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半分がやさしさ/のこりのはんぶん

「バファリンの半分はやさしさでできています」
このフレーズは、日本のキャッチコピーの大名作だとおもう。

ぱっと聞いたときに「え? なにそれ?」ってなるのに
同時に「なら安心なんだね」となんとなく思えてしまうものすごいフレーズ
相当昔にリリースされたはずなのにいまだに日常生活で耳にするし
若い子の中にまで染み通っているし、
なにせこのフレーズ、日常生活でもとてもつかいやすい。


使用例

(1)
雪の降る夜、デート帰りの男女。
だいぶん外を歩いて来たのか、二人とも寒そうにしている。
「はい」
「え……なに?」
突然突き出された拳にとまどう彼女。
受け取るように手を出すと、彼氏の手からぽとりとのど飴が
「あ、ありがとう」
「ちょっと外、歩かせすぎちゃったからさ、少し声ががらがらして来ちゃったね、ごめん、もう帰ろ」
「…タカシ……ありがとう」
「あ、感動した? 俺の半分はやさしさでできてるからな!」

(2)
「あ!おとしましたよ!!」
びっくりした。こいつこんなに大きな声出るのか。
大人しい奴だと思ってたけど
「すげーな、テツ。俺だったら無視しちゃうとこだったよ」
「俺のはんぶんはやさしさでできてるからな」
そうニヤリと笑う親友の笑顔の眩しさに、俺ははじめて気づいた気がした


どうですか、この爽やかなのか謙遜なのか照れ隠しなのかわからない感じ!
さりげなく使ったらなんとなくかっこいいこの感じ!!
まさに日本人男子が好きそうな感じですよね!(偏見)
そりゃ、つかうし、残るし、広まりますわ。
すげーよ。考えた奴天才か。


いわれたこと、なんどか?なんども?ありますよ、ええ。
そのなかでも結構アレな言われ方して、それが別れのきっかけになったこと、ありますよ、ええ。


そうだよ。いわれたよ。

あんたいま「俺の半分はやさしさでできてるからさ」って言ったけど、この状況はなんなのさ。
さっきあんたが叩きつけてぶちまけたミルクティー片付けたのわたしなんだけど。

そのあと謝りもしないでそのまま無言でいきなり出かけて2時間もしてからまた無言でかえってきて無言で冷めた紅茶花伝をポイとわたしてきたあなたがそれですか。受け取るときに一応「ありがと」って言ったわたしへの返答がそれですか。

はぁ、そうですか。そりゃ言いますわ
「いや待て。大事なのは残りの半分のほうだろ。あんた鎮痛剤どころか痛みの発生源じゃん……」って。


そのとき、重要なことに気づいてしまったのだ。

あ…ちょっとまてよ
半分がやさしさって、それ残り半分のやさしさじゃないほうが重要じゃん」
半分はやさしさ。それはわかる。そう言ってるんだから、そうなんだろう。
じゃ、残りの半分はなんなのだ。
「はんぶんはやさしさ」だといわれたってそこに関してはなにひとつわからない
なのになんで、ちょっと安心した気分になってたんだろうって、頭がガン、と殴られたような気分になりました


だめじゃん。
わたしすっかりだまされてんじゃん。


よく考えてみたらバファリンも「半分がやさしさでできてる」ことよりも、残り半分がなんなのかってのがはるかに重要なはずなんですよ。そもそもなんのためにバファリン飲むの? 痛いのおさめたいからじゃないの? っていうかそもそもバファリンってほんとに半分もやさしさはいってるの? 

え、ちょっと待って

わたしやさしさにお金払うくらいなら少しくらいハードでも効いてくれたほうがいいんだけど。


え? どういうこと?!


恒例のアレ

もやもやしたので調べてみました。
もはや習性です。わたし恒例です。
ありがとうインターネット。

疑問を持ったら調べてまとめて、おもしろかったら文字に起こす
これもうわたしの習性。趣味。
やめられないから突き詰めちゃうよ!


完全にナメてた。すんません

Lionの公式サイトによると、「バファリン」という名づけ自体が「緩和するもの(Buffered)」+「アスピリン(Aspirin)」=バファリン(BUFFERIN)でした!!!

