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捨て小舟

捨て小舟
『冗長』
 4月の晩、酒をかわしながら 太宰氏といっしょに宴の席で舞を見ていた。
着物の似合う まだ幼い少女が、皆の前で踊りを踊っていて、僕はしゃべる言葉もままならないまま、見とれていた。酔いがまわってきたのか、お勝手から入る人の騒ぎも気にならないままに、その娘に近づいて酒をすすめた。「では一杯だけ..」とつき合いに合わせて、ひと口 その娘は僕と酒をかわした。 ちょうど腰にまきつけた帯が 少し邪魔になって、弛めがちにほどき、膝をくずして座っていた。清潔を装うその娘は、まだ十をすこし過ぎたくらいという。僕は ふと眠くなってしまい、おどけて、「君、膝枕してくれないか、」と冗長な戯言を言い、返事も待たぬままに、その娘の膝にたおれた。 新しいのりのついたその着物と やわらかい その少女の手に うたかたを覚え、ついに張りつめた糸が切れたかのように、その少女の手を握ったまま、眠ってしまった。 三味線の遊楽とにぎわう人の話し声があたりをしきつめて、僕は起きようともしないまま、勝手にひとりで、色づいた気分を味わっていた。

ひとりの女の子の舞――――

小さいながらに、棒をなおすところや、着物の裾を 口もとに
あてるところなんか、 うっとりしてしまうね。
あと、足音をこらして出てくる間合いや、また棒を帯から
とるところなんかもね、見とれてしまうよ。

髪を踊りにそなえて、きちんと結んであるところなんかも いいなぁ
     まるでいいとこぞろいだ、 君は。

寂しい場所ならなおさらいい。
          手のひらのふり方なんかもいい、やわらかそう
          手と手を重ね合わせた時にする
                    音も好きだ
見とれてしまうねぇ、君には(笑)    妙に色っぽくてね、
あ、君、帰るのかい、 じゃその前にもう一杯

           雨の降った晩に君に会った時 そのかわり様に
                        驚いたね、….。

『捨て小舟』
 最近酔ってばかりいて、よく海岸に出て風にあたろうとする。頭も顔もさましてくれて、今の自分がはっきりすぎるくらいわかる。無駄金を使っては捨て台詞を吐き、けちな悪意をこめて他人(ひと)にあだをうつ。 ひとつ読み違えれば 簡単に敵・味方に別れてしまうほどの頼りなさ、立ち去る前に一乱起きそうだ。 頼りのない自分がまるで 捨て石のような気分にさえなる。 一度 人から離れて 楽にならなければならない。 そうでないと、またこのくり返しを新しい目で見てしまいそうだ。

『嵐山』
 しーん…と静まりかえった山中に、まっ白な霧がおりてきた。苔の生えた石は少し水滴を帯びて  ちょうど僕の心をも和ませた。 どのくらいだろう、霧がさめるまでは、そんな不安を とめどなくおぼえながら、 時間が経つにつれ、それが乱雑な気分へと、かわっていった。ひとりで歩いてきたこの山道、 また一人で唄うたいにおりてゆくのか。

『卑劣』
 悲恋をした男は 悲しい結果をむかえる。 結局 一人ではいられないのだ。どこまで行っても闇広場では狂ってしまうのだ。 やはり人は 一人ではいられないのだ。
 でもそんな時、他の恋を見つけると、疲労をおぼえるほど 嫉妬に狂う。幸せは やってこない筈なのに。ああ卑劣だ。 こんな時にさえ、そのわだかまりをふっきろうとするのだから。

『乱菊』
 ミステリーをかたどったその女は 寂しい場所へ来た男を誘惑した。 散り急ぐ はかなさに絶えない花びらを、一枚、一枚ていねいに盆の上に並べ、口に含んだ酒を その盆にふきかけた。 きれいな着物を着たその女は、 どこかみだらな雰囲気を漂わせ、男に近づいてくる。 男は男で その不純に気づこうともせず、理性を埋もれさせてその女の来るのを待った。 晩のことで 月は三日月に欠けおち、夜雲はその三日月を隠そうとする。 利運というべきか、不運というべきか、乱筆に書いたその心は どっちつかずのまま、 その夜に溺れていった。

『ある程度までいけば合いそうにない自分』
 もう自分を主張するのはいいよ。見てて聞いてて嫌だ。 この世での楽しみはやはり減った。はっきり言って少し合わない流行と、性欲くらいだ。あと他にあったとしても、僕自身、何も楽しいとは思わない。もし“楽しい”と言ってもそれは嘘だ。
 この次の行動がすごく怖い。平和ボケした国の次に出る行動は 決まっている。欲を持った人間である以上、それは平和をつぶすことだ、恐らく戦争だろう。 どんなかたちでも戦争というものは生まれる。表面化されてないにしても 人は心の中ですべてを戦争に持ち込めるものだ。 もう僕はいろんな欲を持ち続けることが嫌になった。だけどこの世を捨てて、どこに行きたいか、それが創造(想像)つかない。僕は自分の中でさえも夢は失くしてしまったのか、 こうなればいい、というものがひとつも思い出せない。 それは忘れてしまったのか存在しなくなったのかどっちかはわからない。だけどただ今、思い出せない。

11/12(日)
ある知恵おくれの少女の前に、10円、100円、500円玉をおき、一番大きいのはどうれ?と訊いた。その少女は期待をうらぎり10円玉を指さし、“これが一番大きい”と答えたという。
訊いた人は“そうじゃないでしょ”とひとつ言葉を投げかけ、もう一度訊いてみた。 でもやっぱり答えは同じだった。 少し不思議に思い、“何故なの”と少女に聞いてみたところ、 その少女は
“この10円玉を電話に入れたらお母さんの声が聞けるから、”と答えた……..

――なんとなく聞いてた僕はまた、偏見というものに溺れかけた….。


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