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vol.11 迷ったらやってみる

「大学生活をもっと充実させたい!」「やりたいことを見つけたい!」という想いを持ちながらも、なかなか行動に移せない北海道内の大学生に向けた連載企画「Knows」。

編集チームが独断と偏見で選んだ面白大学生の人生をお届けします。今回は第11回目。ゲストは北海道大学水産学部3年の北村もあなさんです。

迷ったらやってみる

北村さんが大切にしている価値観です。とりあえず参加してみて、いやだったらその時辞めればいい。このような考え方で様々な経験を積むことで自分の軸・やりたいことは磨かれていくのではないでしょうか?

今回のインタビューでは、北村さんがどのような経験やチャレンジをしてきたのかを覗いてみようと思います!

オーストラリアと日本、それぞれの学生生活

もあな高校

ーこんにちは!では早速、北村さんの自己紹介と今の活動について教えてください。
「北海道大学水産学部3年の北村もあなです。自己紹介の時に「もあなって何?」とよく聞かれるので説明すると、もあなはマオリ語で海や湖という意味です。

今やっている活動は大学の勉強以外に3つあって、新渡戸カレッジのチューター、はこだて国際科学祭でのサイエンスカフェの企画、Floatmealという北大発のスタートアップでPR・マーケティング・翻訳等を担当しています。

・新渡戸カレッジ→北海道大学の学部横断的特別教育プログラム。札幌農学校第二期生である新渡戸稲造が名前の由来。

・はこだて国際科学祭→函館で毎年8月に行われる子どもから成人までの多様な参加者を対象としたサイエンスフェスティバル。

・Floatmeal→北海道大学の院生(留学生)らが設立したスタートアップ企業。世界の食糧問題を持続可能なかたちで解決するため,植物性タンパク質を含む水生植物「ミジンコウキクサ」の製品と技術の開発を目指す。

ー盛りだくさんですね!
「私が水産以外に興味を持っているのは環境、持続可能性、地球温暖化とかを通して、「世界の問題をどうやったら解決できるのか?」にかかわる部分なんですね。なので、この興味分野にかかわる部分に取り組んでいます。」

ーありがとうございます。それでは、北村さんの幼少期を教えてください。
「両親は日本人なんですが、生まれたのはニュージーランドです。生まれて3か月で日本に帰国して、小2まで埼玉、東京、兵庫にいました。その後、父の仕事の関係で小3から中2までオーストラリアの現地校に通いました。」

ー移動が半端ないですね(笑)
「日本にいる頃は恥ずかしがり屋な性格だったんですけど、オーストラリアに行ってからは社交的で積極的になりました。

オーストラリアの国民性も影響していると思うんですけど、一番大きな理由は言葉が全く通じない環境だったということですかね。」

ー小3でいきなりのオーストラリアの学校ですもんね。しかも現地校。
「当時の私は、以前の経験から東京の標準語から関西弁に変わるくらいの感覚だと思っていました(笑)。でも実際に教室に入ってみて初めて「あ、通じないんだ。」って理解しました。

こういう環境にいると、自分から自分の存在を主張するしかないのでそれが影響して社交的になったんですかね~。」

ーじゃあずっと英語を話していたんですね。
「学校ではそうですね。でも日本語を忘れたら困るので、家では日本語の勉強をしていました。オーストラリアで進研ゼミのチャレンジを。」

ー僕もやっていました。
「他にもバイオリンやバレエ、水泳など色んなことをやっていたので、スケジュール帳で自分の時間を管理することが習慣となっていました。「あ、今週はこういう予定が入っているから後回しにしても大丈夫だな」みたいな感じです。

これは大学生になった今でも習慣として続けています。色々なことをやるために時間間隔を持っておくことはすごく大切にしていますね。」

ー僕も最近はタイムマネジメントに気を使っていますが、まだまだ未熟なので尊敬します...。
「この習慣が身に着いた背景として、中2の時に経験した半年間の寮生活があるかもしれないです。親が私よりも半年先に帰国することになったので、私は学校の寮で生活しました。