開発目的からして「胃が痛くなったりしないように」というやさしさからできているらしいのです。そのうえにそもそものブランドコンセプトが「やさしさをとことん追求する」だと…やばい、バファリンこの時点でめっちゃやさしみに溢れてないか!?

そして気になる残りの成分、というかメインの成分である鎮痛用の主成分アスピリンですが、こちら安全でよく効くけれど胃腸障害を起こす可能性があるらしいのです。ので、胃粘膜保護剤である「ダイバッファーHT(合成ヒドロタルサイト)」という成分と同時に飲めるようにして、副作用の緩和を図ったと。そしてその胃粘膜保護成分等を指して「やさしさ」と表現したと。ふむ。有能だけど難がある子を抱き合わせ販売にすることでより価値を高めた、ということですな。

わかりますわかります。
鎮痛薬の作用って、胃粘膜の保護機能も一緒に抑えてしまうのです
人間の体も、おんなじものをいろいろな用途に使って機能してるからどうしても他のところにも作用してしまいますものね…

どんな薬でも内服すると血中に取り込まれて全身に回ってしまうのでなおのこと目的とする作用以外のところで働いてしまう(=副作用の)可能性は増えてしまいます。

しかし、このバファリン、よく調べてみると、ただ二つを配合したわけじゃなくて、悪さをするかもしれない鎮痛成分が直接胃粘膜にふれることがないように保護剤でくるんでいるとのことで、やさしさだけじゃなくて気遣いも完璧なのでした。うん。気持ちの上でやさしさがあっても、相手にとって有効な行動がないとやさしいって言えないもんね。バファリンくん……あんた、やさしさでできてるんじゃないよ、完全にやさしい子じゃあないですか。わたし、完全にナメてましたごめんなさい。むしろ謙虚だよはんぶんって言い方!!


アスピリンそのものまで優しかった

びっくりしたのですが「バファリンの残りの半分」である鎮痛成分アスピリンの開発された理由までもがやさしさにあふれたものであることも知りました。

太古の昔、そう、ネアンデルタール人も鎮痛剤として柳の木を使っていたと証拠が出ているらしいのですが、その柳の木の有効成分を分離したものが「サリチル酸」です。そう、アスピリンの「アセチルサリチル酸」はこの「サリチル酸」に「アセチル基」というものをくっつけたもので、サリチル酸の強すぎる副作用をなくすために開発されたものだったのです。(こうやって有効な成分をちょっと改変して不都合な性質を消したりマイルドにしたりして新薬を開発するのはとてもメジャーな方法です♪)

一見安全そうに見える「その辺の木からとれたエキス」である柳の木のエキスに含まれるサリチル酸ですが、このサリチル酸はなんと、胃に穴を開けることもあるほど強い胃腸障害をおこした例が何件もあり、死者まで出るほどだったのです。そりゃそのまま使い続けられませんわ…っていうか現在ではその皮膚をも侵食する作用を逆に有効利用してイボとかウオノメの治療に使ってるとかもうどんだけすごかったの副作用!!ってびっくりしましたよ。

つまり「サリチル酸…おまえは効果も作用もいい薬なのに……胃に穴が空いたりしなければ痛みに苦しむ人が楽になるのに!!」って思ってくれた人たちがどうにか胃に影響がないようにしたいとがんばって開発したものがアスピリンだったのです。本当にやさしさから生み出されたとしか言いようがないじゃないですか、アスピリン。込められたその気持ちが尊い! 「この地上に存在するものは誰かの望みの結果、夢見ては叶えられて来たものなのです」という名台詞がふさわしいプロダクトのひとつに認定します!! すごいよ偉いよアスピリン。

アスピリンは攻撃力は高いが触れるもの皆傷つけてしまいうサリチル酸くんが皆を守るための鎧(アセチル基)を身につけたやさしく強い対痛戦士で、その強さゆえに鎧だけではなくダイバッファーHTくんが手を繋いで囲んでくるんで、戦士アスピリンが徒らに無辜の民を傷つけることがないようにしているお薬なのです。映画のワンシーンですかよ。思わずジーンとしちまいましたよ。なんだよそのやさしい世界。すてきかよ。


