見出し画像

2020/07/28の創作日記(〆切まで95日)

僕がSFやファンタジーを好むのは、現実の社会問題と(比較的)無縁でいることができるからだ。
物語を描くためには大なり小なり「事件」は必要不可欠であり、現実社会を舞台にしている場合、現実の社会問題が嫌でも関わってくる。僕がそう書かなくても読者がそう受け取る可能性がぐっと上昇する。

それが嫌だから僕は現実を舞台にした小説はめったに書かない。そういう不純物は可能な限り作品の外側においておきたいから。

だが書いている最中の僕は「社会的問題提起」などという小賢しい企みをしようとする。読者として大嫌いなことを自作の格上げのためならば平気でしようとするのだから愚かの極みである。

今日、「7番房の奇跡」という映画をちらっと見た。自分で流したものではないし、そもそもちゃんと見ていないので中身は把握していないのだけど、ぱっと見だと韓国製アイ・アム・サムという印象。
要は「知的障害を持つ父親と聡明な娘との絆を社会が引き裂く」という問題から始まるヒューマンドラマだ。

僕はああいう「社会的弱者を不当に虐めて視聴者の同情を誘う」というやり口が大変苦手なので、知的障害者を主人公にした映画はフォレスト・ガンプぐらいしか良い印象がない。

しかし今執筆中の自作を見直してみると、なんとまぁ同じやり口を利用していることに気がついた。先程述べた「社会的問題提起」の部分がそれだ。
痛恨である。舞台が現実ではない分生々しさはないが、それがかえってなんだか酷く低俗なことをしているような気分になる。

これは流石にあかんと、ちょこちょこ書き溜めた四万字弱をゴミ箱にポイ。
振り出しから再スタート。

よければ