峯澤典子 Noriko Minesawa

詩集に『微熱期』(思潮社/歴程賞)、『ひかりの途上で』(七月堂/H氏賞)、『あのとき冬…

峯澤典子 Noriko Minesawa

詩集に『微熱期』(思潮社/歴程賞)、『ひかりの途上で』(七月堂/H氏賞)、『あのとき冬の子どもたち』(同)等。詩集や連絡先などについてはnote内「プロフィール」の記事をご覧ください。 旧ブログ(過去の記録):https://uncahier.blogspot.com/

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  • 読むこと、書くこと。【日々のメモ 2024】

    その日ふと思ったことや好きなもの。 読んだ本の数行などを写す「メモ帳」として。 いつも持ち歩いているノートのかわりに。 ひとつの微風くらいの気軽さで記録。

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    noteに載せた詩作品をまとめて。

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    日々読んだ詩集や、好きな詩についての書評・感想など。

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    詩や詩作の周辺や日々思うこと。大切なものたちをめぐるエッセイとして。不定期更新中。

最近の記事

詩誌「アンリエット」。完成の前に

 最近、「『アンリエット』を楽しみにしています」「もうすぐ完成ですね」と数人の方から言われた。  わたしがいま詩誌を制作していることをご存じなのはありがたく、別件でやりとりしながらも、そのことをメールにわざわざお書きくださるのは温かい……と嬉しかった。  詩誌「アンリエット」は、以前noteの記事にも書いたが、髙塚謙太郎さんとの二人誌だ。  昨年制作した個人誌「hiver」では、わたしもゲストも、執筆する詩篇の数や長さは自由に好きなだけ、とした。  この「アンリエット」にお

    • 深夜の静かな声(小川国夫「建物の石」)

       毎年、春先から繁忙期に入る勤務先の仕事はいったん夏には落ち着く。だから今月と来月は他の季節よりも有休をとりやすい。明日も休みをもらったので、少し夜更しして映画を一本観たあとに、たまに読む小川国夫のエッセイ集を開いた。  先週たまたま本棚を整理中に手にとったこの作家の『逸民』を再読したらやはり面白かった。  読後の走り書きのメモを見ると、こんなふうに書いていた。 「どこか既視感のある筋を追うというよりも、瞬発的なある種の衝動や迷いや熱狂の発火点を掬いつつ、けれどそれらを客観

      • [詩] あかつきやみ

        黴臭く重い半纏にくるまれてはいるものの、北風が木戸をゆらす明けがたには頰の冷たさにふと目覚めることがあった。すると、二階のすみのほうから咳が聞こえてくる。それはいつもすぐには止まらず、ときおり風のするどい悲鳴にもかさなり、ぼくは怖くなって泣きだしてしまう。泣き声が高まれば誰かがとんとんと階段をかけあがる音がし、二階はしずかになる。 入ることを禁じられた奥の部屋にもう長いこと臥せっているのが母というものだと知ったのは、ぼくがようやく、しゅ、べに、あか、ひ、だいだい、き、しろ…

        • ここにはない雨音について(西脇順三郎「雨」)

           真夏の連休は山のふもとにある家で、本をひらいたり、料理をしたり、眠ったりし、あとはときどき降る雨の音を聞いていた。  東京都内で強い雨がつづくと、すぐに電車の状況を調べたり、さまざまな場所で働く知人たちのことを思ったりと。純粋に雨粒を眺めたり、その音を聞く余裕もなく、雨が暮らしにもたらす影響へと、心はせわしなく向かう。  しかしふだんの暮らしから少し離れた場所で過ごす数日のうちに。雨音を聞くことができた。聞きながら、留守番の家のなかでひとり、降りつづく雨を聞くのが昔から好

        詩誌「アンリエット」。完成の前に

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        記事

          ある読書会にて。『あのとき冬の子どもたち』を

           ゆずりはすみれさんによる 「ひとり ひとり に 出会う ~はじめて詩集を読む会」 (静岡市鷹匠町のヒバリブックスにて開催)。  その第三回の会で。  わたしの三冊めの詩集、 『あのとき冬の子どもたち』を取り上げていただきました。  丁寧にお読みいただき、大変ありがたく思っております。  その会についての、詳しいご感想の記事もあり、嬉しく拝読しました(参加された大村浩一様の記事)。  一冊のなかの時間の流れや展開、余白、リズムのずらし方、レイアウトについてなど。みなさ