何か困ったことがあったとしても、親は日本にいるのでどう頑張ったとしてもすぐには駆けつけてくれない環境です。この環境に半年間身を置いたので、自分で何とかしなきゃ!という感覚が身に着きましたね。」

ー中2で海外の寮生活...。相当貴重な経験をされたんですね!その後帰国してきて、日本の学校生活はどうでしたか?
「まず、帰国したとき日本は夏だったんですね。私はオーストラリアにいたとき、地中海性気候の年中過ごしやい気温のところに住んでいました。だから日本に降り立って日本の夏を感じたときは思わず「アッツ!!」と言ってしまうほどのアツさでバテバテでした(笑)。

私は帰国して日本の公立中学校に通い始めたんですけど、『日本ってこういう場所なんだ』とカルチャーショックを受けました。でも、私は日本人なので『日本のことを学ぼう』って意識がすごくありました。」

―そうなんですね。
「その後、中高一貫の学校に編入しました。私の高校生活の記憶は、ほとんど水泳部だと言ってもいいくらい部活に打ち込んでいましたね。

夏休みも毎日、1日中練習して真っ黒になってみたいな感じです(笑)。水泳部の活動を通して得れたものは沢山ありました。」

ー具体的には何ですか?
「これはあくまで私が経験した範囲内の話なんですけど、所属していた水泳部では生徒自身が主体となって何するかを決めて、部活を運営します。何かの目標に向かって生徒たちが協力していくことは私にとっては新鮮で、すごく楽しかったんですよ。

私が通っていたオーストラリアの学校の部活では先生がリードしてくれる形だったので。」

ーそれは意外でした。日本の部活文化は日本特有と聞いたことがありましたが、本当にそうなんですね!次に北村さんはどんな受験生活を送られたんですか?
「私は北大の水産を第一志望で受けたんですけど、なんでその決断になったのかという話をしますね。私は水泳をやっていたり、海辺に住んでいたり、名前が海だったり(笑)。ざっくり言えば海が好きだったんです。

私、結構単純な性格なので、それで『よし、海のこと勉強しよう』と決めました。あとは、高2の夏に思いつきで北大水産のオープンキャンパスに行ったんですけど、キャンパスの自然を見て『あ、北大にしよう』と決めました。

でも、現役の時は落ちてしまったので、北大を目指して浪人することにしましたね。」

1年後もやりたいことなのか?

もあな大学1年

ー浪人したときは順調でしたか?
「正直目指すべき成績と私の成績にはかなりのギャップがありました。でも、私は昔からそうなんですけど、根拠のない自信を持つことができるんです。

だから、センター試験もいまいちだったけど、逆転で合格することができたんだと思います。あの時の自分に『良く決断したな』と言ってあげたいです(笑)。」

ー大学に入ってからは何をしましたか?
「1年生の時は色々なことを試しました。新渡戸カレッジに入って、バイトをして、農業とアルティメットのサークルに入りました。主にはこの4つです。こんな感じで4つのことをしている間にコロナがやってきました。」

アルティメット→ フライングディスクを使い、​攻守に分かれて得点を競う団体競技の一つ。

ーそうですよね。
「コロナが流行り始めたくらいの頃に、北海道から実家に帰省したんですね。そしたら、北海道に緊急事態宣言が出て、北海道に戻れなくなってしまいました。

半年間ほど実家にいたんですけど、『今まで自分がやってきたものの中で自分が本当にやりたいことって何だろう?これって1、2年後もやっていたいことなのかな?』って考えてみたんです。」

ーそしたらどうなったんですか?
「『1、2年後もやっていたいとは思わないな』と思うものが出てきました。それを実際に辞めるかどうかは悩みましたね、3か月くらい。

でも最終的には『1、2年後もやりたいと思わないなら必要ない!』と思って、悩んでたものは全て辞めました。この時、私は新渡戸カレッジ以外の3つをやめることにしました。」