コピーの威力

しかし、そのように薬効成分の改良により大幅にリスクを減らせたとはいえサリチル酸の時代のおかげで「鎮痛剤を使うと胃潰瘍がおきる」「鎮痛剤は体に良くないからあんまり使っちゃいけない」などのマイナスイメージが世間には根付いてしまっていました。

うん、そうだよね、鎮痛剤って死ぬかもしれない危険な薬だったんだからそうなるよね。おばあちゃんに「危ないからあんまり使っちゃダメだよ」っていわれたらそうかもしれないって思うもんね。わかる。なんとなくさけちゃう。しかもおばあちゃんがいうってことはお母さんも言うよね。そりゃそうだよね。それじゃあ、なんとなくで、手にとれない。そういういえっていっぱいあったとおもう。

そんななかで「痛いなら気軽に使ってよ、怖くないからね、やさしくやさしく作ったから!」って大きな声で言ったのがあのコピー「バファリンの半分はやさしさでできている」だったのではないでしょうか。おそらく、このコピーが社会に浸透したために、皆が以前より気軽に鎮痛薬を使うようになったのです。


バファリンくんの正体がわかったところで再燃する何か

うん、わたしも、大きな声で言いたいよ

バファリンの半分はやさしさかもしれないがな。やさしさから生まれた子のはんぶんと、お前の半分を一緒にすんな! しかも残りの半分もあの子はやさしくあろうとしてるんだぞ!!」って。

 「お前の残りの半分はクズだけど、あの子の残りの半分は一番大事な薬じゃん大違いじゃん!」って。

バファリンのやさしさは、身勝手さを覆い隠そうとするものなんかじゃありませんでしたし、そもそもはんぶんはやさしさだったとしても、残り半分の問題点をカバーできるものではありえなく、ある程度カバーできたとしても、なくなりはしませんよね。バファリンも、同じ。残念ながら胃潰瘍を「起こしにくく」はできるけど可能性はゼロにはならない。あんなに優しくしようとしてても、それ。っていうことはそこの勝手にキレてわたしの大事なマグカップぶん投げたやつは…

はい君、ダメだわ。冷めた紅茶花伝くらいで埋め合わせられてると思った時点でダメだわっていうかこっちの気持ちがスーッと冷めたわ―。


「のこりのはんぶん」

結局バファリンはやさしさから生まれやさしさで包まれた半分どころじゃなく大半がやさしい存在でした。

残り半分はなんなんだよとか思ってしまってごめんなさいでした。


そして、当時のその彼氏とはお別れして正解だったと、今改めてバファリンさんの存在を見つめて再確認いたしました。

ヒトも薬も同じです。
半分もやさしさでできている必要はないけれど、気持ちのベースにやさしさがあるのって、とても大事なことです。それがないのであれば、有効なやさしさにはならないからかもしれません。マイナスをゼロにしようと動く世界よりも、ゼロからプラスを作る世界に生きていたいので、わたし自身もやさしさから生まれる気持ちを大切にして、やさしい世界を大切にしていきたいとおもいます。削られたもんの修復で人生終わっちゃうなんて嫌だもん。

今後は「バファリンみたいな人になりたい」って使っていこうかなと思ってしまうくらいちょっと心にささりました、バファリン。

大切な「残り半分」もやさしい人といきたいものです。


きみたち

うん、ごめん
かーさん、男見る目がえぐれてるって言われ続けてる。
無いどころの話じゃない、って。
うん、変な人と付き合いまくってすんごい傷ついてきた。
うん、小出しでね、いつか全部君たちに話すよ。
その頃にはいい意味で忘れてることも多いとは思うけどね。

さっき書いたお話も、本当のお話
大好きだった猫のマグカップはあのとき割れちゃった。


ねえ、きみたち
「やさしさ」って、なんだろうね

そうきいたとき、きっとみんな、違うことを答えるよ
それもあってね
かーさんは「やさしさ」ってとっても、使い方の難しい単語だな、とおもうんだ


なんでかってさ
「やさしさ」と切り分けなきゃいけないものって、あんまりにも多いからね

あまやかしと、やさしさ
ゆるさと、やさしさ
自己犠牲と、やさしさ
みくびりやみくだしと、やさしさ

いろんなもんと、混じりやすい言葉なんだよ
なのに、「やさしさ」ってなんだか無条件にいいもののような気がしてしまう
そんな使い方と受け止め方のとても難しい言葉だな、ってかーさんはおもうんだ


