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ショートショート「日陰を持ち運ぶ」(約890字)

 地球温暖化が進む現代で、ある画期的な道具をA社は開発した。それは、日陰を持ち運べる道具であった。どこの日陰でもいい、例えばそこの公園の木の陰を切り取り、好きに持ち運ぶことができるのだ。ただし、木の陰は持っていかれたから、日なたになってしまうが。
 この大発明は、世界中で話題となる。その道具はもちろん高価であったが、日光が大嫌いなセレブ達のマストアイテムになった。他にも、この道具を用いて日陰を集める日陰コレクターなんかも現れた。そしてなんといっても、日陰を世界中から集め、レンタルするサービスを提供する会社まで現れたのだ。
 人々は、急な変化に戸惑いながらも、この新しい生活に慣れていった。ある人は、ピクニックに行くために、5平方メートルの日陰を3000円でレンタルした。ある人は、ドライブを快適にするために、車と同じ大きさの日陰を高額で買い取った。
 しかし、この道具の登場により、より変化した問題がある。世の人の外出率なんかではない。貧富の差である。お金のある国の人々が日陰を買い取ってしまったせいで、貧しい国の民は日なたの中で生きることを迫られたのだ。貧しい国は、国民のために国費をかけて日陰を買うが、十分な量の日陰ではなかった。世界中の善良な人々がその問題を理解し、貧しい人々を助けようとしたが、日陰コレクターは、日陰の単価が一番であった。
 その道具が開発されてから数年たった。そして、それは銃の引き金となってしまった。貧しい国々は結託をし、日陰を持つ国へ攻撃を仕掛けたのだ。世界は、混沌の世界に包まれた。世界史の教科書には「日陰戦争」というページがいずれできるだろう。
 日に当たるという行動は、自然なリズムでなければならない。日陰ばかりだと、いずれ、健康を害する。日陰側は、負けてしまった。日なた側の情熱には勝てなかったのだろうか。
 戦争は終結しても、世は混乱していた。自然の摂理を壊す道具の扱いを国際的に決めるには、大きな壁があった。その壁は、とても複雑な人間的なものであり、人類史で未だ破られたことのないものであった。この生き物は、自分たちの首を絞めることはできるのに、それに気づけないのだ。

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