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読書感想文『原稿用紙10枚を書く力』



原稿用紙十枚という分岐点を超えたら、後は二十枚も原稿用紙十枚という分岐点を超えたら、後は二十枚も三十枚も同じことだ。そんなに大きな差はない。そして、十枚の壁を突き破った後に見える風景がある。突き破った人にしかわからない爽快感がある。三十枚も同じことだ。そんなに大きな差はない。そして、十枚の壁を突き破った後に見える風景がある。突き破った人にしかわからない爽快感がある。
「原稿用紙10枚を書く力(齋藤孝)」

☑️まえがき


上記の文章を見ると、爽快さが脳にイメージされ、「やってみたい」というやる気になるのは私だけではないはずです。
(noteは、活字を読むのに抵抗がない方の集まりだと感じています。)

さて今日は、文章を書くのがめっぽう下手なわたくし(もがくアラサー)が、タイトルの本を読んで感じたことを書いていきます。
(文章書くのって、難しい!)


☑️訓練すれば書けるようになる

著者の齋藤孝氏によれば、書くことはスポーツと同じで、訓練さえすれば、原稿用紙の10枚くらいは誰でも書けるそう。


本をたくさん読む?

好きなブロガーさんの記事を読む?


いえいえ。
それでは文章力はつきません。

では、どうしらいいのか。


「書くしかない」



なんだ、そんなことかと思った人もいるでしょう。
しかし、やる気だけで原稿用紙10枚分の文章を書けるかといえば、そうでもありません。
10kmの道のりを、普段運動をしない人が走るようなものだと著者は述べています。
(10Km走るのことを、そこまで苦痛と感じない私は、いざ文章を書くときに痛い目に遭います)



野球が上手くなりたかったら、実際にボールを投げたり打ったりするのと道理は同じです。
文章力をつけたかったら、脳みそをフルに使って、「自分が知っている言葉で」書くしかないのです。

「いやいや、私は他の人より本を読むから、何か書こうと思えばすぐかけるよ」
と考える方もいらっしゃるでしょう。


しかし、文章を書くことはそんな優しいものではありません。

頭がちぎれるほど考え、絞り出すようにして言葉を紡いでようやく出来上がるものです。


では、読書習慣があって、活字に触れている時間は長い人が、なぜ文章を書くのが下手なのか、それは、「書いていないから」。
この一言に尽きます。


とりあえず、書いてみる。
まずは質より量。
(センスとは、量である)

しかし、先ほども申したとおり、書くためには考えなくてはなりません。
「質より量」と言えば、「なりふり構わずやれ!」
みたいに感じますが、そうではありません。
本の感想を書く場合でも、行き当たりばったりでは、1000文字も書けません。(素人の私で経験済みです)

書くという行為の前に、その本の全体像を頭の中で整理する必要があるわけです。

この著者は何が言いたいのか

この本で大事なところはどこだろうか


このように、考えることが山のようにでてきます。
(脳が高速で回転し始めます)


この後にようやく、頭の中で整理したものを書いていく作業に移るのです。

それでは、ここから先は、文章を書く際に気をつける3つのポイントについて書いていきたいと思います。


⒈ 文章の構成

「小説やドラマや映画は起承転結にそって作られています。」
誰もが一度は聞いたことがあるのではないでしょうか。

起…物語の導入
承…物語を進める部分
転…急転回
結…結末

ざっと説明してみると、こんな感じ。

ここで、書籍(原稿用紙10枚を書く力)から引用してきます。

「起承転結」とは、四つが均等のものではなく、実は「転」があるかないかにすべてがかかっている。考える順番でいえば、「転」が最初。つまり、「転起承結」なのだ。
「転」を思いついたら、あとは「起・承」を無理にでもくっつける。「結」は最後、とりあえず無理やり考えて大丈夫。「転」を命にして、「転」を思いついたら書く。
「原稿用紙10枚を書く力(齋藤孝)」


この文章と出会ってから、ドラマや小説の見方が変わりました。

「どこが、転だろう」
「あ、あそこが転だったのね」

といったふうに。


本書を読む前の私はというと、文章(記事)の書き出しばかりに注力し、だんだんと尻すぼみになっていくのがお決まりのパターン。

起承転結の章を読んでいると、「そんなことでは一生文章なんて書けないぞ」と言われているような気がしてなんとも恥ずかしい気持ちになりました。

長文を書くのが苦手な方や、文章力をつけたいと思ってる方は、「転から考える」を参考にしてみるのも、いいかもしれません。


では、次に、文章を書くにあたっての立ち位置(ポジション)について書いていきます。

⒉ 文章を書く際の立ち位置

短くまとめると、「どの角度からテーマについて書くか」です。

笑いをとるような文章を書くのは、その人が世の中の人から滑稽に見えるようなポジションどりをしているのである。それはそれで芸が必要な書き方である。逆に、世の中の人にもの申すという、自分がちょっと人より高い立場からものを見ているという書き方もある。
「原稿用紙10枚を書く力(齋藤孝)」

