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糖尿病の茶トラさんのお話


こんにちは。

土日に入るので、少し書き溜めをしております(笑)

今回は、先住の猫ちゃんとの糖尿病生活についてお話したいと思います。

※暗いお話になるので注意してください


1. 出会いは突然


出掛けた先の温泉の茂みに野良猫の親子がいたんです。可愛いな~と思って見ていると、ふと目にした茶トラ柄の子。他の子と顔立ちも違うし、柄も全然違います。それに、その子は親・その他の子猫たちに苛められて、ボロボロになって痩せ細っていました。これじゃあ衰弱してしまう、と思い、家族と相談して保護する事にしました。

始めはノミやダニ、寄生虫との闘いで、虫下しを飲ませても減らない食欲に、去勢も加わり、文字通りデブデブになりました。マックスで8㎏程あったと思います。

しかしそれ以外は健康そのもので、甘えん坊で、人一倍臆病で、人見知りが凄かった茶トラさんは、来客の度に端っこに隠れて顔をチラリとも見せませんでした(笑)それでも家族には甘えん坊なんですね。元から飼っていた先住のサバトラさんがいるのですが、お姉ちゃんお姉ちゃんといわんばかりに、その子にも甘えていました。


2. 糖尿病と診断されて


おしっこの量が多くなったり、水を飲む量が著しく増えていたので、気になって病院に行った所、糖尿病と診断されました。

人間が糖尿病になるという話はよく聞きますが、猫も糖尿病になるんだ、とびっくりしたのを覚えています。丁度その時茶トラさんは12歳くらいでした。


それから毎朝決まった時間にインシュリン注射を打つ日々が始まりました。

茶トラさんは我慢強く、おりこうさんだったので、時間になるといつも机の上に座って、注射を待っていました。毎日毎日、欠かさず来てくれました。たまに寝坊して来るのが遅くなったりした日もありましたが(笑)


糖尿病は治りません。インシュリン注射で補助をしてあげて、低血糖にならないように食事管理をしてあげなければいけません。茶トラさんはよく食べる子だったので、食べたいときに食べられるようにしてあげていました。

一度食べた分だけ勝手に出てくる半自動の餌出し機を買ってみたのですが、次男のハチワレが全部手で出して床に散乱していたので、もう絶対使わない…と心に誓いました(笑)悪ガキめ…。


3. 体調の変化


糖尿病と診断されてから、2週間に1回、病院で血液検査をしてもらっていました。「いやよ~」と鳴きながらも、病院に来て頑張って診察を受けていました。たまに端っこに隠れて岩のように固まって「出てこない!」となった日もありました(笑)

何となく茶トラさんの中で体内時計があるんでしょうね、病院の日が近付くと私達の一挙一動に目を光らせるんです。寝てるフリをして、目だけはこちらを見ている。繊細な動物なんだろうな…(元ネタ分かる方は握手させて下さい)


糖尿病と診断されて、だんだんと痩せていきました。8㎏あったのが、3㎏台にまで痩せてしまいました。その頃からだんだん寝る時間も増えていきました。

そしてある日。ごはんを食べて部屋に戻ろうとした茶トラさんが、突然私の隣でばたりと倒れてしまいました。硬直して、茶トラさん自身も何が起こっているのか分からない状況でした。慌てて家族を呼んで、茶トラさんを毛布でくるんで、あたためていました。暫くすると動けるようになったのですが、嫌な予感がしたので、次の日病院に連れていきました。


歯が抜けたりとしていたので、心配は日々たくさんあったのですが、何ともありませんように…と願っていました。

その病院の日、先生は血液検査の結果を見て、今日が山だと仰いました。

突然の事で全く頭がついてきませんでした。昨日、ごはんを食べる前まで甘えて、たまに遊んだりしていたのに、今日が山って、どういう事だろう、と。

先生は白血球数の数値を敢えてエラーにして見せられませんでしたが、おそらく物凄い数値になっていたんだと思います。先生は私達がそれを見て絶望しないように、配慮してくださったんだと思います。


それから帰宅。

猫って亡くなる前は隠れたがったり、自分のいたい場所に行きたがるんですよね。茶トラさんもそうでした。好きだった場所、いつもいた場所、椅子の下に隠れたりもしました。みるみるうちに痩せていき、ごはんも食べられず、水も飲めない状況でした。

