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無敵の人には守るものがない

殺意を持ったことがある。
自分より弱い人に。

人なんて簡単に殺せてしまうと思った私は、この人を殺して、果たして私にメリットがあるだろうかと考えた。
そしたら自分が楽になるために殺しても、自分だけが刑罰を受けるなら割に合わない気がしてきた。
だから私は殺すのをやめて、そこから逃げることにした。

あの時、先のことを考える余裕もなかったら、私は犯罪者になっていただろう。



「誰でも良かった。社会が憎かった」

ちょうど私が生まれたころから、日本の犯罪史は特定の誰かに恨みがあってとかではなく、動機の理解に苦しむ事件を綴っている。

1997年、神戸連続児童殺傷事件
1999年、池袋通り魔殺人事件、下関通り魔殺人事件
2001年、池田小事件
2004年、佐世保小6女児同級生殺人事件
2005年、仙台アーケード街トラック暴走事件
2008年、秋葉原通り魔事件、八王子通り魔事件
2014年、佐世保女子高生殺人事件、名古屋大学女子学生殺人事件
2016年、相模原障害者施設殺傷事件
2017年、座間9人殺害事件
2019年、川崎市登戸通り魔事件、京都アニメーション放火殺人事件
2021年、北新地ビル放火殺人事件、小田急線刺傷事件、京王線刺傷事件
2022年、安倍晋三銃撃事件

私が記憶しているだけでもこれだけあるので、ちゃんと調べればもっと多いだろう。
長引く不景気で社会不安が募るほど、世間を震撼させる事件が頻発したように思える。

幼い頃は、よくわからない頭のおかしな人間がこうした事件を起こしていると思っていた。
でも、年を取るごとに、自分も一歩間違えればそちら側の人間になってしまうと恐れるようになった。
いや、もしかしたらもうそっち側に行っているかもしれない。

自分なりに頑張ったつもりだけれど、私は優れた人間でもなければ人並み以下の人間だった。
多分頑張っても裕福には暮らせないし、余裕のある生活もできない。
生きるために働いて、働くために生きる。
助けてくれる家族がいなければひとりで生きていくしかなくて、明るくて希望に満ちた未来なんてない。
毎日が辛い。
何をしても自己責任で助けてはくれない。負け確定。一発逆転とか、ない。
幸せは一瞬で溶けて、苦しみが上塗りされていく。
世界は私を置いて回っていく。
この世界で生きていくには、長くて辛い道のりを歩くか、ドロップアウトするか。この恨めしい世界を巻き込んでドロップアウトするか。


私には守るものがない

私の好きな曲のひとつに、Mr.Childrenの「Hero」がある。

この曲の中には、

「守るべき大切なものたちが 僕を臆病者に変えてしまったんだ」

とある。

守るべきものがある人は強いと思っていた。アンパンマンみたいな正義のヒーローは、守るべきものがあって、強い。守りたいという強い気持ちが、彼を強くしているんだ。

でも現実はどうだろう。

「一家の大黒柱」だとしたら、家族を守るために自分の身を滅ぼしてはならない。
家族を守るために不本意ながら長いものに巻かれたりする。

「守る」なんてたいそうなものじゃなくても、例えば推しが最優先で推しのために働いたり、今の地位や年収を捨てないために仕事を頑張ったり、大事なものがそれぞれある。

でも私は何もない。病気で人並みに働けなくて、少し前までは生活保護並みのお給料で働かされて、文化的で人間らしい生活なんてできなかった。一緒に働いている人のことは好きだったけれど、会社が本当に憎くて、潰してやりたいと思って粛々と違法である証拠を集めていた(結局訴えなかったけど)。何もないから壊してやろうという気持ちに迷いはなかった。
最低限の生活しかできない私に失うものは何もなかった。転職サイトの会社レビューになんて書いてやろうと考えることが楽しみだった。

私の考え方と彼らに何の差があるだろう。


経済的に安定して落ち着いた

今、障害者雇用で転職して、初任給と同じ額まで給与は下がったものの、来月生きていけるかわからない状況は脱した。毎月ちゃんと生きていける給料で働けるようになって、精神的にも安定した。今はこの生活を守りたいと思っている。

守るものがない人は強い。失うものがないから。他人の安寧を簡単に奪ってしまう。不安は想像力を奪ってしまうから。



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鞍馬欄子(くらまらんこ)

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