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『助けて』が言えた日

今日、はじめて自分から助けを求めることができました。

これまでも些細なことで助けを求めることはありました。
あるいはどうしようもない状況になってから後出しで助けを求めたことはありました。

でも、今日ははじめて、これから起こり得る恐怖に対して、『助けて』を言うことができました。

正確にどんな言葉を使ったのかは、つい数時間前のことなのに思い出せません。
ただ、今の自分には1人ではどうしようもできない不安があること、それを怖いと思っていること、頼れる場所や人が欲しいこと。
その意思表示を自分から明確にすることができました。

相手からすれば些細な言葉だったかもしれません。
当たり前すぎて気に留めることもなく流れていった言葉だったかもしれません。

それでも、私ははじめて、自分から明確に助けを求めることができました。

受け取った相手が助けてくれるかどうかは分かりません。
すごく良い人たちなので、蔑ろにされることはないと信じています。
でも、その人たちにもそれぞれの事情があるから、助けて欲しいときに助けてもらえない可能性があることをよくわかっています。
だから、実際に助けてもらえるかどうかを私は重要視していません。

ただ、自分が、自分の決意で『助けて』のサインを明確に出すことができただけで、私自身が助けられたと思っています。
“そのとき”がもしもきてしまったときに、『助けて』を言えた自分自身が、“そのとき”から私を救ってくれるのではないかと思います。

一番大事なのは“そのとき”を作らないことです。
でも、その自信を持てるほどの強さを見つけられない私にとって、『助けて』を言えたことは“そのとき”を作らないことの次くらいに大事なことだと思っています。

日本人は言霊を信じて大切にする文化があります。
今日、『助けて』が言えたから、
これからはもう大丈夫だと、私が私を信じてあげることにします。
『助けて』と言われた相手への尊敬を忘れないことと
『助けて』が言えた自分への賞賛を忘れないことで
私はもう大丈夫です。大丈夫になれます。

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