「オシャレ」と「かっこいい」の狭間

ファッションは外的なモノであり、仮に無人島で暮らすとなったら多分テキトーな服で済ませると思う。やっぱり周りからの見られ方というのは気になるものであり、僕もそうである。

最近、何度目かの自分の中での「ファッション転換期」が来ている。最近着ていない服を大量に売り、より精鋭化していきたい気持ちになっている。

たくさん服を持っているのはオシャレだし、流行のファッションを追いかける楽しさも理解しているつもりだ。でもいまの僕は、それがカッコいいとは思えない。

オシャレとカッコいいは互いに強く紐づいていて、僕の考え1つで到底ゆらがない大きな波になって日々の生活に静かにしみ込んでくるが、そういう資本主義が作り出す波に揺られることに、疲れてきた自分がいる。華やかに着飾ることを是とする物差しに、いつの間にか自分の価値観がずぶずぶと引き寄せられていることに気持ち悪さを覚える。もっと運動エネルギーの少ない静的な生活が理想であるし、彩度の低い人生を送りたい。物差しというのは一度離席し、遠くから見たとき初めてそれとわかるのかもしれない。

しかしこれも、質素で堅実こそが美徳とする日本の存在は今や書物の中でしかなく、生まれてたときから西洋文化に浸った反動であろうか。思想もアイデンティティも、表出させてしまえば対外的なファッションと変わらないのだろう。「自分の身の丈を推し量り、思慮深く生きている人間ですよ。」と、TシャツにプリントされていたものがSNSに変わっただけだ。いまは、その境があやふやである。




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