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「一人ひとりに寄り添い、香川でしかできないことを模索する」讃岐GameN@香川【メンバー募集!全国Unityコミュニティ名鑑】

こんにちは、Unity Japanのコミュニティ・アドボケイトの田村幸一です。私は普段、Unityを広く世の中に伝える、広報的な役回りをしています。

2月からスタートした連載『メンバー募集!全国Unityコミュニティ名鑑』では、全国各地で活動する有志によるUnityユーザーのコミュニティを紹介しています。

ここ数年の新型コロナウイルス感染症の影響で、ユーザーが集まるオフラインイベントやコミュニティ間の交流が減ってしまいました。そんな中でも、新しくUnityを始める人にとって、学びを後押しするようなコミュニティと出会えるようにしたい、というのが連載の目的です。

第6回は、香川を拠点にUnity勉強会やゲームジャムなどを開催している「讃岐GameN」のコミュニティオーナー、渡辺 大さんにお話を伺いました!


渡辺 大さん
精神科医として働きつつ、ゲストハウスオーナーを営む。医師国家試験の合格を確信したとき、子どもの頃の夢であるゲームクリエイターを思い出し、東京のプログラミングスクールに参加。ゲームを作る仲間を香川でも集めたいと思い、4年前に「讃岐GameN」を設立した。

仲間がいるからこそ頑張れる、そこから始まった讃岐GameN

──はじめに、Unityと出会ったきっかけを教えてください。

子どもの頃からゲームクリエイターに憧れていたものの、両親に伝える勇気がなかったんです。次第にその夢は、心の奥底にしまってしまいました。

大学生のときに留学や途上国支援を経験して、医者になろうと決意しました。25歳で医学部医学科へ入り直して、医師国家試験の合格目前になったタイミングで、ふとゲームクリエイターへの憧れを思い出したんです。

当時は「どうしてゲームクリエイターの夢を諦めてしまったのか」と後悔しつつも、気づいたらオンラインのプログラミングスクールに申し込んでいました(笑)。それがUnityとの出会いです。

──そこから、なぜ讃岐GameNを設立したのでしょうか?

一番の理由はゲーム制作を共に頑張る仲間がほしかったからです。

オンラインのプログラミングスクールに通った後、医師国家試験に合格して就職するまで、1ヶ月の休みを使って東京のスクールに通いました。そこで、ゲームクリエイターを目指す同志と出会い、たくさんの刺激を受けました。

もともと私自身、一人で何でもできるタイプではないんです。医学科に入学するのも大変苦労しましたが、同じ目標を持つ仲間が塾にいたからこそ頑張れました。

ゲーム制作も同じだと思っています。仲間がいることで助けられ、課題が解決できます。なので、香川に戻ってから讃岐GameNを設立しました。

──何人が所属し、どういった活動をしていますか?

30人ほどが所属しています。そのなかでUnityを使っているのは25人くらいです。音楽家やイラストレーター、Blenderを得意とする人もいます。

讃岐GameNとしては、ゲーム制作はあくまで創作のある人生の入口にすぎないと考えています。参加者は最初にUnityを学んでもらいつつ、他に興味のあるものができたら、そちらを探求してもらっています。だからこそ、プログラマー以外にも、音楽家やイラストレーターなど、さまざまスキルをもった人がいるのだと思います。

定期的な活動としては、月に一度開催している「ゆるもく会」です。メンバーが集まり、各々で作業を進めて、最後に成果を発表します。オンラインでも参加できます。

大きなイベントでは、小学生から社会人まで幅広い年代がワンチームとなってゲームを制作する「最強ゲームジャム」を2020年に開催しました。

前回は小学生15人、それ以上の年代が20人参加。1チーム5名で、2日間かけてゲーム完成を目指しました。また、高松を拠点にスマートフォンゲームの配信・運営やコンシューマゲームの開発、AR・VRコンテンツの制作を手がける株式会社ジーンのスタッフも参加してくれました。

他にも、即席チームで48時間以内にゲームを作る世界規模の開発イベント「グローバルゲームジャム」に参加するため、中四国のユーザーコミュニティで協力して瀬戸内会場を設けています。現役のゲームクリエイターを招いた育成講座「駿馬とねっこKAGAWA」を丸亀市の善照寺で開催したり、「ゲーム創造ワークショップ」を専門学校で開催しました。

参加者が1人でも、場を開き続ける大切さ

──新型コロナウイルス感染症の影響で交流が難しいなか、コミュニティ活性化のために工夫したことはありますか?

