見出し画像

vol.43 雄谷亮太「先輩の誘いがきっかけで見つかった新たな夢」

「大学生活をもっと充実させたい!」「やりたいことを見つけたい!」という想いを持ちながらも、なかなか行動に移せない北海道内の大学生に向けた連載企画「Knows」。

編集チームが独断と偏見で選んだ面白大学生の人生をお届けします。今回は第43回目。ゲストは北海道医療大学リハビリテーション学部理学療法学科3年の雄谷亮太さんです。

↓が雄谷さんのFacebook(SNS)です。

雄谷さんは中学で野球をやっていた時のけがの経験から、理学療法士になって、自分のような辛い想いをする人を減らすことを目指していました。しかし、大学1年生でひょんなきっかけから地域の高齢者の方々と関わるようになり、だんだん活動にのめり込んでいきます。

一体、地域での活動にはどんな魅力があるんでしょうか?そして雄谷さんは今後どうなっていくんでしょうか?

プロフィール

雄谷亮太
札幌市生まれ、当別町在住の21歳。

理学療法士を目指して、北海道医療大学に入学。
現在は北海道医療大学地域貢献団体サークル『ONE』の代表を務める。

なかなかうまくいかない野球人生

ー小学生の時はどういう子どもでしたか?
「野球が小学校の生活のメインでした。チームメイトと遊びつつ、練習の時は一生懸命野球をする日々を送っていました。」

ー野球で思い出に残っていることはありますか?
「僕が入っていた少年野球チームはずっと弱小でした。でも、僕らの代だけ全道大会に行けたんです。」

ーどうして雄谷さんの代だけ強かったんですか?
「先生も良かったし、チームメイトに恵まれていたからだと思います。メンバー同士だいぶ仲が良かったし、練習の時は一生懸命になれるメンバーだったので、小学生らしく楽しく一生懸命やるところが結果に繋がったのかなと思います。

この経験は自分の中での大きな成功体験だったので、自分に自信を持てる性格を作るきっかけになりました。」

ー中学生になってからも野球をやっていたんですか?
「はい。元々旭川に住んでいたんですけど、親の転勤で札幌に引っ越すことになりました。ただ、引っ越した先で通う予定だった中学校の部活の評判がめちゃくちゃ悪かったんです。なのでクラブチームに入ることにしました。

そのクラブチームがめちゃくちゃ強くて。練習もきついチームだったので結構大変な3年間でした。」

ーそのクラブチームで結果を出すことはできましたか?
「正直、全然うまくいかなくて。中学校1年生の冬に軽いひじのけがをしました。その時に理学療法士の方に簡単なストレッチをしてもらって、お医者さんに『これくらいの期間休んだらいいよ』と言われたんですけど、ちょっとでも休みたくなかったのですぐに練習を再開しました。

そしたらまたすぐにひじが痛くなったので休んで。やって休んでの繰り返しで最終的に治らなくなってしまいました。

中学2年生の時はボールを1球も投げることができませんでした。中3に上がる前に『さすがに投げれないとヤバイ』と思って監督に『左投げにします』って言ったこともありました。しばらくは左投げだったんですけど、監督から『このままじゃ間に合わないから痛くても右で投げろ』と言われたので中3になってからは右投げに戻しました。そんな状態だったので試合には出れなかったんですけどベンチには入れてもらっていました。

でも最後の大会でベンチから外れる2人のうちの1人として選ばれたのが僕だったんです。これが僕にとってすごく悔しい経験でした。この苦しさが『高校では絶対レギュラーとってやる』という想いを育てました。」

ー実際高校に入ってからはどうでしたか?
「公立の高校で練習時間が短いということもあり、それぞれが考えながらやるチームだったので練習自体は中学の方がきつかったです。その中でも自主練してレギュラーを目指して頑張りました。

そして、自分たちの代になってからは秋と春の大会はレギュラーになることができたんですけど、最後の夏の大会ではあまり調子が良くなく、控えになってしまったんです。また悔しい思いをして終わってしまいましたね。」

ーまた最後にうまく終えることができなかったんですね。進路はどう決めたんですか?
「そうなんです。進路については中学校の時の挫折経験が大きくかかわっています。『あの時、理学療法士の方にもっと色々やってもらってたら......』『僕みたいな辛い思いをする人を減らしたい』と思って理学療法士を目指すことにしました。

