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イラクでチャリ爆走してたらシーア派の高位ウラマーに謁見したりテレビ出演する事になった話③

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待っている間に日は沈んだ。「上に聞いたら今回モスク内の立ち入り許可するって」やったああああああ。まさかのまさかの聖廟内立ち入り許可獲得である。コロナ以前にほとんど外国人観光客いない逆張り大成功である。微塵も内部見学できるとは思っていなかったので感謝しきりであった。受付の責任者の人に感謝の旨を伝えると「楽しんできてね」と微笑まれた。

意外とあっさり許可がおり、なんでも交渉してみるもんやなぁと思いながら「いや、これ俺1人できてたら絶対許可降りない。今日は本当にありがとうございました。」とお礼を言った。この時点でもうこの人が詐欺師だという疑いは消えていた。詐欺師にしては親切すぎる。もしこれでも詐欺の一環だとしたら喜んでお金払わさせて頂きます!!!

ウキウキしながらまた元の入口にいる警備員のところに戻ると無線で話が通っていたのかあっさりモスク内の入場を許される。キリスト教の教会と違ってモスクは結構入りづらいのだ。サウジアラビアみたいな国は勿論のこと、トルコみたいな世俗国家でも観光地化された場所以外に入ろうとすると拒否されることが非常に多い。それがまさかのシーア派の一大聖地への入場許可が出たのである。この時はこれから始まる幸運の連続の始まりだとは思いもしなかった。


モスク入口のアラビックタイル


モスクの入口を入る。眩いばかりのアラビックタイル。あゝ外務省の渡航中止勧告無視して強硬旅行した分の元は十二分にとれたなぁ。もう日本での人生破滅状態などどうでも良くなっていた。

聖廟内は荘厳過ぎて言葉を尽くすより写真で見た方が分かると思うので割愛したい。

聖廟内の撮影許可を得る為に交渉してた時の様子
聖廟内で挨拶回り

モスク内の博物館にはサダーム・フセイン時代に聖地が弾圧された時の負の遺産が残されていた(サダームフセインはスンニ派でありこのカルバラを含むシーア派は弾圧されていた。)

フセイン政権時代に弾圧された時に出来た銃痕
聖廟と戦車
砲弾が着弾し大きく損傷した屋根の一部

聖廟内を一通りぐるっと回ると連れの兄貴がこの聖廟の1番重要な場所観に行こうと行ってきた。そう、イマームアッバースの眠る霊廟部分である。

交渉に移ると流石にこの聖廟内部は非ムスリムの入場は認められないとのこと。「ただわざわざ来てもらって申し訳ないから本来禁止の撮影を外から許可します」

そもそもモスク内入れる事自体想定してなかったので万々歳である。何から何まで許可が降りるので楽しくなってきた。有り難く撮影させて頂く。

イマームアッバースの聖廟、本来撮影禁止なので現地人が撮影しようとすると緑の羽根でブロックされる
聖廟内部の写真

イマーム・フセイン聖廟へ


イマーム・フセイン聖廟のド派手なライトアップ


さて先程も述べた通りここカルバラの聖廟は2つある。つまりまだ前半戦がようやく終わったところである。イマーム・アッバース聖廟を無事見終えた僕らがモスクを出るとちょうど日が沈みライトアップがとても綺麗だった。

モスク間の道を裸足で歩いていくと日中の35℃で加熱された石畳が適度に熱を放ち足裏にはとても心地よかった。流石聖地だけあって巡礼者達は伝統的な正装をしていた。若い男性だとジーパンは履いているが後はラフな格好をしてて普通だなと思っていたら熱心にお祈りを始めて我々日本人とはだいぶ感覚が違った。

伝統的な衣装に身を包む巡礼者、若者は結構ラフな格好している


先程と同じように交渉を始めるとこっちの聖廟はかなり手強かった。6〜7人にたらい回しにされモスクの周囲を行ったり来たりする。最終的にウラマーっぽい人が気だるそうに「今日は礼拝の時間だし無理かな、明日の朝9時ぐらいの人が少ない時だったらギリギリ大丈夫」とのこと。この時点で交渉するだけに30〜40分費やしていた。


まぁ次の日入れるならいいやと思い、心地よい疲れと共に今日の奇跡の余韻に浸りながらホテルに帰った。


ホテルに帰ると恒例のチャイである。俺が熱がりながらチャイのショットグラス持つの躊躇ってると現地人は当たり前かのように飲んでいく。あー人間の適応能力ってすげえな、この瓶すごい熱いのに指先も舌先も熱さを感じてないやこいつら。必死でふーふー冷ましながら思った。
今日は友達くるから一緒にご飯食べようと連れの兄貴に言われた。

他の友人達を待ちながらチャイを飲んだりホテルのオーナーの子供達と戯れてた。イスラム教国家だと女性と話すのはご法度なのだが子供は問題ない。純粋無垢なる子供はいついかなる時も普遍的にかわいい。

