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✍️小説家のデッサン〜太宰治から村上春樹及び現代までの総論 序文

太宰治から現代までの総論

一、
太宰治から現代までの文学及び文化についての総論を始めたい。まず最初に範囲。太宰治、三島由紀夫、寺山修司、村上春樹という縦軸で考えて行きたい。だが、評者は実はあまりこれらの作家を読んでいない。そういう事で、この時点で評者の事をいい加減な輩だと感じた方は読むのを避けて頂きたい。
読書歴として、太宰治は四分の三位は読んだ。最終的に全ての著作を読むのを断念した。学生時に漱石、芥川には共感する物、又は自分にとってプラスになる物を見出だせたが、太宰治の作品を読む事に頑張ってみたが離れてしまった。
三島由紀夫。彼の作品にはもう初めから共感し難い物があって、その世界観に入れなかった。谷崎潤一郎や川端康成の作品作風にも近い感情を得た。『金閣寺』、『仮面の告白』位か。
寺山修司。全く読んでない。彼は詩人が本職だろうが、活動が多彩なので本を取る事も出来たが入らなかった。
村上春樹。これは言わずもがな、現代の読書家が皆その世界観に入り夢中になって行く作家だが、評者は入る事が出来なかった。『ノルウェーの森』だったか、即不可能だと悟った。
第一回目で、ほぼ上記の作家達への悪口になってしまったが、自分と違う事を客観的に考える事はかなり有意義であるので続けて行きたい。

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