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【小説】弥勒奇譚 第五話

加波多寺に着くころには陽は西に傾き生駒の山並みが夕焼けに赤く染まっていた。
普賢寺に比べるとこぢんまりとしている。訪れる人も多くは無さそうで静まりかえっていた。一夜の宿と本尊の拝観を請うと小さな庫裏に通された。
本尊は明朝の勤めに出てから拝観されるようにとの事で、その日は夕食を済ませて早めに床についた。寒さでなかなか寝付かれなかったが旅の疲れも手伝って眠りにおちた。翌朝末席で勤めに加わった後本尊に向かった。
丈六の銅で鋳造された釈迦如来坐像は狭い本堂の中で屋根裏に届きそうなくらい窮屈そうに奉られていた。以前拝観した薬師寺の薬師如来像は良く似ているがもっと洗練された感じであった。
釈迦如来の威厳があり厳しい表情の中にも静寂な湖の景色を彷彿とさせるお顔は、弥勒にとってこれから造像にあたる薬師如来により近いものを感じるのだった。許しを請い釈迦如来のお姿を描き写し正面や左右から十数枚も写したところでもう昼近くになっていた。
急ぎ加波多寺を辞して平城京へ向かう。

平城京へは朱雀門から入ったが以前来た時より人通りも少なく、
寒気も手伝い何となく寂れたように感じる。左手に遠く見える大仏殿の大屋根はさすがに変わらぬ威容を誇っているが、行きかう人々は何となく生気に欠け野犬が跋扈し街全躯が荒んだ様子である。
西大寺の五重塔を右手にみて薬師寺へ向かう。薬師寺は以前訪れたことはあったがもう一度本尊の薬師如来を拝観しておこうと思ったからだ。南側の中門を通り美しい東西の三重塔を左右に見て本堂に向かう。
久しぶりに会った薬師三尊はやはり素晴らしい仏だった。
加波多寺の釈迦如来像を拝観した後では、人間が造ったとはとても思えないほど洗練され、その上なぜか万人を包み込む優しさを合わせ持つその美しさは際立っていた。
しかし弥勒にとってはその洗練された美しさがかえって近づき難いものを感じさせた。わざわざ足を運んでは来たものの、この薬師三尊は技術的にも感覚的にも弥勒が抱いている今回の仕事の構想とは掛け離れたものであることを痛感させられただけであった。翌朝、薬師寺を出立しそのまま山の辺の道を
南に向かう事とした。
数日間平城京に滞在する予定にしていたが先を急ぐ気になった。
と言うのも弥勒には珍しく早く仕事に取り掛かりたい焦りにも似た感覚が湧きあがってくるのであった。
この二日間仏像や仕事の事で頭の中は一杯だったが不思議なことに夢は見なかった。
街道沿いに並ぶ山茶花のほのかな香りに旅の疲れを癒されつつ山の辺の道を下る。三輪山の姿が大きくなってきた頃には陽は西に傾きつつあった。今日の目的地である大御輪寺に着いた時分には辺りは薄暗くなっていた。もう日も暮れかかっていると言うのに門前は多くの人で賑わっていて平城京よりもむしろ活気があった。
それより驚かされたのは大御輪寺の壮大さであった。
寺と言うよりは一つの街と言った方が良いのではないかと思われるほどの広大な境内に、おびただしい数の堂宇が立ち並んでいた。もっとも大御輪寺は大神神社の神宮寺なので人も堂宇もほとんどが大神神社に関係しているのであるが。
その日は三輪で宿を取り翌朝大御輪寺を訪ねる事とした。

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