アルコール消毒やマスクの着用、参加者上限の設定など感染対策を徹底しながら、オフラインでの勉強会を続けました。また、精神科医として働いているため、もっている医学の知識に加えて、コロナの特性や感染率などを徹底的に調べて開催を決断していました。そのためか、オフラインの勉強会に参加した人のなかには、「渡辺さんが医者だから安心して参加できた」という声もいただきました。

参加については個々人に判断してもらったのですが、Facebookグループへの投稿も控えて、無理は誘いませんでした。「祖母と暮らしていて参加はやめておく」という人もいましたから、継続的につながりをつくれるようにDiscordでコミュニケーションを続けることを心がけました。

コロナ禍での「ゆるもく会」の様子

──オフライン開催は、当時からすれば勇気のいる決断だったと思います。なぜ、注力したのでしょうか。

たとえ参加者が1人になってもいいので、場を開き続けることがコミュニティの継続につながると考えていたからです。ただし、強制的に参加を促すなどして怖い思いをさせないためにも、無理強いはしなかったです。

──コロナ禍はコミュニティにどのような影響を及ぼしましたか?

コロナ禍でもできる範囲で動き続けたからこそ、少しずつ繋がりができ、以前よりも学生と一緒に活動する機会が増えました。この記事の最後に告知をしているゲームの展示会「Sanuki X Game」​​も、コロナ禍で生まれて、多くの学生が参加してくれています。

──讃岐GameNの特徴を教えてください。

讃岐GameNでは、ゲーム制作はあくまで入口にすぎないと考えています。最初はUnityを学んでもらいつつ、他に興味があるものができたら、そちらを探求してもらっています。だから、讃岐GameNではプログラマー以外にも、音楽家やイラストレーターなどさまざまスキルをもった人がいるのだと思います。

「このクラブは、Unityなどを利用したゲーム制作を通して、『どのような境遇でも人は創る力に満ち、夢は叶えられる』社会の実現に寄与することを目的とする。上記の目的のもと、初心者から上級者まで参加できる学習・創作の機会を提供し、参加者ひとりひとりが小さな成功体験を積み重ね、夢に向かっていけるようになることを目指す」(讃岐GameNの理念にも反映されている)──讃岐GameN connpassより

一人ひとりに寄り添うことが、コミュニティ活発へ繋がる

──讃岐GameNを運営していて、「よかったな」と思う出来事を教えてください。

このコミュニティで、新しい人との繋がりが生まれていること、繋がりが維持されていることを実感できたときですね。

讃岐GameNも4年目に入りました。1年目の頃に繋がった学生さんは、社会人になって活躍しています。現在は、中学生もいるような次世代の疑問に、社会人が答えている姿を見るだけで「よかったな」と思っていますね。

このような交流こそ、コミュニティの財産だと思っています。ただ、工夫しないとすぐに交流が途切れてしまうとも感じています。たとえば、知らない世代に入れ替わってしまい、慣れ親しんだ母校や部室に行きづらくなった……という経験をもつ人は多いのではないでしょうか。「コミュニティの先輩・後輩」ってかなり強い人脈のはずで、その人脈を紡いでいけているのは讃岐GameNの強みだと感じています。

──コミュニティ運営する上で、心がけていることはありますか?

