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認知症のおばあさんがいる世界

2~3カ月前、仕事で認知症のおばあさんの対応をした。

最初は年下の同僚が対応していたけれど、彼女は、お昼休憩できずにいたので、私が交代した。

認知症のおばあさんのお話

おばあさんは、

「息子と娘が(おばあさんの)家の土地を乗っ取ろうとしている」

「郵便局で弁護士費用をおろそうするけど、おろさせてくれない」

「そもそも息子と嫁の結婚は認めてない。嫁は家族じゃない」

という話をランダムに繰り返していた。

おばあさんは、途中で怒ったり、悲しくなったのか涙ぐんだりもした。

私は、途中「息子さんは、どう言っているの?」とか「郵便局の人はお金をおろすのを理由なく断ったりしない」など会話を試みた。

けれども、おばあさんが私の言葉を受け取らないので、あきらめて「ウンウン」となるべくにこやかに相づちをうつだけにした。

すると5分くらいで気持ちが落ち着いたのか、おばあさんは

「お忙しいのにごめんなさいね。」

と言って帰っていた。

もっと長時間の対応を覚悟していたから、ちょっと拍子抜けした。

次元が違う世界

私が見たスピリチュアル情報で、世界の次元が愛の世界恐れ・不安の世界とに完全に分かれるというものがある。

私にはそれがイメージできなかった。

よく予言で〇月〇日に災害が起こり日本は壊滅的な被害が起こるなどがある。もちろん起こってほしくはないけれど、そうなったとしたら恐れや不安の世界はなんとなく想像できる。実際にはそうなっていない。

今、病気や経済的にすごく苦しい人などは恐れ・不安の世界にいて、希望を持っている人は愛の世界にいるのかもしれない。でも同じ日本に存在しているから分かれているわけではないように見える。

今回、認知症のおばあさんと全くコミュニケーションが取れない経験をしたことで、例え物質的に同じ場所に存在しても交流できないことがあり、このことを次元が違うというのかもしれないと感じた。

※補足)認知症の人すべてが恐れ・不安の世界にいるということではなく、認知症でも穏やかな世界にいる人もいるし、病気でなくても恐れ・不安の世界にいる人もいると思う。

それはまた、スピリチュアルにとても興味がある私だけのイメージなのかもしれない。

私は愛の世界にいたいな(それもエゴ)と思うけれど、完全に愛の世界を信じているか、つまり、愛の世界を信じ切っているかは、正直、分からない。

どうせ分かれるなら周りの人すべてが愛の世界にいけばいいのにとも思う。

スピリチュアルっていうと宗教や詐欺のイメージがあって、怖がられて話すことができない知り合いもいる。私は、哲学や心理学の延長線上にあるものだと思っているから怖がらずに聞いてほしいけれど、今までの経験上、知り合いに理解してもらうのは、なかなか難しいかもしれない。



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