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コントラバスケース(冗談エッセイ)

 青柳ぬまー子著 「そんなことあったのかよ」より

 ジャクリーヌ・デュ・プレの死後に愛用していた1712年製のストラディバリウス“ダヴィドフ”がヨーヨーマに引き継がれたように、世界的名器は然るべき相応しい技量を兼ね備えた主のもとを訪ねるさだめにあるようだ。
 第二次世界大戦前のコントラバスケース取り回しの世界的名手、メチヤンコ・オカヒジキスキー(1932年国際ケースあしらいコンクール一位)が使用していた楽器ケースの底に備わっていた車輪は、旅客機に乗り合わせた搭乗客が無事それぞれの家路へと向かうことにささやからしからぬ貢献をなした。
 車輪に不具合が生じ着陸の際に不安定さに起因する大きな危険が発生することが懸念された矢先、乗り合わせたオカヒジキスキーは機長にこう申し出た。
「うちの車輪使ってけらっしゃい」
 飛行中メカニックにより行われた空前絶後であろう作業により無事何事もなかったかのように滑走路にスムーズに停止し、後年ドーバー海峡上空の奇跡と呼ばれることもあったようだ。
 どのような規格、径の車輪であるのかオカヒジキスキーは見越して旅の機体を選択したのだろうか。今となってはわからぬが(創作者談)。
 その車輪付きケースの運搬で振動している楽器は、マエストロの奏でる交響曲の残響のような、さやかで幽玄な響きを奏でた。

 車輪は今、ゲイリー・っっハアーの楽器ケース、流麗な輪郭曲線が辿る、その目立たぬ底に異国の王家の証左であるかのように、黙し鎮座している。

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