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AKIRANAKAの眩しさ
嫌味のない光沢、ドラマを感じさせる不思議な配色、全体的に大きめのサイズ感に詰まるようなカフス周り、うつくしい縫い代の始末、細やかなピッチ、一目見て素敵だと思う服というのは理由がある。視線のたった一秒を捉えるような服というのは、たいてい細部まで素晴らしい作品である。いつもそういう目で服を見てきたのでそういう勘は働く方だ。家に持ち帰って改めてまじまじと見て、自分の勘が間違いなかったことに安堵した。
ファッションと日本製
毎回、死ぬまで着るくらいの気迫をもって購入するヨウジヤマモトで、今季一番気に入って手に入れたニットが中国製だった。とにかく寂しくて、こみあげる悲しみを抑えられなかった。いつのまにかヨウジヤマモトで中国製が存在していたとは。
中国製だからといって糸がほつれていたり、始末が悪いという訳ではなく、袖を通すと期待通りの美しいシルエットが生まれる、大好きなヨウジヤマモトのニットだ。少しざらついてドライなウ
ファッションショーと流行
私の知らない絢爛豪華な世界が確かにある。世界中から選び抜かれた美しいモデルが、きらびやかな衣装を身にまとってランウェイを堂々と歩く姿や、衣装の一つ一つにしつこい熱視線を送る観衆の姿に、ファッションという産業が放つ力の強さを感じる。私はファッションブランドのコレクションのショーを見るのが好きだ。コレクションでは、そのブランドの今シーズンの力の全てが披露される。何が伝えたいのか分からないファッション広
もっとみるコムデギャルソンのシャツを着る
コムデギャルソンのシャツを着ると、なぜか毎回、自分自身とは一体どんな人物だったのかを思い返すことになる。窮屈な首回り、硬い衿芯、体勢を崩すと苦しいほど圧迫される背中のダーツ、デザインの全てが身体に負荷をもたらす。いつもの自然な自分じゃ居られなくなる。
それでも、このシャツを着ると、自分のなかのプライドのようなものがくすぶって、自分自身と向き合うきっかけとなる。自分らしくいる事とは、何かを無くすこと
ヨウジヤマモトを着る
そもそも服に何を求めているのだろう。きっと人それぞれにファッションには譲れないものがあって、それが人の外見のほとんどを構成している。しかし人それぞれなんていうけれど、所詮服は衣類としての機能しか果たさないので、素肌を覆う為の布きれだと思えば街中を歩く人々は皆同じ格好をしている。ブランドものであろうがファストファッションであろうが自己表現とかフォーマルとか何であろうが、所詮服は服なのだ。自分の一部で
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