【旅の神様はいる】日本から逃げた私に気付きを与えてくれたバンコクの寺院
タイへひとり旅をする理由が、いつもポジティブとは限りません。
一時期あるプロジェクトを任されていた時、やることなすこと上手く行かず
あぁ、もうこのままじゃ心病んでしまう
と日本から逃げるようにタイへ旅立ったことがあります。
行きたい場所も何にも無い、ただ、逃げただけ。
そんな時に出会ったお寺の話をしてみようと思います。
あてもなく電車に乗って
全くのノープランでタイに来てしまい、かと言って心身共に疲れ切っていたのでアクティブに動き回るのもしんどい。
BTSスクンビットラインが延伸したと何かで見たので、北の終点・クーコットまで行ってみようかと電車に乗ってぼんやりと車窓から流れる風景を眺めていました。
飛行機が近くを飛ぶのを見て、ドンムアンあたりなんだな、と思っていたら真っ白な大きなチェディ(仏舎利塔)が見えてきました。
なんだかそのお寺に行かないと行けない気がして、電車を降りました。
白いチェディに呼ばれて
そのお寺は、ワット プラシーマハタート ウォラマハーウィハーン。
広大な敷地内には緑がたくさんあり、とても静かなお寺でした。
入口のおばちゃんに呼び止められ、言われるがままタンブンセット(お供え物一式)を買いお寺の中へ向かいました。
ただ側にいてくれるありがたさ
入口でメーチー(女性の仏教修行者)に促され下駄箱で靴を脱いだ瞬間、ボロボロと涙が出てきて止まらなくなりました。
自分の意思とは関係なく、まさに堰を切ったように。
メーチーはずっと私に寄り添い、順にお参りをし、最後に僧侶に祈祷していただきました。
チェディの中にいらっしゃるブッダにお参りする前に、泣き続ける私をベンチまで連れて行き、泣き止むまで何も言わずにずっと隣にいてくれました。
静かな気持ちでブッダと向き合う
約1時間ほどでしょうか。
ザワザワと波立っていた気持ちがすうっと収まって、ようやくメーチーにお礼を言うことができました。
メーチーはにっこりと微笑み、ブッダのいるチェディへ案内してくれました。
そこからは、自分ひとりの時間です。
3回礼をしてブッダに見つめられながら、久しぶりに何も考えない、解放感に満たされた時間を過ごしました。
僧侶からのメッセージ
最後のお参りを済ませ、清々しい気持ちで出口に向かうと、先ほどのメーチーと一緒に僧侶が出迎えてくれました。
メーチーに呼ばれて行ってみると、僧侶ご自身所有のプラクルアン(お守り)を持たせてくれました。
そのお守りに描かれているのは、ルアンポー・マンというタンマユット派の高僧とのこと。
お礼を言い、お寺を出てから、敷地内の池のほとりで森林派について調べていると、森林派の高僧アジャーン・チャーの
という一文が出てきて、私の心にぐさりと刺さりました。
日本にいた時の私は「こうしなければならない」に囚われ、他人のアドバイスすら鬱陶しいと思うくらい殻に閉じこもり、自分で自分の首を絞めていたんだと気づくのです。
僧侶がこの高僧のプラクルアンを下さったからこその気付きでした。
旅の神様はいる
偶然そのお寺に寄っただけ、という見方も出来るでしょう。
でも、私にとってそこでの体験は、今でも鮮明に思い出せる程素晴らしいものでしたし、日本に戻ってからの仕事への向き合い方がガラリと変わりました。
頂いたプラクルアンは、仕事に行く時には毎日付けています。
きっと旅の神様が、このお寺に行くようにいざなってくれたのだと思います。
友人と2人なら理性が邪魔して泣かなかったかも知れません。
ひとり旅だからこそ、誰の目も気にせず泣けたのでしょう。
大人になると、我慢することばかりで泣くことを忘れてしまいますものね。
息苦しくなったら、しばらくその場から逃げてしまうのも大切だなと思いました。
2023年6月頭に、またタイへ行くのでお礼参りに行こうと思います。
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