あえて目的に特化せず、先鋭化せず、“雑味”を受け入れ、大切にすることです。

コミュニティのDiscordでは技術の話よりたわいもない話が多いです。むしろ「他のコミュニティで技術の話をしている」というメンバーが多いです。それでも、つかずはなれず、空中分解せず、ふんわりとまとまっているのが讃岐GameNの特徴といえそうです。

こうなれたのは、“雑味”を大切にしてきたおかげなのかもしれません。今では多くの高専生が所属してくれていますが、1人目の高専生と引き合わせてくれたのはその父親でした。私が職場でゲーム活動の話をしていると、児童施設でプログラミングを教えている父親が高専生の息子を紹介してくれました。彼と会っていなければ、今のように高専生と繋がれていないでしょう。

他にも、昨年商店街を舞台にゲームの文化祭を開催しました。その成功の鍵となったのが、商店街の責任者の協力や、スポンサーになっていただいた街の社長さんたちです。そんな方々と出会えたのは、私が運営しているゲストハウスで知り合った人がきっかけでした。

ゲーム以外の“雑味”からおきた偶発的な出会いが、このコミュニティを成長させてくれました。

──ゲームのみと特定せず、さまざまな人たちとの出会いを大切にしてきたから現在の讃岐GameNがあるんですね。

もちろん、コミュニティメンバーの興味や要望に辛抱強く寄り添い続けることを疎かにしてはいけないと思っています。讃岐GameNを運営して4年目になりますが、ここまで何度も潰れそうになりました。それでも続けることができたのは、メンバーの気持ちを大切にしてきたからだと思います。

先ほど、雑味を大切にしていると申したばかりですが、多くのメンバーは「ゲームを作りたい」という気持ちを入り口に来てくれています。なので、ゲーム企業で働いている人たちを香川に呼んだり、京都・大阪のゲームイベントや企業説明会に10人乗りの車をレンタルして遠征したり、メンバーの要望を聞いて行動に移していきました。

讃岐GameNは地方の学生にも情報が行き届く場にしたいと思っています。というのも、数年前にゲーム企業の採用担当の方を香川にお呼びしたときに「ゲームデザイナーやサウンドクリエイターの採用基準は、PixivやYouTubeチャンネルの登録者数などを見ている」というお話をいただきました。それを就活真っ只中に知っても、すぐにPixivやYouTubeチャンネルの登録者数を伸ばすのは難しいなと感じました。

「地方にいても努力すれば情報にたどりつける」という意見もありますが、私はそれだけでは片付けられない課題があると感じています。

また、ユニティ・テクノロジーズ・ジャパン株式会社クリエイター・アドボケイトの𥱋瀨 洋平さんにも香川に足を運んでいただき、お世話になりました。

簗瀬さんに出会ったのは、讃岐GameNを立ち上げて2年目ぐらいです。当時は、小さなイベントしか開催できていなかったです。そんな中でも、わざわざ香川にきていただき、学生に愛のあるアドバイスをしていただきました。現在も、最強ゲームジャムの参加など、年に2〜3回は香川に来ていただいています。

繰り返しますが、讃岐GameNは「ゲームを作りたい」という気持ちが入り口になっています。ですが、私に技術力がないことが課題でした。もし、私がゲームクリエイターを夢みる15歳だったら、技術の話ができない人がオーナーをするコミュニティには入らないなと思います。なので、技術力がなくて悔しい思いをしたことは、数えきれませんね。

4年目になり、ゲーム企業で働く人がいたり、社会人になってゲームクリエイターになった人がいたり、メンバーの層が厚くなりました。ここにたどり着けたのは、簗瀬さんや簗瀬さんを派遣してくれたユニティ・テクノロジーズ・ジャパンのおかげです。「Unityスタッフが香川にくるから」と学生に伝えられたからこそ、何度もイベントを開催できました。また、どれだけ勇気づけられたかわかりません。非常に感謝しています。

──ほかにも、4年目に入って讃岐GameNに変化はありましたか?

