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負け犬の遠吠え 大東亜戦争18 ミッドウェー海戦②先に見つけた方が勝ち。

ミッドウェー攻略は6月3日から5日までに行われる事、陽動作戦としてアリューシャン列島のアッツ島、キスカ島を占領し、ダッチハーバーを攻撃する事など、日本軍の計画を察知していたアメリカ軍は、太平洋艦隊司令長官チェスター・ニミッツの指示によってミッドウェー島の防備を固める事になりました。

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ミッドウェー島には、最新鋭の雷撃機「TBFアベンジャー」が120機配備され、海兵隊員を含む人員補充は3000名にも達します。

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とはいえ、真珠湾攻撃や緒戦の海戦でのダメージが重くのしかかるアメリカ太平洋艦隊が使用可能な空母は2隻しかありませんでした。

そこでニミッツは、珊瑚海海戦で中破した空母ヨークタウンを真珠湾に呼び戻し、不眠不休の修復作業をさせてミッドウェーの戦場へと送り出します。

日本軍は、まさか自力航行不能に陥ったヨークタウンが戦線復帰しているとは夢にも思っていませんでした。

「いい加減な間に合わせ作業」と修理工達から揶揄された、ツギハギのヨークタウンの修復作業が、実はニミッツにとって一番のファインプレーだったのかも知れません。

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1942年5月28日、太平洋方面で戦える戦力をなんとかかき集めて機動部隊を編成したアメリカ太平洋艦隊は、日本軍を迎え撃ち、ミッドウェー島を死守するために真珠湾を出撃しました。

その編成は空母3隻、重巡洋艦7隻、軽巡洋艦1隻、駆逐艦15隻です。

対する日本の連合艦隊は、空母8隻、戦艦11隻、重巡洋艦13隻、軽巡洋艦10隻、駆逐艦63隻という、米軍を圧倒的に凌駕する大艦隊でした。

戦力差だけを見るならば、万に一つも日本が負ける可能性などありません。

しかし連合艦隊の艦船は広く分散しており、アリューシャン方面に投入された艦隊や、後方に待機する艦隊などもありました。

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先陣を切るのは南雲忠一を司令長官とする第一航空艦隊(南雲機動部隊)です。

4隻の空母とその護衛の為の戦艦2隻、重巡2隻、軽巡1隻、駆逐艦12隻で編成されていました。

そしてその後方に、戦艦大和を旗艦とし、司令長官である山本五十六が率いる主力艦隊が追従するのですが、機動部隊と主力艦隊との距離はなんと550kmも離れており、これは16ノットで航行すると18時間前後かかってしまう程で、日本軍の大艦隊は、各艦隊が各個に独立していたというのが実情でした。

つまり、南雲機動部隊は後方の支援を得る事ができず、単独でミッドウェー海戦を戦う事になるのです。

ミッドウェー海戦の実質的な戦力差は、
米軍  空母3隻 重巡7隻 軽巡1隻 駆逐艦15隻
日本軍 空母4隻 戦艦2隻 重巡2隻、軽巡1隻、駆逐艦12隻
となり、限局した海域においては、その戦力差が拮抗していた事が伺えます。

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連合艦隊がミッドウェーに向けて航行していた5月30日、米軍がミッドウェー島に発した長文の緊急電信を、日本軍が傍受しました。

これによって、連合艦隊参謀長である宇垣纏は、連合艦隊がミッドウェーに向かっている事が米軍にバレているのではないかとの懸念を抱きましたが、結局、作戦変更などの対応は取られませんでした。

結果論にすぎませんが、この時、敵機動部隊が待ち構えている事を予測し、第一攻撃目標を「ミッドウェー基地空襲」ではなく、「敵空母殲滅」に切り替えていれば、悲劇は起きなかったのかもしれません。

さらに6月3日、主力艦隊の戦艦大和に乗り込んでいた通信班が、ミッドウェー島付近で「空母」を指すような呼び出し暗号を傍受しました。

これにより、ミッドウェーの海域で敵空母が待ち構えている事はほぼ確定します。

山本五十六司令長官は先頭を進む南雲機動部隊に伝えるように参謀に指示しますが、「無線封鎖を破って機動部隊に連絡すれば、こちらの存在も敵にバレる」という可能性を危惧し、見送られる事になってしまいました。

※写真は戦艦大和。なかなか出番がなく「ヤマトホテル」と揶揄されました

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海の戦いの在り方を、「戦艦同士の打ち合い」から、「飛行機の戦い」に変えたのは紛れもなく日本です。

空母を中心にした機動部隊の戦いは、「どちらが早く敵を見つけるか」が鍵になってきます。

しかし日本海軍は、連戦連勝で慢心してしまったのか、いささか「情報戦」を軽んじていたようにも思えます。

そのツケがどのように回ってきたのか、ミッドウェー海戦の詳細を次回、書いていきたいと思います。

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