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オリオン……!(野尻抱影「節分」)

 今日は、ある詩集賞の選考に出席するために出かけた。七年前にもこの詩集賞の選考に関わった。その選考の日、駅からすぐの八幡宮にお参りしたことを思い出した。
 今日も集合場所に向かう前にお参りしていこうかな……と軽い気持ちで境内を見あげると、予想以上の人混み。節分だから?……と気づき、参拝の順番を待っていたら遅刻してしまうので、引き返した。

 お参りはできなかったけれど、出店の並ぶ狭い参道を通り抜けただけで、気持ちが少し華やいだ。親しい人と話しながら、やや上気した顔で階段を上ってくる人たちとすれ違い、綿あめや林檎あめなどの甘い匂いを嗅ぐと、幼い頃から親しんできた筑波山神社の元旦の賑わいを思い出す。

 小さい頃は、頰が赤らむほどに寒い日に、出店の甘い匂いを嗅ぎながら拝殿までの階段を上がるだけでも嬉しかった。境内のお焚き上げの炎に手をかざし、火の熱ごしに梅の木や通りすぎる人たちの顔を眺めるのも好きだった。

 第一詩集『水版画』に入れた「焚く」という詩にも書いたけれど、
「熱にはじかれたあとの目に
あかの他人の肌は
なんてやわらかに
たやすく染みとおってくるのだろう」。
 
 そんな光景を思い出しながら選考会場へ。そして一回目の選考も無事に終わり、そのあとの食事会には参加せず、また電車に乗った。
 その帰り道に、あるエッセイを思い出していた。星空への、とくに「オリオン」への愛情が深く込められた文章を多く残した随筆家で英文学者の野尻抱影が書いた一篇のことを。

 毎年変わらずに、同じようにめぐる星空なのに、抱影は想い人に初めて会ったかのように、星たちに「君」という人称で愛しげに、ときには興奮した声で呼びかける。
 たとえば南アルプスに登り、樵夫(きこり)小屋に宿泊した一夜のこと。彼はひとり、小屋から離れ、河原づたいに沢へと下りて行き、「月の光の中へ突き出ている大岩に登って、仰向けに寝た」。
 そのうちにふと、月の光にもまぎれず、谷の空に青白い星が一つ、つつましやかにきらめいているのが目に入る。

 その星について彼はこう記している。織女はこと座のベガのこと。

何の星だろうと見つめている間に、織女だと判った。その瞬間、思わず、「君、そこに来ていたのか」と、声をかけたいほど懐しかった。東京の庭でいつも夕涼みに見ていた星が、この遠い南アルプスの谷まで、いつの間にかこっそり尾(つ)いて来ていたような気持ちがしたからだった。

野尻抱影「駒鳥の谷」

 
 抱影は、自分や世界が変わったあとも変わらずに、自分の墓の上の空で何百年、何千年もめぐりつづける星々の姿を想像することを「悠久な喜び」と記している。しかし同時に、毎年現れることを当たり前のこととしては見ていない。もう何十年も毎年眺めているはずの星の姿を空に見つけるたびに、「オリオン! オリオン!」と叫んでしまうくらい、一期一会の新鮮な体験としてどの夜のことも受け止めている。

 日々くり返されることをこんなふうに新鮮に捉えつづけられたら、毎日はより楽しいだろうな……と、わたしも想像してみる。
 くり返しのなかに新鮮さを見出せるくらい、くり返すこと。くり返し眺めること。
 眺める対象を頻繁に変え、表面的な新しさから新しさへと移る目には決して映らない星々が、そうした「悠久な喜び」の時空には現れているのかもしれない。

 今日、帰りの電車のなかで思い出したのは、そんな野尻抱影の「節分」という短いエッセイのこと。ここには、十代の頃に亡くなった、彼の長女のことが書かれている。

 抱影はある節分の晩に、二十数年前のやはり同じような節分の夜のことを思い出す。すでに遠い二月の夜に、庭の老木の暗い下陰から、当時十二、三歳だった長女がセルロイドの鬼の面をかぶって、弟妹が縁側で豆をまいているところへ、「鬼だぞゥ!」といって現れたことを。その時、抱影自身も「ぎょっとしたのでひどく𠮟りつけ、娘は面を取ってしおれていた」という。
 一篇はこう続く。

それから三、四年してこの娘は亡くなったのだが、今暗がりを見つめていると、小さい娘が何だか、そこに立っているような気がした。そして、亡くなったのは、そこへ隠れたので、節分の夜には出てくるのかも知れないと、いつの間にか空想している自分に心づいて、驚いた。

野尻抱影「節分」

 この数行を読んでから、わたしも「節分の夜」に、鬼の面をかぶった子が隠れていた暗がりをふと思うことがある。遠い豆まきの晩に、「星の文人」と呼ばれた人の目にだけ映ることができた、星のように小さな人影を想像しながら。
 
 
 




 
 
 
 

 
 
→次のメモ:雪、詩、白の譜(糸井茂莉『ノート/夜、波のように』)