受験は第一志望に落ちてしまって北海道医療大学に入ることになりました。」

「このメンバーで『ONE』やるから」

ー大学入学前にはどんな大学生活を送ることをイメージしてましたか?
「やっぱり受験勉強がめちゃくちゃきつかったので、大学では絶対に楽しいことしてやるっていうモチベーションで頑張ってました。いわゆる『大学生っぽいこと』ですね(笑)。大学っていう暇な時間を使って、思いつく限りのやりたいことをやりたいなと思ってました。」

―実際に入学してからは何をしていましたか?
「最初は同じ学科の友達と楽しく大学生活を送りつつ、緩い野球部に入って楽しく野球をしていました。ただ、理学療法士になりたい気持ちがあったのでテストを頑張ったり、大学が紹介してくれた地域のスポーツに関わるボランティアに参加もしていました。これが1年生の夏までの話です。

秋になって、野球部の先輩方とご飯を食べているときに自分の将来の夢(『ケガで苦しんだ自分みたいな人を減らしたい』)について話しました。

そしたら先輩が僕のやる気を買ってくれたみたいで、『〇月〇日に大学の~に来て!』と誘ってくれました。そこに行ってみたら、先輩が何人かいて、『おれたちでONEを始めるから!』と言われました。

ーONEって何ですか?
「その先輩が立ち上げた北海道医療大学地域貢献団体サークル『ONE』というサークルです。『地域と学生を繋ぐ』というビジョンをもとに活動していて、ボランティアとして地域の高齢者の方と関わったり、福祉系の法人がやられている子供向け学習塾に大学生が関わったりしています。

年齢的に僕たちと高齢者の方は孫とおじいちゃんおばあちゃんのような、友達のような関係性になることが多いです。僕たちが高齢者の方のやりたいことを一緒に叶えてあげることもあります。例えば絵本を作ったり。

現在52名ほどの大学生が所属しているんですけど、それぞれ将来に対する悩みを抱えています。そんなメンバーもONEで地域の方と関わる活動を通して、『こういうことをやっていきたいな』と気付けるような団体になっています。」

ーすごく素敵な団体ですね。でも、ONEは雄谷さんが関心のあるスポーツと直接的に関係しないと思うんですが、入ることにためらいはなかったんですか?
「確かにスポーツの活動を頑張りたいなと思っていたんですけど、高齢者の方含め色んな方と関わってから、自分の方向性を定めたいなと思いました。その方が自分も納得できるし、いい経験にもなるなと思って。なのでとりあえずやってみようということで活動を始めました。」

代表としての苦悩

ーそもそもなぜ先輩はONEを立ち上げたんでしょうか?
「町の福祉関係者の方に誘われて『いつ死んでもいい』と言っているようなおじいちゃんのところに訪問していたことがあったらしいんです。先輩はおじいちゃんをどうにか元気づけられないかなと思い、頻繁に訪問していました。

ひょんなきっかけでそのおじいちゃんの家の雑草だらけだった庭を学生何人かで手入れしていたら、おじいちゃんも『こいつらいるなら、もうちょっと生きなきゃな』と思ってくれたそうで。この出来事がきっかけで『地域と学生を繋ぐ』ONEを立ち上げることになりました。」

ーでは、雄谷さんはどのような形でONEの活動に取り組んでいったんですか?
「個人的に、地域の中でけが予防の活動をやりたいなと思っていました。なので、ONEとして少年野球チームの監督さんに電話でお願いをして実際にやってみるということが僕の1、2年生の時のメインの活動です。楽しかったです。

そして、大学3年生になるタイミングで僕がONEの代表を引き継ぎました。3年生になってからいろんなことがありました......(笑)。」

―何があったんですか?
「最初はぜんっぜんうまくいかなくて。メンバーに活動を強制しているわけではないので、各々のモチベーションにばらつきがありました。でも関わっていきたい地域の人や僕としてもやっていきたい活動があるので、メンバーとの間のギャップに悩みました。

