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浮遊する歯、Resilienceー哀しみと共に生きる

歯ぎしりに関してググっていたら、どうやら90%以上の人間が寝ている間に、自分のあずかり知らぬところで歯ぎしりをしているらしいという情報を目にした。その情報の信ぴょう性は知らないが(歯医者のサイトに載っていたけど)、もし本当だとすれば、おおよそ69億の人々がこの地球上で夜な夜なギシギシと己の歯をミルストーンがごとくこすり合せては粉砕しているということになる。その音を集めて録音したら、ちょっとした建物の解体作業くらいの音量になったりして。

ちなみに歯ぎしりは英語でBruxism(正確には、歯ぎしりや食いしばりなどを含めた運動障害のこと)。なんだか急にバンド名みたいな響きになってポップな雰囲気。*普段の生活では、teeth grinding (歯をこする)を使うのが一般的。
 
歯ぎしりの原因はかみ合わせの悪さにもあるらしいが、ストレスによるところも大きいらしく、もし69億の人々が昼間はストレスを抱えてもがきながら生きて、夜にはそのストレスで己の歯を砕きながら寝ているとすれば、なんか壮絶なことよなぁとしみじみしてしまう。
生きるって本当に大変。
 
歯ぎしりに関してググっていたのは、何を隠そう、私もどうやらせっせと歯ぎしりをしているらしく、そのせいでここ最近左上の奥歯が浮いて痛んでいたからです。
 
ところで、歯の浮いたことのない幸運なあなた、歯が浮くというのは、もちろん口の中で歯がドローンのように浮遊することではなく、歯の根元がぐらついて、噛んだり触ったりすると歯がちょっとゆらゆらすることです。そして噛むと痛む。そのうち、噛んでなくても痛む。そして夜中に恐らく歯ぎしりをしてその痛みで目が覚めるようになる。辛いね。
 
歯医者で診てもらうと、歯にひびが入っていたり、炎症を起こしてたり、虫歯があるわけではなく、ただ単に歯が浮いているから痛いのだ、ということで(恐るべし、浮き歯の痛み!)、夜に咥えて寝るナイトガードを作ってもらった。

まだナイトガードは出来上がっていないのだが、それを付けて寝るだけで、既に控えめなやじろべえのように揺れている歯の揺れ問題も治るというのだから(ナイトガードで固定されて歯がびしっと元の位置に戻ってくれるらしい)、それが本当だとしたら意外と素直な私の歯。ありがたい。
 
歯ぎしりを徹底的に治したければ、かみ合わせを治すに限る、と歯科衛生士に言われ、かみ合わせ治療について話を聞いたらば、全部で70万円という高額さに、その場では決断を下さずにちょっと自分でも調べてみます、ということで、色々研究論文を漁ってみた。(一種の職業病。)
 
そうすると、嚙み合わせを治しても完全に歯ぎしりが治るわけではないらしいという情報を発見(2)。大体一つのことを〇という研究があれば、それを四角という研究もあるのは当然なので驚かないけれど、とは言え、噛み合わせを治すことで良い効果は他にも沢山あるので、噛み合わせを治さない方が良いとはならないみたい。

最近では、寝ている間に脳が信号を送っちゃうせいで歯ぎしりをしてしまう病態生理学的要因が注目されていることも分かった。確かに、なんか知らん問題があるとなんでもさっさとストレスのせいにする傾向があるけど、実は違う原因があることも多いのかもね。
 
とは言え、ストレスの多い人生を送っているということが、歯ぎしり行為に関係する最も優位なリスクファクターであるという研究()や、起きている間の噛み締めは男性よりも女性に多い(2)とか、ストレスに弱い人ほど歯ぎしりをする(3)、不安症の子は、そうではない子よりも歯ぎしりをする(4)、などなどその関係性を報告する研究は多く存在している。ただ、起きている間の歯ぎしりはストレス経験と比例するものの、寝ている間の歯ぎしりは必ずしもそうではない(5)という研究も。
 
ストレス関係の研究はどうしても相関関係(correlation)を証明したものが多く、直接の因果関係(causality)を証明しているわけではないので、生きるということのように、デフォルトとしてストレスがかかる状態に晒されている私たちの人生で、ストレスと関係のないものを探す方が難しいのかもしれない。
 
ところで、ストレスと言えばレジリエンス(Resilience)、挫けず立ち上がる力。テキサスの小学校で銃乱射事件があった後に、銃規制を求めて「Stop telling children to be resilient. Fix the problem instead. 」という趣旨のメッセージをよく目にした。「子どもに頑張れ(挫けるな)!と言うより、まず問題を解決しろ」という意味のメッセージだ。

銃規制には大賛成だし、このメッセージもその通り。銃なんか本当にさっさと規制して欲しい。特に殺傷用銃器と呼ばれる、映画プラトーンの名場面のように短時間にダダダダダダダと連射できるタイプの銃は一般家庭には不要(そんな何十人もに一気に襲われるみたいな護身が必要な場面ってある?あったとしてもそういう状況に出くわす確率の方が、学校で銃乱射事件が起こる確率より低い)。
 
ところが、最近目にしたそのメッセージの進化型に、「Instead of teaching children to be resilient, why not making this world a better place?」というのがあった。これは、「子どもに挫けない強さを教えるよりも、そんなものの必要のない世界を作ろう。」という意味だけど、これには、ちょっと、いや、こればっかりは、世界の構造の問題を超えたところの、生きるということが、そもそも胸をえぐられる作業であるというところで、どんなに世界の構造が進歩して万人に優しくなったとしても、生きているということは、絶対に失いたくない大切な人、動物、場所や時を失い続けるということ。もちろん、同様に、新しく大切な人や場所や時も増えていくということではあるのだけど。

胸が折れるほどの悲しみと共にあるのが人生で、それと同じくらい胸に収まらないほどの暖かい喜びと美しさとも生きている。
 
Resilience(もう一度立ち上がる強さ)を教えることと、どんなに大変な時でも、大変だと嘆かずに頑張り続けろと教えることは同義ではないし、大丈夫じゃないと受け入れることも、今は少し休ませてと自ら休憩を取ることも含めてResilientであるということなのだから、それは、死ぬまで生きることになる全人にとってやはり大切で、だからそもそも人間には自然なレジリエンスが備わっている。それを意図的に引き出したり、気付く作業を子どもと一緒にするのは、決して無理なポジティブを押し付けるのとは違う作業だ。
 
それに、いずれ大人になった子どもたちは、やはり夜な夜な己の歯をこすり合せて、浮遊する歯の苦しみを味わうことになるのかもしれないのだし、その時にはやはりナイトガードを咥えて食いしばり、そこからくじけずに立ち上がるレジリエンスが必要になるのだから。

それはそうと早くナイトガード届かないかな。私のレジリエンスもそろそろ限界だよ。