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見下ろす感覚で俯瞰を取り戻す

手元や足元ばかりをみて生活していると、空を見上げるだけでも気分や視点の変化を取り入れることができる。
それでもたまには高いところから周囲を見ることは、また自分や周囲のちっぽけさを感覚として取り込み、日常のあれこれが些末なことにリフレーミングされて、「たいしたことない」や「なんとかなる」という希望が生まれることもできる。

山の中で山々をみる。
山の途中や頂上などで、ふもとの街をみる。
透明度の高い海で、水深何十メートルかの海底までもみる。
フライト中の飛行機から、地上をみる。
高層ビルや展望フロアから、地上をみる。

ちょうど視座が上がったり、視野がひろがるのに似ている。

でも、PCやスマホ・タブレットの画面でGoogleEarthやmapをsatelliteモードでみるのとは、同じなようで、そこにはやっぱり何か「違い」がある。
映画やTVで映るビジュアル(写真・動画)とも違う。
ライブ中継画像とも違う。

対象と私の間にひろがる空間(空気)感や重力感。
雲や風・車といった無生物なものも含めた躍動感。
今ここという「現場」に存在する臨場感。
気や周波数のような情報を受け取る脳・無意識がいる。
いわゆる「ライブ感」のような違いが純然と横たわり、漂っている。

プロジェクトの状況もうまくいっているかそうでないかは、数字や文字に現れないことも多く、現場でただよう非言語の情報をキャッチして、解読することによって、隠された数字や文字を掘り起こすこともある。

チームやプロジェクトだけでなく、人間・自分自身に対しても常時モニターをONにして、俯瞰と詳細を自由自在に行き来する観察とフィードバック・改善/軌道修正は大事なことだ。
ある意味、生きているあいだはずっと、完璧や完成は永遠に通過点にすぎず、刻々変わる状況をマネジメントしていくのだろう。


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