた。遅くまで残業しているとご飯に連れ出してくれたり、土日に学校に行くと差し入れをしてくれたり、1年目で必死な自分がドロップアウトしないようにずっと支えてくれていたことを思い出した。

A先生と、最初に何を話そうかと思ったが、やはり共通の話題である生徒のことだった。本当は気になって気になって仕方がない、大好きな生徒のことをたくさん聞いた。出欠システムを毎日見て、学校のインスタも欠かさずチェックして、自分のクラスの生徒が、自分の部活の生徒が、毎日学校に来ていることを確認して安心していたから、相変わらず楽しそうに生活している生徒の話を聞けてうれしいと思った。

2年目の教員が一人抜けただけで、大変になっている。

責めるわけでもなく、純粋な感想としてA先生から出た言葉に、罪悪感とともにすこし希望が見えた。何もできない自分ですら、必要とされている居場所がまだ残されているのかもしれない。

残された道は死ぬことだけだと思っていたから、こんなはずじゃないのにと思いながら閉めた教員の扉が、もしかしたらまだ戻れるのかもしれないと思った。もう自分は必要とされていないと思った。1年間甘い汁を啜って完璧からは程遠い仕事をして、生徒とも教員とも真っすぐ向き合えていなかったかもしれなくて、1年でぼろぼろになる使えない人間に、戻ってこられても迷惑なのではないかと思っていたから。

ダメな自分に手を差しのべようと、忙しい時間を割いてくれていることも、自分が少しでも笑顔でいられるように話をしてくれていることも、A先生の優しさに真っすぐに触れて、何もないのに気づいたら涙止まらなくなった。

今、すごくしんどいです。

1年間頑張ってきたのに、気付いたらぼろぼろになってしまったこと。
他人から褒められれば褒められるほど、自分の頑張りが信用できなくなっていったこと。
期待に応えないといけないと思って焦ってしまったこと。
他の先生が当たり前にできる授業や生徒との関りが、実は一番不安で、でもそんな当たり前のことを不安だと言えなかったこと。
相手が高校生だってわかっていても、傷付いて悲しい思いをしていたこと。そう思う自分は、生徒のことを受け入れられる器の大きさがないと思っていたこと。

それでも1年間自分なりの一生懸命は尽くしてきたこと。
自分の一生懸命が1年で自分をぼろぼろにしたのに、これから30年も働き続けられるかわからないこと。
人と関わる仕事をこれからも続けていけるか不安なこと。

でも、そんなに簡単に諦められないくらい、先生という仕事が好きなこと。

言葉にすると、一気に心が軽くなっていった気がして、これまでやめるって意志を強く持っていたのが嘘みたいに、またあの場所に戻りたいと思った。

少なくともA先生は、私が学校に戻ってくるのを待ってくれている。
待ってくれている人がいるなら、もう一度頑張りたい。
それが、一番しっくりきた感情だった。

それから、人と話をしてみようと思った。
生きていくための道があるかもしれないと思った。
他にも、自分を待ってくれている人がどこかにいるのかもしれないと思えた。

学校に戻りたい。
一緒に働きたいと言ってくれた人と、一緒に働きたい。

この思いは、絶対に手放したくなくて、だから絶対に戻ろうと思った。

でも、それだけじゃ不十分だ。公立高校は異動が頻繁にあって、A先生以外に働きたい理由を見つけてから戻らないと、また同じことを繰り返してしまうかもしれない。

自立に必要なのは、依存先を増やすこと。

今は休んで、いろんな人と話をして、依存できる場所を増やしてみよう。
そう思った。

それから、忘れものを職員室に取りに行った。
校長からは反対された。今の自分には多くの先生がいる職員室に入るのは負担が大きすぎると言われた。
それでも、職員室に自分の意志で行きたかった。
自分の居場所が残されていることを、自分自身で確認したかった。

職員室に続く階段の途中から、呼吸の仕方がわからなくて、身体中が震えて、逃げ出したいと思った。
でも、ここで逃げたら、ずっと逃げてしまうと思った。
今はまだ戻れなくても、必ず戻ってくるんだという気持ちを行動で示したかった。
職員室は少し懐かしい感じがして、自分の机もそのまま残っていて、今すぐに何もなかったように仕事ができるんじゃないかって思うのに、自分の周りには膜が貼っていて、他の先生の視線も声も上手に受け取れなくて、息苦しくて、自分の輪郭がつかめなくなっていく感じがした。

戻りたい気持ちはあるのに、心も身体も追いついていないんだということを実感した。悔しかった。堂々とできない自分が情けなかった。声をかけられないことに安心する自分が恥ずかしかった。自分を大事にできなかったことで招いた現状が情けなくて、悔しくて、恥ずかしくて、仕事を休んでから一番泣いた。焦ってはいけないのかもしれない。でも、焦ってしまいそうになる。

休んでから、色んなことがあった。
仕事のことだけじゃなくて、自分の人生とか、家族とか、愛情とか、本当に色んな事がわからなくなった。
自分の存在意義を見失い続けていた。
裏切りと呼んではいけないのかもしれないけど、これまでの人生を踏みにじられたような気がすることが起こって、それでも続いていく人生に嫌気がさしていた。
一番身近な愛を受け取れなかった自分に、誰かを愛したり愛されたり大事に思ったり大事に思われたりすることはできないと思った。

スタートラインは他人からの愛で自分を満たさないこと。
自分のことは、自分が一番愛してあげないといけない。
できない自分も、自分として受け止めて認めてあげること。
人生マルっと見通して、全部を愛してあげること。
できない自分ごと愛するということ。

頑張れない自分も、頑張りすぎる自分も、全部まとめて愛してあげられるようになるまで、休んでみようかと思う。


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