やさしく、してほしいよね
うん、大抵の時はいつでもみんなそう思うよ
でもね、ここ、すっごく大事なんだけど**
家族以外で無条件にずっといつでもやさしくしてくれる相手はほとんどいない**んだよ。これ、ずっと覚えてて。

家族以外でももちろん、人に優しくある人はいる
かーさんもそんな人の1人でありたいとは思ってるし、
そういうヒトももちろんたくさんいる。
でもね、君たちを守ることに対する障害になるのであれば、その人に優しくあることはできなくなるし、もちろん、かーさん自身に攻撃性をぶつけてくる人がいるならそのひとにやさしくすることを諦めたりもする。

家族に対するやさしさは前提条件としてあたりまえにもてる前提条件になれるけれど、他人に対してやさしくあろうとするかどうかはその個人の意思による選択制なんだよ。そう。だから、「やさしさを標榜した行動」をつかって利己的な行動を推し進めるようなことって、世間には実はあふれてるんだ。かなしいことに。さらに家族の間でも、そういうことが当たり前に行われている家も残念ながらたくさんある。かーさんも、そんな家で育ったからか、やさしさとか人との関わりとかの求め方、随分長く間違ってた。自分と他人をとろかして同じものとみなしてしまったり、傷つけたらやさしくして埋めたり、そういうのは間違ってるって今ならわかるよ。


ね、むずかしいでしょ「やさしさ」って

だから
ひとにやさしくありたいなら、ひとにやさしくしてほしいなら
やさしいせかいがすきなのであれば
自分の気持ち、自分が嬉しいこと、嫌なこと
それをきちんと大事にしながら暮らしていってほしいんだ。

そうしたら、わかるから。なにがたいせつで、なにがおかしいかが
かーさんはそれをしてこなかったから、いらない苦労を大変に抱え込みました。

自分がおかーさんになった今、
かーさんは
きみたちにそんなものを抱えて欲しくないから
めっちゃがんばってどうしたらいいか考えてる
経験したくなかったこと、欲しかったもの、そんなものを
反対に経験して良かったこと、いらなかったもの、嫌だったこと、そんなものも
結構真剣に考えながら、君たちと生きていかなきゃな、って、思ってる。
きちんとした「やさしさ」は思考することで見えてくるものだと信じているから
経験することで、身についてくるものだと思っているから
(※クソ男と付き合う等は不要どころか毒なのでそれは要りませんからね!)

だから、君たちが自分で傷んだり、ぶつかったり泣いたり怒ったりしながらじぶんなりに「優しい」を理解して身につけていくのを、考えていくのを、ギリギリムキー!そいつぶっ殺す!!とか思っちゃったとしてもちゃんと鎧着て、ダイバッファーがわりにミートテックも身につけてふかふかになって、あったかいスープとかすぐ出せるおかーちゃんとして、おうちでニコニコ待っていられるように頑張ろうと思うよ。自分が持っているものは、人から与えてもらいやすくなるからね。


今、自粛生活でほとんどおうちにいるきみたちにキーってしちゃったり、あーもう!っていっちゃったりしてても、かーさんは、結構いつも、こんなことをかんがえて、います

登園自粛きっついよーーー!!
楽しく過ごせるようにがんばってるし楽しいし、こんなに一緒にいれるのは嬉しいんだけど!
喜びでしかないんだけど、たまにはペースを取り戻したいんだよー!!
ってなってるけどね!
やさしくなりきれないとき、ある! ごめん!! 人間だもの!

でも、もっともっと、やさしくて深くてあったかい
そんなすてきなかーさんに、成長していきたいと、おもってるのです。
思い続ければ、叶うと、考え続ければ、得られると
それをきみらに、いつの日か、笑って話してみたいと、思う

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