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日本のユニフォームの歴史~冠位十二階、衣服令、日本が大切にしてきた❝制服❞のパワーとは?~

冠位十二階は日本初のユニフォーム制度!

みなさんは、日本最古のユニフォーム制度を作った人物をご存知でしょうか?
そう、飛鳥時代のスーパースター、聖徳太子なんです。
 
聖徳太子が活躍した時代は、
・豪族がたくさんいて睨み合っていた
・ちょうどいいまとめ役がいなかった
・「女性をリーダーにしてみては!?」ということで初の女性天皇、推古天皇が誕生
・推古天皇の甥っ子、聖徳太子が政治を徹底サポート
という時代でした。

聖徳太子は新しい取り組みをたくさんおこなった人物でしたが、
なかでも冠位十二階の制度をつくったということが、すごく大きかったかもしれません。
 
冠位十二階は、上から「徳・仁・礼・信・義・智」に分け、さらにひとつひとつを大小に分け十二階にし、役職に合わせてユニフォーム(冠)の色を別にし、大小は濃淡で表現していた、という制度。
 
髪型も、「出勤するときは髪を頭の上で結いてね」というふうに指示するなど、聖徳太子は見た目にとても気を配った人でした。
 

「衣服令(えぶくりょう)」の登場でユニフォーム制度がさらに綿密に

奈良時代にも、「働く女性たち」がいました。
命婦(みょうぶ)と呼ばれる彼女たちは、衣服令(えぶくりょう)という新しいユニフォーム制度に従い、毎朝髪型~ユニフォームを整え、政府機関に勤めていたキャリアウーマンでした。

海外の文化(隋)に学び、律令国家の礎を築き、あらゆる面で先進的だった聖徳太子が提案したユニフォームの文化。
奈良時代以降も引き継がれ、令和の現代に至るまで受け継がれることになります。

平安時代当時の事務服だった十二単

894年に遣唐使が廃止になると、国風文化が芽生えます。
平安中期になると、宮廷に仕え部屋を与えられた女房達が十二単を着て働くようになり、日本ならではの衣類である和服がこのとき誕生します。
 
「十二単ってお姫様が着るものじゃないの?」
「あんなに重そうなものを着て働くのなんて無理でしょ!?」
という印象を抱かれるかもしれません。

しかし、十二単の別名は「女房装束」。女房とは現代でいうところのキャリアウーマンです。
女房(キャリアウーマン)は貴族に仕えつつ親の命令で婚活をさせられているような状態だったため、異性の目線も意識したきらびやかなユニフォームとして十二単が定着しました。
 

武家社会の成立~江戸時代には職業別&さらに機能的に進化

武家社会になると現代でいうところのビジネススーツのようなかたちで、「直垂(ひたたれ)」が登場。
戦国時代に突入すると、戦乱が全国的に増えたことにより装束文化が衰退。
 
また、江戸時代に入り最後の内戦、戊辰戦争が終わったあとの日本では、消防体制の組織化が進みます。
町火消のユニフォーム(同じ組が同じユニフォームを着て消化活動をおこなう)が登場し、明治時代には学生が制服を着るようになり、その後の第一次世界大戦、第二次世界大戦のなかでは戦争のユニフォームとして軍服が採用されました。 

現代日本のユニフォーム~連帯感を生み出すにはユニフォームが1番!~

令和の日本においても、ありとあらゆる団体~企業でユニフォームが採用されています。
機能性、チームワーク、責任感、帰属意識。
理由は様々ですが、良いユニフォームを着るとそれだけで気持ちが引き締まるもの。
 
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