          ある読書会にて。『あのとき冬の子どもたち』を

          夏。さまざまな白とともに。

           夏休みの日記のようなメモとして。  秋刊行の詩誌に載せる詩を書き終えてから、それらの作品と、これから書いてみたいことの間にあるものが何なのか、いろんな小説や詩を読みながら少し考えていた。  たとえば、白と呼ばれる色彩があるとして。  わたしがよく眺めている、鏑木清方の「朝涼」という絵には、ひらき切るまえの蓮の花の近くに、編んだ長い髪に左右の手で触れながら(何かをひたすら思うように)、おそらくゆっくりと歩く少女がいて。  まっすぐに前を向く横顔の、唇と耳のほのかな明るみに

          夏。さまざまな白とともに。

          ともにめぐる星のような距離の人、本。(真名井大介『生きとし生けるあなたに』)

           わたしの親しい人たちは、賑やかな街を照らしつづける明るい灯というよりも。たとえば冬の帰り道に、かじかむ指に息を吹きかけながらふと空を見あげたときに。こちらの帰りを待っていたかのように、一日の終わりや季節の始まりを教えてくれる小さな星に似ている。  遠い場所で。彼らが彼ららしく一日や季節をめぐり、何かを感じ、眠り、また目覚める。そう思うだけで、こちらの暗がりの一部が明るむ。そんな交わりの星たち。  誰かと親しくなる。それはどういうことだろう。それはどんな悩みでも告白し、もた

          ともにめぐる星のような距離の人、本。(真名井大介『生きとし生けるあなたに』)

          十年前の夏の休暇と、隣にいた彼女のこと。

           秋刊行予定の詩誌の原稿も書き終えたので、好きな本を読んだり、映画を観たり、気持ちだけは先に夏の休暇のなかにいる。  数年前までの夏には、よく野外ライブに出かけた。そのときもよく聴いていた曲を室内や車内で流しながら、あの野外の風や空の広がりをふと思い出す。  木蔭とステージ前を自由に行き来しつつ、氷をたくさん入れたハイボールやサイダーなどを飲み、少しずつ暮れてゆく空の青とともに移ろう音楽を全身で味わっていたときの、素直な嬉しさを。  あのとき、雨あがりのステージでドラムを叩

          十年前の夏の休暇と、隣にいた彼女のこと。

          はじめての個人誌制作について。外を眺めるよりも、満ちること。

           夏休み。若い人たちと話をする機会があり、自分の10代の頃を思い出していた。それで、少しその頃のことを書いてみたいと思う。 (定期的にわたしのnoteを訪ねてくださる方や、ご縁のある方にお読みいただけたらと思うので、Xでは無理に告知せずに……) ・・・・・・・・・・・・・  たとえば、どこかの詩誌や雑誌のために詩や書評などの文章を書くときは、編集者が最初の読者になってくれる。それが無事に掲載されれば、見知らぬ人たちも読んでくれるかもしれない。  発表する以上、それが誰かに

          はじめての個人誌制作について。外を眺めるよりも、満ちること。

          2024年秋。詩誌「アンリエット」を刊行します!

           今年の秋。  詩誌「アンリエット」(Henriette)を刊行します。 ◆メンバー:  髙塚謙太郎さんと、峯澤典子。二人誌です。 ◆内容:  第1号は、それぞれの新作詩(複数)のほか、髙塚さんの2本の論考を掲載予定。  髙塚さんの論考。一つは、ある書き手の詩について書かれたもの。もう一つは、ある一冊の詩集について。わたし自身、自分の詩作にとっても、よい刺激と発見をいただきながら、とても興味深く拝読しました。  引用された作品や、それらについて丁寧に繊細に記された言葉自

          2024年秋。詩誌「アンリエット」を刊行します!