「繋がり」を学生だけに留まらず、地域の仕事に繋げることもできるようになりました。

最近は、ゲーム関係者ではない職業の方とつながる機会が多く、「こういう課題があるけれどゲームで解決できないかな」と讃岐GameNに相談が寄せられることも増えました。

香川では、2〜3種類の肩書きをもっている人が多いです。私も、精神科医とゲストハウス運営、讃岐GameNと3つありますので。そうやって、複数の仕事をしている人が仲間になっていくと、どんどん人との繋がりができてきます。

「これに困っているんだけど……」となれば、「それはあの人が得意だよ!」と紹介できたり、「それはゲームで解決できるかも!」と提案できたり。そうやって、讃岐GameNが広がり、コミュニティも活性化しているのかなと思います。

──具体的にどのような仕事を地域から依頼されたのでしょうか?

高松市にある参加体験型施設「情報通信交流館 e-とぴあ」から、「中学生以上を対象にしたUnity講座を開催するから手伝ってほしい」と依頼を受けました。

讃岐GameNの活動を見ていただき、Scrachより先の中学生以上のプログラミング教育のツールとしてUnityに可能性があるとe-とぴあの担当者が感じてくれました。そこでUnity講座を開設に至りました。

Unity講座のティーチングアシスタントは、讃岐GameNと繋がっている学生から声をかけています。また、上述した「最強ゲームジャム」がきっかけで、株式会社ジーンとe-とぴあが繋がり、Unity講座にジーンのチーフプログラマー担当者が講師としてきてくれています。

ほかにも、讃岐GameNとして少しずつ仕事の依頼を地域からいただいています。任意団体から法人にすることも検討しています。4年前は法人化なんて考えられなかったことで、ここまで続けてこられたご縁に感謝しています。

──これから讃岐GameNでどんなことを実現したいですか?

メンバーの要望だけでなく、地域の課題にも寄り添って解決していきたいですね。

本来、ゲーム制作だけなら、情報や機会が豊富な都会へ出たほうがいいでしょう。そうではなく、「なぜ香川でゲームをつくるのか?」「香川でしかできないことは何か?」を模索して、価値を創造していくことが大事かなと思います。

──今後、どのような人たちに参加してもらいたいですか?

讃岐GameNは、“地元”と地続きで紐付いているサークルです。香川・岡山に住んでいたり、定期的に帰省したり、何かしらこの土地と縁があるクリエイターさんには、是非参加いただきたいです。

“ゲーム技術コミュ二ティ”よりも、“ゲーム技術以外の何か”を豊富に持っていると自負していますので、讃岐GameNだからできることがあると思っています。

──今後の活動予定やイベント情報などを教えてください。

7月10日に、高松南部3町商店街でゲームの展示会「Sanuki X Game」を開催します。

上述した「最強ゲームジャム」がクリエイターの世代間を繋ぐ縦の糸とするなら、こちらはクリエイターと街を繋ぐ横の糸です。

近年、香川で「ゲーム条例」騒ぎがあったことをご存じの方もいると思います。ゲーム条例をきっかけに、良くも悪くも「街」の関心がゲームに向きました。その機運に乗って、ずっと狙っていた横の糸をみんなで通しました。といっても、今年で2回目の開催なので、この糸が切れないように、応援のつもりで香川に遊びにきてほしいです。

Sanuki X Gameには、株式会社高松東魚市場さんもスポンサーに入っていて、『あの森のつりぼり』という展示をやります。釣り堀で魚を捕まえると、セリフ調のPOPと写真が撮れるような企画になっています。

高松東魚市場さんが魚を大量にもってきてくれるゲームイベントって、なかなかないのではと感じています。

また、専門学校やe-とぴあ、小豆島の妖怪美術館の協力のもと、県内の子どもたちからオリジナルの妖怪の絵を300体以上集め、ARで商店街を練り歩かせる「AR妖怪百鬼夜行」も1つの目玉です。

前回は、普段からやりとりがあるデジタルゲームクリエイターさんたちとしか共働できませんでしたが、今年は県内のアナログゲームクリエイターさんやコスプレイヤーさん、そしてゲームBGMのDJさんも集まります。

まだ始まったばかりの「ゲーム×街」のうねりに、飛び込みにきてください!

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