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イラクでチャリ爆走してたらシーア派の高位ウラマーに謁見したりテレビ出演する事になった話④

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次の日の朝、起きて予定時刻に着けるようにホテルのロビーで待っていたが連れの兄貴はいっこうに起きてくる気配がない。そもそも日本人以外が時間ぴったしに行動するとは思わないしインシャアッラーだなぁと思いながら待った。チャイを飲みながらアラビア語を勉強しつつ時間を潰していたが1時間以上経過しても寝ているようなので起こしに行った。

色々手助けしてもらった立場で申し訳ないが結局予定より2時間遅れで出発することになった。この日は元々午前中に聖廟見て午後には古代バビロニア帝国の遺跡見ようと考えていたがこの時点でご破産となった。まぁシーア派の一大聖地の内部見れるし良しとしよう。

昨日と同じ道をイマーム・フセイン聖廟まで辿っていく。案の定朝ごはんのケバブとチャイ地獄のスタートである。ここで食べたケバブはかなり美味しかった。

腹を満たし満を辞して聖廟に辿り着き係員に話しかけると「今日はようこそお待ちしておりました。担当者がご案内しますので少々お待ちください。」とのこと。無線で連絡し5分ほど経つと上司らしき人が出てきた。そこでも歓待の言葉を頂いた。

昨日とは打って変わって対応が違う。どうやら聖廟全体に話が通ってるらしい。案内人の口が開く。「さて、それではこのモスクの最高管理責任者のところに行きましょうかね。」

「おん?????????」思わず変な声が出てしまった。いやはや確かに聖廟への入場許可取るのに上の確認必要なのは分かるけどさ。1番上まで行っちゃう???

僕の聞き間違えかと思ったが案内人はペラペラな英語を話している。宗教関係者で流暢な英語を話すのはこの国の中のエリートである。アラビア語で話しかけられた訳ではないのだ。(裏を返すと優秀な人が宗教関係者になってしまい学術分野に人材が行かない問題ともなっている。日本が最優秀層が金にならない科学分野から医学部に行くのとおんなじ構図である)

言葉通りに聖廟内に入ったかと思うとメインのモスクや礼拝の広間を素通りしてどんどん進んでいく。あ、これ本当に挨拶回りするやつだ。。。。

聖廟内に併設されている博物館を抜け柵を越え関係者以外立ち入り禁止区域へと進むと1番奥に割腹のよい、いかにもお偉いさんという方が座っていた。「この人がこのモスクの最高管理責任者です。」求められるがままに握手を交わす。カタコトのアラビア語を交えながら自己紹介していると徐々に実感が湧いてきた。

「ここイラクには何しにきたの?」「観光です。ここカルバラの聖廟もそうですし古代バビロニアの遺跡や人類誕生の地ウルの遺跡などを見にきました。」「素晴らしい、今日は遠路はるばるありがとう。日本人でこの聖廟に来たのは君が初めてだよ。」

「初めて???????」「うん初めてですね。悲しいことにそもそもこの国は長年の戦争で観光客が少ないし、たまに訪れる人も基本的にはイギリス人とかドイツ人とかヨーロッパの方ですね。そういうわけで本当に遠いところからこのイラクに来ていただきありがとう。」こちらは旅行してただけなのにお偉いさんにご挨拶までさせてもらって感謝するのはむしろこちらである。

「今日は中を見たり撮影したいとのことですが何も問題ありません。It's freeee!!!」いやはや待ってました「本当にありがとうございます。中に特別に入れて頂いたのだけでも光栄なのに撮影許可まで頂けるとは。」

二つの聖廟を幸運にも内部見学するチャンスを得て余韻に浸っていた。予定は狂ったがこれはいい狂い方である。旅人冥利に尽きる。

館内にある小さな博物館をまずぐるっと見回すと基本的に目につくのはオスマン帝国時代の甲冑やらアッバース朝時代の碑文である。その中で一際目を引くのはISIS戦において敵兵を殺すのに使ったスナイパーライフルである。この国ここ数十年の歴史の重みを実感した。

博物館からメインの聖廟内に入って案内されるままに見ていくが想像以上に巡礼者がいた。このコロナ禍である。陸路国境は基本的に封鎖されており往来の数は少ないはずである。

そしてメインのモスク内である。「人の少ない時間帯に来てほしいって昨日言われてこの時間帯に来たわけですがこれでも巡礼者って少ない方なんでしょうか?」「そうだね、‪コロナ直後に比べれば増えたけどコロナ前に比べたら少ないね。まぁでも長きにわたる戦争で巡礼者の数もバラバラだから普段はこんなもんかな。」