          7/13~8/4。七月堂古書部にて開催。「夏の詩」の展示に参加します。

          7月13日(土)~8月4日(木)。 東京・豪徳寺にある七月堂古書部さんにて。 髙塚謙太郎さんと峯澤典子の「夏の詩」が展示されます。 店内に展示されるのは、書下ろしの詩一篇と、過去に書いた「夏の詩」。 過去の詩は、髙塚さんは四篇。わたしは三篇です。 わたしは、現在ではあまり出回っていない第一詩集『水版画』から、すべて選びました。 「空蟬」「水しるべ」「出発点」の三篇です。 各篇に書かれる情景や、それぞれに込めたものは違いますが、おそらく「雨の気配」がどの詩にも漂っていて、そ

          7/13~8/4。七月堂古書部にて開催。「夏の詩」の展示に参加します。

          約束という儚さ。(雨月物語「菊花の約」)

           雨続きだから、というわけでもなく。自分の心のなかや、周囲が少し騒がしく感じられるとき。清涼剤を求めるように開く一篇がある。  上田秋成『雨月物語』の「菊花の約(ちぎり)」。  『雨月物語』は好きな話の集まりで、原文を少しずつ読む楽しさもあれば、石川淳による『新釈雨月物語』を傍らに原文との一行一行の差異の膨らみを辿る喜びもある(石川淳の、流麗かつ息の弾みと芯のあるこの「訳」はもう一つの作品として愛している)。  溝口健二の映画『雨月物語』も大学生の頃、映画好きの友人とよく

          約束という儚さ。(雨月物語「菊花の約」)

          詩集から離れる花びら

           四冊の詩集を編んできて。  いくつかの媒体に書いたものの詩集には入れないまま、という作品もそれなりにある、と気づく。  それらは、一冊の詩集の方向性や書き方に合わなかったためか、類似した他の作品があったため、あるいは、習作レベルだったために採用しなかったもの。  それでも見直すと、それなりに自分の気質が濃く表れていたり、親しみを感じる作品も少しはある。  たとえば、このnoteにも収めた「ペルピニャン発」という作品。  この作品をきっかけにわたしの詩集をご購入くださった方

          詩集から離れる花びら

          距離という涼しい波間(鏑木清方「胡瓜」)

           五月。若草、萌黄、柳色……と、まだ吐息のように薄い新緑の色の重なりを見あげたくて、駅から少し遠回りして、夕刻の公園を抜けてゆく。日暮れが近づけば、木漏れ日はいっそう柔らかい。  いたいけ、と呼びたくなるほどの淡い緑のなかに立つと、それでも今日はすでに夏の気温だったからか、蚊が数匹、いつのまにか寄ってきていた。  手で払いながら、急ぎ足で歩く。公園を抜けると、彼らの姿はなかった。緑の道を引き返したらしい。  距離を取ることで、何かから身を守る。  以前、ペルーのチチカカ湖

          距離という涼しい波間(鏑木清方「胡瓜」)

          あなたという月の光のために(吉田健一「大阪の夜」)

           細かく区切られた時間の抽斗に「やるべきこと」のひとまずの完成形を入れておく。次から次へと進まねばならない道のりの単調さにときどき疲れ、ついぼおっとしているうちに、まだ何も入っていない抽斗があることや中身の不具合を人から指摘されることもある。  一時間ごとの、ときには数分ごとの仕切りから仕切りへと渡るように、たいていの一日は淡々と、生真面目に過ぎてゆく。  駅からの帰り道。重い鞄を肩にかけなおし、そのしぐさの延長でなにげなく空を仰ぐ。雲のない夜空に月がもう昇っている。  歩

          あなたという月の光のために(吉田健一「大阪の夜」)

          ひとり旅にはない地図(新しい詩誌のこと)

           以前、このnoteにも書いた。今年は個人誌を作ろうかな、と。  この2年くらいの間に書いた詩に、新作を合わせて小詩集にしてもいいかも……とも考えた。  その本の完成までの経路も想像できた。  ある一つの停車駅を目指して、わたしは小さなコンパートメントにひとりで座っている。長時間の移動にもかかわらず、乗車する人もあまりなく、知り合いに会うこともない。  自分の内側の言葉の振動だけを感じる静けさのなか、窓の外を眺めれば、ひと気のない広場や小さな川や丘、家々の壁や教会の塔など、

          ひとり旅にはない地図(新しい詩誌のこと)