それなりに生きてこられた人は、やりたいことが見つからない。

私はそれなりに生きてこられた人だと思う。

小中はストレートで上がってきて、高校も第一志望に合格、大学は浪人したけど、第一志望に合格して、都内の名の知れた大学に通っている。

我ながら、恵まれていると思う。

そして、それは、私の周りの人たちもそうな気がする。
進学校の高校の同級生や、大学の友達は、普通よりはちょっと、またはかなり頭のいい人たちだった。

そして、みんな要領がよかったし、常識人が多かった。
みんな、それなりの苦労をそれなりに乗り越えられてきた人たちだと思う。
みんな、それなりに生きてこられた。私も含めて。

そんな、同じような境遇で生きてきた、同じような価値観を持った人たちと一緒にいて、すごく思う。それは幸せなことだと。

けれど、同時に、悲しいことのようにも思う。

なぜなら、私の周りには人生を捧げたいと思うほど、明確にやりたいこと持っている人が少ないから。

やりたいことは、これまでの人生で経験した、
苦しくてどうにかしたいとか、「こうあって欲しい」という切実な願いとか、そういった原体験が大きく影響していると私は思う。

何か明確にやりたいことがあって、それに向かって行動できている人は、過去の原体験に大きな原動力がある人が多い。
その原体験が、その人のモチベーションを掻き立て続けている。原体験から来るものだから、決してブレることなく、その人生を通した軸なんだと思う。

私には、それがないんだ。幸せなことに、幸せに生きてきてしまったから。

だから、面接でよくあるけれど、

「挫折した経験は?」と聞かれると正直困る。

エピソードがあるにはある。けれど、あれは挫折だったのかな、と悩んでしまう、

1番悔しい辛い気持ちが100%だとしたら、私のエピソードは30%くらいにしか思えない。それを挫折と呼べるのだろうか?

でもね、この文章を書きながら思った。

きっと、それなりに生きてこられた人なんていないんだ。

タイトルと矛盾してること言うけれど。

それなりに生きてきたんじゃなくて、

その都度、自分の気持ちに向き合わなかっただけなんじゃないかと思っている。

挫折と聞かれれば、答えられるようなことはある。でも、その時私がどんな思いを抱えていて、どれくらい悔しくて、ほんとはどうなりたかったのか、どうしたかったのか

そのときの状況は思い出せるけれど、
私自身のことについてはなにも思い出せない。

多分ね、私、一般的な人よりも結構挫折してるほうなんじゃないかと思うんだよね。

「それなりに生きてこられた」とか、冒頭で言ってたくせにね。

中学では部活で2年間いじめに遭い、高校の先生からのパワハラと大学受験で鬱になり、浪人を1年間経験し、、

文字にするとかなり壮絶な人生かも、笑

私頑張ったよなあってなるけれど、なんか、客観的に見ていて、自分ごとのように思えない。

なんでかはわからない。辛すぎたのかも知れない。向き合いたくなかったのかも、忘れたかったのかも。

そのときの自分の気持ちに蓋をしていた、
意識的に、無意識的に、考えることをやめてしまっていた。

だから、あんまり辛いときの経験を覚えていなかったりする。記憶が、ぼんやりしていて、他人事のよう。

その結果、私は自分の中で、"それなりに生きてこられた"ということになっている。

とても悲しいことだと思う。

だって、自分の気持ちに向き合ってこなかった、または、向き合えなかったということだから。

話は少し変わるけれど、

私の周りには、起業した人や、起業するために頑張ってる人がいる。そんなに多いわけではないけれど。
その人たちを見ていて思う。起業を考えている人には二つのパターンがある。

①やりたいことが明確にあるから、起業したい
②やりたいことはないけど、起業したい


後者の人は、総合職の就活生にも当てはまると思う。
ESで面接でキャリアビジョンとか、会社に入ってやりたいこととか、聞かれたら答えられるように用意しておくけれど、本気でそれをやりたいと思っている人はどれくらいいるんだろう。

私はほとんどいないんじゃないかと思ってる。
なぜなら、その企業に内定を貰うことがゴールで、本気でやりたいかどうかは関係ないから。

これは私の勝手な想像なのですが、
特に大手就活をしている人が顕著な気がする。

やりたいことがないから、とりあえず安定の大手に入る。そこからやりたいことは決める。(夏インターンで大手行きまくりの人たちは、そんな感じだった。まあ、夏インターンは時期が早いからやりたいことが決まってないのも仕方ないけど、、)