ずっと泣いている母、心配そうにそばにいる父。私は諦めたくなくて、明日も病院に行こう、点滴してもらいに行こう、と茶トラさんに話かけていました。

茶トラさんは寝たがっていたので、こたつに寝そべらせて、温かくしてあげました。


朝、起きると、茶トラさんはそこから一歩も動けず、ぐったりとしていました。父は心配しながら、でも仕事には行かなきゃいけないから、と後ろ髪を引かれる思いで出勤したと言います。

母は泣きながら首を横に振っていました。多分、もうお別れが近いんだろうと私も悟りました。


すると、突然茶トラさんが大きな声で鳴きました。誰かを呼んでいるようでした。

私と母は何度も茶トラさんの名前を呼んで、撫でてあげていました。眼も見えなくなっていたのか分かりませんが、少しでも安心出来るように、と声をずっと掛けていました。

だんだん息が細くなっていき、ぐぅ、ぐぅ、と息が詰まっていき、そして茶トラさんは息を引き取りました。


程無くして、父から電話がかかってきました。茶トラさんは大丈夫?という電話でしたが、今息を引き取ったよ、と母が伝えると、父は「何故か知らないけどさっきからずっと涙が止まらなくて」と言っていました。

きっと茶トラさんが大きな声で鳴いていたのは、父を呼んでいたのでしょう。


それから暫くして姉が来て、茶トラさんが亡くなり大変号泣していました。私も母も号泣していて、父もすぐに帰宅してきてくれました。「涙が止まらなくて、猫が亡くなった事を会社に伝えたら、今日は帰っていいと言われた」との事でした。

その日、段ボールに茶トラさんを寝かせました。大好きだったベッド、大好きだったおもちゃ、おやつ、ごはんをたくさん入れて、寒くないようにしてあげました。天国でも寒い思いをしたら可哀想ですから。

それに、天国にはおじいちゃんも、おばあちゃんも、前に飼っていたチンチラちゃんも待っているから、全然寂しくないよと声を掛けてあげました。

享年17歳でした。


4. 亡くなったペットにしてあげられた事


そのペット霊園の方は大変優しい方で、すごく優しく丁寧に対応してくださいました。

火葬前に、毛を保存して御守にしてもらったり、肉球のスタンプを作ってスタンドを作って頂いたりもしました。お葬式も大変丁寧にしてくださいました。おもちゃやベッドも残さず飾ってくださり、最期の挨拶の時も「大変愛されて過ごされて、茶トラさんもきっと幸せな人生だったと思います」と仰って下さいました。

お骨拾いも大変丁寧にしてくださいました。頭からひとつひとつしていったのですが、茶トラさんは大変骨格が大きく、中型犬くらいの大きさで骨壺が通常より大きめのものにしました、と仰られた時は少し和みました。


それからお骨と一緒に帰宅して、先住のサバトラさんとハチワレに見せてあげました。火葬前、おうちを出る前に茶トラさんがお兄ちゃんのように大好きだったハチワレに見せてあげると、すごく寂しそうな顔をしていたのを覚えています。

それでもお骨としてうちに帰ってきたんだよ、とハチワレに言うと、安心したように、ずっと骨壺のそばにいてくれていました。

動物って言葉は交わさなくても、不思議なつながりがあるんだなと思いました。


5. もうすぐ1年忌


さて、茶トラさんが亡くなったのは去年の11月6日です。もうすぐ一年忌なんですね。そういうわけでこうして記事にしてみました。

書きながら思い出して号泣してしまいましたが(笑)


お葬式の後の日、父の会社の方が茶トラさんの為に、豪華なお花を買って渡してくださいました。本当にありがたかったです。


猫ちゃんやわんちゃんと一緒に過ごしていると、やはりお別れというのは避けて通れない部分だと思います。ペットロス、という気持ちは、きっとこんな感じなんだろうな、と1か月くらいは泣いていました。でも泣いてばかりじゃ心配をかけてしまうし、少しは前向きになって送りだしてあげないとと母と話していましたが、やはり今でも思い出話になると、泣いてしまいます。


今年お引越しをしたので、お庭に金木犀を植えて、そこに還してあげようかという話をしていたのですが、それもまだ踏ん切りがつかないのが正直な話です。

それでもいつかきちんとしてあげたいなという気持ちはあります。


ペットを大事にする気持ちは言葉は通じなくても、心で通じる所があると思います。皆さんのペットにもきっと愛は伝わっていると思います。

毎日毎日を大切に思い出を作っていきたいな、と改めて思いました。


ちなみに先住のサバトラさんは今年で19歳、ハチワレは7歳。

今年の9月に保護した子猫ちゃんは3か月です。

長生きして欲しいですね。


皆さんのペットたちも長生き出来ますように。

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