見出し画像

他人と一緒に暮らすということ

noteの更新が1週間空いてしまいました。

今日は日記のように、最近思ったことをダラダラと書いていこうと思います。

ケンカはなぜ起こるのか

新居に引っ越した日。

荷物の搬入が終わったので、近くのファミレスで遅い昼食をとっていました。

そこで、彼女と「ケンカはなぜ起こるのか」という話題になりました。

甲が気にも留めないことに、乙は敏感。
乙にはこだわりがあることに、甲は無頓着。

このようなお互いの性格の違いからケンカの火種が生まれるのでは、という話をしました。

なので、一緒に生活している中でイヤだと思ったことは相手に伝えるようにしようとルールを決めました。

学校の道徳の授業のように「相手の気持ちを考えましょう」と言っても、自分の想像の範囲内でしか分からないですからね。

そんな訳で今のところ大きなケンカもなく、平和な日々を過ごしております。

お風呂マットの必要性とは

話は変わりますが、家の中に「他人」がいるって、すごく面白いなと感じます。

学びが多い環境だなと。これまで気にならなかったことを考える必要がわんさか出てきます。

 

小さな話ですが、例えば「お風呂マットが必要か否かについて」(お風呂場の中に敷くマットのことです)。

僕は実家にいるときからお風呂マットを使ってきたので、新居でも当然マットが必要だと思っていました。

一方、同居人はこれまで使ってなかったから特に気にしてないとのこと。

「あっても困らないから、使いたかったら自分で買っていいよ」

と寛大な心を示してくれたので、そのお言葉に甘えて僕はAmazonで商品を探し始めました。

お目当てのモノを見つけてカートに入れます。ここでふっと我に返り「これ、本当にいるのか?」と疑問がわいてきました。

カビも生えるし、置き場所もとる。メリットといえば、お尻のヌメヌメ感を解消するためだけ。

このマットを置く必要はあるのかな、と人生で初めて考えました。

自分の常識と向き合う

「今まで使ってきたから」というだけで思考停止していたな、と僕はそこで気がつきました。

結果、現在はマットなしで生活しています。

特に不便もないので、このまま使わずに暮らすことになりそうです。


こういった調子で、これまで当たり前だと思っていた習慣がどんどん覆されていくのがとても楽しいなと感じています。

自分にとっての当たり前を変えることを苦痛に感じる人は、同棲は大変だろうなと思います。

僕はそうではなかったので楽しめています。

もっと柔軟性のある大人になりたいなと思う、今日この頃です。

---

読んでいただき、ありがとうございます。

今後も日々の気づきを記録していきたいと思います。


続きはこちら。


----------

Twitterはこちら。


また読みにきてもらえたらうれしいです。