ー辞めた後に何をするかは決めていたんですか?
「何も決めていませんでした。『辞めたい!』と思ったんだから、まずは辞めて、その先のことはあとで考えようと思っていました。

辞めた後、自分の真っ白なスケジュール帳を見たときに初めて、これからどうやってチャンスをつかんでいこうかと考え始めましたね。色々辞めたことによって自分の将来について考える余裕ができました。」

ー将来について考える時間は大切ですよね。
「私は新渡戸カレッジのセルフキャリア発展ゼミに参加して、将来設計についての悩みを沢山相談しました。そこで「興味のあるものは全部やってみたらいいんじゃない?」と言ってもらえたんです。

これをきっかけに「自分に足りないものは何なのか?」「自分のなりたい像」を考えました。そして、最初に移した行動は実家から出ることでした。」

とりあえずやってみる

もあなハルト

ー札幌に帰ってきた後にやったことは何ですか?
「実習とかの募集って大学からメールで来るじゃないですか?それを片っ端から全部応募していきました(笑)。色々辞めたおかげでできたことですよね。

色んな人に会いたかったので、バイトの面接に行ったり、研究室の見学をしたり、ゼミのTAをやったり、勉強も頑張りました。」

ーまた忙しい日々が始まったんですね。
「これだけ見ると、誤解されてしまいそうなので伝えておきたいんですけど、全然うまくいかないことばかりでした(笑)。

まずバイトの面接は全部落ちたし、本気で勉強も頑張ったのに取りたかった成績は取れなかったし、資格勉強もうまくいきませんでした。

沢山失敗もした中で当たりだったのがゼミのTAとハルトプライズというビジネスコンテストのボランティアをやったことでした。」

ー数打ちゃ当たるということですね。
「そうです。参加するか迷ったものは片っ端から参加しました。やってみて嫌だったときはその時にどうするか考えればいいので。

私はゼミのTAをやったおかげで、はこだて国際科学祭の企画に携われているし、ハルトプライズのボランティアスタッフをやったおかげでFloatmealとして活動ができています。」

ー何があるかわかりませんね。
「私が北大に来た目的は「日本を知ること」と「水産について学ぶこと」です。この目的を達成するために、常に好奇心を持って行動しながら、自分の時間を取って目的を見失ってないか振り返ることを大切にしてます。」

今後の展望とメッセージ

もあな最近

ー北村さんの今後の展望を教えてください。
「今やっていることにひたすら全力で取り組みつつ、定期的に自分だけの時間を作って、目的を見失ってないかの確認をします。そして新しいアイデアや面白いものがあった時は積極的に参加しようと思っています。

このようなことをして私はいったい何に向かっているのかと言うと、私の大きな夢である「世界中の人と関わる」を実現させるためです。」


ーでは最後に、想いはあるけど動きだせない大学生に対してのメッセージをください。
「今はコロナの影響で普通ならできていたはずのことをすることが難しくなっています。

私は大学生になったら色々な人と関わって自分の考えについて議論したり、一生の人脈を作りたいなあと思っていたので、今それができないこと、人とのつながりが乏しいことに焦ってました。

それをある人に相談したときにすごく楽になることを言ってもらったんですね。『無理して友達やコミュニティを作る必要はないよ。今やりたいことをして、そこからゆっくり人とのつながりを作っていけばいいんじゃない?

まあ、当たり前のことなんですけど、私はすごく楽になりました。ゆっくりでいいんです。これを皆さんにも伝えたいです。」


以上でインタビューは終了です。

行動→自分を見つめなおす→行動→自分を見つめなおす

このサイクルを繰り返すことによって自分の価値観、やりたいことが見えてきます。まずは自分の内側に耳を傾けて、好奇心に従ってみてはいかがですか?

北村さんの人生を書いたこの文章から何かのきっかけを得てもらえたら嬉しいです。最後まで読んでいただきありがとうございました!

取材・文:金子新太郎(FacebookTwitter

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