私は言いたい。

あなた、大学入るときも同じ考えをしてなかった?って。

やりたいことがないから、とりあえず難関大学に行く。そこからやりたいことは決める。

また同じこと繰り返すの?って言いたい。

大手は、実情はわからないけれど、大規模な分、やりたいことに関われる可能性も低ければ、やりたいことをするためにどれくらい時間がかかるかわからない。

本気でやりたいと思ってる人は、もっと確実にやりたいことができる小規模の企業にいくし、成長が早いところが良いし、お金なんて二の次だし、、

つまりは、本気でやりたいことがある人は大手に行かないんじゃないか?っていう私の想像。

大手に行く人は、すごいけれど、

それなりに生きてこられた人なんじゃないのかな。

それなりに生きてこられた=就活もそれなりに上手くいったと言いたいのではなくて、もちろん、すごく努力してきて、辛い面接を何度も乗り越えて、やっと掴んだのもわかる。

私が言いたいのは、ホントの本当に、

「本気でやりたいことに、自分の心に向き合ったんだろうか」

ということ。

つまり、自分の心をそれなりに過ごそうとしてない?ってことを言いたかった。

本当にやりたいことは見つかってなくても、大手の看板を手に入れて、働いていく上で、自分の心に向き合って、本気でやりたいことを見つけれるならいいと思うのです。

でも、それまで自分の心をそれなりに過ごしてきた人が急に向き合うなんて難しいよね、

だから、早いうちから自分の心に向き合う癖をつけるべきだなと思います。

人生はいつでもやり直せるから。ちゃんと自分の心に向き合いさえすれば。

その機会を生きているうちに、そして早いうちに掴もうねって話。

もちろん、私も、ですね。
向き合っても、うまく掴めきれない、だから何度も何度も向き合って、うまく掴めるまで、向き合わなきゃだめなのです、

そして、それは早ければ早いほどいい、と私は思います。心も体も健康なうちに。

何が言いたかったんだっけ、伝わってるのかなこれ。

うん、つまりは、それなりに生きてこられた人は、自分の気持ちに向き合わないまま、本気で人生を捧げる覚悟を持てるほどのやりたいことは見つからない人が多いんじゃない?って話、

でも、社会人になってからでも、いつからでも見つけられるから、自分に向き合ってない自分に気づいて、向き合おうねって話。

これは自分への戒めでもある。

なんでここまでだらだらこんな話をしてたのかっていうと、今日、キャリアビジョンの相談をするためにOB訪問をしていて聞かれたからです。

「なにか、大きな挫折はないの?僕はその挫折があって今こうやって起業したりできてる」

って言ってたから。

「私は正直パッと浮かぶのがないんですよね〜」

って言ってしまった。

そして、

「それなりに生きてこられた人なんだね〜」

と言われた。

こんな些細な会話から、このnoteは始まってます。自分の思いに向き合うためです、

私は、大きな挫折はなくていいと思う。というかないほうが幸せに決まってる。

ただ、少なくとも小さな挫折や失敗は誰にもあるはずで、その自分に向き合ってさえいれば、その都度自分に向き合えれば、

やりたいことは見つかるんじゃないかな。

あ、あと挫折の意味を履き違えないことは大事かも。

私の場合のいじめとか、鬱とかは特殊だし挫折ではないな、とここまで書いてきて思った。

まあ、それをバネにそんな子を助けられる先生になりたいってやりたいことを見つけられる人もいるかもだけど。

私は、そうはならなかったから、うーん、説明が難しいけれど。

辛すぎて逃げて、自分に向き合えなかった感じで、私の場合はそういう挫折はモチベーションにはならない、ただの嫌な記憶、消し去りたい記憶って感じなのかな。

まあ、人によるよね。

その経験をどう捉えて、行動に移していくかは自分の中で見つけていくしかないんだよ。うん、これが言いたかった。

ただ、やっぱり考え続けること、自分に向き合い続けることは大切なんだ。

それだけは忘れないでいたいね、

どんなときもね、