どこからの巡礼者が多いのか聞いてみるとやはり同じシーア派住民の多いイランらしい。街を歩いていると男女別に別れた巡礼者を乗せた観光バスを多々観測したのであれはどうやらイランかららしい。

聞くところによるとシーア派の最大記念日であるイマーム・フセインが殉教したアーシューラーにはイラン国境近くからここカルバラまでの沿道を巡礼者が埋め尽くすほど人が集まるとのこと。あれれ??イラン国境まで数百kmなかったっけ?ツレの兄貴曰くメッカ巡礼者と同じく彼らシーア派の巡礼者もひたすら歩いて移動するらしい。

兄貴は「実家からここカルバラまで90~100kmあるけど他の家族は数日かかったけど俺は1日で行ったぜ」と自慢そうに話していた。早稲田の100kmハイクかよ

まるで日本の四国お遍路さんみたいな話であった。正装して歩いて聖地までたどり着く人もいれば集団でバスに乗って来る者達もいる。ただ日本人と比べると明らかに信仰心の度合いが違った。

モスク内を歩いているとウラマーによる綺麗なフスハー(正則アラビア語)が聞こえて来る。実用的なアンミーヤに特化したせいでフスハーの意味をよく取れないのが口惜しい。

モスク内は若干イマーム・アッバース聖廟より大きいが対になってるだけあり割と似ていた。モスク内の中心部に聖廟が配置されているのだがイスラム教モスクなので男女別になっており建物全体が線対称になるように仕切りができているのがとても興味深い




色々と許可はもらったが聖廟内部に関してはここも入れなかった。サウジアラビアに行った時メッカ・メディナの街自体入れなかった。今回特別許可を得てモスク内立ち入りの許可がでたがここに関してはどうやらムスリムしか無理らしい。

高位ウラマーと謁見

二つの聖廟への特別入場や一連の出来事を経て満足しきった僕であったが帰り道で聖廟近くにある聖典が置いてある小さな本屋が目に止まった。案内してくれた彼にその旨を伝える。

彼はてっきりシーア派の歴史について勉強したいのかと思ったのかイマーム・アッバースやフセインの殉教やシーア派誕生の歴史等について書かれた本を薦めてきた。まぁそれでも聖地で買った本と言うだけでありがたいのは間違い無いんだけど.....と迷っているうちに彼はその本を買ってしまった。


昨日今日と至れり尽くせりで本まで買ってもらって申し訳なさの極みで恐縮しきりであったが僕としてはシーア派教徒が読んでるような教典が欲しい。彼の英語力ではあまり僕の願望を理解してくれてなかったので意を決して禁断の手段を講じた。

彼にサウジアラビアに行った時に買ったハディースの写真を見せこう言った本が欲しいと伝える。ハディースとはスンニ派におけるコーランに次ぐ聖典である。しかしシーア派信徒はそれを聖典とは認めていないのであまりよろしく無い。

サウジで買ったハディース、コーランと並ぶスンニ派の
聖典であるがシーア派では異端の書扱いである


写真を見せると店員の顔が曇った。しかし同伴者の彼が「彼は日本からわざわざ自転車で来たんだ、彼に教えてやってくれよ」と言ってくれた。優しい。そこで店員は少し待つように言うとどこかへ電話をかけ始めた。

15分ほど経過した後店員が付いてくるようにと手招きする。連れが通訳するとどうやらモスクの人が色々手解きしてくれる事になったらしい。あれれ聖典持ち帰ろうとしただけなのにまた大袈裟な話になってるぞ?


先ほど特別に入らせてもらった聖廟にもう一度入る。セキュリティーのおじさんが昨日から3回目のやりとりで笑ってる。「また来たか。今度はなんだい?まぁ入りな。」

そのまま本日2回目の聖廟入りを果たし案内人に従ってオフィスらしきところに連れて行かれた。彼は少し待っててねと言うと奥に消え、別のスタッフがチャイを振る舞ってくれた。

チャイを飲み終わる頃、身なりのいいこれまた見るからにお偉いさんが出てきた。ペラペラの英語で自己紹介されるとどうやらこの聖廟内の広報責任者らしい。イラク人ってそこまで英語通じない、なんなら識字率低いからGoogle翻訳のアラビア語を読めない人すらいるけど宗教関係者の能力高いなぁ〜と感動してしまった。

彼に経緯を一通り話すとハディースのところで顔を顰めるでもなく笑っていた。シーア派に興味あるんだよね。ではこちらで色々選ばせてもらいますね。そう言って吟味しながら本を何冊も積み上げていった。
以下先ほど買ってもらった本と選んでいただいたシーア派の聖典である

聖地カルバラで頂いたシーア派の聖典やら歴史の本





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