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『犬小屋アットホーム!』書評|クマへの詫び状(評者:村井理子)

愛犬ハリーと暮らす(ときに格闘中の)翻訳家・エッセイストの村井理子さんに、さまざまな犬と人間が登場する『犬小屋アットホーム!』(大山淳子・著)を読んでいただきました。本書が呼び起こしたのは、村井さんの幼少期の苦い思い出だったようです。書評、そして本書を、ぜひご覧ください。

 犬を愛する人の多くは、犬に関する忘れられない思い出を持っている。
 私が小学生のころの話だ。兄が突然一匹の子犬を拾ってきた。生後一ヶ月ぐらいの黒い犬で、胸のあたりに少しだけ白い毛が生えていて、それを見た母が「ツキノワグマみたいだから、クマって名前にしよう」と言い、その雄の子犬はその日からクマとなり、わが家のペットになった。
 クマはとてもかわいくて、明るくて、愛嬌のある子で、私はひと目見て大好きになった。でも、兄が「クマは俺の犬だ!」と言って、私になかなか触らせてくれなかった。クマがやってきてから数週間後の夜、兄は両親の目を盗んで夜の街にクマを散歩に連れ出して、青ざめた顔で走って家にもどってきた。クマが車に轢かれたという。兄に抱かれたクマはぐったりして、微かな声でクンクン鳴いていた。
 兄も私も激しく泣いた。母は毛布のうえにクマを寝かせ、父に「どうしよう」と言った。父は、「明日になるまでどうにもできないだろ」と答えた。私と兄はクマの横に自分たちの布団を持ってきて、一緒に寝た。明け方までクンクンと鳴いていたクマは、翌朝、私たちが学校に行く時間になると静かになっていた。母は「今から病院に連れて行くからね」と約束してくれた。
 下校後、急いで家に戻りクマを探したが、クマの毛布があった場所にクマはいなかった。母は「獣医さんがね、よく朝までがんばることができましたね、きっと天国に行けますよって教えてくれたよ」と私に言った。四〇年以上経過した今になっても、私はクマのことが忘れられない。大人になった今、私は本物の熊みたいに大きな犬と暮らしていて、十分幸せなはずなのに、死んでしまったあの小さくて黒いクマに対する申し訳なさは消えない。あの時兄を止めていたら。あの日、すぐにクマを獣医に診せていたら、クマは翌朝まで苦しんで死ぬことはなかったのに。

 坂の上にある老人ホーム「ニーシャシャン」。そこで暮らすための唯一の条件は「犬と暮らすこと」。様々な過去を持つ犬と人間が、マダムと呼ばれる女性と支配人・横須賀の引き合わせにより、共に支え合い、新しい人生を歩きはじめる。そんな物語のひとつひとつが、人間と犬の本来あるべき姿、そして共に生きる意味を教えてくれる。
 本書を読んで思い出したのは、クマを含め、子どもの頃に暮らしていた何匹もの犬のこと。出来ることならあの頃に戻って、もう一度彼らに会いたい。今だったら、ちゃんと面倒を見てあげられる。彼らが示してくれた愛情に見合うぐらいの愛情を、彼らに返してあげることができる。そんな気持ちになりながら、足元に眠る大きな愛犬の頭を撫でた。

村井 理子(むらい・りこ)
翻訳家、エッセイスト。1970年静岡県生まれ。現在、琵琶湖のほとりで、夫、双子の息子、愛犬ハリーと生活中。
著書は、本文にも登場した兄や家族、愛犬のことを綴った『兄の終い』『家族』『犬ニモマケズ』など多数。また、訳書に『ダメ女たちの人生を変えた奇跡の料理教室』(キャスリーン・フリン著)、『ゼロからトースターを作ってみた結果』(トーマス・トウェイツ著)ほか多数。

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