なんとなくでも「立ち位置」について分かっていただけたでしょうか。

「文章が書けない」と落ち込んでいた私に、パッと光が差し込んできた瞬間でもありました。

そして、この「立ち位置」。
「書くこと」以外でもあてはまります。

例えば、映画「ハリーポッター」。

魔法というハリーポッターの世界観が好きで観る人もいれば、シーズン1からずっと観てるから観ると言う人もいます。
はたまた、ハーマイオニーが好きだから観に行く、といった人まで。
(ポッターやマルフォイの成長を追いたいという人もいるかもしれません)

あらゆる事柄に対して、それぞれが立ち位置を持っているのです。

読書に関しては、こんな言葉も書かれていました。

「書くために読む」という意識を持てば、「書く力」は読書量に比例する。書くことを意識して読むことで、読み込む力もつく
「原稿用紙10枚を書く力(齋藤孝)」

わたしも「書くために読む」、と頭を切り替えたところ、読書する姿勢が180度変わったことを鮮明に覚えています。


もちろん、メモをする箇所やメモの量も断然多くなります。
(しかし、いざ文章を書くとなると、まだまだ筆が止まります)


ここまで、文章の構成文章を書く際の立ち位置について述べてきました。
そしてこれから述べるのは、3つのキーワードについて。

抽象的で申し訳ないのですが、3つのキーワードというのが、長文を書くにあたってのポイントです。

そして、3つのキーワードが、書いた文章にその人の個性(オリジナリティ)を現してくれます。


個性に関して、面白い一文があったのでご紹介します。

「自分の言葉」だと思い込んでいる言葉や文章は、実はすでにこれまでさんざん使われてきたものなのだ。言葉そのものでオリジナリティを出すのは、よほど才能のある詩人のような人以外には、まず不可能だといっていい
「原稿用紙10枚を書く力(齋藤孝)」



⒊ 3つのキーワード

いよいよ本題です。
簡潔にいうと、キーワードとは場所(場面)です。


このキーワードというのが、文章を書く上での『柱』となります。


例えば、本を読んだり映画を見たりした後に、印象に残った箇所(場面)を3つ選ぶ。
これが、3つのキーワードとなります。

1つでも2つでもなく、3つ選ぶのには、訳があります。

3つ選ぶことによって「個性」が現れると先程述べました。
どの3つを選ぶかで「センス」を問われるわけです。
(わたしのセンスは絶望的だと思われます)

なぜ、3つなのか、どのようにして3つのキーワードを選定するのかについて、掘り下げていきます。


まずは、3つの理由から。
みんな大好き読書感想文を例にとって説明します。

学生に同じ本を読ませ、印象に残った箇所を3つ選んで感想文を書かせる。学生に書かせた感想文を読んでみると、1つや2つは複合する部分が出てくるが、3つとも同じ箇所を選ぶ学生はいない。これで立派な個性の完成です。

次にキーワードの選定について。

このキーワードは、「カメラの三脚」のようなものです。
三脚というのは、適度な距離感を保っていなくては、安定しません。
そして、三脚は「繋がっています」。
この「繋げる」と言う作業の中で、『思考力を鍛えるのです』

本を読むことが苦手な場合は、映画の感想を書くのもいいかもしれません。
私もやってみたいと思っており、どの映画にするか迷っている最中です。

きちんと人に通じる、そしてオリジナリティがある文章を書くトレーニングとしてすすめたいのは、映画を見てそれについて書いてみることである。
 映画を見て、いいと思えばそれをだれかに語りたくなる。その語りたくなるエネルギーを活用して、文章で表現してみるのだ。
 映画は基本的に映像が主体であるから、まず、その映像表現を言語に換えていく時点で書くことの根本的な力が問われる。
「原稿用紙10枚を書く力(齋藤孝)」



☑️あとがき


本を読み(映画や何かの体験をし)、3つのキーワードを選ぶ。
次に、立ち位置(ポジション)を決め、文章の構成を考える。

この作業を終えて、ようやく文章が書けるのです。
今回の記事をかくのにも、約5日ほどかかっています。
(普段、体を鍛えてばかりで、何も創造しない男だから仕方ないのですが)


私自身、これまでたくさんの本を読んできましたが、何度も同じ本を読み返したのは今回が初めてでした。
もちろん、書くことを前提に本を読んだのも初めてです。
そして、この記事を書いていく中で、普段の読書がただの「娯楽」になっていたことに気づきました。
(たまにはそういうのもいいかもしれませんが)

これを境に、ドラマや映画をみる際の着眼点も変わるでしょうし、本との向き合い方もガラッと変わるでしょう。
まもなく、この文章も4000字に達します。
秋晴れの心地良さも相まってか、爽快感が半端ではありません。

なぜだかわかりませんが、『読書という荒野』を読みたくなってきました。
ボコボコに殴られる準備をするために、今日のところは筆を置きたいと思います。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

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