コロナもあったのであまり乗り気じゃないメンバーがたくさんいたので団体として一緒にやっていくのはマジで難しいな、と実感しました。

そこからメンバー1人1人と話す時間を作って、メンバー自身がどういう想いを持っているのか、団体としてどんな活動ができるのかを考えました。

そんな中、僕が一番最初に出会った地域の方が亡くなってしまったことがありました。すごくショックで。『こういうことをやったらその方の生きがいを引き出すことができるんじゃないか』『でもコロナの時期だからできないか』。

考えてばかりで実際に行動に移しませんでした。実際にやらなかったことが悔しかったし、団体としてうまくいっていなかったこともあってだいぶ沈みました。

ポジティブな方向転換

でも、『亡くなってしまった方のように生きづらさを抱えている地域の方ってたくさんいるな』『僕自身がそれを何とかしていかないとだめだよな』と強く想ったことがきっかけとなってスポーツ関係の理学療法士ってより、その地域の方々のために何をやっていくのがベストだろうと考えるようになりました。なので今は一般企業の就活も始めています。

地域の課題って何だろうって思ったときに、困っている高齢者の方にとって、助けを求める場所が医療や福祉の中にしかありません。ちょっとした困りごとやちょっとした生きづらさを抱えている方が助けを求める場所が無いことが問題だと思うんです。

医療や福祉にかかる手前の困っている方たちとどのように関わって、どのようにその方たちの生きがいを作るのか。僕はビジネスとしてこういった取り組みを成り立たせる必要があると思っているので、就職することによって、そこに必要な力を身に付けて将来的に起業することが今の僕の目標です。」

ー方向性が一気に変わったんですね。対象は高齢者の方ですか?
「基本はそうなると思うんですけど、ご高齢になって不自由が出てきてから関わるっていうよりも、世代とか関係なく関わっていけるような地域貢献をビジネスとして成り立たせていきたいと思っています。

『どこでやるか』も現時点では決めていなくて、どこかで1つのロールモデルとなるようなものを作って、そこから社会を良くしていけたらいいなと思っています。」

ー雄谷さんが代表になってからONEはどう成長してきたんですか?
「学生1人1人と関わる中でその人のやりたいことが見えてきたり、僕らのことを応援してくれる地域の方が徐々に増えていきました。町の福祉関係者の方からも『もっとやってよ!』と背中を押してもらっています。」

今後の展望とメッセージ

ー雄谷さんの今後の展望を教えてください。
「ベンチャー企業に就職することを見据えて、就活を進めていきます。ビジネスを全般的に学ぶことができ、実際に任せてもらえる場所がいいなと思っています。

また、就活が一区切りついたら実際に色んな地域に行ってみて、当別(ONEの活動拠点)に限らず自分が頑張りたいと思える場所を探してきます。

ONEに関しては、3年生が終わる時点で代表を後輩に引き継ごうと思っているんですけど、僕たち4年生と地域の方との関わりは続けていく予定です。

今後も引き続き社会をよりよくしていけるような挑戦をしていけたらなと思っています。」

ーでは最後に、想いはあるけど動きだせない大学生に対してのメッセージをください。
「難しい!(笑) でも、真剣に生きてたら何かしらきっかけはあると思います。僕自身も色んな挑戦をしていたから色んなことができているっていうよりも、たまたま出会いのきっかけがあって、そこを自分なりにやってみようと思い、やってみたことによって、(辛いこともあるけど)充実した生活を送れています。

なので現時点でやりたいことが見つかっていなくても自分なりに真剣に生きて、アンテナを張っていたら何かしら出会いはあると思います。そこを大切にしていけばいいと思います。」







以上でインタビューは終了です。

理学療法士の道を突き進んでいた雄谷さんですが、軽い気持ちで始めてみた地域貢献活動にのめりこみ、最終的には将来の夢を大きく変えることになりました。人生何が起きるかわかりません。日々アンテナを張って、色んなことにチャレンジしてみることが大切なんだと気付きました。

雄谷さんの人生を書いたこの文章から何かのきっかけを得てもらえたら嬉しいです。最後まで読んでいただきありがとうございました!

取材・文:金子(Twitter

よりよい記事を書くためにアンケートへのご協力をお願いいたします!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?