子供たちとじゃれあってると続々と友人と思しき人たちとその家族が集まってきた。ある程度集まったところで夕飯の時間である。数十人の大規模会食になるなぁと思っていたが男女別々、子供は母親の近くに座ったので男どもの席は10人ほどとなった。やっぱ食事時でも男女別なんだ。


飯を食べながら話しているとその中の1人が言った「ヘロインとSEXはしたいか??」一瞬ひるみ変な空気が流れる。まずヘロイン。イラクの隣の隣のアフガニスタンは世界最大級の麻薬の生産地だ。隣国イランの麻薬中毒者は3〜8%とも言われている。そしてここイラクはヨーロッパとイラン・アフガニスタンの真ん中にある国だ。当然麻薬の密輸ルートがあるし薬物が出回っていてもおかしくない。

そしてSEXの誘い。これはゲイSEXを誘われているのか?もしくは売春を勧められてる?どちらにせよイスラーム法で死罪になりうる禁忌である。サウジアラビアでレイプされかけた記憶が蘇る。あ、これまた処女喪失からの死刑フラグ立ってる??

結局見かねた兄貴が「そんなに本気になるなwwこの人冗談言ってるだけだって」と笑った。僕自身ネタになるならいいやと覚悟はしていたがどうやらイラクブラックジョークだったらしく安心した。サウジでの一件を話すと一同大爆笑していた。どうやらお尻の貞操は守られたらしい。

厳格なイスラーム教国家だと親が決めた相手と結婚しなければならず部族社会というコミュニティの中で同性愛など言えるはずもなく異教徒なら何をしてもいいということで凶行に及ぶことが多々ある。レイプされた方が被害者側だとしても外国人という時点で裁判にかけられたら不利なこと間違いないので解決方法は”逃げる”ただ一つである。



そうこうしていると遅れて1人の男がやってきた。兄貴の友達の1人らしい。
こいつが曲者だった。イラク警察に勤めていたが非常にタチが悪い。ブラックジョークがどぎつく最初は何言ってるのか理解不能だったがどうやらずっとからかってるらしい。iphone 12 pro max持ってるし携行してる拳銃はグロックの最新モデルだ。いやどっからそのブツ手に入れてくんねん。

挙句の果てに勝負しよう!日本VSイラクだ!とか言って来たのでそれなら返り討ちにしたるわ!と引き受けたら速攻でグロックの銃口を向けて来た。本当にタチが悪くて引き金に指を当ててる。いや警察としてどうなのよお前、銃向けるジョークまでは許せてもトリガーに指置くのは銃扱う者としての風上にも置けないだろ。

ブチ切れながらも撃たれたらたまったもんじゃないので大人しく後ろを向き首の後ろに手をやる、そして地面に伏せた。あー麻薬カルテルが軍警察に制圧されてる時ってこんな感じだなぁ。。。
そいつは本当にクズだったので調子こいて背骨あたりに膝を当ててゴリゴリやってきた。あまりに頭にきたので思わず舌打ちしてしまった。

不機嫌になりながらもうそいつの言葉を一切無視する。そしたら飽きたのか今度はこのホテルのオーナーである兄貴と勝負しろと煽ってきた。
こっちの兄貴は本当にいい人だったし戸惑っていたがあっちもやりたそうだったので了承した。その前の雑談で対ISIS戦に従軍していた事とISISの民兵ぶっ殺した事があると聞いていた。ただ顔はすごい柔和で俺みたいなよくわからない東洋人泊めてくれるし背も僕より小柄で体重を軽そうなので正直舐めていた。 

Let's Go!!の掛け声で始まり1分ぐらい間合い取ったり駆け引きしてたらいつの間にか身体が持ち上がっていた。そこから抵抗していたがいつの間にかヘッドロック決められてた。いやマジかよ。俺が自分より小さくて格闘技経験ないやつに組み伏せられるのか。。。


ヘッドロックのかけ方は甘かったので降参せずに反撃のチャンス伺っていたが足捌きが上手く離脱できなかった。あーもう無理やなこれと思った所でレフェリーのストップがかかった。俺は負けた。
そういやこの人ISISの戦闘員3人殺したことあるって言ってたなぁ、あれ冗談やと思ってたけどどうやらガチっぽいわ……


格闘技経験ない素人に負けてガッカリしていたら「俺らは格闘技習ったことは無い、でも戦場で習ったんだ、自然とな」とニコニコしながら話てきた。人殺したことある奴は強いって本当だったんだ。

結局その晩はご飯を食べながらの雑談タイムとなり先ほどのようなブラックジョークが連発する。イスラーム諸国だと下ネタをどこまで許容されるかさっぱり掴めず様子を窺っていたが普通の下ネタを男性同士で話す分には特に問題ないらしい。

カルバラでの奇跡的な1日の余韻に浸りながら次の日の朝早く起きてもう一つの聖廟を見なければならないのでその日は早めにベッドに向かった。


続く④

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